G★RDIAS このページをアンテナに追加 RSSフィード

2007-06-14

[][]ゲーテ「野ばら」再考

かの有名な若きゲーテによる詩「野ばら」、シューベルトらも曲を付けているから、みなさんも一度は聴いたことがあるだろう。手塚富雄先生による訳詩。

ゲーテ詩集 (1966年) (角川文庫)

ゲーテ詩集 (1966年) (角川文庫)

「野ばら」

野にひともと薔薇が咲いていました。

そのみずみずしさ 美しさ。

少年はそれを見るより走りより

心はずませ眺めました。

あかいばら 野ばらよ。

「おまえを折るよ、あかい野ばら」

「折るなら刺します、

いついつまでもお忘れないように。

けれどわたし折られたりするものですか」

あかいばら 野ばらよ。

少年はかまわず花に手をかけました、

野ばらはふせいで刺しました。

けれど嘆きやためいきもむだでした、

ばらは折られてしまったのです。

あかいばら 野ばらよ。

(17〜18頁)

子どものときに読んだおりに、なんかいやーな感じだなとずっと思っていたが、今回ひさびさに読み直してみて、わかった。これは、少年が、処女をレイプする詩である。必死の抵抗むなしくレイプされて、ああ、〈赤い〉薔薇よ、という詩。こんな詩だったとは。当時ゲーテが付き合っていた女を歌った詩で、女を傷つけてしまったことへの悔恨の詩という説もあるらしい。だとしても、勝手に自分の欲望で傷つけておいて、勝手に悔恨している、自己中の男という感がある。

ファウストの最後の行も、女によってどんでんがえしで救済される超都合のいい男ファウストだった。靴下止めが大好きなゲーテは、こんなものを書く男だ。

eireneeirene 2007/06/15 00:52 シューベルトファンの私ですが、「野ばら」の手塚富雄訳は初めて読みました。手塚訳を読むと、kanjinai さんの説もひょっとしてそうなのか……と思わされます。

kanjinaikanjinai 2007/06/15 08:40 「折られてしまった」という結論で終わるものが、なぜ完結した詩になるのか、というのが以前より不思議だったのですよね・・・。ゲーテは以前は神のような存在だったけど、こういうのが分かってくると、距離を取り始められてきてます(笑)。

marumaru 2007/06/17 20:30 この歌はレイプの詩というより、女性を捨る歌という意味のほうがすっきりするでしょうね。
ドイツ語のニュアンスからもそういう意味のほうが強そうです。
ゲーテが付き合っていたフリーでリーケを振ってしまったとき、彼女が別れたくないといって泣いて抵抗した、それに対する自責の歌でしょう。
実際に直訳するとレイプっぽいところが怖いですが。
どちらにしてもフリーデリーケもゲーテと好きで付き合っていたわけで、無理やりやったとか、無理やりつき合わされていたというわけではないようですよ。
「別れたくない」と言ったのは彼女のほうですから。
ゲーテを愛していた彼女は一生結婚しなかったそうで、そういうことから「悪い事をした」と悩んでしまうゲーテさんは自己中というよりむしろ純粋さを感じたりしてしまうのですが。
まあ色々な説がありますがね。

kanjinaikanjinai 2007/06/17 20:54 >maruさん コメントありがとうございます。おっしゃる解釈も分かりますが、「レイプ」に関してはその理屈付けでは否定されないと思います。なぜなら、(1)好きで付き合っている女が男にデートレイプされる事例は多数ある。したがって、好きで付き合っていたからレイプではない、とは結論できない。(2)レイプされた女がレイプした男に、別れたくないと言う事例もあること。DVにても同じ現象はあります。なので、レイプの詩と読んでも、かなりすっきりすると私は思います。

はてなユーザーのみコメントできます。はてなへログインもしくは新規登録をおこなってください。