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2007-12-27

[]G★RDIAS第1期終了のお知らせ

本日をもって、G★RDIAS第1期を終了します。

これまでご訪問いただき、また意見交換していただき、ありがとうございました。

またお会いできる日を楽しみにしています。

なおコメント欄は当分のあいだ生き続けています。

G★RDIASメンバー一同

(id:eirene id:font-da id:kanjinai id:x0000000000)

2007年12月27日

[][][]2007年の3冊

 今年の新刊書から印象に残った本を紹介したい。宗教に関係する本を3冊選んでみた。

キリスト教と音楽 ヨーロッパ音楽の源流をたずねて

キリスト教と音楽 ヨーロッパ音楽の源流をたずねて

 ヨーロッパの芸術音楽の歴史とキリスト教の結びつきについて、やさしく書かれた日本語の本は、それほど多くないように思う。著者は『キリスト教音楽の歴史』(asin:4818405507)をすでに刊行しているが、本書はキリスト教にそれほど詳しくない日本人のクラシック音楽愛好家を意識し、平明な文章で書かれている。

 キリスト教典礼と音楽の関連など、基本事項の解説があるのは便利(第1章〜3章)。第4章「教会とオルガン」が面白い。

 本書を読み、芸術音楽はキリスト教の思想や霊性を表現し、人々に伝える手段として、とてつもなく重要なものであったことを、再認識させられた。

 それにつけても、世俗化の進んだ現代に住むわれわれがともすると忘れがちなのは、バロック以前のヨーロッパにおいては、社会における教会の役割が今日とはだいぶ異なっていて、人々とキリスト教の結びつきも自然で、「宗教」などというむずかしい言葉は二の次であったということです。つまりそのころはだれもが、なんら疑いをもたずに教会に足をはこんでいたのです。だからといってかれらが現代人以上に信心深かった、というわけでは決してありません。かれらにとっては、キリスト教は最初から生活の一部であり、信じることはあたりまえ、それにたいして疑いをもつなどということは夢にも考えなかったことでしょう。教会に行くといってもそれを宗教的行為と意識していたかどうかはわかりません。教会はいわば社交の場としての役目もはたしていたのです。誰でもいいから人に会いたいと思ったら、まず教会にいけば誰かに会えるだろう、と考えて足をはこんだ人もすくなくなかったことでしょう。文化活動においても、現代ではその中心にさまざまな世俗的な施設がありますが、以前はキリスト教の教会がその役割をはたしていたのです。

 そのような事情は音楽の世界でも同じことで、一八世紀を境目として大きな変化がみられます。とくに一九世紀に入ると音楽芸術とは世俗的性格が強いものという傾向が優位を占め、宗教音楽というとなにやらそのなかの限られた分野と思われるようになってしまいました。しかし以前はそれがまさに逆で、音楽の主流は教会音楽にあったのです。しかもそのころの一般庶民にとってより身近だったのは教会音楽であり、世俗音楽はむしろ高嶺の花だったのです。つまり世俗曲のほとんどは個人的に家庭内、というよりは宮廷内で演奏されるような小規模な作品で、しかもそれを楽しむのは上流階級の人々に限られていました。一般庶民が楽しむのは現在と同じで、おもに流行歌や巷の楽師たちの演奏だったはずですが、歴史に残るようなより高度な音楽を聴きたいと思った人たちは、教会へと足をはこんだのです。教会では素晴らしい聖歌隊の歌唱がつねに聴けましたし、オルガンの演奏もあり、バロック時代に入るとそれ以外のさまざまな楽器の合奏も聴けたわけです。しかもそれはすべて無料で。

 本書「はじめに」より、3〜4頁

精神世界のゆくえ―宗教・近代・霊性

精神世界のゆくえ―宗教・近代・霊性

 これは9月2日のエントリーで言及した。旧著の新装版であるが、新たに索引が付加され、使いやすくなっている。

 参照、http://d.hatena.ne.jp/gordias/20070902

禅キリスト教の誕生

禅キリスト教の誕生

 ヨーロッパでは、一九七〇年代後半から参禅する人が増えている。私が大学生だった一九八〇年代の半ばのこと、キャンパスで知り合ったドイツ人留学生カトリック信徒だったが、禅に傾倒していた。当時(西)ドイツを旅行した際、都市部の書店に立ち寄ったところ、Zen 関連の本が並んでいたのに驚いた記憶もある。

 ヨーロッパで禅ブームと並行して生じているのは、伝統的キリスト教の凋落である。著者(聖書学者)によると、ヨーロッパのキリスト教会からは若者の姿が消え、ドイツ・スイス圏の大学神学部(=牧師養成機関)では教員のリストラが進んでいるという。「一九七〇年代は、神学を学ぶ者は賢い者という評判だった。しかし九〇年代では、神学を専攻する者は愚かな変質者でしかない」と語った、あるヨーロッパ人の声も紹介されている(本書、6頁)。

 禅ブームとキリスト教の凋落は、なぜ起きているのか。禅ブームが定着した今後、ヨーロッパ人が継承してきたキリスト教信仰はいかに変容していくのか。本書には、著者独自の分析と見通しが記されている。

2007-12-26

[][]NHKBS受信料強制徴収は合法との判決!?

堺市で、NHKのBS放送の受信料を払う必要がないかどうかで争われていた裁判で、大阪地裁堺支部は、徴収は合法であり、受信料は払う義務があるとの判断を示したらしい。

この判決はほんとうにこれでいいのか?

 ケーブルテレビを視聴する堺市の男性(40)が、見てもいない衛星放送の受信料日本放送協会NHK)に支払う必要がないことの確認を求めた訴訟の判決が30日、大阪地裁堺支部であった。谷口幸博裁判長は「放送法に基づく受信規約は有効で、原告は衛星カラー契約を締結する義務を負う」として、請求を棄却した。男性は控訴する方針。

 判決によると、男性はNHKとの間で地上波放送の「カラー契約」を締結していたが、平成18年7月ごろ、ケーブルテレビ会社と契約し、衛星放送も受信できる装置を自宅に設置した。

 男性は、NHKが衛星放送を視聴する意思のない者にまで一律に「衛星カラー契約」への変更を義務づけることは、「契約自由の原則に反し、消費者の利益を一方的に害する」などと主張していた。

 谷口裁判長は判決理由で、「衛星カラー契約の受信料はカラー契約に比べ月額945円高いが、地上波放送では見られない放送を受信することができ、差額の負担はとりたてて過大とはいえない」とし、衛星放送を受信できる環境かどうかを基準に契約義務の有無を一律に決定することは合理的と判断した。

 そのうえで、受信装置を設置した男性に対し、放送を見る意志の有無にかかわらず契約変更を義務づけることは「契約自由の原則の例外として許され、消費者の利益を一方的に害するものではない」とした。

http://www.sankei-kansai.com/01_syakai/sya120104.htm

BSを受信できるテレビを購入した時点で、実際に見ても見なくても、BSの受信料を払う義務が生じるというのはぜったいにおかしな理屈ではないのか。BSアンテナ付きマンションやアパートでテレビを買ったら、いまどきほとんどBS対応になっているから、自動的にBS受信料を取られてしまう。生活費が苦しいからほんとうに見ていないBSは払いたくない、という人までからも取られてしまう。「見てないのに料金を取る」というのは、端的に詐欺である。「見る可能性があるから」というNHKの理由はヘンだし、上記判決理由もヘンではないのか。

[][]ネットカフェ難民と貧困ニッポン

オンライン書店・ブーブルの website に、テレビディレクターの水島宏明さん(ドキュメンタリー「ネットカフェ難民」の制作者)のインタビューが掲載されています。

http://www.boople.com/bst/html/tokushu/mizushima_h/index.html

2007-12-25

[][]ジーザスクライスト・スーパースター

ジーザス・クライスト・スーパースター [VHS]

