Loveless(愛無き世界) このページをアンテナに追加 RSSフィード

2010-07-09

わたしを離さないで(カズオ・イシグロ)

わたしを離さないで

わたしを離さないで

去年購入して積んでた「わたしを離さないで」(カズオ・イシグロ 早川epi文庫)を読み終わった。カズオ・イシグロ作品を読むのは始めて。

ネタバレしてしまうと……(以下ネタバレです)

臓器提供の為にクローン技術で生まれた主人公が、臓器提供を行う前に同じ提供者であるクローンを「介護」する介護人として生活しながら、自分たちの生い立ちを回想する話。全体的には一見イギリスの田舎の施設で暮らす少年少女の青春群像劇だけど、上述した臓器提供者としてクローニングされた人々、という設定が話が進むに従って、徐々に明らかになるミステリー要素もある。

ただし、カズオ・イシグロ自身が述べているが、この設定自体にSF的要素や、ミステリー要素は意図していなかったそうだ。事実、主人公たちがクローンである、臓器提供を運命づけられている→なぜ?という事は作中であまり問われない。

本人のインタビューでは

http://www.globe-walkers.com/ohno/interview/kazuoishiguro.html

「私の世界観は、人はたとえ苦痛であったり、悲惨であったり、あるいは自由でなくても、小さな狭い運命の中に生まれてきて、それを受け入れるというものです。みんな奮闘し、頑張り、夢や希望をこの小さくて狭いところに、絞り込もうとするのです。そういうことが、システムを破壊して反乱する人よりも、私の興味をずっとそそってきました。」

「我々が自分の運命を受け入れ、その運命から尊厳を育てていこうとするといったテーマは同じです。」

と言っている。テクストに対しては、作者の言説はあくまで読み手たちの紬ぐ言説と同じ水準のone of themでしかないという事を踏まえても、まあ普通に読めばそういった事を取り扱いたい小説なんだなー、という事はなんとなく分かる。

「我々が自分の運命を受け入れ、その運命から尊厳を育てていこうとするといったテーマ」というのは、希望的であり絶望的な両義的な認識だと思う。

主人公たちはなぜ自らがクローンとして生まれたかは問わない。というか、そのような問題意識を持たない。抵抗もしない。かと言って投げやりに生きているわけではなく、そこには愛があり、友情があり、他者との関わりがあり、成長がある。これは私たちの生きる状況と同じであると言えると思う。

「そのように」生まれた事を受け入れなければいけないことは、そうでない者から見れば悲劇的だな、と思う。受け入れられなければならない状況の中で、尊厳を持とうとする事に意味があるのか?という事を考えたときに、割とすぐそばの足元に、深淵がぽっかり覗いているのに気づく。

この小説で重要な点は、主人公たちは再帰的に「あえて」この極小の限られた状況から自らの人生を尊厳あるものに育てていこう、と考えている訳でも、決断主義的に「ルール」自体に干渉しようとしているのでは「ない」という点だと思う。

格差ある島宇宙(クローン人間たちの共同体)から、彼らは別の島宇宙へ渡り歩こうと言う意志を持たない。そもそもそのような発想がない。そのような発想がない故に「あえて」この限定された状況の中で「豊か」に生きようなどと言った、ヒューマニスティックな空々しい態度も取ったりはしない。にも関わらず安易に絶望するわけでもなく、彼らは生きており、日々生活を感情を積み重ね、物事を、感情を感じ、怒り、喜び、失望し、存在している。そのようなささやかさ、強さ、悲しさをこの小説は淡々と伝えてくる。

ひきこもって絶望してみよう、絶望して露悪的になってみよう、いやいや絶望しているけど「あえて」はしゃいでみせよう、いや「あえて」この小さな共同体からコツコツコミュニケーションしていこう、いやいやこのルールを作ったシステム自体と戦っていこう、という態度に分かれがちな作品群からは奇妙に距離を置いて成立している、割と珍しい小説であり、読後感は独特である。あと翻訳は非常に読みやすい。

ツイッターの事

http://twitter.com/gosyu

別に何か言いたい事があるわけじゃないんだけど、先日ツイッターでフォロワー数が3,000人を超えて(勿論フォロワー数というのは単なる数字に過ぎないけど、個人的には自慢したいというかなんというか……)いくらなんでも3,000人って結構な人数ですよね、ってのはあって色々考えてみる。

去年の夏の終わり〜秋口ぐらいからTwitterを使い始めた。iPhone3GSを購入してiPhoneTwitterアプリからpostするようになって場所的な制約が無くなったことと、それにつれてフォロー/フォロワーが段々増え始めてなんとなく仲の良い感じになる人々の塊(クラスタ)が定まりSNS的な愉しみ・動機が強化され、ふぁぼったーの存在によって、ふぁぼり/ふぁぼられが楽しくなってきたから、という理由があったように思う。

