難関大学への数学 このページをアンテナに追加 RSSフィード

2007-08-01 ラマヌジャン

[]ラマヌジャン 13:52 ラマヌジャンを含むブックマーク ラマヌジャンのブックマークコメント

ラマヌジャンSrinivasa Aiyangar Ramanujanは1887年生まれのインドの数学者です。

f:id:gould2007:20070801120410j:image(フリー百科事典「wikipedia」より)


貧しいバラモンの家庭に生まれ、母親からは熱心な宗教教育を受けました。幼いときから優秀だったのですが、15歳の時に出会う、ある一冊の本が彼の人生を変えます。その本とは、5000あまりの数学の公式のみを、証明抜きで羅列したもので、彼はこの本に熱中します。既に10代にして、ベルヌーイ数やオイラー・メルセンヌ定数(あまり気にしないでください)に関してある程度の結果を得ていたといいます。しかし、優秀だった成績も、数学以外に関しては、目も向けられないという状況になり、奨学金を得て大学に進学はしますが、数学に熱中するあまり授業に出なくなってしまいます。結局奨学金は打ち切られラマヌジャンは大学を退学します。

母親の勧めで結婚をし(花嫁はなんと9歳!)、インド、マドラスの港湾事務局で職を得るものの、仕事はほとんどせずに、数学の研究に没頭していたそうです。このときに得た結果として、例えば次のようなものがあります。

x+n+a=¥sqrt{ax+{(n+a)}^2+x¥sqrt{a(x+n)+{(n+a)}^2+(x+n)¥sqrt{¥cdots}}

彼はこの問題をインドのいくつかの数学雑誌に投稿し、証明を求めますが、6ヶ月の間誰一人として問題を解くことができる人は現れず、結局彼自身が答えを発表したといいます。

周囲に進められて自身の研究結果を何人かの著名な数学者に送ります。ほとんどは完全に黙殺されたのですが、イギリスの数学者ハーディHardyが、これに反応します。

f:id:gould2007:20070801132742j:image(フリー百科事典wikipediaより)

これについては面白いエピソードがあって、ハーディはラマヌジャンからの手紙を受け取った後、「全くの出鱈目か、おかしな奴からの手紙」だと思ったそうです。手紙はすぐに屑箱行き。ハーディはケンブリッジの同僚とテニスを楽しみに出かけます。しかし、どうも先ほどの数式が気になって仕様が無い。テニスにも集中できず、仕方なしに部屋に戻り、先ほどの手紙を拾って読み直します。いくつかはハーディ自身にとっても既知のものでした。

1-5{¥left(¥frac{1}{5}¥right)}^3+9{¥left(¥frac{1¥times3}{2¥times4}¥right)}^3-13{¥left(¥frac{1¥times3¥times5}{2¥times4¥times6}¥right)}^3+¥cdots=¥frac{2}{¥pi}

しかし、ハーディにとって全く新しい結果も含まれていました。

1+9{¥left(¥frac{1}{4}¥right)}^4+17{¥left(¥frac{1¥times5}{4¥times8}¥right)}^4+25{¥left(¥frac{1¥times5¥times9}{4¥times8¥times12}¥right)}^4+¥cdots=¥frac{2^{¥frac{3}{2}}}{¥sqrt{¥pi}{¥{¥Gamma(¥frac{3}{4})¥}}^2}

(¥Gammaはガンマ関数というもので、大学で学習します)

同僚のリトルウッドLittlewoodと送られてきた数式を数日にわたり検証した結果、二人は次のような結論に達します。すなわち、

「この手紙の送り主は、天才である」と。

二人はラマヌジャンを英国ケンブリッジ大学へ呼び寄せます。ところで、正規の大学教育を受けたことが無く、数学の公式集で「独学」したラマヌジャンは、「証明」という概念を持っていなかったらしく、与えた結果に対して「何故そうなるのか」と聞かれても、禄に答えることができなかったといいます。数式を、「夢の中でナマギーリ女神に教えてもらった」などと、本当かどうか分からない答えを返したこともあったといいます。

ハーディとリトルウッドは、ラマヌジャンの直観力を失うことを恐れ、毎朝ラマヌジャンが持ってくる半ダース程の数式を、一日かけて証明する、というスタイルをとっていました。3人は超幾何級数、テータ関数などに関して、当時の世界の数学の最先端の結果を産み続けます。「当時の」と言いましたが、実は、ラマヌジャンの生んだ結果には、最近になってようやく理解され始めている、というものも含まれていて、時代を超えた天才ぶりが伺えます。