ジーザス・クライスト・スーパースター [VHS]

訳あって、ノーマン・ジェイソン監督の名作ロックオペラ映画『ジーザスクライスト・スーパースター』を購入。絶版だったのでネットから中古を買った。観るのはもう何度目か分からないほど観たが、やっぱり何度観ても感動する。音楽が最高なのは言うまでもないが、やはりこのスタッフのジーザス解釈が私にぴったりマッチするからだろう。名場面のオンパレードでどれがいいとか言えないが、ひとつだけあげれば、最初のほうの、ジーザスをめぐってマグダラのマリアとユダが交錯する場面、ジーザスとユダが手を握り合う場面がやはりすばらしい。クリスチャンからは、この映画はどう見られているのか私は知らないが、どうなのだろう。

いずれにせよ私のいままでに観た映画トップ10に入る映画である。

ロックオペラ映画は、これと、あとは『ロッキー・ホラーショー』があればそれでよいのではないか。

[][][]2007年の3冊

 今年、印象に残った3冊をあげます。私は、人間を描き出そうという試みで、興味深かった本を3冊。(必ずしも良書という意味で選んだわけではありません)

(1)森田京子『子どもたちのアイデンティティー・ポリティックス―ブラジル人のいる小学校のエスノグラフィー』

 日本のある小学校での、参与観察をまとめたもの。筆者はアメリカの大学で、人類学を修めたフィールドワーカーである。約2年間、数度にわけて、教室の中での調査を行っている。ニューカマーとして、日本に移住してきた日系ブラジル人の子弟が、どのように小学校で暮らしているのかを追う。

 やはり、言語の問題や、文化の違いなどで、ほかの日本人クラスメイトとの摩擦が起きている。以前より、教育学では日本の小学校教諭が、学級経営に一体化を求めるため、ブラジル人小学生が同化を迫られる点が指摘されていた。しかし、森田さんは、深く小学生のコミュニティに入っていき、子どもたち一人一人が、「ブラジル人としてのアイデンティティを奪われることなく、クラスになじむ戦略」をたてていくことを明らかにする。

 「抑圧的な日本の教師/抑圧される子どもたち」という二項対立で語られやすい教育現場だが、この文献では、そのような単純化を切り開く試みがなされている。子どもたちの生き延びる戦略のたくましさに焦点を当てている。具体的には3人のブラジル人小学生のストーリーが紹介されている。この3人の成長の様子を、つぶさに観察しながら、暖かく描いている点で、読み物としても面白かった。

(2)藤井誠二『殺された側の論理』

殺された側の論理 -犯罪被害者遺族が望む「罰」と「権利」

殺された側の論理 -犯罪被害者遺族が望む「罰」と「権利」

 今年6月に被害者参加制度が成立した。その3ヶ月ほどまえに発刊された書籍である。犯罪被害者遺族の側の言い分を、ルポルタージュとしてまとめている。後半は、被害者遺族による「死刑廃止論」批判があることを述べている。

 被害者参加制度は、私が「声をきこう」運動と呼んでいるムーブメントの集大成であるといえるだろう。「当事者こそが真実を知っている」「当事者の意見を尊重しなければらない」という世の多くの人が賛同した運動である。しかし、「声をきこう」運動の内実とは、いったいなんだったのか。被害者参加制度に反対していた犯罪被害者遺族の存在は、ほとんど省みられなかった。声の大きい当事者<だけ>を、「私たちの聞きたい声をあげるような当事者」<だけ>を取り上げている側面がある。結局、私たちは、「声をきこう」といいながら、都合のよい声だけを拾い上げていたのではないか。

 藤井はこの書籍のあとがきで

 殺された側にしかわからない、という言い方がある。

 被害に遭った者にしか理解できない、という言い方もある。

 私は当初、そういった経験主義的ともとれる言い方に若干のひっかりがあったのだが、犯罪被害者や遺族へのインタビューを重ねていく過程でそのひっかかりは溶けてなくなっていった。

(276ページ)

私は「それはあかんやろう」と思う。なぜなら、「あなたにはわからない」と言ってしまった瞬間に対話の糸口はなくなるからである。感情的には「あなたにはわからない」という言葉の前に、私は立ち尽くすだろう。そして、私も感情的に「あなたにはわからない」と他者に言うことがある。感情的に圧倒し/圧倒され、言われた側が沈黙することがある。しかし、それは言われた側の、論理の放棄である。

 この書籍の表題にある「殺された側の論理」はとても重い言葉である。殺された側は、それでも論理的であることができるのか。しかし、言う側が論理だというのならば、言う側は論理を貫徹するほかない。また、論理だと言われれれば、言われた側も論理的に批判するしかない。

 論理として主張をかざすことは、批判に身をさらすことである。被害者遺族のその態度に対し、私たちは誠実に論理で応答しなければならない。だが、「ああ、私にはわかない」と感情に流され、論理を放棄していないか。

 当事者の「声をきこう」とする第三者として、藤井さんの態度をどう評価するのか、という点で印象に残った書籍だった。

(3)四方田犬彦『先生とわたし』

先生とわたし

先生とわたし

 批評家である四方田さんの回想録。自分の師匠である由良君美を、描き出そうと試みている。大学のゼミ時代の思い出から始まり、由良さんの生育歴や、その父母の系譜をたどっている。そして、四方田さんが研究者としてひとり立ちした後の、いさかいまでも綴っている。

 知の探求の途上で、師にめぐり合うことは重要である。しかし、いずれ、弟子は師を超え、その庇護から這い出す。そして、今度は弟子を迎え、自らが師となるのだ。四方田さんは、由良さんとの交流を振り返りながら、暗い感情の行き違いがあったとはいえ、由良さんは深く誠実に弟子と向き合っていたと述べる。さらに、自分は由良さんほど、弟子に対し誠実であるのかを問われるという。

 内容はすごく面白かった。でも、それ以上に「私の知っている大学生活とはずいぶん違うようで」という意味で夢中になった。私にとっては時代小説みたいなものです。 

(番外)ケイト・ボーンスタイン『隠されたジェンダー

隠されたジェンダー

隠されたジェンダー

 トランスジェンダリズムの先駆けである本が、ついに翻訳された。1994年に出版されている。当時はやりのコラージュや、簡単なワークショップ的な仕掛けも楽しい本。すでに批判も多く出ているけれど、トランスジェンダーと、政治参加について考えるには通るべき本だと思う。(まだパラパラ見ただけで、ちゃんと読めてません…)

 続けてこちらに乗っている批判も。

[][][]編集者は「邪馬台国」をどう断るか

『いける本・いけない本』第7号というミニコミ誌を眺めていたら、タイトルのようなエッセイを見つけた。著者は、元講談社の編集者、鷲尾賢也さんである。編集者をやっていると、様々な持ち込み原稿が殺到するが、そのなかでもいちばん多いのは「邪馬台国」ものらしい。それをどう断わるかというのが、編集者の技だとのこと。どう断わるかというと、

「なかなかの労作だと拝読しました」。ただ、「昨今の書店事情だと、こういうものはなかなか数字があがらない」。「しかし念のために販売担当者に話をしたが、やはりうんといってくれなかった」。「せっかくのお原稿ですが、ご希望に添えません。まことに残念です」とでも書けば、かなり納得してくれるだろう。(27頁)

ということのようである。こういう手紙をもらった人、ひょっとしていませんか?

