パチンコ台

 30日の午前5時、雨天。気温摂氏21度。ぽつぽつと細かい雨がふっている。昨日、関東地方は梅雨入りしたそうで、これから、じめじめした日々がくるかと思うと鬱陶しい。
 話はかわって、私は近頃パチンコ台に凝っている。いや、パチンコ台と言っても私の場合はギャンブルの、新しいCR機がどうの、確変がどうのと言った生臭い話ではなくて、古くて、液晶もない、電飾もない頃の、それどころか音響も、出玉のときのチン、ジャラジャラの音があるぐらいで、骨董的な昭和レトロな手打ちのパチンコ台に関心があるのである。・・・・・何故、いま、パチンコ台なのか。ひとに訊かれても、これを説明するのはちょっと難しいが、郷愁にかられてとか、懐古趣味とか、言えば言えそうであるが、私がとくに関心があるパチンコ台は今から50年以上前のもので、それ以後の台にはまるで関心がないのである。50年前と言えば、私はまだこの世に生まれておらず、そのまま郷愁とか懐古には該当しないと思われる。・・・・・実は、大正時代や昭和初期頃の古いパチンコ台に創作物としての表現を見ているからかもしれない、と思っている。併し、正確に分析していないのでたしかなことは言えないが、古いパチンコ台には美術作品としてもエッセンスが含まれているのでは・・・・・と、云うわけで、ぼんやりパチンコ台について思いを馳せているのであるが、なにぶん、近頃気がついたばかりではっきりしたことは言えない。