文藝心中安倍総理「驕りの証明」を読んで

 日本の国も捨てたものではない。文藝心中「驕りの証明」を読む。日本は、主権在民のの国である。しかし庶民は、私をキチガイとよぶ。心ある人は、私を認める。官僚や厚生労働大臣に直訴状を送る。偉い人は、意味を知らない。私は、精神疾患統合失調症、私の本音など誰も理解できない。私の部屋で遊ぶ。遊び相手は、元警視庁柔道師範溝井賢治講堂勘8段である。ことりにえさをやり、天下国家論に耳を傾ける。彼は、非常にケチである。明日も偉大な野口宏水先生と池田祥子先生の会合の下見に昼のカラオケへ遊びにいく。しかし、遊ぶお金は、年金生活の私が持つ。本音と建前ね。池田祥子先生に裏切ったら殺すと脅しを掛け至ってのんきである私。今も新党「希望の党」にも待望論などかくげんきもない。世の中は、主治医はじめ私を「牢屋の中」入れたいのであろう。黙らせるため、小池百合子の印、それは、措置入院、という法律である。私は、長く苦しい道を、本音を隠し、逃げ回る。そして絶対に捕まらない。逃げ回る。こんな生活は、長くは、持たないであろう。資本主義を、国の有り様を、世間は、私を捕まえようと、杉並警察署、中野警察署、と仲がよい。安倍総理の「驕りの証明」を読む。感想は、人間には、本、音と建前が別れて存在するということである。安倍総理が述べることは 、建前である。本音では、嫌方快晴を、日米同盟のもと核の傘で日本を守る。みんな国民が一票の行使を軽んじ、権力を安倍総理に与えた罪である。私など、私のブログなど誰も相手にはしない、キチガイの背負う名だからである、なあ節子よあの世はたのしいか?こっちは、つまらないぞ。