good2nd このページをアンテナに追加 RSSフィード

2008-08-09

Googleストリートビューについて


僕はあれがとても気持ち悪いんだけど、別に平気だという人や、積極的に評価する人がいることは十分理解できます。また、そうした人達には何が気持ち悪いのかが理解しづらいだろうということも想像できます。そこで、自分なりにその「気持ち悪さ」を説明してみたいと思います。何しろ感覚的な部分が大きいし、自分自身にとってもまだその問題が明瞭な輪郭を持つにまで至っていないところがあります。だから「気持ち悪いなどというほうがおかしい、その感覚は間違っている」と思う人を説得できるとはあまり思いませんが、「何が気持ち悪いのかよくわからない」という人に理解してもらうくらいならできるかもしれません。


問題の範囲

僕が気持ち悪いと思っているのは Google Map のストリートビューであって、それ以外のものではありません(当面の問題設定として)。つまり例えば、「誰かが撮影した一枚の風景写真にたまたま自宅が写っている」ことを問題にしているのでもなければ、「近所にテレビの撮影が来ていて、知らない間に自分が写っていた」ことを問題にしているのでもありません。もちろん公道から自宅が見えること自体が問題なのでもありません。あくまで、あのような形で実現されているストリートビューが気持ち悪いのです。あれを「すごい」「新しい」「便利」と言う人はあのサービスに独自性・特殊性を見いだしていることと思いますが、僕の気持ち悪さもおそらくはその独自性・特殊性に由来するものだと思います。


「公道だから…」

ストリートビューを実際に見た後ではわりと簡単に想像できると思うのですが、あれがリアルタイムの動画だったとしたらどうでしょうか?現時点で実現できるかどうかじゃなく、一つのモデルとして考えてみてほしいのですが、どの住宅街の小さな路地でも常にリアルタイムに見ることができるというサービスがあったしたとしたらどうでしょうか。もちろん撮影は公道から見えるエリアに限定されているとして。こうなると誰でも、どこからでも、ある地点をじっと監視し続けることができる状態になるわけですが、さてこのとき、やはり「公道だから」プライバシーではない、従って問題はないと言うべきでしょうか。


あるいは別の想像をしてみてほしいのですが、自宅の前の公道にカメラを設置して何日間も撮影されたとしたらどうでしょうか。プライバシー上の問題と感じる人はかなり多いのではないかと思いますが、「公道だから」問題ないと言うべきでしょうか。


つまり、撮影地点が「公道だから」というだけでは問題がないとは言えない、と思うのです。公道から見える場所ならばどのような撮影をして、どのように画像を使っても問題ない、とは言えないはずです。様々な他の条件との組合せで考えなければならないのではないでしょうか。


全面的、包括的

もちろん今のストリートビューは動画ではありませんし、定点観測でもありません。しかし基本的にあらゆる道を360度撮影したという画像は、ある都市を全面的、包括的に記録しようとするものです。自宅前の定点カメラが問題と感じられるのは、それによる記録なり監視なりが「時間的に連続・継続している」ことに起因すると思いますが、ストリートビューはそれを空間的に展開したもの、とイメージすることができるのではないでしょうか。


そしてこれが、一枚の風景写真と決定的に違う点です。ストリートビューの画像は連続しており、ある都市の全体を包括的に捉えたものです。それぞれの画像には時間的な持続はありませんが、広域な空間を覆いつくすものです。いわば「逃げ場がない」のです。確かに撮影はある時点で行なわれるものにすぎず、撮影に遭遇するのは現時点ではほとんど事故のようなものと言えるでしょう。それでも、私達は「こんな所で人に見られたりしないだろう」あるいは「ちょっとくらい見られてもいいか」くらいの意識で公道で何かしていることは少なくありません。ストリートビューは、この「ちょっと見られちゃった」が「世界中の誰かに、持続的に見られる可能性がある」に変わることを意味しています。どこにいてもその可能性がある、という世界です。何かの拍子に「話題のストリートビューまとめ」とか何とかで晒し者になってしまう可能性に怯えて暮らすのは嫌です。


