個性や特徴はあっても、わがままになったらあきまへん


ここのところ映画をDVDで観る機会が増えており、特にジブリ関係ではぼろぼろ涙を流して観ていたりする。
先日はダンス・ウィズ・ウルブスというケビン・コスナーが監督と主役をやった映画を久しぶりに観た。
昔は途中からの断片でしか観ていなかったので、ほぼ今回が初めての機会。
すごくいい映画やなーって思った。風景やシーンカットだけ観てても満足感があるなぁって思った。
感想はちょっとおいておいて、ふと気づいた点があった。
インディアンが戦を仕掛けるときに塗り物の装飾を体中にするシーンがあったが、その時突然「もののけ姫」で乙事主(オッコトヌシ)の猪っぽい部下達が攻め込むときにどろで身体に模様を塗りたくって出陣していったシーンを思い出した。もののけ姫はインディアンの習慣を参考にしたんかな?って思った。
さらにそこから、飛躍した話になるが、ダンスウィズウルブスでの1つの大きなメッセージだった点を、もののけ姫でも出してたんだなと思った。
どういうことかというと、環境に元からいる人にとって別の環境からきた人間は文化が異なる存在であり、ルールが異なる人間になる。非常に受け入れにくい対象となる。
そんな対象があくまでも自分の文化やルールで行動するというのは、受け入れ難い存在というだけでなく、非常に迷惑な存在である。
その外部の人間は勝てるか勝てないか、もしくはなんもいわれへんかだけが行動の基準になっておるケースが多く、それはわがままだしちんけな行動といえる。
元から環境にいる側はすんなり外部を受け入れるということは誰にでもできることではなく、彼ら自身も壁のある、暴力的な接し方になるので、マッチポンプで関係は悪化する。


ダンス・ウィズ・ウルブスではインディアンと白人がなんで対立状態かの心境から見える点だし、もののけ姫は獣の神と人間がぶつかるのは、環境の違うところから来た人間(エボシとか)が違う文化とルールで生きている(山削って鉄作ってるからすむところがなくなっていってる)ということ自体が既存のもの達にとっては非常に迷惑になるということ。
なんかすごく似たメッセージと感じた。
もう一回もののけ姫を観るときに見え方がちょっと変わりそうな気もする。(今まで10回ぐらいみてるけど)


話を戻してさらにいうと、こういうことは歴史上だけでなく、現在の生活の中でも多々あることである。
今の東京でいうと、すっかり地方出身/海外出身の住んでる人間が多く、マイペースしかやろうとしない文化になってしまってる。それが生きていくのが辛い結果になるときもある。


心を開くことと歩み寄り。それが大事な世の中なんだよ。
個性や特徴はあっても、わがままになったらあきまへんということだね。




ダンス・ウィズ・ウルブス [DVD]

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