[][]「フランダースの犬」日本人だけ共感…ベルギーで検証映画

 興味深い記事を発見。

http://www.yomiuri.co.jp/entertainment/news/20071225i302.htm

 プロデューサーのアン・バンディーンデレンさん(36)は「日本人は、信義や友情のために敗北や挫折を受け入れることに、ある種の崇高さを見いだす。ネロの死に方は、まさに日本人の価値観を体現するもの」と結論づけた。

 そうなのか?。私の場合、カルピス劇場のアニメーションは子供の頃に見たかすかな記憶が残っているが、原作をまだ読んだことがなかった。いずれ原作に目を通して、プロデューサー氏の仮説を検討してみたい。

フランダースの犬 (岩波少年文庫)

フランダースの犬 (岩波少年文庫)

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2007-12-24

[][]西田幾多郎の生命の哲学

論文書きのために、次の本を読んだ。

西田幾多郎の生命哲学 (講談社現代新書)

西田幾多郎の生命哲学 (講談社現代新書)

なかなか面白かった。西田は、『善の研究』を読んでいたほかは、後期の全集などをぱらぱらと読むくらいだったから、この本を読むことで西田の全体像を、いまっぽい枠組みで概観することができた。京都学派とのしがらみなしに西田を読める良い本だと思う。

檜垣さんは、西田を生命の哲学として読み解こうとする。前半がとくに引き締まっていてクリアーである。後半はちょっと息切れしてるかなとか思うが、言いたいことは分かる。西田自身が後期・晩年は煮詰まっているのだろう。

檜垣さんは「生命」についてこのように言う。

生命は自らを展開させる力をもっている。生命は自己増殖し、自己展開し、進化する。生命は、「要素還元主義」的な単純な物質法則によってはとり押さえられないような、繁殖の力、多様性の力、自己組織化の力を露呈していく。(73頁)

そして前期西田における「純粋経験」が「このような有機体的な生命の議論の、思想的ヴァリエーションと見なしうるものである」(74頁)とする。

そして、西田哲学が「自覚」「無の場所」「行為的直観」というふうに後期に向かって深化していくときにおいても、それは一貫して「生命の哲学」であったと言う。すなわち、「形」から「形」へと無限に「動揺」していく場面が「絶対矛盾的自己同一」なのであるが、そこにおいて働いているものは「破断を含みながら自らを組み替える潜在的な力」であり、西田はそこに「生命」を見る、と檜垣さんは言う 。そしてこのように西田を読解したうえで、そこに同時代の哲学者であるベルクソンとの類似性を認め、また後の哲学者であるドゥルーズとの共通点を見出している。

無と自己同一というような形而上学的思索にもし興味がもてるのなら、こういうふうに解釈された生命哲学はとても面白いだろう。私としても、とても参考になるが、私自身はもっと楽しい方向に生命の哲学を開いていきたいと思っている。いずれ論文で発表します。

2007-12-23

[][]オウム真理教は仏教ではない?

朝日新聞』大阪版、12月21日朝刊に、「シルクロード・奈良国際シンポジウム2007」という催しの記録が一面全面を割いて紹介されている。発言者の話はそれぞれ面白いが、ひとつだけ「?」となった発言があった。それは榎本文雄大阪大学教授のものだ。

――オウム真理教も仏教か。

榎本 仏教は殺生を禁じる戒律を守らねばならない。オウム真理教は殺人を犯したので、仏教の教えに反している。

朝日の記者が要約したのだろうから、本意を伝えていないかとも思うが、それにしてもこれでよいのだろうか。だとしたら、日本の仏教のほとんどは仏教の教えに反していることになるだろう。自分で蚊も殺しているし、人の殺した肉も食べているし、むかし比叡山には強い僧兵がいて、寺の意志のもと人殺しをしていた。

もしこの発言が、「日本のほとんどの仏教徒も仏教の教えに反している」と続くのなら、一貫性はあると言えるだろう。

2007-12-22

[][]大阪府立大学シンクタンク

大阪府知事選に立候補した橋下徹氏曰く、

府立大学をシンクタンク化して連携を取りたいと思っていますが、民間からひくてあまたになる組織にしたい。

http://zakzak.co.jp/gei/2007_12/g2007121222.html

要するに、大学を潰して、仕事の注文請負で生計を立てる民間の研究所みたいなものにするということか? いままで府立大学が府の地元の企業その他経済界にどのくらい数の真面目な学生を卒業生として送り込んできたのかこの人は分かってるのか?

[][]大佛次郎論壇賞とタバコ

12月16日の朝日新聞朝刊に、「第7回 大佛次郎論壇賞」の発表と講評ページがあった。今年の論壇賞は『和解のために』であったが、私が注目したのは、その選考風景の写真である。長い机に十名ほどの選考委員のお偉いさんたちが座っているが、その机の中央部には、「灰皿」が4個ほどどーんと置かれているのである。

朝日新聞社にお聞きしたい。朝日新聞社は会議室禁煙にしてないのか? (大組織ではいまどき珍しくないか?)

それとも、選考委員のなかに、喫煙家の偉いセンセイがいて、朝日新聞側としては、何も言えないのか?

この様子では、朝日新聞の書評委員会も相変わらず灰皿置いてるのだろう。朝日新聞紙面の喫煙に対する姿勢はどうだったのでしたっけ?

[][]にっぽん 家族の肖像 第1集 母と子 悲しみの淵から

 5月放映の番組ですが、今日の深夜0時35分から再放送です。

http://www.nhk.or.jp/special/onair/070527.html

2007-12-21

[][]33カ国共同制作「民主主義」

再放送の日程が決まったようです。BS1 では明日から、地上波・総合では1月2日から。

http://www.nhk.or.jp/democracy/yotei/index.html

2007-12-20

[][]戦後民衆精神史

現代思想2007年12月臨時増刊号 総特集=戦後民衆精神史

現代思想2007年12月臨時増刊号 総特集=戦後民衆精神史

現代思想』臨時増刊号が、「戦後民衆精神史」という特集をやっている。戦後の思想文化芸術運動をささえた、サークルの動きを検証していて面白い特集になっていると思う。資料としても貴重なのではないだろうか。冒頭に、鶴見俊輔吉本隆明金時鐘へのインタビューが掲載されている。

鶴見は例によって、歯に衣着せぬストレートな物言いで、たいへん面白い。こういう知性をもって高齢化するというのはうらやましいと思う。

日本の社会は創造的な力を消していくね。これは大学の影響じゃないかと思うんだよ。日本の文化というのは大学出の人たちが作ったものじゃあない。・・・(中略)・・・断じて日本は終わる。私はもともと親父と爺さんを比較していてその直感はあったんだ。80年経って確認するね。自分の中の目利きによると、未来はない。(17頁)

これは、創造的な面という意味では、日本に未来はないということだろう。日本全体を主体として見ると、日本全体が世界に冠たる創造的な場所になるという機運は、たしかになさそうに私も思う。ただそのなかの個人に注目すれば、創造的な個人はこれからも出てきて、その人たちは日本という場所にこだわらずに個として創造性を発信していくだろう。後の世界史から見れば、それらの個人は、とくに日本人としては見られないだろう。私はこのように未来を見ている。

2007-12-19

[][]アドルノの否定弁証法講義

否定弁証法講義

否定弁証法講義

アドルノの大著『否定弁証法』への入門的位置づけにあたる本。アドルノが1965年から66年にかけてフランクフルト大学で行なった連続講義のテープ起こしを本にしたもの。

アドルノは「肯定的批判」に対して次のように言う。

そのとき私はラインラントのあるホテルに滞在していたのですが、そのホテルの支配人に私はこう言ったのです。他の点では申し分のないホテルなのに、こんなに騒音がひどいのだから、二重窓を設置すべきではありませんか、と。すると彼は、当然のことながらいくつかの込み入った事情でそれは不可能なのだと説明したあとで、こう語ったのです。「しかしながら、私どもはもちろん、肯定的な批判に対してはいつも心から感謝申し上げています」。

