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2007-11-27

[][]英語の支配の件

北海道大学の国際集会で感じたことがある。いま、応用倫理関連の共通語は英語である。だから私もずっと英語の勉強は続けている。また英語が共通語になっているおかげで、学会に来ていた欧州や台湾やアフリカの人たちともコミュニケーションできるというのはすばらしいことである。

が、同時に、英語帝国主義の問題はやはり避けては通れないという思いも強い。まず、英語が会議の言語なので、まず米国らの英語ネイティブの人たちの話す英語があまりにもスピードが速く、非ネイティブには着いていくのがやっとである。その結果、どういうことになるかというと、議論の基本的な方向性が米国人を中心とする英語ネイティブの人々によって決定されてしまうのである。また、彼らの英語が分からないときに、彼らがそれを言い直すということは、こちらがあえて尋ねないかぎり起きない。そして私の経験上、米国から来ている学者の多くは、自分の英語にまわりが合わせて当然、という暗黙の態度でしゃべる。(まれにその点に非常に気配りする人もいるが)。非ネイティブの人は、自分の言いたいことを、非常にシンプルな英語でしか表現できない。それに対して、ネイティブの人は、複雑なことをそのまま複雑な英語でしゃべる。その結果として、議論のベースはネイティブによって設定されていくのである。このことは、会議に出席していた日本人からも訴えられた(私は司会をしていたので)。

これは基本的に、英語を第二言語とするわれわれが考えるべき問題ではなくて、英語ネイティブの彼らが考えるべき問題である。だが、そういうことはほとんど起きない。英語がしゃべれて、そして英語で複雑なことが言えて当然、という設定がなされている空間では、そういうことは起きないのである。だが、今度私が司会をする機会があったら、ネイティブの人は簡単な英語でゆっくりしゃべってくださいと言うことにしよう。(どこまでの効果があるかわからんが。ただ、以前に筑波大であった会合のときは司会者の外国人がそういうことを最初に言ってくれてとても気持ちよかった)。

そういえば、ある分科会で、白人男性の司会者が、北大の大学院生の発表者を紹介するときに、「He is a local boy」と言っていたが、これは聞いていて不快だった。ここの大学院生の男の子というくらいの意味だろうが、知り合いでもないのに、こういう見下すニュアンス(boy)はいただけない。それとも、この英語にはそういうニュアンスはゼロなんでしょうかね? (ジーニアス英和辞典には「かつて黒人男性を侮蔑的にboyと呼んだことから,黒人に対して用いるのは軽蔑(べつ)的」とある)

font-dafont-da 2007/11/27 23:01 言葉の問題は難しいですね。全然、話は違うのですが、学者が専門用語の乱用を批判されることはよくありますが、活動家の運動用語の乱用もよくないと最近思います。「アオイシバノセンジュー」と初めて聞いたとき「???」でした。「『青い芝の会』の専従介護者」だと気づいて話についていけましたが、音だけ聞くとわからなかったです。もちろん、新入りが勉強するのはもちろんだけど、早口で喋ってるとわからんまま嵐が通り過ぎるのを待つしかないことになります。私も、うっかりやってしまいがちです…結局、「え?なんて?」と聞き返せる雰囲気作りが大事、という結論になるのですが。本文とはずれたコメントですが。

freehandfreehand 2007/11/28 00:00 数年前になりますが、月刊『言語』(大修館書店)に次のような記事が載っていました。(うろ覚えですが)

言語帝国主義についての国際的な研究大会が初めて開かれた。が、皮肉にも、大会の発表者は皆、英語で発表していた。(あるいは英語の通訳しかなかった)

笑えない話だと思います。

日本で英語支配に異議を唱える人たちも、職業として日々英語を教えていたりします。

英語圏の人たちが非ネイティヴに配慮するためには、非ネイティヴが異議申し立てしていくしかないのかも。

stst 2007/11/28 09:25 ”boy”のニュアンスはコンテキストによるのでは。私の分野は比較的カジュアルな雰囲気であることが多く、20代前半、研究者として卵だけれどこれからが楽しみ、みたいなニュアンスで大御所が発言するならありかもしれないなとは思います。尤も初対面で、くだけた感じを出したいなら ”guy” くらいが無難だろうなとは思いますが。

あと、司会が「ネイティブでない人に配慮して下さい」とか、議論の途中で会場の声を聞いて「大多数に通じてないようなのでもう少しゆっくりお願いします」などと言うのは十分にありだと思います。

ただ、(背景を全く知らないので的外れであるかもしれませんが)「要するにステークが高くないのかな」という印象も受けました。これが例えば大きなジョイントベンチャーの役割分担を議論する企業間の担当者会議であったとしたらどうでしょう。非ネイティブもネイティブもわからないでは済まされませんよね。そういう場ではネイティブの長い発言に大して非ネイティブが「わからないので簡単に言い直してくれ」と割り込んだり、非ネイティブが発言につまった時にバイリンガルの参加者が補佐したりといったことが頻繁におきます。結論を出すビジネスミーティングと知見を交換するアカデミックな会議の違いを差し引いても、非ネイティブ/ネイティブどちらが考えるべきかという話ではなくて、参加者*全員*の「この議論から有益な何かを得る」というコミットメントの問題なのではないか、という印象が拭えません。

kanjinaikanjinai 2007/11/28 11:56 stさん、コメントありがとうございます。guyならそんなに気にならなかったかもしれないですね。boyは、私はすごく気になりました。

私の分野の学会では、外国人(とくに米国人)が、日本人に「教えに来てあげている」という雰囲気をちらつかせることが見られたりしますので、そういう背景があるかと思います。日本人のほうも、「教えを請う」というスタンスをとって自己満足しがちです。これは輸入学問として始まって、いまだにその意識を脱していないこの分野の悪癖でしょう。

chizuchizu 2007/11/29 15:37 分野にもよるのですね。私の分野でも英語が基本ですが、ネイティブが日本に来て話すとき、多くの人は相当に意識して話しています。アメリカ人はアメリカ国内やヨーロッパにおける研究の動向はよく掴むことができるのですが、日本国内の研究の進展具合を把握する術を持たないため、どれだけの競合相手がいて、どれだけ進んでいるのかなどの情報を、日本に来た際に出来る限り得ようとします。だから、発表も質問も貪欲に、かつネイティブでない日本人にも通じるように丁寧に、ときには何度も繰り返して話そうとします。問題といえば、むしろ彼や彼女たちのそうした積極的な姿勢に学会を盛り上げることをまかせきりにしてしまう、日本国内からの参加者の姿勢にあるように思ってます。それが私の分野の事例です。

kanjinaikanjinai 2007/11/29 19:10 chizuさん、ありがとうございます。それはうらやましい状況ですね。私の分野では、米国人が日本の研究の進展具合を把握するために学会に参加するということは、ほぼありません。ほとんどが、教え導くためにくるという感じです。(あるいは文化人類学的調査に来るか)。なんというか、この分野の日本の状況はなさけないかぎりです。私と私の仲間たちはこの状況を変えていきたいと思ってたりしますが・・。

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