2010-02-08
闘う、ということ。(超長文)
GREEのほうで「前/中/後編」に分けて、同タイトルの、すごく長い記事を書いて、
せっかくなので、こちらの読者の方にも読んでいただきたいので、
再編集して、転載します。
こちらのブログとは、過去の記事と重複する部分が多々ありますが、
ご了承ください。
- <1>
私は、自分のロジックが世界的にコンセンサスを得れば、世界から戦争は撲滅できる、
と信じています。
そのロジックを支持してくださっている方もたくさんいますが、
それでも私は、世間的には所詮「売れない作家」。
なかなか、「世界的なコンセンサスを得る」というところまでは、いきません。
でも、それはそれとして、たとえロジカルに「戦争の発生しない社会システム」
というものを組み上げたとしても、
最終的に「戦争」というのは、やはり、なくならないのかもしれないな、とも思います。
というのは、4歳と(もうすぐ)2歳の息子たちを見ていると、
「男」というのは、もう、生まれついたときから、
本能的に「闘う」ということが好きなんだな、と痛感するからです。
「戦争」が起こるのは、金や権力や政治や宗教など、
諸々の「オトナの事情」が原因にあるわけですが。
でも、突き詰めていくと、人間って(というか、男って)、
結局「闘う」のが好きなんだよな、と思うわけです。
で、子どもの話に戻りますが、彼らは、私の影響もあり、
4歳と1歳にして、すでに大人用の「グローブ」と「パンチング・ミット」を付けて、
日々、私に「闘い」を挑んできます。
このままいくと、確実に「格闘技」の道に足を踏み込むだろうな、と思います。
人間というのは、何か一つ「これだけは、他人に負けない」というものがあれば、
何があっても生きていけます。
だから、子どもたちにも、小さい頃から、何か習わせてあげたい。
ただ、その場合、武道であれ、ボクシングであれ、「格闘技」というのは、
親の立場としては、非常に微妙な選択肢です。
なぜなら、実際に、その道を渡り歩いてきた立場で言うと、「格闘技」というのは、
という側面が強いからです。
「K-1」で知名度を得たとはいえ、
「格闘技」というのは、まだ小学校にもクラブの少ない、マイナー・スポーツ。
親としては、青空の下で、ボールと戯れるスポーツを、習わせてやったほうがいいのかな、
と悩みます。
- <2>
じゃあ、自分自身はどうだったのか、と振り返ってみます。
私は、昔から身長は高いけど、色白で、睫毛がクラスの女子の誰よりも長い「女顔」。
おまけに、外で遊ぶよりも、家の中で本を読んでいるのが好きな子どもでした。
私が若かった当時は、「マッチョで、色黒の男の子が、かっこいい」
という価値観でしたから、私は自分の容姿に、すごく、コンプレックスを抱いていました。
おまけに中学のときに、体育の教師に、こう言われたのです。
「ゴウスケ、おまえ、身体ばっかり大きいけど、強そうなのは、名前だけだな」と。
その瞬間、私は思いました。「絶対、強くなってやる!」
で、高校に入って、迷わず「柔道部」に入部し、最後は副将になりました。
でも、柔道をやっていて考えました。
「果たして、柔道は、パンチやキックに勝てるのだろうか?」と。
で、大学に入って、「少林寺拳法部」に入部しました。
「少林寺」は、パンチ、キック、投げ、固め、関節、すべてあったからです。
最後は、主将を務めました。
でも、少林寺をやっていて考えました。
「少林寺は結局、護身術。白黒、決着のつく勝負をしたい」と。
で、社会人になってから、「プロ」を目指して、ボクシングをはじめたのですが、
まあ、その後、いろいろあり、今は作家をしながら、
たまに、近所の「キック・ボクシングジム」で、プラプラ汗を流しています。
- <3>
「最強の格闘技」と呼ばれる「相撲」における朝青龍の件には、あえて触れませんが、
(名が世に出れば、賛否両論いろいろ言われるのが、世の常ですから)
「格闘技」というのは、非常に不思議なジャンルです。
それが、「国技」であれ、「武道」であれ、「スポーツ」であれ、
要は、闘って、どっちが「強い」か決めるわけですが、
そこには、必ず「ルール」というものがあります。
「K-1」などの「異種格闘技戦」で、どんなに「何でもあり」の状態で闘おうとしても、
必ず「ルール」はあります。
この「ルール」を取っ払って、「本当に、どっちが強いか決めよう」とすれば、
「ストリート・ファイト」、要は「ケンカ」になるわけですが、
