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2007-11-12

[][][]イスラム教仕様のクルマ

 こんな記事を見つけた。イスラム教国・マレーシアの自動車メーカーが開発したらしい。

マレーシア自動車メーカー、「イスラム教」車を海外展開 写真2枚 国際ニュース:AFPBB News

2007-09-21

[][]仏教→キリスト教→仏教

畏友、平山朝治氏(筑波大学)から、新しい論文「大乗仏教の誕生とキリスト教」(筑波大学『経済学論集』第57号(2007年3月)139〜185頁)を送っていただいた。いつもながら破天荒で面白い。

世間の常識では、仏教とキリスト教は、東西の代表的世界宗教で、まったく独立に発展してから、最近、交流もしはじめているらしいということになっているのだろう。だが、宗教学の世界では、もうずいぶん前から、大乗仏教(日本に伝わってきた仏教)の成立に当たって、キリスト教からの多大な影響があったのではないかという学説が現われている。歴史的・地理的に見て、かなり信憑性のある説であり(「ミリンダ王の問い」はギリシア世界とインド世界が交流していた証。福音書はギリシア語で書かれた)、また、大乗仏教とキリスト教がけっこう似ているという内容的な面からも、信憑性は高いと思われる。(大乗仏教と原始仏教・南方仏教は、別の宗教かと思われるくらい違っているという見方もできる)。

平山の論文は、いろんな関連資料を駆使しながら、そのセオリーをさらに進めたうえで、そもそもキリスト教の成立それ自体に、原始仏教の影響があったのだと主張するものである。すなわち、キリスト教の新約聖書に現われる「言葉logos」は、原始仏教で言う「般若(智恵)」である、と。そして時系列で言えば、

ゴータマ・ブッダの死 400〜500BC

 ↓

イエスの死 30AD頃

 ↓

12使徒の伝道 30AD〜

 ↓

インドへの到来

 ↓

インド仏教からの影響

 ↓

中東世界への逆影響

 ↓

福音書(新約聖書)の成立 60〜90AD

 ↓

福音書(新約聖書)からの影響による大乗仏教の成立 100AD頃

というわけである。

ほんとうに、このような相互影響のダイナミズムがあったとしたら、それはそれですごく夢のあるすばらしい話だと私は思った。もっとも、仏教、キリスト教、のがちがちの人たちは、すごく嫌がる話だと思うけど・・・。いずれにしても、われわれは、古代世界の思想のダイナミズムをあまりにも知らなすぎるということだろう。

2007-09-20

[][][][]謝罪を受け入れるということ

上祐前代表、河野さんに謝罪 松本サリン事件

 94年にオウム真理教(アーレフに改称)が起こした松本サリン事件をめぐり、教団の上祐史浩前代表らが19日、被害者で第一通報者の河野義行さん(57)と長野県内で初めて面会し、上祐氏が「事件について、教団の外報部長時代にうそを話した。麻原(松本智津夫死刑囚)の教義で迷惑をかけた」などと謝罪したことがわかった。河野さんが20日、報道陣に明らかにした。

http://www.asahi.com/national/update/0920/TKY200709200113.html

詳しい情報がないし、これだけではなんとも言えない部分が多い。

 河野さんは森達也の映画の中でも、謝罪の受け入れを試みてきた。*1今回の謝罪の件では、河野さんは「『謝罪については好意的に受け止めた。私や妻に謝罪することで、気持ちが落ち着くのであればそれでいい』と話した。」と記事(asahi.com)に書かれている。

 私は、謝罪とは、被害者の為にではなく、加害者の為に行われるものだと思っている。河野さんは、「謝罪すること」を許した。このような問題には、慎重になりたい。しかし、看過できないひとつの出来事のように思う。いまだ、オウム真理教の事件は終結していない。*2

*追記:

トラックバック先で、以下のコメントがありました。

加害者に謝罪すること許す、とは、加害者の贖罪を承認すること。しかし、神以外の誰が贖罪を承認できるのか?