元来、あまり他人が読んで大した「面白さ」を感じるような文章の書き手ではない(要するに下手という意味)と自分では思っていて、そのような理由から、はてなでもmixiでも割と考察系というか、考えたことをまとめるつもりで文章にする事が多くいわゆる「ネタ」系の文章を書く事は少ない。そもそも、人間自体が面白くないので、無理して面白い事書こうとするとボロが出てしまうのである。

自然、あまり書いた事に対して反応してくれる人も少なかった訳で、その点で何事かを書いて反応をもらうと言う、コミュニケーション上の楽しみ、承認欲求が満たされる愉しみをネットから享受した事はあまりなかった(ただし、それはそれで、考えた事を突き詰め、整理し、言語化する、という脳の違う部分を使う<考える>欲求は満たされていた訳だけど)

はてな村だとネガコメ、ブコメをどうしても意識して書かなければならなくなるような風土があるのだけど、ツイッターだと割合そういうネガティヴな空気は薄い。何か引き算すると言うよりかは、何かを足し算するのに向いた作りだと思う(なので、精緻さには欠けるし、デマが流れやすいと言う状況もあるけど)その点、適当な事を言っても許してもらえると言うか、ノリで何か言ってもいいし、気軽に他人に話しかけられる雰囲気があるので発言はし易いし参入障壁は低い上に、発言がそれほど属人的ではない、作家性が薄いので始めたばかりの人でも受け入れられやすいというメリットもあるように感じる。

そういう訳で、ツイッターでは逆にネタ系のpostと時々ポエムをpostするようになった。加えて、postする内容に制限を設けない事も当初の決め事の一つだった。思考→出力のプロセスを極端に短くして、推敲しないことで、言いたいことを適当に放言する「楽しい」ストレス解消のような使い方を狙って使用した。

去年までは思いついた事を連投していたので、一日に100post行くこともあったが、フォロワーがある程度増えたことから、年が明けてからは自粛してある程度捏ねくり回した長文postを1日10post程度するようなスタイルになっている。

基本的に書いているのはサブカル男子(黒縁メガネにボブヘアーの風貌の男子が多いことから、勝手に「黒縁ボブ男」と名付けた)サブカル女子への罵倒芸のようなネタpostばかりなのだけど、なんで自分でこんな事を書いているのかよく分からない。気づいたらこうなっていた。自分自身がサブカル系かと言うと決してそんな事はなくて、オタクにしろサブカルにしろ非常に中途半端な知識しかない。

ただし、ある種今現在薄く広くサブカルとして名指されるもの一般が、自意識の有り様としてメインカルチャー化しているような気がして、かてて加えてツイッターにはその手の人間が集まりやすいという風土がある事から、サンプルと反応を得やすいのでそのようなカテゴリー選択になったのではないかと思ったりもする。

なのでまあよく「サブカル女子の定義ってなんですか?」とか「そういう風に類型的に他人を揶揄するしかないなんて可哀想ですね」という批判を浴びる事が多くて、それはまあある種ネタにしているから仕方のない事ではあったりするんだけど、逆に言うと私なりのサブカルチャーとは何か?という知見はありつつも、それを深化したいという願望や自分の手で類型化して整理したいという願望があるのかもしれない。

一口にサブカルって言っても難しいですよね。堀辰雄とか三島由紀夫好きな人だってある意味サブカルだし、INUとかスターリンとかヤプーズ好きな人もサブカルだし、椎名林檎とかやくしまるえつこ好きな人もミドリ好きな人もサブカルですよ。そんなんみんなサブカルやないですか!って言われたらそのとおりで、みんなサブカルです。日本皆これサブカルなのです……と言うのは冗談で、大塚英志でも読めばいいと思います(オタクよりですけど)

要はそのようなもの、あり方に対して非常に興味があるという意味で。根本は、興味があるから面白半分にからかってみたい、というそれだけの話だったりする。何しろ漫画から映画、小説から音楽、アニメまで(メインカルチャーに対する)サブカルチャーに分類されるもの、それに馴染んだ感性は現代の若者の割と最大公約数的な感覚だと思うので。

あと、もちろん、自分の発言内容と発言方法でどれくらいfavられるか、と言うゲーム的な感覚「大喜利みたい」と揶揄される感覚ももちろんあって、それは、わかりにくい発言内容でも発言方法・形式によっては広範囲に受け入れられる場合もあり、そのような実験めいた遊び方も面白いと感じたりもする。

とまれ3,000人の人が自分の発言を読んでくれるってのは凄いなと思うし、3,000人の人が少なからず自分の発言内容に興味をもってフォローしてくれたのかと思うと、得意な気持ちでもあるわけで。あと、仲良しというか、今までネットでオフ会とかやった事なかったんですが、始めてオフしたのもいい経験で、そういう友達付き合いというか、知り合いが増えるのもなかなか楽しいです。

と、何が言いたいのか全く分からなくなったけど、当分はTwitterも続けると思うので、よければフォローしてふぁぼってください(土下座)

あ、でもリプライされてもめんどくさいし非コミュだし面白いこと言えないので基本的には返しません。ごめんなさい(土下座)