 私が否定弁証法について語る場合、まさしく肯定的なもののこの物神化に対してあたうかぎり明確に一線を画することが重要な動機となっています。(36頁)

興味深い文章である。ここからどういうふうに展開されていくのかは、先を読んでみないと分からない。私自身は、ホルクハイマーのほうが分かりやすくて好きなのだが、アドルノもちゃんと読まないといけないなあと思っている。

[][]この人と福祉を語ろう 〜生活困窮者を支援するNPO事務局長・湯浅誠

 今日の夜8:00から、NHK教育で放映です。

http://www.nhk.or.jp/heart-net/fnet/info/0712/71219.html

生活困窮者をサポートするNPO法人事務局長の湯浅誠さん。現代の「貧困」は、社会に“溜(た)め”がなくなったことによるという。教育、企業の福利厚生、家族の支え、公的な支援など、人を外界の衝撃から守るために必要なバリアのようなものが得られなくなった結果、多くの人が貧困を自己責任と考え、自己否定に落ち込んでいくという。「貧困」の現実を正しく知り、一歩踏み出すために必要なことを湯浅さんとともに考える。

 参考

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特定非営利活動法人自立生活サポートセンター・もやい | もやいは、 自立をめざす生活困窮者の 新たな生活の再出発を お手伝いします。

2007-12-18

[][]「能力の共同性」が答えか?

新自由主義の嘘 (双書 哲学塾)

新自由主義の嘘 (双書 哲学塾)

私はこちらを取り上げる。方向性としては共感し、挙げられている例はなじみの例も多い。しかし、私は論理の薄っぺらさを感じざるを得なかった。

竹内さんは、新自由主義に抗するために、「能力の共同性」を主張する。しかし、いくら他者に負う(所有権ownershipは他者に「負う」oweというown/oweの親近性も、見慣れた議論だ)としても、能力は個体である生の身体にしか宿らない。つまりは、能力の「何を」共同すべきか、あるいは可能なのか、そのあたりの議論がまったくよくわからなかったのだ。そこが、竹内さんの(この書だけではない)著作を読んでいつも腑に落ちないところである。ロールズの「才能のプーリング」と、どこが違うのか、私には分からない。

10年前、立岩真也が書いた『私的所有論』は、論理の緻密さからして、越えられてはいないように思える。

[][]エンハンスメント

このブログでも話題になっている「エンハンスメント」だが、ファイルを作ってみると、けっこう読んでいない邦語論文もあることに気づかされる。鋭意、情報収集・増補します。

http://www.arsvi.com/d/en.htm

[][]意識と〈私〉

なぜ意識は実在しないのか (双書 哲学塾)

なぜ意識は実在しないのか (双書 哲学塾)

読了しました。とても刺激的で面白い本だと言える。テーマは永井さんがずっとこだわっている「〈私〉」と「言語」のことである。それを、「意識」という面から切ってみた。チャーマーズの、例の「ゾンビ」の例を素材にして、チャーマーズ批判をしていくところはなかなか面白い。議論内容はと言えば、これまで永井さんがしてきた議論の枠内で進んでいくのだが、最後のあたりで、私の特権的な経験の再帰的自覚というものが、実はその特権性の消去を本質とする「言語」によって可能となるという構想が出されていて、これはかなり刺激的であった。あとは、時間についての記述で、間違っているのではないかと思われる箇所があったので、これについてはどこかでちゃんと書くことにしたい。

前のエントリーでも書いたが、やはりこの議論パラダイムは、ヴィトゲンシュタインの手のひらであるということを、再確認できた。永井さん本人もヴィトゲンシュタインの洞察に導かれてここまで来たということを本文で匂わせている。言葉のうえでは、ヴィトの私的言語論は誤謬であると断言しているが、それもパラダイムに乗った上での内部批判のように読める。最初に出てくる「ブトム」という造語も、ヴィトへのオマージュであろう。もちろん、永井さんの側からしてみれば、自分の本来的な哲学的問いが、たまたまヴィトと似ていたという順序であろうから、こういうのは言いがかりのように聞こえるにちがいない。それは重々承知のうえで、私としてはヴィトから脱出する道を探したいと本気で思っている。でも、永井さんの説にはいずれちゃんと絡ませてもらいます。私が以前に書いた論文だけでは終えられないと思うから。

2007-12-17

[][]アイリス・チャン『ザ・レイプ・オブ・南京

アイリス・チャン(1968-2004)の著書が、日本語訳されたようだ。

南京大虐殺は、虐殺された人々の数だけでなく、彼らの多くが、恐ろしく悲惨な状態で死んでいった事実においても、想起されなければならない。中国人の男性は、銃剣の練習や、首切り競争で殺害された。強姦された中国人の女性は二万人から八万人に上ると見積もられる。多くの兵士は強姦に飽き足らず、女性の腹を裂き、胸を切り取り、生きたまま壁に釘付けにした。家族の見ている前で、父親が娘を犯し、息子が母親を犯すことを強いられた。(p.12)

この本への批判に答えるチャンの文章も収録した、次の本も同時発売されている。

「ザ・レイプ・オブ・南京」を読む

「ザ・レイプ・オブ・南京」を読む

[][]身体が動かない 子どもの運動能力に異変

本日のNHKクローズアップ現代です。

http://www.nhk.or.jp/gendai/

「ボールを前に投げられない」「転んでも手をつけず、顔面を打撲」。今「走る、跳ぶ、投げる」などの基本的な身体能力が備わっていない子供が急増している。文科省の最新の調査でも、体力格差が広がり、低いレベルの子供の体力は、際限なく下がり続けているという危機的な状況が浮かび上がった。背景には、野外で体を動かして遊ぶ機会が激減していることが指摘されている。親たちも、子どもの外遊びには消極的な現実もある。「屋外遊び」をしない子供は、大きなケガや病気をし易く、子供同士の遊びの中で培われる社会性、協調性の欠如など、心の発達にも影響があることがわかってきた。番組では、今、子供たちを取り巻く環境と心身に何が起きているのか、その実態を取材する。

(NO.2512)

 参考

アピタル(医療・健康・介護):朝日新聞デジタル

[][]睡眠の本

眠りの悩み相談室 (ちくま新書)

眠りの悩み相談室 (ちくま新書)

睡眠とは何かについて、やさしく書かれていて、いろいろ参考になった。睡眠不足で悩んでいるときでも、「寝なきゃ、寝なきゃ」とあせって思っているのはかえってよくないとのこと。身体が本気で睡眠を欲しているときには、ほっといても寝てしまう。自分の不眠の状況を正確に把握しておけば、正しい対処法が見つかるという。夕食後から深夜直前までのあいだの時間は、一種の覚醒時間なので、この時間に寝ようとするとかえって寝付けなくなるということで、これはたしかに身に覚えがある。

自分のことを言うと、私はかなりのロングスリーパーである。過剰睡眠にはいろいろ原因がある。当てはまりそうなものも、当てはまらないものもあるが、実際はどうなのだろう。平均睡眠時間が8時間を超えると寿命が短くなるらしいが、かといってそれを無理に短縮しても寿命が伸びるわけではないという。ちなみに個人的には昼寝がいちばん気持ちよい睡眠体験のように思う。

2007-12-16

[][]藤原和博宮台真司 「子どもに教えたい、新しい道徳」

 web ちくまで、連載が始まったようです。

http://www.chikumashobo.co.jp/new_chikuma/fujiwara_miyadai/index.html

2007-12-15

[][]『コーラ』第3号発刊!