shu1「謝罪を受け入れる、ということ」『音楽(だけじゃない)漂流記:日記』(http://d.hatena.ne.jp/shu1/20070921#p2

この点は、私も非常に興味があります。が、私は、「ゆるし」という言葉を「許し」(permission)と「赦し」(forgiveness)にわけて考えています。今回は「許可する」という意味で「許し」という言葉を使いました。よって、私はこの記事から、「和解が遂行された」とは類推していません。(もちろん、二つの両者の「ゆるし」の連関については、丁寧に論じる必要があると思っています。)

 以上、補足でした。

*1:「A」らしいのですが、私は見逃しています。

*2:そして、多くの事件が、「何をもって終結とするのか」という困難な問題を抱えている。

2007-09-10

[][][][]科学と宗教は対立するのか

 日経サイエンス10月号に、大物科学者二人の対談が掲載されているようです。

nikkei-bookdirect.com -&nbspこのウェブサイトは販売用です! -&nbspnikkei-bookdirect リソースおよび情報

 原テキスト(Scientific American 2007.7)

Should Science Speak to Faith? - Scientific American

 まだ未読ですが、ドーキンスの『神は妄想である』は今年邦訳されています。

神は妄想である―宗教との決別

神は妄想である―宗教との決別

2007-09-09

[][][]スピリチュアルはなぜ流行るのか

<スピリチュアル>はなぜ流行るのか (PHP新書)

<スピリチュアル>はなぜ流行るのか (PHP新書)

 「スピリチュアル/スピリチュアリティ」という言葉は、元来は宗教と切り離せない。宗教の教えを学んだり、さまざまな儀礼に参加することで、人間は聖なるものを経験し、他者との絆を確認した。

 ところが、現代の先進各国では、宗教の枠を離れて「スピリチュアル」な事柄を個人の立場で追求する動きが目立ってきた。ジャーナリストの著者は、各種の事例を取材し、ブームの背景に潜む現代日本人の心性を探っていく。

 著者は島薗進さんの『精神世界のゆくえ』など、宗教社会学のスピリチュアリティ研究を参照している。考察の視点は次の文章に明らかである。

 スピリチュアル文化が展開した背景には、近代をささえていた「大きな物語」が一九六〇年〜七〇年代から後退していったことがある。それと入れ替わるように、欧米のニューエイジ・日本の精神世界が登場した。一人ひとりにとっての「小さな物語」たちが必要とされる時代が始まったのだ。「宗教」には違和感をもつが、近代合理主義だけを信奉する気にもなれない。そのような人々は、二つのあいだに広がるグレーゾーン、つまりスピリチュアルな世界観にひかれている――。そんな話をした。(p.186)

 伝統的宗教の衰退と〈スピリチュアル〉の流行は、ポストモダン社会の現象とみなされている。

 一例を挙げると、江原啓之ブームへの言及がある。江原さんの著書の発行部数は700万部に及ぶという。私は江原さんについては知識がないが、彼が行うスピリチュアル・カウンセリングについては、次のような考察がある。

 この江原ブームも、じつはセラピー文化のなかの一つと位置づけることができるので、ここで見ておこう。……

 「スピリチュアル・カウンセリング」には通常のカウンセリングと多くの共通点があると指摘されている(堀江宗正、メディアのなかの「スピリチュアル」『世界』二〇〇六年十二月号、岩波書店)。やや簡単にまとめると、このようになる(括弧内は臨床心理学での用語)。

一、霊視により、相談者は江原氏に急速に信頼をよせる(ラポール=信頼関係の形成)

二、問題の遠因を過去の失敗・喪失・被害にもとめる(トラウマ理論)

三、問題を問題として感じている「ものの見方」そのものを変える(リフレーミング)

四、守護霊を引き合いに出すことで、相談者が孤独ではなく、解決能力を潜在的にもっていることを示す(エンパワーメント)

