天使のはらわた 赤い教室

女子とエロという帯の付いた『リビドー・ガールズ』という本を読んでいたら、真魚八重子「女の子のためのロマンポルノ鑑賞ガイド」という章があった。

リビドー・ガールズ―女子とエロ

リビドー・ガールズ―女子とエロ

日活ロマンポルノの良作、問題作などを、女子のために解説したものなのだが、なかなか面白かった。日活ロマンポルノといっても、いまの若い人たちにはもう分からない世界だろう。私の世代ぐらいから上の男性は、たぶん一度は見たことがあるんじゃないか。ロマンポルノとは、ストーリーのあるポルノ映画で、なされていることはすべておしばいである(ハードコアではない)。いまのAVとは、完全な別世界である。そういう映画が、70年代から80年代にかけて隆盛をきわめた。映画好きが注目するのは、当時の若手映画監督が、ロマンポルノという枠を利用して、好き勝手な映像を作って世に出してしまったということだ。濡れ場さえあれば、あとはなにを実験しようがかまわない、という理想郷が一瞬成立した。

私も学生時代は死ぬほど映画を観たのだが、その流れでロマンポルノのオールナイトとかも見に行くことがあった。高校時代の友人と一緒にオールナイトに行くというホモソーシャルなこともした。見たロマンポルノはほとんど内容を覚えてないが、唯一、心底衝撃を受けたのが、この『天使のはらわた 赤い教室』である。

キャスト・ストーリー http://cinema.intercritique.com/movie.cgi?mid=5668

石井隆原作、曾根中生監督の傑作である。男が、ある若い女と出会い、二人のあいだに情愛がめばえるかと思いきや、男は女を裏切り、女は性の奈落へと墜ちていく・・・、というありがちな話だが、別の人生を歩んでいた二人が、ラストで出会うことになる。男には家庭ができており、女は社会の底辺まで墜ちている。男の前で、大きな水たまりにずぼずぼと入っていく女。男は、女に向かって、こっちへ戻ってこいよと叫ぶ。女は振り向いて、あんたがこっちへ来たら、と言う。それを聞いて水縁で一歩も動けない男。という衝撃のラストシーン(だったように記憶している。まちがってるかも)。

男というジェンダーの悪の部分を描き切った思想映画だったと思う。日活ロマンポルノ全部忘れても、これだけは忘れられない。日本映画の10本の指に入るんじゃないだろうか(というのは言い過ぎかもしれないが)。

上記の本を読んでいて、突然、思い出したのだった。

喫煙に関する意識調査

 私は知らなかったのだが、5月31日(木)は「世界禁煙デー」に当たるそうだ。ジョンソン・エンド・ジョンソン株式会社が、企業に就職した新社会人500人を対象に「喫煙に関する意識調査」を行っている。

 同社のプレスリリースより引用。
http://www.jnj.co.jp/group/press/2007/0524/index.html

本調査結果からは、調査対象の新社会人の88%が非喫煙者であり、タバコを吸うサラリーマンやOLに対してあまり良いイメージを抱いていないこと、そして、職場の喫煙に関しては、40.2%が「喫煙スペースを設けて、そこでのみ喫煙可能とすべき」、33.8%が「職場は全面禁煙にすべき」と考えていることがわかりました。また、禁煙環境が整備されている会社に対しては、「オフィスがキレイでおしゃれ」(64.0%)「大手企業」(39.6%)「福利厚生が行き届いている」(36.2%)「先進的」(35.6%)という良いイメージを抱いており、非喫煙志向が明確に表れています。

新社会人の9割吸わず=喫煙社員にマイナスイメージ (時事通信)
http://www.jiji.com/jc/c?g=soc_30&k=2007052600058

 ここ10数年で非喫煙志向は、日本社会に急速に広まった。本調査がどれほど正確に世相を反映しているのか分からないが、私が大学生だった頃に比べると、新社会人の9割近くが非喫煙者という数字はかなり多い気がする。

参考:「日本たばこ協会」による、紙巻たばこの国内販売実績の推移。

http://www.tioj.or.jp/info/f4_0.html

 ここ10年で、販売本数が2割以上も減少していることが分かる。

ゲスト投稿を開始します

G★RDIASでは、新しい試みとして、外部ブロガーによるゲスト投稿を開始します。まずG★RDIASメンバーが、外部ブロガーにエントリーの執筆を依頼し、それを受け取ったメンバーが、そのエントリーを代理投稿します。コメントスレッド等の管理はG★RDIASが行ないます。

ということで、ぜひよろしくお願いします。

他者を歓待するブログについて

以下の投稿はid:mojimojiさんによるゲスト投稿です。

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 私が、様々な媒体の中でも特にブログという媒体に愛着を持っているのは、そこが他者に出会ってしまいやすい媒体である、という思いがある。その意味で、kanjinai氏の書かれた「ネットに「他者」は現れるか」にはとても興味を引かれた。その中での「「他者」は実は現われていない」という記述について、これは当然、僕の考えるところと違う。しかし、それ以外の多くの部分に首肯するところもたくさんある。どこで異なってしまっているのか。このところ、この問題がずっと頭に引っかかっていて、考え続けていた。──そんなときに、GORDIASにゲスト記事を書かないか、という打診があり、いろいろ考えた末に*1、書かせていただくことにした。

 述べたいことは大きく二つ。一つは「ネットに「他者」は現れる」ということ。いま一つは「閉じることを正当化しない」ということ。以上を踏まえて、ブログや掲示板には様々な開かれ方があっていい、あるより仕方ない、ということを述べる。

*1:この「いろいろ考えた」というところにも、いろいろ面白い問題があった。いずれ別の機会に書くと思うけれども、今回は触れない。

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