Web評論誌『コーラ』第3号が発刊されたようです。

http://sakura.canvas.ne.jp/spr/lunakb/index.html

今号の私の個人的注目は、美馬達哉「グローバリゼーションと身体のテクノロジー」、清末愛砂「語りが伝える不正義に向き合う――あるパレスチナ女性のライフ・ヒストリーから」です。どちらも、関西の若手研究者です。

さらに個人的には、黒の表紙が渋くて気に入りました。

[][]ワーキングプア3 〜解決への道〜

 明日の夜、午後9時15分〜10時34分、NHK総合テレビで放映です。再掲しておきます。

http://www.nhk.or.jp/special/onair/071216.html

 去年2回にわたって放送したNHKスペシャル「ワーキングプア」は、日本で拡大する“働く貧困層”の実態を伝え、大きな反響を呼んだ。今回の「第3弾」では、海外にも取材を広げ、問題解決に向けた道筋を探る。

 ワーキングプアの問題は、グローバル化が進む中、日本と同じように市場中心の競争を重視する世界の国々でも、今や共通の課題となっている。非正規雇用が急速に拡大する韓国では、低賃金の生活に耐えきれず自殺者が続出している。世界経済の中心・アメリカでは、IT企業のエリートまでもが海外の労働者との競争に晒され、低賃金に転落している。

 こうした国々では、問題解決に向けた対策も始まっている。米ノースカロライナ州では、地域全体で医療関連産業とその人材の育成に取り組み、ワーキングプアのための新たな雇用を創出した。貧困の連鎖が進むイギリスでは、子どもから大人まで手厚い保護の網を張り、国を挙げて貧困の撲滅に乗り出している。そして日本でも、ようやくこの問題を「社会の責任」と受け止め、ワーキングプアの人たちを支えようと模索する地域や企業も出てきている。

 番組では、世界と日本の最前線の現場にカメラを据え、直面する課題と解決に向けた取り組みを追う。そして各国の識者の提言も交えながら、ワーキングプアの問題とどう向き合うのか、もう一度、国民的議論を呼び起こす。

 参考

ワーキングプア―日本を蝕む病

ワーキングプア―日本を蝕む病

現代の貧困―ワーキングプア/ホームレス/生活保護 (ちくま新書)

現代の貧困―ワーキングプア/ホームレス/生活保護 (ちくま新書)

ワーキングプア いくら働いても報われない時代が来る (宝島社新書)

ワーキングプア いくら働いても報われない時代が来る (宝島社新書)

生きさせろ! 難民化する若者たち

生きさせろ! 難民化する若者たち

貧困襲来

貧困襲来

新しい階級社会  新しい階級闘争    [格差]ですまされない現実

新しい階級社会 新しい階級闘争 [格差]ですまされない現実

2007-12-14

[][]プラトンの『国家』

名著誕生4 プラトンの『国家』

名著誕生4 プラトンの『国家』

Plato's

Plato's "Republic": A Biography (Books That Shook the World)

 サイモン・ブラックバーン(ケンブリッジ大学哲学科)著 Plato's "Republic" の邦訳がポプラ社から刊行された。訳者は木田元さんで、鷲田清一さんの解説がついている。読むのはこれからだが、訳者によると、随所で独特のプラトン解釈がなされているらしい。楽しみである。

 目次紹介がポプラ社のウェブサイトにある。

http://www.poplar.co.jp/shop/shosai.php?shosekicode=80003740

 本書は「名著誕生」というシリーズの第4巻。すでに、マルクス資本論』、ダーウィン『種の起源』、トマス・ペイン『人間の権利』が刊行されている。

マルクスの『資本論』 (名著誕生)

マルクスの『資本論』 (名著誕生)

名著誕生2 ダーウィンの『種の起源』

名著誕生2 ダーウィンの『種の起源』

 同シリーズで、今後は『コーラン』『聖書』、ホメロス『イーリアス』『オデュッセイア』、アダム・スミス『国富論』、クラウゼヴィッツ『戦争論』、マキアヴェッリ君主論』が刊行されるという。

 追記

 kajinai さんからコメントをいただきましたが、『聖書』は、カレン・アームストロングの "Bible" が翻訳されるらしいです。

The Bible: A Biography (Books That Changed the World)

The Bible: A Biography (Books That Changed the World)

2007-12-13

[][]『哲学の誤読』入試問題の哲学的読み

哲学の誤読 ―入試現代文で哲学する! (ちくま新書)

哲学の誤読 ―入試現代文で哲学する! (ちくま新書)

入不二基義さんの新刊『哲学の誤読:入試現代文哲学する』は、なかなかの傑作である。大学の入試問題に実際に出た、野矢茂樹「他者という謎」、永井均「解釈学・系譜学・考古学」、中島義道「幻想としての未来」、大森荘蔵「「後の祭り」を祈る」という文章を題材にして、予備校の解答例がいかにそれらの哲学的文章を読めてないかを指摘し、哲学の文章が、哲学ではない文章へと変換されていく仕組みを考察したものである。この仕組みの原因のひとつは、哲学の文章の意味するところのものがプロの解説者によってさえ往々にして理解されていないところにあるのだが、それと同時に、入試の現代文というパラダイムそれ自体にも原因はある。

そのあたりの迫り方はユニークである。入試問題文を素材にして哲学入門を書くというのは、たしかに世界でもはじめての試みかもしれない。その意味でこれはたしかに哲学書である。海外の思想家のものを解釈して輸入することを哲学と呼ぶのをやめて、こういう本を哲学書と呼ぶようにしなくてはならない。

あと思うのは、これは入不二さんのバイアスであろうが、4つの問題文や、それについての入不二さんの思索の範囲が、かなり特定のものに偏っていることである。というか、入不二さんがこれまで書かれてきた哲学的問題に触れるもののみが話題になっているとも言える。さらには、入不二さんも書かれているように、全員がおそらく大森荘蔵の圏域内にあり、さらにはヴィトゲンシュタインの手のひらの上にあるということである。われわれ(含む私)の最大の課題のひとつは、いかにしてヴィトゲンシュタインから逃れつつ哲学できるかということであるように私はひしひしと思う。

あとは、入不二さん自身書かれているが、彼自身が以前に予備校教師をしていたということがある。この異様な執念は、そのときの体験があるのだろうし、予備校の模範解答を作っている人々の実際の顔が目に浮かぶからだろう。さらには、これらの文章を入試問題に出す大学教員の姿も目に浮かぶからだろう。入不二さんが禁欲したこの点をめぐって、さらに一冊本が書けるように思える。

2007-12-12

[][][]ヤン・パトチカという哲学者

『思想』12月号が、チェコの哲学者、ヤン・パトチカの特集を組んでいる。パトチカは、1977年に、チェコの警察による過酷な訊問を受けて、70歳を目前に死んだとのこと。この特集を読むまで、私はこの哲学者についてまったく知らなかった。亡命することもできたかもしれないのに、チェコに残り、地下大学で解放運動をしながら死んでしまった人である。よい特集であると思った。

特集のなかで、今道友信が、生前に面識あった者として追悼文を書いている。例によって、臭みに満ちた文章で辟易とするが、それでもパトチカの面影は伝わってくる文章となっていると言える。おそらくパトチカは、今道のように自分はこんなにすごいということを言わないと文章が書けない人とは対照的な、ソクラテスのような哲学者だったのだろうと思った。

