若狭勝衆議院議員への待望論郵送

私は、直訴状でである。一介の自立支援法と介護制度の中で健常者たちのあまりにもひどい私へ向かう言葉に対する反乱である。自由主義名のであろう。霞ヶ関で立案した法律によって健常者は私に罵声浴びせる。私は、耐えに耐えた。実用のない経済学を若狭氏の造る日本ファースト会設立にたいする挑戦である。若狭氏が読むかどうかは知らぬ。日本は自由主義なのであろう。名ああ節子よあの世は自由か?こちらは不自由だ。世間は、私を、キチガイと呼ぶ。それでも資本主義である。お金でも買えないものがある。それは弱者は、強者にしたがう。どうにも成らない。都民ファーストの会は、既成政党でわ解決さえないのだろう。私の思いは、国政での既成政党にはない日本国民が望む政治勢力への期待である。それを若狭氏へぶつけたのである。待望論としてアダム・スミスの経済学発生からの展開である。今日、私の親分ケアマネージャーがきた。このブログで氏名を表すのがいけないという。氏名は、何故悪いのであろうか。日本が持つ最強の武器それが氏名ではなかろうか?坂東武者から思想である。日本は、この思想を、持つ意外ないのである。テレビでは氏名の反乱である。みんなが氏名を公表する。ネツトは、その自由もないと言うのだろうか?節子よ何と不自由なことか?モツと自由な世界でもあつていだろう。節子よ何か答えろ。私は、この部屋から発信しづづける。自由だろう。こんなブログ読まれていないのだから?テレビは社会の表のかを、ネットは裏の顔か?社会は、差別する。その武器は、資本主義であるからお金である。裏も表も経済はお金である。若狭氏の新党の経済理念に期待する。どうなってもよい。私は、戦う挑戦者だからである。なああ節子よ私も長くはないのかもしれない。自由が欲しい。