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2007-10-08

[][]"Girls and Guns"は米国の病か?

米国のネットテレビで、Girls and Gunsという番組が大ヒットの兆しを見せているようだ。これは、10代から20代のセクシーな女性を公募して、全員に水着を着せて本物の銃やマシンガンを渡して、標的の車や人物人形を撃ちまくって破壊させるゲームである。4人の参加者で競わせ、2人が勝ち残る。一種のリアリティショーである。番組を発案したのはアウトドア系の女性である。番組のサイトで、大型銃を撃つのが好きな女性を募集している。

勝者の女性を決める基準は、"Girls are judged on a point system judged on accuracy, speed, form, and sex appeal" とのことだ。

百聞は一見にしかずなので、映像を見てみよう。こういうのがダメな人は見ないように。


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番組のサイトはここ。

http://www.girlsandguns.com/

映像の中で女性のひとりは19歳、もうひとりは20歳、もうひとりは21歳と言っている。米国では誰でも銃を撃つことができる。州によってはマシンガンでも撃てる。であるからこの番組は合法である。

米国ではヴァージニアテックがあった。昨日も警官が銃を乱射した。こういう番組が普通に作られるという背景があって、それらの事件が起きているのは間違いないだろう。日本でももし銃が解禁されたらこれと同じことになるだろう。ここを見ている女性の方の中でも、この映像を見て、すかっとする、自分もやってみたいと思った人はいるはずだ。出演女性も、こういうのは男女関係ないと言っている。

制作者は、これをスポーツだと言っている。もちろんオリンピックにも射撃という種目がある。だが、それとこれとはどこかが決定的に違っている。

このような映像を楽しんで、自分でもこういうのに参加してみて、そのあとに待っているのは、「今度は本物の標的を撃ってみたい」という欲望であろう。ここに米国の病がある。

2007-08-09

[][][]拒食症のSNSがはやっているらしい

BBCサイトによれば、英語圏のSNSで、拒食症のコミュニティが流行しているらしい。もちろん以前からこの種のものはあったが、実名で輪を広げる拒食症コミュニティは、SNSならではであって、注目を集めているとのこと。

問題はそのやりとりの内容で、拒食症・摂食障害の当事者たちのセルフヘルプグループ的なものと、拒食症を賛美してお互いにテクや情報を交換するものとが、混ざり合っているとのことだ。

Members of such groups post pictures of painfully skinny girls for "thinspiration", compare dangerously low goal weights and measurements, and team up to "keep each other strong" in their quest to lose weight.

They swap stories on how they vomit until they cough blood, are often too weak to get out of bed and how they're scared family or friends will find out and force them into recovery.

http://news.bbc.co.uk/2/hi/uk_news/magazine/6935768.stm(写真あり)

などというのを読むと、なんとも言えなくなる。でも、賛美とセルフヘルプの境界線というのもなかなか引きがたいのではないだろうか。

日本でもmixiとかに、きっと似たようなものがあるのだろう。

2007-07-26

[][][]RFKブログ

 友人の id:rfk42 さんが、20世紀アメリカの政治家、ロバート・フランシス・ケネディ(1925-1968)に関するブログを開設されました。

Bobby, we hardly know you

 ロバート・フランシス・ケネディ(RFK)は、第35代アメリカ大統領、ジョン・フィッツジェラルド・ケネディ(1917-1963、JFK)の弟。

 JFKと比べると、日本での知名度は今ひとつですが、彼の伝記映画が今年日本でも公開されて、話題になりました。まもなくDVDも発売されます。

ボビー BOBBY  [DVD]

ボビー BOBBY  [DVD]

 RFKについて、「ケネディ家はカトリックで、JFKの弟にそういう人がいたなぁ」という程度の認識しか私にはなかったですが、第二次世界大戦後のアメリカ政治において、RFKの存在感や、アメリカ国民がリベラルな政治家だった彼に寄せる期待は、かなりのものだったそうです。

 RFKに関する日本語の情報は少ないようなので、新ブログの開設は貴重な試みだと思います。

2007-07-22

[][]米国人の肥満について

 kanjinai さんのエントリーに関連して。

CNN.co.jp

2007-06-22

[][][]米国の手塚治虫

サンフランシスコのAsian Art Museumで海外初の本格的な手塚治虫展をやっている。

Tezuka: The Marvel of Manga (June 2 - September 9)

http://www.marvelofmanga.org/ (←重いです・・)