[][]小田実 遺す言葉、この国の人を信じて

 明日の夜 8:00から、NHK-BSハイビジョンで放映です。

http://www.nhk.or.jp/bs/hvsp/

2007-12-11

[][]書評サイト

 このブログでも言及された中島義道さん、横塚晃一さんの本の書評が掲載されています。

 毎日新聞

http://mainichi.jp/enta/book/hondana/

 紀伊國屋書店・書評空間

http://booklog.kinokuniya.co.jp/kawaguchi/archives/2007/12/post_13.html

2007-12-10

[][][]2007年の3冊

続いて私の場合(必ずしもお勧め本ばかりではありませんので注意)。

(1)樫村愛子『ネオリベラリズム精神分析

今年出たネオリベ批評系の本としては、秀逸だと感じた。もっとも、タイトルから連想されるような「現代社会分析」はうしろのほうに少しあるだけなのだが、ギデンズ理論への批判、ジジェク精神分析を応用した日本社会の分析を試みた著書。ネオリベラリズム/貧困といった括りでは、ほかに岩田正美『現代の貧困―ワーキングプア/ホームレス/生活保護 (ちくま新書)』、本田由紀編『若者の労働と生活世界―彼らはどんな現実を生きているか』が印象に残った。

(2)中島みち『「尊厳死」に尊厳はあるか』

「尊厳死」に尊厳はあるか―ある呼吸器外し事件から (岩波新書)

「尊厳死」に尊厳はあるか―ある呼吸器外し事件から (岩波新書)

2006年3月に起きた、射水市民病院での呼吸器取り外し事件の詳細なルポルタージュ。尊厳死法制化を望む声に対し、もうすこし慎重に考えるための事実を知ることができる本。ほかに「病/障害」系では、星加良司『障害とは何か―ディスアビリティの社会理論に向けて』、香西豊子『流通する「人体」―献体・献血・臓器提供の歴史』、井出草平ひきこもりの社会学 (SEKAISHISO SEMINAR)*1などが――必ずしも同意できるところばかりではないにせよ――面白かった。

(3)美馬達哉『〈病〉のスペクタクル――生権力の政治学

「病」のスペクタクル―生権力の政治学

「病」のスペクタクル―生権力の政治学

「理論書」といってもいいのだろうか。このジャンルの本をたくさん読んだ(読まざるを得なかった)が、いちばんよかったのがこの本。美馬さんは、医者でもあり、人文社会科学に関しても精通している方。〈病〉の事象を羅列しながら、思想的な分析を加える。ほんとうは、美馬さんもテーマをもうすこし掘り下げたかったのだと思うが、それは今後の仕事か。ほかにこのジャンルでは、大越愛子・井桁碧編『脱暴力のマトリックス (戦後・暴力・ジェンダー)』、ドゥルシラ・コーネル『限界の哲学』、品川哲彦『正義と境を接するもの: 責任という原理とケアの倫理』、ピーター・シンガー『人命の脱神聖化』、安藤馨『統治と功利』などをよく読んだ。

(番外――復刊本)和辻哲郎倫理学

倫理学〈1〉 (岩波文庫)

倫理学〈1〉 (岩波文庫)

岩波文庫から和辻の『倫理学』が4分冊で復刊したのも今年。私は和辻倫理学を日本ナショナリズムのある意味典型だと思っているが、それも本書を読むところからしか始まらない。『人間の学としての倫理学 (岩波文庫)』も文庫復刊。その和辻批判をも含む(『人間の学としての倫理学』文庫版解説者でもある)子安宣邦日本ナショナリズムの解読』――これは新刊――も印象深い。

[][][]2007年の3冊

G★RDIASでも、2007年の3冊というエントリーをやってみることになりました(3冊でなくてもOK)。

(1)加藤秀一『〈個〉からはじめる生命論』

〈個〉からはじめる生命論 (NHKブックス)

〈個〉からはじめる生命論 (NHKブックス)

荒削りだが、非常に刺激的な本だった。生命倫理に、社会学哲学から迫るという本。ここで問われているいくつかの問いは、きちんと応答しなくてはならないだろう。こういう仕事をきっかけにして、重要な哲学的な議論が生成していくはずだと思う。加藤さんは生命論からは距離を取るが、私は生命論の中心部から応答したいと思う。

(2)シービンガー『植物と帝国』

科学史の面目躍如といった感じの重厚な研究書。哲学書とは言えないだろうが、こういう作業にも引かれる私がいる。私自身はこういう仕事はけっしてできないがゆえに、あこがれるのかもしれない。単に「××の誕生」みたいなフーコー科学史をやる人がたくさんいるが、シービンガーのこの本はそういうスタンスから自由であるように見える。

(3)木村俊一『無限のスーパーレッスン』

無限のスーパーレッスン

無限のスーパーレッスン

数学の啓蒙書としては最高水準の本だと思う。「無限の操作」を有限時間で完了できるというパラダイムに乗ったときに、どのような不思議な光景が現出するのかを、見事に説明できている。私としては、数学の好きな高校生にぜひ読んでほしいと思った。人間の心と権力のどろどろの部分の研究をしていると、こういう世界の清涼感はほんとにうらやましいとか思うなあ。

(番外)大澤真幸ナショナリズムの由来』

ナショナリズムの由来

ナショナリズムの由来

ごめんなさい。まだちゃんと読めていません。けど、この本、これからの各賞をゲットするのではないだろうか。人文社会の今年の最大の話題作でしょう。

*1:この3冊はいずれも修士論文博士論文である。

2007-12-09

[][]2007年度・新聞協会賞受賞・ワーキングプア I&II

 明日の夜 10:00〜11:28 に、NHKスペシャル「ワーキングプア」の過去2回の放送が、再編集されて放映されます。

http://www.nhk.or.jp/special/onair/071210.html

来週の日曜日には、第3回目「ワーキングプア? 〜解決への道〜」が放映されるそうです。

http://www.nhk.or.jp/special/onair/071216.html

 去年2回にわたって放送したNHKスペシャル「ワーキングプア」は、日本で拡大する“働く貧困層”の実態を伝え、大きな反響を呼んだ。今回の「第3弾」では、海外にも取材を広げ、問題解決に向けた道筋を探る。

 ワーキングプアの問題は、グローバル化が進む中、日本と同じように市場中心の競争を重視する世界の国々でも、今や共通の課題となっている。非正規雇用が急速に拡大する韓国では、低賃金の生活に耐えきれず自殺者が続出している。世界経済の中心・アメリカでは、IT企業のエリートまでもが海外の労働者との競争に晒され、低賃金に転落している。

 こうした国々では、問題解決に向けた対策も始まっている。米ノースカロライナ州では、地域全体で医療関連産業とその人材の育成に取り組み、ワーキングプアのための新たな雇用を創出した。貧困の連鎖が進むイギリスでは、子どもから大人まで手厚い保護の網を張り、国を挙げて貧困の撲滅に乗り出している。そして日本でも、ようやくこの問題を「社会の責任」と受け止め、ワーキングプアの人たちを支えようと模索する地域や企業も出てきている。

 番組では、世界と日本の最前線の現場にカメラを据え、直面する課題と解決に向けた取り組みを追う。そして各国の識者の提言も交えながら、ワーキングプアの問題とどう向き合うのか、もう一度、国民的議論を呼び起こす。

2007-12-08

[][]少女売春への罠:英国

BBCによると、英国で、イケメン少年をおとりに使って、少女を売春に引き入れる「インターナル・トラフィッキング」という手法が問題になっているとのこと。よくある手法は、12歳前後の少女に、イケメンの10代の男の子が近づいて、ボーイフレンドっぽくなり、携帯電話やジュエリーをあげたりしててなづけ、13歳になったらセックスをしてとりこにして、次には少年の「知り合い」とされる年上男性たちを客に取らされるようになり、気がついたら強制少女売春をさせられている、というもの。

The BBC has learned that internal trafficking follows a typical pattern in which a girl aged about 12 is approached and won over by a good-looking, well-dressed teenage boy.

He gives her jewellery, mobile phones and later drink or drugs, and pretends to be her boyfriend.

