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藤宮史の日記

2016-05-26

中国での展覧会無事閉幕

23:10

 午後11時すぎ、曇天。気温摂氏25度。風が幾分出てきた。明日の東京は朝から雨降りになりそうである。

 先日の、中国杭州市での展覧会は盛況のうちに無事閉幕になった。私の木版画も幾枚かが売れ、とうとう中国本土にも私の猫の版画が進出したことになった。30年、40年前だとパリ、ニューヨークが画壇の中心地のようになっていたが、今ではアジアが力をつけて、どの分野においても発展的になってきている。将来的に世界の中心はアジアであろうと思う。

 木版画「ばら園」の手刷り作業は順調に進んでいる。と言っても、多色刷り木版画なので10枚の版画を完成させるのにひと月ぐらいは掛りそうである。

 また、「過去に気になった物たち」を掲載したい。今回は、明治時代の財布である。これについては特別な謂われはないが、私の手許に10年ほどまえに来て、大切に仕舞い込んでいる。

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▲細かい網目が美しい。

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▲飾り金具に精緻な彫金がされている。

 現代では考えられない彫金の技と膨大な作業時間が惜しげもなく使われている。今の価値で換算すると、私がこの財布を古物として入手した金額ではとても手にすることができないだうと思われる。飾り金具の彫金は、刀の目貫などに使われている技術を連想させる。

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▲財布を開くと織りの柄が美しい。

2016-05-20

手提げ電燈

18:49

 午後6時半前、曇天。気温摂氏23度ぐらい。午後2時ごろ起き出して、コーヒーを淹れ、飲む。早速折り畳みの座卓の足を出して作業台を用意する。木版画「ばら園」の手刷り作業も4日目になる。多色木版画であるので、一回の刷りでは全体像は判らない。今は一版で2色を刷っている。エディション(発行部数)を95部に設定しているが、今回実際に刷るのは10部前後を予定している。

 話しはかわり、「過去に気になった物たち」の掲載をする。今回は、手提げ電燈である。これは2005年以後に入手したものであるが、それより以前に版画のなかで描いたことがあった。勿論、私はこの手提げ電燈のことは知らずに描いたが、描いた電燈が手許に来たことになった。

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▲木製であり電球があるところが金属製、円形のガラスが嵌っている。

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 どうも、この電燈は戦前に造られた物のようで、電池を入れるところに円形のゴム印で「手提電燈」とあるが、文字が左から右に記されるのではなくて、右から左に記されている。

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▲木版漫画「黒猫堂商店の一夜」の冊子表紙画の一部

 画像では判りにくいが、今、手許にある手提げ電燈のような物を想像しながら木版画を作ったが実際そうなった。

2016-05-17

木版画「ばら園」試作

22:58

 午後11時半すぎ、曇天。雨上がりの夜空に月があり、湿気を含んだ空気が丸い光の輪を月のまわりにつくっている。

 昨日から木版画「ばら園」多色刷りの試作印刷を始めている。バレンを使って手刷りをしているが、不透明水彩絵具を使っているので、絵具が乾くのを待ちながら多色刷りをしている。そして、技術的に困難な印刷作業だけでなく、制作する私の熱意が不安定で、つくづく仕事はできるときにやるべきものだと痛感している。熱意とか自信と云うものは、いつでも一定して持続するわけではなく、むしろ不安定で心に留まりにくい性質のものである。頃合を計りながら、神経的な部分と肉体的な制約のなかでバランスをとって仕事をしている。

 前回の続きで「過去に気になった物たち」の掲載をしたい。今回は、トロフィーである。私にとっては最初に貰った物で、たぶん最後の物だと思う。

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▲高校生時代に陶芸部に所属していた。

 高校の卒業記念に陶芸部の顧問の先生から頂いたトロフィーであったが、貰った当初は照れくさいような気がして押入れのなかに仕舞っていた。このトロフィーの重みが判りだした40代頃から書棚の上にいつでも飾って眺めている。今の時代では、高校の卒業ぐらいはあたりまえの時代になっている。併し、私の時代では、高校卒業は出来そうで出来ないものであった。

2016-05-16

文庫本の詩集

16:54

午後4時半すぎ、晴天。気温23度ぐらい。風がではじめている。阿佐ヶ谷駅前の西友へ行き、食料品の買物をする。

 先週は、以前ブログに掲載した日記を連日整理編集していた為か腰肩がひどく凝ってしまって難儀をした。そのため、金曜日、土曜日、日曜日と終日肩腰を休めることに専念した。どうにか月曜日をむかえて、図書館へ寄って借り受けた図書3冊を返却して、朝日新聞の日曜俳壇のページを確認した。俳壇はひと月に一度だけの掲載なのか、今月はまだ載っていなかった。西友での買物は義務的で喜びは少ない。

 先日、ふと思いついた。若干唐突の感もあるが、私の、過去気になった物たちを掲載して記録する。と云うことである。記録しなければ、あまりに細かい事柄故に忘却の彼方へ吹き飛んでしまうのは必定である。と云うわけで、これからの日記にはときおりそれらの品々を記録してゆきたい。

 

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▲19歳のときにパチンコの戦利品として購入した。

 上掲の詩集5冊は、1984年頃、19歳当時に三島市の文盛堂書店にて購入した。購入資金は、国道1号線沿いに在ったパチンコ店「八億」で、セブン台の777の大当たりが一度来て賄った。この地方は、景品としてビニールに包まれたハンカチの束を店内で渡されたが、それを店外の景品交換所の小屋で五千円札に替えてもらった。

 詩集は、サンドバーグリルケアポリネールコクトーシェリー詩集である。この当時は、詩のことは殆んど知らずに、当てずっぽうに五冊選んだが、その後、サンドバーグアポリネールには少なからぬ関心と興味が湧き、とくにサンドバーグの労働者目線の反骨的とも取れる詩篇には決定的な影響を受けた。

2016-05-09

連休あけも雨

16:46

 午後4時半前、雨天。細かい雨が降っている。天気予報では、明日、明後日ともに雨降りである。科学的な予報は、あまりに正確で降る雨は情緒を欠いている感がある。

 私家版の小説集「負の域」の表紙絵の木版画が一枚出来上がった。彫版、刷り共に一枚だけなので仕上がりが早い。私の場合はやはり単色木版画が性に合っているらしい。多色刷り版画だと出来上がりの画像が頭の中で結びにくい。

 書棚から坂口安吾の「白痴」(新潮社刊)を取り出して読む。角が擦り切れて丸くなった文庫本であったが、この本をなかなか棚から探すことができなくて難渋した。私の記憶ちがいであったが、何故か書名の「白痴」を「いづこへ」と勘違いしてなかなか探すことができなかった。筋力の衰えだけでなく記憶のほうもだいぶ怪しくなってきたなと実感している。

 若年頃に、迂闊にも小説「いづこへ」の世界観に憧れてしまって身を持ち崩したが、併し、今では人生の出発点からこうなる運命だったと諦観している。それはおもに私の性情からくるものと、家庭環境に起因していたが、性情よりも多くは家庭環境、畢竟金銭の多寡によるものであった。