無断リンク、インデクシング

ストリートビューに対する反感を「無断リンク」や「クローラによるインデクシング」への反発と同様のものと捉えるコメントをいくつか見ましたが、僕はこれは全然性質の違う問題だと思います。


無断リンクやインデクシングが問題になるのは Web 上の情報空間のみです。そして Web に自分の著作物なり何なりを置くというのは、意識的・意図的・能動的なものです。さらに、Web に公開するということは、世界中の誰でもアクセスできる状態を自ら選択するということです。「無断リンク禁止」や「インデクシング反対」がある種滑稽に見えるのは、そうした態度自体が、自ら選択したはずの「Web に公開する」という行為と矛盾していると見なされるからでしょう。嫌なら最初から公開なんかするなよ、と。

しかし僕達は、現実空間に「顔を出さずにいる」ことはできません。公道に出ないというのは、通常の生活のなかで選択可能なオプションではないでしょう。また Web であれば、たとえば他人に見られたくない Web ページに認証をかけるということができますが、現実空間において自宅や自分の身体を不可視にすることはできません。


Google に「不適切な画像」として報告すればいい、とおっしゃる方もいますが、なぜ不利益を被っている(少なくともそう感じている)側が Google のお手伝いをしなければならないのでしょうか?また、ああいったサービスで晒しものになっていると気づかない人、ストリートビューそのものの存在を知らない人はどうすればいいのでしょうか?


「自意識過剰だ」「やましいことでもあるのか」

という意見を見ると、プライバシーという考え方がいかに浸透していないかがわかる気がします。きっと盗聴にも問題を感じないのでしょう。

僕には「犯罪でも不道徳でもないが他人には知られたくないこと」があります。きっと他の多くの人にもそういうものがあるはずだと思います。


「現行法では…」

よく知りませんが、いま違法でないのであれば法改正や新法が必要になるのかもしれません。


住居の外観

「公道だから」という話と重なるのですが、住所がわかれば住居の外観を誰にでも見られてしまう可能性がある、というのはある人々にとってはかなり不安をもたらすものです。「ヤフオクで買い物したらウチが見られるってことか」というコメントを見かけましたが、そういうことでしょう。もちろん、住所さえわかれば、その地点まで行くことは従来から誰にでもできたことです。しかし、この比較は、例えば「本のコピーなんて手書きでもできるに、デジタルだけ問題にするのはおかしい」というのに似ています。つまりこれまではコストや時間がかかりすぎるという制約により(不完全ながら実質的に意味がある程度には)守られていたものから、その制約が取り払われてしまうことに対する不安です。そしてこれも指摘されていましたが、こうした変化が犯罪を助長するようなことも起こらないとは限りません。


ネット上の反応

ストリートビューが話題になった直後、2ch などを含めたネット上のあちこちで話題になったのは誰かが探してきた「おもしろい画像」でした。そこには路上でイチャつくカップルやラブホテルに入るカップル、警官に職務質問されている人物、などが含まれていました。これを大勢の人が面白い、笑える、と晒し者にして楽しんでいたわけです。もちろん晒されている本人がそれを知っているかどうかもわからず、どう感じているのかもわかりませんが、多くの人が下衆な覗き趣味を満足させている様は異様なものでした。


しかもその画像は、従来のように独立したものではなく、地図と組み合わされ、巨大なデータベースの一部として存在しているわけです。たとえ Google が機械的に顔にボカシを入れていようと、すでに個人が特定されている例が散見されますが、それは地図との組合せによってこうした「おもしろ画像」の持つ意味が違ったものになるということを示しているのではないでしょうか。


「技術は中立」

という意見はたいてい「使う人間の問題」と続くわけですが、どうして「使う人間」だけ問題にして「作る人間」を問題にしないのでしょうか。




…以上、いくつか述べてきましたが、少なくとも何を気持ち悪がっているかという「気分」は理解してもらえたらと思います。とりとめもない文章でまとめも何もないのですが、今の時点で自分なりに書いておきたいことを書きました。

トラックバック - http://d.hatena.ne.jp/good2nd/20080809/1218272739