Once under his spell, the girl is turned against her parents and persuaded to have sex with her boyfriend's older "uncles" or "friends" to pay him back for the money he has spent on her.

Gradually, she finds herself spending all her time with the older men who force her, often with violence, to work as a prostitute.

http://news.bbc.co.uk/1/hi/uk/7092401.stm

被害者少女は10歳からおり、子どもが子どもを引き入れる犯罪であるため、地下に潜行していて全体像がつかめない。少女は家族を殺すとかおどかされているので、口出しできない。BBCは、13歳で取り込まれた少女へのインタビューを流していた。現今の社会情勢を見るに、日本でもやがて同様の事件が起きることであろう。

[][]こうのとりのゆりかご赤ちゃんポストは“ブラックボックス

 テレビ朝日系列で放映です。東京ではテレビ朝日が12月10日(月)の深夜2:40から、大阪ではABCテレビが今日の深夜2:00から放映します。

http://www.tv-asahi.co.jp/telementary/

 参照:人権関係テレビ番組情報(関西地区用)

http://www.asahi-net.or.jp/~qm8m-ndmt/tv/index.htm

2007-12-07

[][]宗教学文献事典

宗教学文献事典

宗教学文献事典

 弘文堂から宗教学の基本文献を解説した事典が刊行されました。私は(古本で)買うつもりですが、まずは図書館で内容をチェックしたいと思います。

[][]“回復工場”の挑戦 〜アルゼンチン・広がる連帯経済〜

 明日の夜・午後10:10〜11:00、BS1で放映です。

http://www.nhk.or.jp/bs/bsdoc/

 2001年、南米アルゼンチンはグローバル化の影響が直撃し、深刻な経済危機に襲われた。多数の企業が倒産。失業率は25%を超え、銀行は取り付け騒ぎにあい、大混乱に陥った。

 あれから6年。いま、解雇された従業員たちが自分たちの手で会社再建に乗り出し、実に200以上もの企業がよみがえっている。倒産した企業の工場を行政当局に収用してもらい、当局から借り受けて経営を再開。いわば労働者同士が協同で、自主自立して、破綻企業を再生させるシステム。全員平等の協同組合方式で経営に関する発言権も賃金も一律という、一種の「労働者革命」が進行している。また、失業者たちが全国団体を組織し、自らの手で病院を開き、食堂や寺子屋コミュニティ農園などの経営を始めた。「連帯経済」という考え方・運動が、急速に広がっている。番組では、ある製陶工場の復活をドキュメント。労働者の生活、意識の変革再生までの道のりを追う。南米で進む「グローバリズムに対抗する動き」の実態を見つめる。

2007-12-06

[][]三島亜紀子社会福祉学の〈科学〉性』

社会福祉学の〈科学〉性―ソーシャルワーカーは専門職か?

社会福祉学の〈科学〉性―ソーシャルワーカーは専門職か?

もともとは大阪市立大学に提出された修士論文「社会福祉の学問と専門職」*1が題材であるこの本がようやく発刊した。社会福祉という学問、および援助職という専門職がどのように成立し、どのような困難を抱えながら、現在どのようなものとして存在するかについての考察である。この本でも名前が挙げられるミシェル・フーコーの知恵を借りれば、この研究は「社会福祉(学)の考古学」といってもよいだろう。議論の枠組みじたいがフーコーに依拠している、という批判はできようが、それでもこの領域でこうした仕事は皆無であったから、この三島さんの仕事は素晴らしいように個人的には思っている。

(ここでも私は三島さんの仕事に肯定的に言及している。「社会学/社会福祉学/倫理学」。)

*1:リンク先の文章はどうするのだろう?

2007-12-05

[][]「東京外国人」

東京外国人

東京外国人

 東京に住む外国人の家を30軒くらい訪れ、撮影したスナップ集。自国のインテリアで統一する人ありーの、和風を追及する人ありーの、インテリアにお金をかけてる人ありーの、なんにもない部屋に住む人ありーの。外から来て、日本で暮らすことに焦点を当ててるのは面白い。

 というわけで、狙った枠組みは良かったのだけれど、肝心の写真が良くない。作為が前面に出て、撮り手の主張が目障りなものが多い。欄外のコメントも、もう一つ面白くない。しかも、出来・不出来にばらつきがあるなあ、と思っていたのだが、専門学校の出身者がチームで作った写真集だと気づき、合点がいった。

 この本は、以前、留学生向けの雑誌「HIRAGANA TIMES」に紹介されていたので、知った。9月号くらいに出てた気がする。

[][][]修復的司法についての文献

 ついに、日本の法学者による概論書が出版された。

対話による犯罪解決―修復的司法の展開 (RJ叢書)

対話による犯罪解決―修復的司法の展開 (RJ叢書)

とりあえず、これを読めば体系的な知識は押さえられる模様。今までは、短い論文や英語論文をかき集めて、自分で整理するという、私のような初学者にとっては、不安でたまらなくなるような作業が必要だった。これで、心細さが半減しました!よかった。

 しかし、日本では、ものすごい勢いで修復的司法についての文献が出版されているようだ。私はこれも、買ったんだけど、未読になっている。ぱらぱら見た限りでは、入門書として、使いやすそう。

ここ1年くらいで、これまで出版されてきた文献は倍くらいになった気がする。ほくほく買ってしまうのだけれど、読みきれなくなってきた。それでも、修復的司法の理念について、観念的に論じた文献は、少ない。欧米では、いかにも、ポストモダンな発想で、1980年代から推進されてきた制度なので、流行れば言及する人は、もっと増えるのかもしれない。

2007-12-04

[][]『観念的生活』と哲学者

観念的生活

観念的生活

中島義道さんの新著である。ほんとに、本を出しすぎではないのか? 本人も著書中で書いているが、自分でも自覚があるみたいだ。本書もまた、細部の記述が面白くて引き込まれる。

ソクラテスは、考えに集中すると歩いている最中でもふと立ち止まり、アテナイの道路の真ん中で凝固したかのようにじっと考え続けたと言われている。ヒュームは、考え出すと夢遊病状態になり、気がついたらパジャマのまま街中にいることもあったと告白している。パスカルは、歯痛が襲ってくる時、考えることによってそれを忘れることができたと語っている。本物の哲学者とは偉いものである。そして、明らかにヘンである。(38頁)

たしかにそういう伝説はある。中島さんの書き方は上手である。

七十五歳のゲーテはエッカーマンとの対話の中で、これまでの人生で幸福であったのは一ヶ月にも足りなかったと告白しているが、私はもっと少ないかもしれない。最近は幸福を感ずる時間を正確に測定することにした。久しぶりに何の予定もない日曜日、カーテンを閉め切って部屋に籠り、ベッドの中でラフマニノフのピアノ協奏曲の三番を聴きながら原稿に手を入れたりゲラをいじったりしていると、ふっと「あ、幸福だ」と実感したので測定し始めると、その状態は十分ほど持続した。サルトルの言う「特権的状態」(『嘔吐』)に近いかもしれない。この前ロンドンに行った時感じて以来だから、一ヶ月ぶりのことである。(202頁)

こういう偽悪的なつきはなした筆致も中島さん独特なのだろう。本書は、哲学を素材としたエッセイである。カントについて書かれたところなどは、さすがに専門家だけあって、なかなか面白い。はやく、中島時間論・存在論・死論の本格的な本を読んでみたい。

