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2009-05-14

性暴力表現と規制


おくればせながら。

 少女を含む女性3人をレイプして妊娠や中絶をさせるという内容の日本製のパソコンゲームソフトに海外で批判が高まっている。

日本製「性暴力ゲーム」欧米で販売中止、人権団体が抗議活動 : 社会 : YOMIURI ONLINE(読売新聞)

はてブの反応。

はてなブックマーク - 日本製「性暴力ゲーム」欧米で販売中止、人権団体が抗議活動 : 社会 : YOMIURI ONLINE(読売新聞)

その人権団体 Equality Now の声明。

Equality Nowのエロゲに対する声明を訳してみた。(更新あり) - yuubokuの日記 - 断片部


まず、ブクマその他では規制に反対して、この人権団体を批判・非難するものが多いようですが、必ずしも Equality Now の主張を理解したうえでの批判とは言えないものもかなりあって、ただただ「規制反対」を叫んだり、「人権団体」全般への嫌悪感をあらわにしているものが目立つように思います。率直に言って、どっちが「ヒステリック」になってるんだか、と。


差別問題

Equality Now の主張は、問題のゲームが性暴力を肯定的に表現していること、それが性暴力を容認し正当化し奨励するものであること、こうしたゲームが流通することは性差別をなくす上で障害となっており、日本政府はこうしたものに対抗し性差別をなくしていく義務がある、と要約できるでしょう。そして、メーカーには販売中止を求め、政府には禁止(ban)を求めています。

こうしたゲームが犯罪の増加につながっているから禁止せよ、というような主張ではなく(だから「ゲームと現実の区別が云々」という批判や強力効果論云々という批判は的を外していると思います)、差別を容認し温存し性暴力を肯定していることが問題とされているわけです。だから問題はエロではなくて差別なのであって、というか、差別問題がここではエロという形で現れている、ということだと思うのです。


例えば仮に、被差別部落出身者に暴力や嫌がらせをするシミュレーションゲームが流通していたら間違いなく問題視されるだろうと思いますが、そういったものに近いのではないかと思います。問題はそうした表現が実際の犯罪につながるとかいうことではなくて、そうしたものが大規模に流通しているとき、流通し消費されていること自体がある種の社会的合意の現れとなってしまうということです。

もしも日本が性差別などとは無縁の社会であれば、逆にこうしたゲームはさして問題とならないかもしれません。ところが現実には、性差別は存在するし、「レイプする人は元気がある」などと政治家が発言してしまうような社会なわけです。あるいは性暴力の被害者に責任があるといって非難する人が少なくない社会なわけです。このような社会において「性暴力を肯定的に表現する」ことが「性暴力を容認する」ことに繋っていると考えるのは、それほどおかしなことだとは思いません。


規制

さて、では規制に賛成か反対か、ですが、これもあちこちで議論がおかしなことになっているように思われます。というのは、一口に規制といってもいろいろなレベルがあるわけで、単純に規制か放任かを言っていてもしかたがないんじゃないでしょうか。法による規制とは別に自主規制もやってたりするし。法規制でも、事前の検閲と事後の摘発では全然意味が違うと思うし。例えばすでに猥褻表現は法で規制されているわけですよね。今回、「表現に対するあらゆる規制に反対する」というような言明をいくつか見ましたが、「あらゆる規制」ってつまり猥褻物関係の現在の法も撤廃するべきで、ゾーニングなども完全に無くすべき、業界の自主規制なんかやめるべき、ということなんでしょうか。ちょっとそのへんがよくわかりません。


僕自身は、Equality Now が求めるような「禁止」は政府にやらせるには強すぎる、と思っています。せいぜいゾーニングの徹底や、業界に対して自主規制の強化を求めさせるくらいまでにしておいたほうがいいんじゃないかと感じています。

ゾーニングに関しては、「ゾーニングで充分じゃないか」的な言い回しをこれまたいくつか見ましたが、全然不十分だと思いますけどね。これもバランスはいろいろ考えられるけど、個人的には繁華街にアダルトショップがあるのはいいけどコンビニでエロ本売るのはやめたら?くらいに思ってます。ネット販売だってもっと敷居を高くしたほうがいいと思う。まあこういう点については議論の余地はいろいろあるでしょう。ただ、今回のように差別が問題となっている以上は、ゾーニングだけでは本来の解決にはならないかもしれません。だけど流通を抑制することで、そこから発せられる社会的メッセージの質を変えていくことにはなるんじゃないかという気もします。

業界の自主規制に関しては、強制力という意味では難しいかもしれないけど、モザイクとかピー音とかいうのとは別の基準―差別性や暴力性―を真面目に考えてみてもいいんじゃないかとは思います。


一番必要なこと

だけど、もし問題のゲームのようなものを自由に享受できるようにしたいと願うならば、一番やらなくてはいけないことは、現実の性差別を無くしていくことではないでしょうか。性差別がない社会では、Equality Now の抗議は無効となるでしょうし、そもそも差別を問題とするような抗議は出てこない(というか団体自体が不要となる)でしょう。まあ性差別の無くなった社会でああいうゲームが娯楽として成立するのかどうか怪しい気もしますけどね。

いずれにしろ、時間はかかるかもしれませんが、自分達の自由のためにも、もっと差別を地上からなくす努力をするべきだとは思いますね。