芸術家は自分が生存しなかったのだと後世に信じさせるべきである

青の時代 (新潮文庫)

青の時代 (新潮文庫)

ベートーヴェン:ピアノ協奏曲第5番「皇帝」/ピアノ・ソナタ第17番「テンペスト」

ベートーヴェン:ピアノ協奏曲第5番「皇帝」/ピアノ・ソナタ第17番「テンペスト」

タイトルは、フロベールの言葉です。
まえに膨大なデータを残して死んでいきたい、と宣言したばかりですが。
第一資料……
データは残っても、生存は意味をなさないほど判らないものになっているのが理想か。
無意味になりたい。
平和の時代に祈り捧げられる戦争被害者の霊のような。
無意味というより軽さか。
不謹慎かな。
小島信夫の馬の名前が五郎でした。
きのうは母はお葬式。
昼はツナチャーハンを兄が作ってくれ、夜はココ壱で魚フライカレーの大盛りとサラダを半分にして食べました。
兄はフライドチキンカレーでした。
8時30分からの三島由紀夫を読み解くを帰ってから聴く。
獅子、愛の渇き、青の時代についてでした。
青の時代は光クラブをモデルにした小説だったと知りました。
ベートーベンの皇帝を聴きながら歯を磨いていて思いついた、新作小説と書き上がった小説の合体をきのう実際にやってみました。
101枚になる。
まだ通して読んでませんが、ますます訳判んなくなったような。
作品の薄っぺらさが少しは改善できたかなとは思います。
自己中なのは変わりませんが。
せっかくいい感じだった新作を駄作と合体させてしまったことでドブに捨てたも同然でしょうか。
またなにか書き始めたいですが、まずは12月刊の同人誌の作品を仕上げないとなりません。
まだ25ページくらいしか書いてないのか。
半分か。
日記の類は大江健三郎のように燃やすか。
あるいは村上春樹のように書かないとか。
小説的知識・人間的内容が残ればいいか。
それは生存とは違うものなのか。
ひとつの虚構か。
軽くなることの脅威。
きのうは暑かった。
氷入りのお茶を何杯も飲んだ。
それなのに小便はあまり出ず。
扇風機を回して寝た。
将来、熱中症で亡くなるやもしれん。
接骨院もサボった。
世界史の構造が週末には届くだろうから書苑イケダまで取りに行かんと。
しかし、自分がワセブンに応募することになるなんて夢にも思わんかったなあ。
文芸誌を毎月買うことも予想できんかった。
講談社へ毎年大江賞を見学しに行くことも驚きだ。
新聞を毎日1、5時間くらい読むことも。
このブログでさえも。
同人誌を毎年出すことも。
文学フリマも。
こういう驚きの新展開が今後もあるのか。
いままでのは、たいした展開じゃないけど。
しかし多くの読者をもし今後得るとしても荒が目立つだけだから悲惨な結果になるやも。
といっても現状維持でいいのか。
後退も含め必ず変化はある。
それにどう対応するかが鍵。
そのためには尾関忠雄さんも言っていた、哲学が必要か。
人生指南じゃない、哲学。
ほげ〜。