 この章で見てきたように、セラピー文化はかつて「宗教」が果たした役割をしだいに担うようになっている。情報の消費者側から江原現象を考えると、セラピー文化というウェーブ(うねり)があってのブームと位置づけできる。その逆ではない。消費者はメディア(テレビ、本や雑誌、ネット)を通じて語られる江原氏のことばを自分に向けられた個別のものとして引きよせ、読み込んでいく。不特定多数へのメッセージを受けとったあと、思い当たることがらを自分の「小さな物語」に変換するのだ。(p.134-5)

 伝統的な宗教が強力に機能していた時代に「霊的指導者」としての教会の神父・牧師や、お寺の和尚さんが果たしていた役割を、江原さんは担っているということなのだろう。

2007-09-02

[][][]精神世界のゆくえ

精神世界のゆくえ―宗教・近代・霊性

精神世界のゆくえ―宗教・近代・霊性

精神世界のゆくえ―現代世界と新霊性運動

精神世界のゆくえ―現代世界と新霊性運動

 宗教学者・島薗進さんの『精神世界のゆくえ』新版(2007年7月、秋山書店刊)を読了した。私は旧版(1996年、東京堂出版刊)を図書館で借り、読み進める途中で新版を購入したが、新版には訂正・加筆がなされ、巻末に索引が追加されている。いまから読む/買うなら、新版を勧めます。

 本書における島薗さんの基本的な主張は、

「新霊性運動」が1970年頃からグローバルに展開した

 というものである。


 現代日本では、既成の宗教(キリスト教・仏教などの「歴史宗教」、近代日本で成立した「新宗教」)にコミットすることなく、「スピリチュアル」な事柄に関心を寄せる人々が増えている。島薗さんによれば、こうした最近の現象は1970年代からはじまった「新霊性運動」の流れに位置づけることができるという(参照、新版のまえがき)。

 「新霊性運動」とは何か。島薗さんの定義を引用する。

 以上のように、これらのグローバルな運動群の全体を流れる基調の一つに、「宗教」に対するものとしての新しい「霊性」という観念があるという理由から、筆者は一九九一年以来、これらを「新霊性運動」(new spirituality movements)とよんできた。その後、調査研究を続け、また国内国外の学会で報告を重ねる過程で、この用語が妥当であるという印象は強まっている。

 ここで手みじかに新霊性運動の指すものを限定しておこう。それは個々人の「自己受容」や「霊性の覚醒」を目指すとともに、それが伝統的な文明やそれを支える宗教、あるいは近代科学と西洋文明を越える、新しい人類の意識段階を形成し、霊性を尊ぶ新しい人類の文明に貢献すると考える運動群である。事実、伝統的な宗教とは異なり、固定的な教義や教団組織や権威的な指導体系、あるいは「救い」の観念といったものをもたず、個々人の自発的な探究や実践に任せる傾向が強い。また、信仰と科学を対立的にとらえることなく、科学的な認識と霊性の深化とが一致できると考え、比較的、学歴にめぐまれた層に支持者が多い。近代社会のなかで、これと似た考え方や実践の形態はさまざまに現れたが、新しい意識や文明への移行が近いという多くの人々の期待を集め、大衆的な規模をもつ運動群として展開したのは、一九七〇年頃からである。この大きなうねりが生じてから、そのうねりに加わろうとしている運動群を新霊性運動とよび、それまでに展開してきた近代のさまざまな霊性運動は部分的にそこに吸収されたものと見る。(p.50-1)

 四部構成の本書は、内容から判断すると前半(第一部、第二部)と後半(第三部、第四部)に分けることができる。

 前半は「新霊性運動」にカテゴライズされる諸現象(アメリカの「ニューエイジ運動」、日本の「精神世界」など)の紹介である。私は「ニューエイジ」「精神世界」の関連本はまったく読んだことがなかったので、大変に興味深い内容であった。

 後半は「新霊性運動」が生じた社会背景の分析である。なぜ従来の諸学問(特に、近代合理主義の方法論にもとづく自然科学)や宗教が新しい世代の関心を惹きつけなくなったのか。なぜ「新霊性運動」と名づけうるような新しい知のパラダイムに魅了される人々が増えてきたのか。こうした疑問について、島薗さんは宗教学・社会学・心理学の諸研究を参照しながら、考察を行う。後半部が本書の読みどころである。