業績の上では、インド人として二人目となる王立協会のフェローに選出されたり、順調であったラマヌジャンですが、そもそも彼は厳格なヒンズー教徒であり、気候や文化の違うロンドンでの生活には馴染めなかったようです。菜食主義者である彼は、大戦の影響で物資を失ったロンドンで、徐々に体調を崩していきます(結核、あるいは肝炎とも言われています)。

入院したラマヌジャンを見舞いに行ったハーディが、ある日、元気を失いほとんど会話の無いラマヌジャンを持て余したのかどうか知りませんが、退屈しのぎにこんなことを言いました。

「今乗ってきたタクシーのナンバーだが、1729という平凡極まりないものだったよ」

それを耳にしたラマヌジャンが、目の色を変えて、すぐさま次のように言います。

「そんなことはありません!それはとても興味深い数字です。1729は二つの立方数の和で表せる最小の数字なのです!」

つまり、

1729=12^3+1^3=10^3+9^3

ということで、これはラマヌジャンがあらゆる自然数に対して、我々常人とは異なる感覚を持っていたことを示すエピソードです。

体調を崩したラマヌジャンはインドに戻りますが、1920年、32歳の若さで短い生涯を終えています(ちなみに彼の妻は、ラマヌジャンとともには英国に渡らず、ほとんどを彼と離れて暮らしました)。

ラマヌジャンの数学上の業績に対しては、保型形式、2次のゼータ関数の発見、あるいは下のような無限級数に関してのものが知られています。

¥frac{1}{¥pi}=¥frac{2¥sqrt{2}}{9801}¥sum^{¥infty}_{k=0}{¥frac{(4k)!(1103+26390k)}{{(k!)}^4396^{4k}}}

¥frac{1}{1^22^3}+¥frac{1}{2^33^3}+¥frac{1}{3^34^3}+¥frac{1}{4^35^3}+¥cdots=10-{¥pi}^2

e^{¥pi¥sqrt{58}}=396^4-104.000000177¥cdots

などなど。目が回りそうになってしまいますね。

彼は自身が得た結果を、ルーズリーフのノートに残しており、いくつかはきちんとしたかたちで出版されています。生涯で4000近くの結果を残し、中にはいくつか間違いや、よく知られている結果もあったのですが、ほとんどは、今まで全く知られていなかった、あるいは、「ラマヌジャンがいなかったならば、この先何百年も発見されることは無いであろう」というレベルの結果なのでした。

例えば、皆さんが「天才」という言葉を思うとき、アインシュタインの名前なんかをよく思い浮かべるだろうと思うのですが、相対性理論に関しては、「アインシュタインが発見しなくても、10年以内には他の誰かが発見していただろう」なんて言われています。現に、彼がノーベル賞を受賞した直接の業績は、相対性理論ではなく、光電効果に関する発見でした(と言っても、アインシュタインが天才であることは私も異論はありません)。

対して、ラマヌジャンの残した結果は、数学の歴史の中で、「何故こんな式を生み出せたのか、全く説明できない」というレベルのもので、「地球に舞い降りた宇宙人が、気まぐれにその知識を振りまいていった」なんて表現する数学者の方もいたりします。

ハーディは、数学者の天賦の才に関して、こんなことを述べています。

「自分は20点、リトルウッドは30点、ヒルベルト(ドイツの数学者です)は80点、ラマヌジャンは100点」

彼の結果に対しても、ようやくそれが何を意味しているのか分かり始めた、というレベルであって、大陸で長い間培われてきた数学の歴史と、全くかけ離れたところから生まれてきたこの数学者を、「インドの魔術師」なんて呼んだりしています。

下に、いくつかラマヌジャンについての本を挙げておきます。一番上の藤原先生(「国家の品格」で有名)の本は、ラマヌジャンだけを取り上げたものではありませんが、イメージの沸きにくい数学者という人たちについて、非常に面白く取り上げられていて、お勧めです。

心は孤独な数学者 (新潮文庫)

心は孤独な数学者 (新潮文庫)

無限の天才

無限の天才





夏休み、ということで、たまには受験勉強から離れて、数学者の話題を取り上げてみました。ご不快でなければ、ガロア、アーベル、ガウス、あるいは日本人でも、岡潔なんかを取り上げてみたいなあ、と思っています。


明日からは、「座標と図形」について、問題を解いていきましょう。