2007-12-29 死生観と医療サービス
■[その他]死生観と医療サービス

404 Not Found エラー | Doctors Blog(「患者の皆さん、あきらめてください」)
現役内科医の方のエントリーです。少し長くなるのですが、とても考えさせられたので、下に引用させていただきます。
中央公論1月号の特集、「医療崩壊の行方」の中で、若手医師の匿名座談会ー現場からの提言という記事があった。
「患者のみなさん、まずはあきらめてください」
というタイトルがつけられている。これによると
厚労省は「自宅での看取り」を求め、「お産も産婆さんが家で取り上げる」ことをすすめようとしている。
そうすれば日本人の平均寿命は下がるし、出産死亡率は上がるけれど、まあ、それは仕方がないでしょう。
団塊の世代が老人になったとき今のように医師にかかるのは完全にあきらめるしかないでしょう。
すべて80年代に手を打たなかった厚労省が悪いと言えます。
団塊の世代に「医師にかからずに死んでください」と言っているようなものです。
この「あきらめてください」は、「医師にかかるのをあきらめてください」という意味のようだ。
先日、私も患者さんのご家族に、少し意味は違うが「あきらめてください」と言いたくなることがあった。
95歳の男性、認知症のため施設に入っていた方が、肺炎を起こして入院した。
抗生剤治療を行い、一時回復に向かったように見えたが、黒色便が出て、Hb4.7と極度の貧血に至った。消化管出血による貧血と思われたが、呼吸状態が悪く、胃カメラなどの検査も危険で行えない状況だった。
息子さんと娘さんは輸血をしてほしいと言い、濃厚赤血球をオーダーした。3日間に分けて行う予定とした。
1日目は血液が届いたが、2日目は届かなかった。オーダーしたAB型の血液が不足しているという理由だった。
輸血製剤のオーダーをするとき、患者の年齢や重症度などは報告しない。この老人は95歳だから後回しにされたというわけではない。年齢に関係なく、若者で輸血を必要とする患者のところにも平等に血液が届かないということである。
95歳で死にゆこうとする老人に輸血を行うことに何の意味があるのだろう。昨日の血液が、未来のある若い患者のもとに行き渡ったら、助かる命があったかもしれない。
私は輸血製剤のオーダーを取り消した。そして、家族にそれを話した。
娘は泣き崩れた。
「お願いです。できるだけのことをしてください!」
95歳、認知症で施設に入っていた患者である。もう寿命とは思えないのだろうか。
できるだけの看護をしてくださいというのなら分かる。しかし、できるだけの治療をしなければならないのだろうか。
不足している医療資源を奪ってまで、95歳の老人の命を数日長引かせることに何の意味があるのだろう。
しかし、その家族は自分の親の命を1日でも長引かせることで頭がいっぱいのようだった。
このご家族が特殊なわけではない。
死を受け入れることができない人が増えている。
「老いたら死ぬ」そんなことがこの国では当たり前のことではなくなっている。
老いてもとことんまで治療され、生かされる。自分の意志とは無関係に。
そして、そのために限りある医療費が使われているのだ。
「できるだけのことをしてくれ」という家族は思いもしないだろう。自分が老iいて死ぬとき、病院にかかることさえできなくなるかも知れないなどとは・・。
肉親の死は悲しく辛い。たとえ95歳の大往生であっても辛いものは辛いだろう。
しかし、人間は永遠に生きることはできないのである。 肉親の死を受け入れ、悲しみを乗り越えなければならない。
日本人の死生観は明らかにおかしくなっている。
今こそ見直さなければならない時期にきているだろう。
医学部の学生として、友達と様々な事例についてディスカッションをしたり、病院の中で実際に患者さんとお話をさせていただいている中で感じる事として、「ああ。患者さんはもう完全に医療を、お金を払えば何でも要求を受け入れてくれる、単なるサービスとしか捉えていないんだな......」ということがあります。
誰だって、大切なご家族を失うかもしれないとき、あるいは、失ってしまったときには、理性を失って狼狽するのは分かります。特に、幼い子供を持つ親御さんなどは、理不尽さに怒りを覚える事も当然です。その怒りを医療従事者にぶつけるのも、私たちは我慢できますし、「それが仕事だ」ということなのでしょう。
しかし、理不尽さに対する怒りを医療従事者に向け、裁判を起こされる事で、現場の医師の意欲は極限まで低下しています。訴えを起こされるだけで刑が確定する訳ではないので、「ならば裁判で闘えばいいではないか」と言われても、例えば不当な拘束を受け、マスコミにいい加減なことを大々的に報道されてしまう事で、医師は計り知れないダメージを受けてしまいます(福島県立大野病院産科医逮捕事件 - Wikipedia)。
結果、「技術も持っていて、やろうと思えば出来るのに、危険だからやらない」ということが現実に起こりつつあります。日本の医療は、アメリカ型に近い形の崩壊を起こしつつあります。制度そのものが、現在進行形で、崩壊しているのです。私の通う大学では、「既に崩壊している」という教員の方もいました。
