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2007-12-18

[][]「能力の共同性」が答えか?

新自由主義の嘘 (双書 哲学塾)

新自由主義の嘘 (双書 哲学塾)

私はこちらを取り上げる。方向性としては共感し、挙げられている例はなじみの例も多い。しかし、私は論理の薄っぺらさを感じざるを得なかった。

竹内さんは、新自由主義に抗するために、「能力の共同性」を主張する。しかし、いくら他者に負う(所有権ownershipは他者に「負う」oweというown/oweの親近性も、見慣れた議論だ)としても、能力は個体である生の身体にしか宿らない。つまりは、能力の「何を」共同すべきか、あるいは可能なのか、そのあたりの議論がまったくよくわからなかったのだ。そこが、竹内さんの(この書だけではない)著作を読んでいつも腑に落ちないところである。ロールズの「才能のプーリング」と、どこが違うのか、私には分からない。

10年前、立岩真也が書いた『私的所有論』は、論理の緻密さからして、越えられてはいないように思える。

[][]エンハンスメント

このブログでも話題になっている「エンハンスメント」だが、ファイルを作ってみると、けっこう読んでいない邦語論文もあることに気づかされる。鋭意、情報収集・増補します。

http://www.arsvi.com/d/en.htm

2007-12-17

[][]アイリス・チャン『ザ・レイプ・オブ・南京

アイリス・チャン(1968-2004)の著書が、日本語訳されたようだ。

南京大虐殺は、虐殺された人々の数だけでなく、彼らの多くが、恐ろしく悲惨な状態で死んでいった事実においても、想起されなければならない。中国人の男性は、銃剣の練習や、首切り競争で殺害された。強姦された中国人の女性は二万人から八万人に上ると見積もられる。多くの兵士は強姦に飽き足らず、女性の腹を裂き、胸を切り取り、生きたまま壁に釘付けにした。家族の見ている前で、父親が娘を犯し、息子が母親を犯すことを強いられた。(p.12)

この本への批判に答えるチャンの文章も収録した、次の本も同時発売されている。

「ザ・レイプ・オブ・南京」を読む

「ザ・レイプ・オブ・南京」を読む

2007-12-15

[][]『コーラ』第3号発刊!

Web評論誌『コーラ』第3号が発刊されたようです。

http://sakura.canvas.ne.jp/spr/lunakb/index.html

今号の私の個人的注目は、美馬達哉「グローバリゼーションと身体のテクノロジー」、清末愛砂「語りが伝える不正義に向き合う――あるパレスチナ女性のライフ・ヒストリーから」です。どちらも、関西の若手研究者です。

さらに個人的には、黒の表紙が渋くて気に入りました。

2007-12-10

[][][]2007年の3冊

続いて私の場合(必ずしもお勧め本ばかりではありませんので注意)。

(1)樫村愛子『ネオリベラリズム精神分析

今年出たネオリベ批評系の本としては、秀逸だと感じた。もっとも、タイトルから連想されるような「現代社会分析」はうしろのほうに少しあるだけなのだが、ギデンズ理論への批判、ジジェク精神分析を応用した日本社会の分析を試みた著書。ネオリベラリズム/貧困といった括りでは、ほかに岩田正美『現代の貧困―ワーキングプア/ホームレス/生活保護 (ちくま新書)』、本田由紀編『若者の労働と生活世界―彼らはどんな現実を生きているか』が印象に残った。

(2)中島みち『「尊厳死」に尊厳はあるか』

「尊厳死」に尊厳はあるか―ある呼吸器外し事件から (岩波新書)

「尊厳死」に尊厳はあるか―ある呼吸器外し事件から (岩波新書)

2006年3月に起きた、射水市民病院での呼吸器取り外し事件の詳細なルポルタージュ。尊厳死法制化を望む声に対し、もうすこし慎重に考えるための事実を知ることができる本。ほかに「病/障害」系では、星加良司『障害とは何か―ディスアビリティの社会理論に向けて』、香西豊子『流通する「人体」―献体・献血・臓器提供の歴史』、井出草平ひきこもりの社会学 (SEKAISHISO SEMINAR)*1などが――必ずしも同意できるところばかりではないにせよ――面白かった。

(3)美馬達哉『〈病〉のスペクタクル――生権力の政治学

「病」のスペクタクル―生権力の政治学

「病」のスペクタクル―生権力の政治学

「理論書」といってもいいのだろうか。このジャンルの本をたくさん読んだ(読まざるを得なかった)が、いちばんよかったのがこの本。美馬さんは、医者でもあり、人文社会科学に関しても精通している方。〈病〉の事象を羅列しながら、思想的な分析を加える。ほんとうは、美馬さんもテーマをもうすこし掘り下げたかったのだと思うが、それは今後の仕事か。ほかにこのジャンルでは、大越愛子・井桁碧編『脱暴力のマトリックス (戦後・暴力・ジェンダー)』、ドゥルシラ・コーネル『限界の哲学』、品川哲彦『正義と境を接するもの: 責任という原理とケアの倫理』、ピーター・シンガー『人命の脱神聖化』、安藤馨『統治と功利』などをよく読んだ。