じゃあ、相手が複数だったらどうか、相手が武器を持っていたらどうか、
極端な話、いくら「格闘技」やってたって、相手がピストル持ってたら勝てないじゃんか、
という話になり、この議論、つまり、
「じゃあ、結局、誰が一番強いのか?」
を、極限まで突き詰めれば、最後は「戦争」になるわけです。
*** *** ***
「天下無双とは、ただの言葉じゃ」と答えるシーンがあります。
それは、真理だと思います。
それでもなお、ノーベル賞であれ、金メダルであれ、どんな分野においても、
ある種の人間が、「地上最強」の称号を求めるのは(私も、その内の一人ですが)、
結局、人間というのは「闘う」ことが好きなのだと思います。
そして、それは人間に埋め込まれた「本能」なのだと思います。
*** *** ***
最近の「草食系男子」と呼ばれる人々が、「闘う」ことを止めてしまったのが、
遺伝子の進化的な素因によるものなのか、社会環境に起因するのか、
それは分かりません。
そして、それを良いことだとも、悪いことだとも思いません。
また、「戦争」が、本質的に「本能」によるものだとしても、
「戦争」は、やはり最大の「犯罪」です。
ただ、人間は「理性」を持つがゆえに「人間」ですが、
同時に「生物」として、やはり、失ってはいけない「本能」というものも、あるような気がします。
たとえば、「人を好きになること」。
それは、紛れようのない「本能」だし、決して失ってはいけない「本能」だと思います。
(以上、終り)
追記1:
友人がプレゼントしてくれた「いきものがかり」のCDの1曲目に収録されている
「ハジマリノウタ」という歌が好きで、繰り返し聴いています。
高校の卒業式でBGMに流したら、全員、号泣しそう。
しかし、最近のバンドって、
「いきものがかり」とか「くるり」とか「コブクロ」とか「ゆず」とか「スピッツ」とか、
何だか、とても「草食系」な感じの名前が多いのは、時代の流れなのだろうか。
「セックス・マシンガンズ」なんてバンド名が、妙に懐かしい。
あと、「バンプ・オブ・チキン」って、曲は、すごくクリアでカッコイイのに、
何でこんなに気持ちの悪いバンド名にしたんだろう?
何か理由はあるのだろうけど、バンド名に生理的嫌悪感があり、
「いちリスナー」としては、非常に複雑な心境です。
追記2:
その後、「バンプ・オブ・チキン」の名前の由来を調べました。
うーむ。
しかし、そうは言っても(語感が)気持ち悪いものは、気持ち悪い。
* * *
2010-02-07
芸能人。
今、私の「マイミク」は30人で、GREEの「お友達」は145人いる。
システムが、いまいち、というか、まだ全然、分かっていないのだけど、
「承認」の必要な「マイミク」と違って、
GREEの「お友達」というのは、「お気に入り」みたいな感覚なので、
多いのだと思う。
で、先日、ふと見たら、GREEの「お友達」の中に、
「若槻千夏」さんがいたので、驚いた。
写真付きの「オフィシャル・ブロガー」だから、本物だと思う。
芸能人の「お友達」が出来たら、単純に、ミーハーに、嬉しかった。
(他にも芸能人らしい方はいるのだけど、名前を存じ上げない)
私は芸能界のことは、まったく詳しくない人間だけど、
「若槻千夏」さん、かなり好きです。
逆に、「タレント高感度ランキング」のトップのほうにいる、
「鈴木京香」さんとか、「小雪」さん、というのは、すごく苦手。
たぶん、実際にお会いしたら良い方なのだろうけど、
単純に「好き/嫌い」の問題として、
というか、この二人の見分けが、そもそも付かない。
申し訳ないとは思うのだけど、連続ドラマの『不毛地帯』を見るたびに、
「ああ、小夜が、小雪みたいな顔じゃなくて、本当に良かった」
と、つい呟いてしまい、妻に苦笑される。
でも、先日、石田衣良さんのエッセイを読んでいたら、
「女性が、みな、エビちゃんや、小雪さんである必要は、まったくない」
みたいな文章が書いてあり、
「えええ! 小雪というのは、美人のスタンダードなのか?」
と、吃驚仰天した記憶がある。
私は、自分が、かなり「面食い」だと思っていたのだけど。
じゃあ、私の大好きな「妻」は、どんな顔かと言うと……。
しいて言えば、「ワイルド系」です。
以前、友人のKZRくんが来宅したおり、妻に向かって、
「小夜さんてさ、ワルモノっぽいよね」と言っていて、
妻は、ものすごく憤慨していたけれど。
ちなみに、妻は、決して「ワルモノ」ではありません。
* * *
2010-02-06
先生、ったら!