もしも、高度な医療を受けたいと思ったとき、必要なのは、お金です。お金を持っていなければ、これからはまとまな医療は受けれなくなると考えられています。心を尽くして、体力を極限まで削り、それでも患者さんを死なせてしまったら、悲しいのです。医師だって人間です。その上、なんら過誤がなくても、「恨み」を抱いた患者のご家族の方から訴えられるとあっては、誰だってそんな仕事はやりたくないでしょう?アメリカでは、訴訟のリスクに備えるため、患者さんがくると、先ず加入している保険の種類を聞かれるそうです。保険のランクが低かったり、保険そのものに加入していない方の場合、医師は出来る手術でも、行わないのです。
特に訴訟を起こされてしまうリスクの高い、産婦人科、小児科ではなり手が著しく減少しています。もしかしたら、近い将来子供が39度の熱を出して倒れても、どこの病院も見てくれない時代が来るのかもしれません。
あるドラマで、「目の前の患者を救わない人間は、もう医師ではない」という趣旨の台詞がありました。医師として当然の姿勢ですし、格好の良い台詞だと思います。患者さんや、ご家族の方の悲しい気持ち、悔しい気持ちをきちんと受け止め、蔑ろにしないことが最も大切な事だと思います。
それでも、これから先、自分自身も(当然)患者さんの側になりうる一人の人間として思うことは、「欲望を限りなく増大させること」はやめておこう、ということです。人間は必ず死ぬものですし、大事な人間と別れなければいけないときはいつかやってきます。悲しい気持ちや悔しい気持ちに対して、何かで折り合いをつけなければいけないのならば、それはきっとお金なんかじゃないんだと思うのです。
「お金は払うから、なんとしてでも救え」と言われても、医師や医学が闘っているのは、そんなものに対してではないのですし、逆に医師が「お金さえ貰えばどんな病気でも治す」という考えを持つ事自体、私には烏滸がましく聞こえてしまいます......。
私のかなり上の先輩で、既に就職している人間もいるのですが、一番良いお給料を貰っているのは、外資系の証券会社です。入社数年で、年収が三千万円を超えた、という人間もいました。商社や銀行なども、聞くとちょっと吃驚するくらいのお給料を貰っているようですね。それに対して、私の知る限り、医師は十分なお給料を貰っているとはいえないのではないかと感じました。だから、単純にお金が欲しい、あるいは、見栄えが良いから、と言う理由だけで、医学部を目指されている方は、よほど文系の経済学部などに進み、そういった方面を目指された方が良いのではないかと思います。
入学してからも、将来のことを考えると不安に包まれますし、選択が間違いだったとは思いませんが、悩みは尽きません。
ただ、毎日新しい事を学び、周りの同級生の高いポテンシャルにも刺激され、毎日はとても充実しています。何より、医療は人のためになるとても大切な仕事だと思いますし、そのことが支えにもなっています。
ここをご覧くださっている皆さんの中にも、医学部を志望されている方や、医学部志望ではなくとも、医療システムに興味を抱いてらっしゃる方は大勢いらっしゃる事だと思います。上では不安にさせてしまうようなことしか書けていませんが、私なんかよりも遥かに能力と人間性の高い皆さんならば、より優れた解決法を提示できる事だろうと信じています。また、そのために皆さんは今一生懸命受験勉強をされている訳なのですが。
2007年もまもなく終わります。暗澹たる気持ちにさせられる出来事や、悲しいニュースも沢山ありましたが、少しづつ物事は良くなっている、と楽観的に考え、残り少ない受験生の生活を、楽しんで乗り切ってしまいましょう。
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悲観的なことを言うようでなんですが、これからとんでもない医療事故または医者の大量辞職、または大量の過労死が生じない限り、今の政府・官僚・そしてマスコミは目が覚めないのではないか、と危惧しております。幸か不幸か今はネット時代、ちょっと興味を示せば、私のような門外漢でも多少は学ぶことが出来るのですが。とにかく、貴殿も健康にご注意の上、医学に精進してください。おやすみなさい。
http://piazzacapitanato.at.webry.info/
ありがとうございます。お返事が遅れて申し訳ありません。
私がショックだったのは、現役の医師で、人間的に尊敬できるかなりの方が、「いっそ日本も、アメリカ型の自由診療にしてくれればよい」と考えていることです......。
現場で実際に患者さんと接している人間と違い、私のように現場をよく知らない人間では、どうしても考え方が甘くなってしまうのでしょうか......。
仰るような、末期的な事態が起こった時に、重い被害を受けるのは、一番弱い子供なんですよね......。何とかそんな事態を避けたい、それは嫌だと思いつつも、何ら具体的な解決案を生み出せない無力に悲しくなります。