 本書で「新霊性運動」の事例として言及されている著作、事件を年表にした。

1975   セオドア・ローザク『意識の進化と神秘主義』

1977   平河出版社が『ザ・メディテーション』を創刊。「精神世界」の語を通用させる(この出版社は、阿含宗の関連企業)。

       ケン・ウィルバー『意識のスペクトル』(邦訳、1985年)

1978・6 新宿・紀伊國屋書店がブックフェア「インドネパール精神世界の本」を開催。

       この年以降、「精神世界」のコーナーが、書店に設置されるようになる。

1979   『ザ・メディテーション』第六号が「精神世界の本・ベスト800」を特集。

       雑誌『たま』再刊。

       雑誌『アーガマ』創刊。

       フリッチョフ・カプラ『タオ自然学』の邦訳

1980   『別冊宝島16 精神世界マップ』、JICC 出版局

       マリリン・ファーガソン『アクエリアン革命』(邦訳、1981年)

1983   シャーリー・マクレーン『アウト・オン・ア・リム』

1983   梅原猛『日本の深層』

1984   岩田慶治『アニミズム時代』

1986   湯浅泰雄『気・修行・身体』

1990   元山茂樹・宝島編集部『ニュー・エイジの600冊』

1991   宝島編集部『精神療法と瞑想』

1991   栗本慎一郎『人類新世紀終局の選択 「精神世界」は科学である』

1991   鎌田東二・津村喬『天河曼荼羅 超宗教への水路』

1991・3 NHKスペシャル「立花隆リポート臨死体験 人は死ぬとき何を見るのか」

1991・3 オウム真理教がダンス・オペレッタ『死と転生』を上演

1992   サングラハ心理学研究所の設立

1993   ジェームズ・レッドフィールド『聖なる予言』(邦訳、1994)

1993   岡野守也「問題提起『霊性と宗教の統合に向けて』、所収・鎌田東二他『宗教・霊性・意識の未来』

1994〜  ブッククラブ回『精神世界総カタログ』の刊行

1995   オウム事件

1995   『FILI別冊保存版 ニューエイジ ワークショップカタログ』

1996   森岡正博『宗教なき時代を生きるために』

2002   「スピリチュアル・コンヴェンション」の開始。

2002   特番「天国からの手紙」の開始。

2005・4  「オーラの泉」(テレビ朝日)放映開始。

 年表に「オウム事件」を挙げたことに、奇異な印象を受ける人がいるかも知れない。島薗さんは「新霊性運動」の一角をなす「精神世界」の運動とオウムとの間には密接な関連があるという。オウム真理教の入信者には、もともと「精神世界」への強い興味を抱いた人が少なくないらしい。

 七人の元信徒に突っ込んだインタビュー調査を行った精神医学者・歴史心理学者、ロバート・リフトンによると、そのいずれもがオウム真理教にふれる前、精神世界にかなりの親しみをもっていたという。筆者は自ら接した元信徒の語りや事件後の報道や当事者の著述・証言からも、彼らが精神世界に近いところにいたという印象を強めている。(p.19)

 スピリチュアルブームを解読する本の刊行が、このところ続いている。本書の面白さは、宗教とは別の形で「スピリチュアルなもの」に関心を深める現代人の心性を、宗教史、精神史、文明史のなかに位置づけようとする視点にある。島薗さんには、本書に関連する著書が何冊かあるので、少しづつ読んでみたい。

 本書の魅力は「あなたにとって、宗教とは何ですか」「あなたは宗教とどんな関わりをもって生きてきたのですか」といった問いかけを読者に迫ってくる点だと思う。私は「ニューエイジ」「精神世界」が流行した80年代の後半、東京で大学生活を送った。しかし、これらの本にはそれほど興味が湧かなかった。反対に、新霊性運動の支持者たちが見捨てた伝統宗教への関心を深めた。学生時代のことを、いろいろ思い出しながら、本書を読み終えた。