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2007-03-31

[][]シュレーディンガーの生命観とは

エルヴィン・シュレーディンガーは、知る人ぞ知る量子力学の大家(「シュレーディンガーの猫」の人)だが、哲学的にも興味深いものをいろいろ書き残している。以下は、この本からの引用。

つまり、君が君自身のものと言っている認識や感覚や意志からなるこの統一体(=君自身)が、さして遠い過去ではない特定のある瞬間に、無から降って湧いたなどということはあり得ないのである。この認識や感覚や意志は本質的に永遠かつ不変であり、すべての人間に、否感覚をもつすべての存在(=生命体)において、数量的にはたった一つのものなのである。(99頁)

かくして君は、大地と共にあり、大地は君と共にあるという確かな信念をもち、その身を大地に投げ出し、母なる大地に五体投地する。君は大地のように、否それにもまして幾千倍も金剛不壊である。確かにあした大地が君を呑み込むとしても、あらたな奮闘と苦悩に向けて大地は再び君を産み出すことであろう。それはいつの日にかということなのではなく、いま、今日、日々に大地は君を産み出すのである。それも一度のみならず幾千回となく、まさに日々君を呑み込むように、大地は君を産み出す。なぜなら、永遠にそして常にただこのいまだけがあるのであり、すべては同じいまなのであって、現在とは終わりのない唯一のいまなのであるのだから。(100〜101頁)

数量的にたったひとつのもの、という箇所は、例の〈私〉論を思い起こさせる。大地は再び君を産み出す・・・というあたりは、すごい文章だなあ。

本人もヴェーダンタ哲学に心酔していたらしい。「シュレーディンガーの猫」の思考実験などは、こういう思想的背景があってはじめて出てきたのだと納得。ヨーロッパ科学と思想に脈々と流れる、こういう裏水脈みたいなものは、ほんとうに面白い。

[][]ロリコン化する社会雑考

以前に、ロリコン化する社会について警鐘を鳴らすエッセイを「朝日新聞」大阪版に書いた。全文は↓で読める。

http://d.hatena.ne.jp/kanjinai/20060121/1175002703

ところが、この「朝日新聞」自体が、ロリコン化を推し進めている感がある。私の記事が載ったすぐあとの新年号の特集「12歳」では、いきなり紗綾を肯定的に紹介(これは朝日新聞東京本社配信の全国版。ちなみに私の上記記事は東京版にアプローチするも掲載されなかった)。

今年の3月には、「朝日新聞」大阪版で、「美少女キャラ 役所も萌え」という記事が掲載された。

http://www.asahi.com/culture/news_culture/OSK200703010061.html

この記事読んでも、なんか「萌え」の肯定面・健康面のみを強調したもので、その裏にへばりついているロリコンペドフィリア的側面への言及がないのは問題じゃないのだろうか。

少女への性的犯罪があるたびに、被害者家族の悲しみと加害者への怒りを大々的に記事にしている新聞が、上記のような脳天気な記事を垂れ流していていいのだろうか?

萌え」って健康的でいいじゃん!という人は、たとえば、この本の表紙を見てみよう。

萌え経済学

萌え経済学

これは著名な経済評論家、森永卓郎による本である。どうして表紙の少女のスカートが不自然にめくれあがって、白い下着と見紛うものが見えているのか*1。ここにあるものこそが、「萌え」の裏面にあるロリコンペドフィリアの心性であり、その事実はほぼ誰でも知っているはずなのに、マスメディアの場ではみんなでよってたかって、そんなものはないことにしているところのものなのである。

*1:これは錯覚を利用したむしろソフィスティケートされた例であり、もっと普通に直接的なものは、いくらでも探すことができる

2007-03-30

[][]藤田正勝『西田幾多郎――生きることと哲学

西田幾多郎―生きることと哲学 (岩波新書)

西田幾多郎―生きることと哲学 (岩波新書)

西田が哲学を単なる知識のための哲学としてではなく、自ら生きるということと密接に結びついたものとして理解していたことが、これらの言葉から知られる。いかにして「真に生きる」ということが可能になるか、この問いこそが哲学の出発点であり、それを問い続けることが哲学であるという考えを西田は一貫してもちつづけていたように思われる。(p.6)

西田幾多郎は、「生きること」と哲学とを不可分のものだと考えていた、という藤田さんの説。この本がやや西田や京都学派に入れ込みすぎの感は正直あった。たとえば、ベルクソンについても、同時代の西田より後、すなわちフランス本国ではドゥルーズなどがベルクソン論を書いている。藤田さんの叙述を読むと、「西田を通したベルクソン理解」ではないかと私は感じた。西田的思考を追うには良い本かもしれないが、新書の限界なのか、「西田に即した哲学」しか展開されていなかったのは少々残念であった。

それを補うものとして、最近の出版から次の3冊を挙げておきたい。これらはそれぞれに、著者や編者の色が感じられる。

西田幾多郎の生命哲学 (講談社現代新書)

西田幾多郎の生命哲学 (講談社現代新書)

西田幾多郎 (KAWADE道の手帖)

西田幾多郎 (KAWADE道の手帖)

西田幾多郎 <絶対無>とは何か (シリーズ・哲学のエッセンス)

西田幾多郎 <絶対無>とは何か (シリーズ・哲学のエッセンス)