(番外――復刊本)和辻哲郎倫理学

倫理学〈1〉 (岩波文庫)

倫理学〈1〉 (岩波文庫)

岩波文庫から和辻の『倫理学』が4分冊で復刊したのも今年。私は和辻倫理学を日本ナショナリズムのある意味典型だと思っているが、それも本書を読むところからしか始まらない。『人間の学としての倫理学 (岩波文庫)』も文庫復刊。その和辻批判をも含む(『人間の学としての倫理学』文庫版解説者でもある)子安宣邦日本ナショナリズムの解読』――これは新刊――も印象深い。

*1:この3冊はいずれも修士論文博士論文である。

2007-12-06

[][]三島亜紀子『社会福祉学の〈科学〉性』

社会福祉学の〈科学〉性―ソーシャルワーカーは専門職か?

社会福祉学の〈科学〉性―ソーシャルワーカーは専門職か?

もともとは大阪市立大学に提出された修士論文「社会福祉の学問と専門職」*1が題材であるこの本がようやく発刊した。社会福祉という学問、および援助職という専門職がどのように成立し、どのような困難を抱えながら、現在どのようなものとして存在するかについての考察である。この本でも名前が挙げられるミシェル・フーコーの知恵を借りれば、この研究は「社会福祉(学)の考古学」といってもよいだろう。議論の枠組みじたいがフーコーに依拠している、という批判はできようが、それでもこの領域でこうした仕事は皆無であったから、この三島さんの仕事は素晴らしいように個人的には思っている。

(ここでも私は三島さんの仕事に肯定的に言及している。「社会学/社会福祉学/倫理学」。)

*1:リンク先の文章はどうするのだろう?

2007-11-17

[][]これは真の「生殖の自由」なんだろうか

kanjinaiさんのエントリ「女性型ロボットへの性的欲望の未来」へのブックマークコメントが興味深い。

「個人的には人工子宮を開発してそれを望む女性を出産から解放すべきと思ふ」

「子供が欲しい女性は精子バンクで精子を買えばいいだけですし」

「将来生物学的な性(子孫を残す行為)は、人工遺伝子を持ったロボットがやるようになるかもしれない」

それらはほんとうに「生殖の自由」であり、「女性の解放」を目指すものなのか? 一部の自由主義者は、そうであると言うだろう。私は、迷いつつも、必ずしもそうだとは言いきれないのではないかと思っている。私たちが、子孫の繁殖を、質も量も含めコントロールできるようになった社会は、ほんとうに生殖に関して自由な社会なのか? 私もまだうまく言えないが、その「コントロールの困難さ」こそが、人々に「生殖の自由」を担保するよりどころであるように思えてならないのである。逆説的だが、制御することの困難さこそが、制御の自由をからくも担保している、私はそのように感じている。

2007-11-12

[][]品川哲彦『正義と境を接するもの』

正義と境を接するもの: 責任という原理とケアの倫理

正義と境を接するもの: 責任という原理とケアの倫理

出版社のサイト:http://www.nakanishiya.co.jp/modules/myalbum/photo.php?lid=403

品川さんのこれまでの研究成果がまとめられたような、一読して情念のこもった著書である。

品川さんは、とりあえずの出発点としての「正義」の定義を「あるものがそれにふさわしいしかたで秩序づけられている状態」「あるものがそれにふさわしい者に帰している状態」(p.7)であると述べる。しかし、直後に品川さんも述べているように、「ふさわしい」とは何か、「秩序」とは何か、そして「ふさわしい者」とは誰を意味するのか、という超難問が待ち構えている。そこには、世代間倫理や人間と自然との共存という中長期的展望に関する責任の問題があり、また現在の問題としての女性・子ども・障害者・病人・老人をどうするかというケアをめぐる問題系がある。品川さんは、その2つを「正義と境を接する」という主題で論じていく。正義がこれまで論じなかったとされるこれらの主題に関して、ハンス・ヨナスの議論と、ギリガンを嚆矢とするケアの倫理を媒介に論じていく。個人的には、ヨナスの責任原理を批判していたハーバーマスが、いまになって生命倫理分野でヨナスの議論に接近している印象を受けたのが、興味深かった。

品川さんも、「それではどうすればよいか?」という疑問には、十分に答えられているとは私には思えない。しかし、ヨナスとケア倫理とを「正義と境を接する」という視点から同時に論じたものはこれまでにはなかったように思う。その意味では議論は端緒に着いたばかりだし、もちろん私自身も考えていきたい主題である。とても刺激的な論考だと思った。