現在、『コンタクト・ゾーン』を読みはじめているのだが、
文庫版上巻54ページに、こんな件(くだり)があった。
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脅しではない。夜、女三人で、ダウンタウンに出る
などというのは、通常時だって自殺行為だ。
女を誘い出しておいて、体も金も奪わずに帰す男など、
日本にしかいない。
結婚の約束もなく体を許す日本の女など、
札束を巻きつけた性器に過ぎないのだ。
*** *** ***
「札束を巻きつけた性器に過ぎない」
……いやー、ちょっと、そこらのコムスメ作家には、
どう踏ん張っても書けない骨太な文章です。
さすが、師匠。改めて、尊敬しました。
すみません。それだけです。
でも、どうしても書き留めておきたくて。
* * *
-
2010-02-05
勝算。
先日の「仮想敵国」の話の続き。
原書で読んでいる人によると、
ダン・ブラウンさん、相当、文章が「ヘタ」らしい。
本人も、「調べるのは大好きだけど、書くのは大嫌い」
と語っているし。
『真理男』VS『ロスト・シンボル』。
「ミクロイドS」VS「マジンガーZ」みたいな戦いではあるが、
「勝算」は、ある。
追記
何だかんだ言っても、やはり「科学技術」の進歩というのは、すごい。
これはもう、「良い」とか「悪い」とか、議論の余地のないものだから、
当然、いずれは廉価版が発売されて、
いろいろな意味で、最近ちょっと「10年後の世界」というのが、
想像できなくなってきた。
大きな変革の時代に生きているのだな、とは思う。
* * *
2010-02-04
ライク・ア・ロッキー。
「ロッキー・シリーズ」を、また最初から細切れで、観はじめてしまった。
そして、毎回、また眼をウルウルさせている。
「ロッキー」の何がそんなに好きなのかな、と、よく自問するのだけど、
結局、私は「ロッキー・バルボア」という人間が好きなのだ、と思う。
シナリオは、突っ込みどころ満載だし、
ボクシングを少しでもかじった人間なら、
あの試合シーンが無茶苦茶なのは一目瞭然。
リアリティという意味では、もはやファンタジーに近い。
でも、それでも観るたびに熱狂してしまうのは、
ある種の人間は、「ロッキー・バルボア」という男に
心底「惚れて」しまうからだ。
ロッキーは浮気をしない。ロッキーは家族を大切にする。
そういう、人生において、ものすごく基本的な事柄、
ブレてはいけない「芯」のようなものを、
私は、「ロッキー」という人間をモデルとして学んできた。
というか、極端な話、スタローンが作り出した
「ロッキー」という架空のキャラクターの人生を、
自分が実際になぞろうと努力しているような錯覚さえ、覚える。
篠田節子さんや、村上春樹さんや、柳原可奈子さんは好きだけど、
会ってみたいとは思わない。
でも、「ロッキー・バルボア」というオジサンにだけは、
実際に会って、昆布茶でもバーボンでも飲みながら、
「よう、オメエ、何、そんなウジウジ悩んでんだよ」
と、お説教されてみたい。
いつの頃からか、「ロッキーのような小説を書きたい」と、
強く思うようになった。
「ロッキーのようなストーリーの話を書きたい」ということでは、
もちろん、ない。
『ロッキー』のように、極限までシンプルな物語の中に、
人生の悲哀と歓喜のすべてがギュッと凝縮された作品を、
自分の手で創り上げたかった。
『真理男』の完成によって、その夢を成し遂げたように思う。
少なくとも、自分では、そう思っている。
結果はどうであれ、それは、自分的に、大いに祝福されるべきことだ。
結果は、どうであれ。
* * *
-
当面の「敵」。
『ダ・ヴィンチ・コード』を全世界で7000万部売った
ダン・ブラウンの新作『ロスト・シンボル』が、
日本では、同じ3月に、たぶん、同じ角川書店から発売される。
とりあえず、そいつを叩き潰す。
発売2ヶ月で、すでに全世界1000万部突破したらしいけど、
まずは、国内。国内戦で。
(今日は、ちょっと前向きな感じ)
* * *
-
まだ、死ねない。
「パパ、まだ死なないで。
パパが死んだら、もうパパと遊べなくなって悲しい」
と、長男の風太(4歳)に、真顔で言われた。
そうだな。うん。
パパ、もうちょっと、がんばる。
*** *** ***
新刊、装丁ラフのデータが送られてくる。
黄色っぽいライト・ノベルのようなものをイメージしていたのだが、
良い意味で、まったく想像を裏切られる。
とても「異質」で、ちょっと他に類を見ない。
どちらかと言うと、翻訳書のテイストで、しいて言えば
本の完成が、今からとても楽しみだ。
タイトルは、『真理男、ローリング・ストーン』から
『真理男』(しんりおとこ)に変更になった。
著者である私の意向を、充分に勘案した上で、
編集者の方が、熟慮に熟慮を重ね、悩みぬいた末に出した「結論」。
異存は、ない。
* * *

大旋風が巻き起こることを期待します!
ありがとうございます。がんばります!!