解説など読むと、けっこう力が入っている模様。行ってみたいなあ・・・。

2007-05-30

[][]シンディ・シーハンさん

アメリカで反戦運動を行っていたシーハンさんが、「運動をやめる」らしい。

http://www.commondreams.org/archive/2007/05/29/1495/

次の言葉は、非常に考えさせられる。これはまた、米国の政治のみならず、生命倫理にも言えることだろう。

I guess no one paid attention to me when I said that the issue of peace and people dying for no reason is not a matter of “right or left”, but “right and wrong.”

2007-05-23

[][][]「成長停止」をめぐるシンポジウム

 macskaさんが、ワシントンで行われた「重度障害児に対する『成長停止』療法」についてのシンポジウムについての報告をブログで書かれている。macskaさんによる経緯の説明は以下のようになっている。

論争の発端となったのは、アシュリーと呼ばれる女の子をめぐる一つの症例。彼女は生まれつき重度の知能障害を持っており、生後3ヶ月の赤ちゃんと同程度の知能しか持たないとされるばかりか身体的にも手を挙げたり足で歩いたりは不可能な状態だが、それ以外は健康だったとされている。両親は彼女を一生自宅で介護していくつもりでいるが、彼女の身体が年齢相応に成長すると介護や外出のために彼女を持ち上げたり移動させることが困難になり、またベッドの上で身動きのできない彼女自身にとっても身体的に大きく成長することは負担であると考え、一時的なホルモン投与と外科手術によって彼女の成長を抑止するよう医師に求めた。ワシントン大学付属のシアトル小児病院は倫理委員会を開いてこの要求について審議したうえで、40人の委員全員の賛同のもとに、彼女が6歳の時点(3年前)でホルモン投与と子宮・乳腺の摘出を行なった。

macska「重度障害児に対する「成長停止」をめぐるワシントン大学シンポジウム報告(前編)」『macska dot org』(http://macska.org/article/186

シンポジウムの議論もかなり込み合っていて、読み応えのある記事で、後半が気になる。*1特に、私が印象に残ったのはmacskaさんが会場でした次の指摘。

わたしは Woodrum が自らを「両親の味方」と位置づけていることに対して、医者は何よりもまず「患者の味方」であるべきではないのか、と指摘した。フロイディアンではないけれど、わたしは Woodrum が「患者の味方」と言わずに「両親の味方」と言ったのは言い間違えでも省略でもなく、本音の発露だと思っている。歴史的に見ても、親と医師が結託して障害者たちから自己決定権を奪おうとした例は(例えば精神障害者に対する過剰な投薬や入院の強制など)いくらでもある。いまさら医師たちが「患者の味方」になろうとしてもそう簡単に自己変革できるわけがないわけで、だったらなおさら発達障害のある人たちの権利を守るためには、法律家に障害者の権利を代弁させたうえで (guardian ad litem) 法廷の許可を必須にするべきではないか、と主張した。

(同上)

「当事者の声を聞く」という話のときに出る問題。とてもデリケートな問題だと思う。これまで障害者運動が問うてきた問題でもある。日本でも、これから論じられるはずだ。

 これは障害者を取り巻く問題だけでなく、たとえば、殺された被害者(子ども)の親と、被害者自身を同一化し、親の声を「被害者の声」と呼んでいいのか、というような問題とも同根である。慎重に考えるべきだ。既に、先日の大阪弁連のシンポジウム*2で、「被害者と司法を考える会」*3の片山さんも少し触れていた。「少し違いはあると思う」というようなコメントだったと記憶している。現在のマスコミの報道では、現在その違いについては区別されていないように思われるが、考えなければならない問題だろう。特に、これだけ「被害者の声」という言葉が広まり始めただけに。

*1:英語版は既に公開されている→http://eminism.org/archive/2007/05/17-12.html いくつかのmacskaさんの短いコメントはこちらにもある→http://d.hatena.ne.jp/macska/

*2:「犯罪被害者と司法を考えるシンポジウム」(http://www.osakaben.or.jp/web/event/2007/070428.php

*3http://victimandlaw.org/