東京に帰還

 午後2時すぎ、雨天。気温摂氏11〜15度。東京も、寒い。10月18日の夕方、東京に帰って来た。三島滞在27日間は長い。まさに自分の生活を放擲した無我の境地である。介護であるので、父に文句は言えないが、あまりに無体、理不尽なときには苦情を言った。併し、物の通りが判らないときや最近の出来事を記憶できないことを考えると言うのも詮無い気がしていた。次に三島に行くのは27日の午後の予定である。また、すぐに行かねばならず帰還した実感が薄い。

三島市大場の橋の上からの風景。曇天の空が陰鬱な心象風景になっている。
 軽自動車を廃車にして業者に持って行ってもらった。六畳間ほどのプレハブ小屋、三畳間ほどの木製小屋、家庭菜園をしていた畑も、今では跡かたもない。また、ベランダにあった目隠しの塀、スチール製の小型物置2つも解体撤去して、そして、部屋の中にあったサイドボードの棚を行政の粗大ごみ回収に出した。次は、洋服ダンス、和箪笥をゴミとして出す。それから台所の食器棚、その他の棚の中を片付ける。棚は、まだ6個もある。大きくて一般ゴミとして出せず、苦労する。とにかく、やたらと片付けるのに手間の掛るゴミばかりで閉口している。
 また併し、こう何もかも家の中を片付けてしまうと、なにか犯罪的行為をしている気持ちがしてくる。片付けの作業は、家族の思い出の品々を処分し、抹殺する行為なので、ひとりで背負うには重い。父、母の若い頃の写真アルバムはどうなるのか。ゴミとして処分するのか、どうか。私には判断がつかない。たとえ私が保留したとしても、私が死ねば、いずれはゴミとして処分されるのだろう。そう思うと写真を撮ってアルバムをつくるのは、淋しい行為である。やがて、すべて物事はゴミとして時間の向こう側に流れていってしまうから。
 暗い話題ばかりで、気持ちも暗くなるので、明るい絵柄をひとつ。下に掲載してあるカラフルな物は、釣りに使う疑似餌(ルアー)の一種で、私が中学生の頃に熱心に集めた物である。記憶が定かでないが、たぶん、これは一緒に釣りをしていた友人の物も含まれている。どうして私の手許にあるのかは覚えていないが、友人から託されたものだ。ルアーは、その当時でも、ひとつ1000円ぐらいしていたので、子供が、おいそれと、たくさん買えるものではなかった。

▲15歳以前に熱中していたブラックバス釣り用のルアー(疑似餌)。