LGBTについて

 午後5時半まえ、曇天。気温摂氏30度。今日は、随分過しやすい。連日の猛暑も、ひと段落した感がある。明日、明後日と東京は過ごし易い気温が予想されているので嬉しい。
 さて、先日、衆議院議員杉田水脈(みお)氏が「彼ら彼女らは子供を作らない、つまり『生産性』がない」と発言して物議をかもしている。だいたい世論は、杉田氏にたいして否定的な意見で占められている。そして、杉田氏は「生産性がないからLGBTには予算をつけて金をつかうべきではない」と言っているらしい。私たちの家庭、もしくはマキコと暮らす生活のなかに子どもはいない。私たちは共にLGBTではないが、子どもをつくらない、杉田氏の言うところの「生産性」のない二人である。
 杉田発言のなにが問題なのか、と言うと「生産性」をプラスと考えて「非生産性」をマイナスと考えているところにある。「生産性」も「非生産性」も、ともに慈悲の心で包んでみると問題は解決するように思われる。生きるために努力をする。その努力は、他を苦しめず、努力の結果を他とわかちあう。わかちあえることを共に喜ぶ。世界は、それだけの原理でたりるはずだ。なになに宗教の言葉を待たなくてもいい。たったこれだけの、簡単なことなのに、人々は我欲の妄執に取りつかれて、すべてを破壊してしまう。この世界の存続方法は、最大限の努力をしながら、結果を我が物とせず他に与える、と云う自己否定的行為以外にはないだろう。
 いきなり結論らしきことを言ったが、杉田発言は所謂「非生産的」境遇になったことがないのだろうと思う。もし杉田氏がLGBTであったら、LGBTを否定することは言わないだろうと思う。そして、まだ氏は「非生産的」な老人になっているわけでもなく、決定的な身体的精神的障碍を負っているわけでもない。なってみないと他人の痛み、苦しみはわかりにくいのかもしれない。