セクハラの意味陽炎へる昭和の日

テレビでコメンテーターの女性が「私も同じような立場でセクハラにあった。」というのを聞いて、それは自慢か?と感じた自分がいる。そのことに自分で驚く。

セクハラという言葉がなかった時代に若かったので、あれはセクハラだった、と思っても過ぎたことである。
言葉が出来て、物事は確定する。以前は痴漢という言葉しかなくてそれは犯罪である。

このセクハラという言葉の半端さ加減に問題があるのでないか?訳せば性的嫌がらせだが、英語を略すと軽くなる。
せいぜいエロGGという感じである。そうエロGGは昔からいっぱいいるのである。それでみんな生き延びているから悪いなんて思っていない。
もっと悪いことに、エロされる方も「また〜」とか思ってしまう。この積み重なりが今噴出している。

忘れていけないのは、セクハラはするほうが社会的立場とか金銭的に優位にいるのである。
長年そこにうやむやなものが醸し出されていることを私は否定できない。高級クラブなんてそれで成り立っている。

それで冒頭に戻って、なぜコメンテーターの言葉が自慢に聞こえたのか。
コメンテーターは社会的に優位の人であり男性とも対等に渡り合えるはずである。だけど、私だって女だから、と言いたい気持ちが出てしまうのだ。
私のことは忘れて、今、声をあげた人のことに集中するのが良いと思うのだ。
 
だから#Me tooは止めたほうがいい。そんなことを言うから男に足を掬われる。 

じゃなんていうのか。「紳士たれ」がいいと思うんですけど。
英語で言いたいなら#Be a gentleman.

どうでしょう。


僕は大丈夫です。