[][]検証・障害者自立支援法

 今夜8時から、三夜連続で放送です。

http://www.nhk.or.jp/heart-net/fnet/

http://www.nhk.or.jp/heart-net/fnet/info/0712/71204.html

 障害者自立支援法が施行されて1年半あまり。この法律は、障害者の暮らしにどんな影響を与えているのか。現状を取材し、課題を探るシリーズ。

 第1回は、長時間介護の現状を見つめる。進行した筋ジストロフィーなど重い身体障害をもつ人の中には、夜間の呼吸困難など不測の事態に対応するために、1日24時間のホームヘルプを希望する場合がある。しかしサービスの支給を決定する市町村では、財政上の理由などから、支給時間を抑えようとする傾向が強い。また、ホームヘルプ単価の引き下げに苦しむ事業所の現状からは制度の設計と実態のズレも浮かび上がる。自立支援法の今後の見直しに向けて、課題を探る。

2007-12-03

[][][]ネット書籍サービス

以前から、このブログでも、部屋にたまる一方の書籍をどうすればいいかということが話題になっていた。引っ越しのときにたいへんだし、下手すると寝る場所もなくなる。古本屋に売るのもしのびない・・・。

と思っていたら、中経出版社というところが、「ネット書籍サービス」というものをはじめているのを知った。これは、この出版社が出した本と同じものを、ウェブ上で全文読めるというサービスである。

http://www.chukei.co.jp/net_book_about/index.html

本の裏側に付いている登録番号を入力したら、同じものが電子書籍で画面上で読めるということらしい。ということは、この本は読後に捨ててしまったり、売ってしまってもよいということになる。あとでいくらでもウェブで再確認できるから。

他の出版社の本も、どんどんこういうふうになっていったら、これからは本を買って、どんどん捨てるか売るという時代がくるだろう。自分の買った本の本文は、ウェブの上の本棚にどんどん構築されていく。ウェブジャーナルの書籍版である。

この種のサービスは、いずれ、一気に広まりそうな気がする。早くそうなってほしい。

[][]シリーズ地球温暖化

 今週のクローズアップ現代、地球温暖化の特集を行うようです。

http://www.nhk.or.jp/gendai/

[][]史上最強のアイドル論

 ビデオニュース・ドットコムで、無料放送を行っています。

 マル激トーク・オン・ディマンド 第348回(2007年12月02日)5金スペシャル

 史上最強のアイドル論 ゲスト:中森明夫氏(コラムニスト

http://www.videonews.com/

[][]筑摩書房の新刊(12月〜1月)

 新刊情報が、来月の初旬あたりまで追加されています。哲学関連ですと、単行本でハンナ・アレント。文庫で中島義道さんの旧著と、ドゥルーズカント論。W・ハイゼンベルク物理学に生きて ─巨人たちが語る思索のあゆみ』も面白そうです。

筑摩書房 これから出る本

[][]法政大学出版局の新刊(12月)

 バークリの研究書などが刊行されます。

法政大学出版局

[][]岩波書店の新刊(12月)

 今月の新刊です。哲学関連では、アドルノの伝記が翻訳されています。あと哲学塾のシリーズ、上田閑照さんの西田哲学論など。

404 Not Found

2007-12-02

[][]1歳男児から48歳と46歳への腎臓移植

もりけんさんのところのサイトで、15歳未満の子どもからの、心臓停止後の腎臓移植のリストが掲載されている。心臓停止後と言っても、ほとんどは人工呼吸器を付けてほぼ脳死状態で心臓が動いている状態から、呼吸器を切って、心臓が止まるのを確認してから腎臓を摘出するというやり方である。

http://www6.plala.or.jp/brainx/pediatric_harvest.htm#JOT

この一覧表の中には、たとえばこういうケースがある。

 提供元:1歳の男児

 死因:頭部外傷

 提供先:成人48歳男性、成人46歳男性

生まれてきたばかりの1歳の男児が、不運にも頭部外傷を受け、呼吸器を付けられて、心停止に至り、その両方の腎臓が、48歳と46歳の男性に移植されたというわけである。これが、心停止後の腎臓移植というものの現実である。

この移植を受けた48歳と46歳の男性は、自分の腎臓がどこから来たかを知っているであろうか。もし知っていたらそのことをどう思っているだろうか。

私は、6歳未満からの臓器摘出は、本人の意思が不明であるから禁止すべきという立場である。とくに1歳となると、その子には、生まれてきたままの身体で死んで灰になっていく権利があるのではないかと、私は思っている。それを、いい歳した大人が横からかすめとるのはおかしいと思う。

だが、それをおかしいと思わないのが臓器移植という思想であり、それを支える移植のシステムである。日本では、15歳未満は心臓停止まで待つが、米国では1歳の子どもからでも当然のように脳死状態で呼吸器を付けて心臓鼓動状態のまま摘出する。米国ではこのことに対する疑問の声はマスコミには上がらないようになっている。日本でもマスコミにはこのような疑問の声は上がらず(新聞・テレビの上層部が自主規制するから)、したがってこのような声はこういうブログかミニコミ誌か専門書で言うしかなくなる。

[][]届かぬ想い 臓器移植法10年の壁

 今夜1時から、日本テレビ系列での放映です。

http://www.ntv.co.jp/document/

2007-12-01

[][]他者の承認抜きには、存在承認は了解できない

 mojimojiさんの「承認は分配できるか(財のように)」という記事のコメント欄で議論が始まり、お返事に「既に承認されて在ることを信じる」を頂き、さらにx0000000000さんの「信仰と信仰のシステム」という記事に議論が続いている。ここで、私の考えを整理しておこうと思う。

 私が問題にしているのは、「存在承認の了解」である。

 人は無からは生まれない。なんらかの他者の営みから生まれてくる。そういう意味では、全ての人は誕生する時に、原理的には、他者に存在を肯定されている。たとえ生み出した人間から「望まない」「望んでいなかった」と言明されていても、殺されなかったという事実によって、その人の誕生の瞬間に起きた、原初的「存在承認」は担保されている。「存在承認」を経験したことない人はいない。この世に生まれ出ることとは、純粋な「存在承認」の発露だ。*1

 だが、人は誕生の瞬間の記憶はないので、純粋な「存在承認」とは体験的に覚えておけるものではない。そこで、具体的な他者からの承認*2の経験から、純粋な「存在承認」を想像する。もちろん、人に人を完全に承認しきることは不可能なので、一部のアイデンティティの承認に留まる。この不完全な、具体的な他者からの承認を受けることで、私たちは「承認」という概念を獲得する。ここから人は、想像力により、生まれてきたときに受けたであろう、純粋な「存在承認」の経験を、自らの生から彫り出し、「生まれてきてよかった」と思えるのだ。

 この「生まれてきてよかった」というのが「存在承認の了解」である。原理的には、人は皆、純粋な存在承認を通過して、この世に生み出されたと言える。しかし、それを了解するためには、常に不完全な、人間同士の承認の経験を通して「承認」という概念の獲得が必要である。純粋性には、不純物を通してしかアクセスできないのだ。

 私たちは、全ての人に「あなたは生まれた時に存在承認されている」と伝えることはできる。しかし、それを了解できない人に必要なのは、その原理の伝授ではなく、「私からあなたを承認する」という行為である。しかし、全ての人を直接的に承認することは難しいので、x0000000000さんの言うとおり、社会的に承認する基盤を整備することで勘弁してもらうことも多いだろう。少なくとも、自己内で存在承認を完結させることはできないのだ。*3

*1:有であることをゆるされること

*2:有であってよいとされること

*3:これについては、知人に別の考えを聞いた。次のものである。"自己を自己で承認するときには、自己を「承認する自己」と「承認される自己」に分裂させなければならない。ということは、自己承認には、常に「承認する自己」の部分が承認しきれない、構造ができる。であるから、自分で自分をまるごと肯定することは不可能である。"しかし、私はこの自己承認じたい、他者からの承認の経験抜きに、どうやって学習するのかが不明である。もし、学習抜きに可能だとすれば、それは人間のnatureということになるけれど、この議論はあんまり美味しくない気がする。