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ベンチャー役員三界に家なし

2014-05-07

なぜ職業人のマーケットでの実力順位と年収相関を職業毎に明らかにしないのか?

今日もインターネッツは自分の環境や人生に対する呪詛にあふれている。
自分の人生はどこで狂ってしまったのか?!
学歴か?生まれ育ちか?それとも運か?はたまたそのすべてなのか?
答えのあるのかないのか分からないツイートを、エントリを今日も目にする。

やはり、大の大人が人生を考える時、お金や生活のクオリティに直結するのが仕事なので、自分の仕事選びに対する後悔や、他人の仕事についての興味というのは尽きることがないようだ。

僕はこの手の議論が出るたびに思うことがある。
僕らは果たして将来の仕事をどれほど網羅的、体系的に知った中から今の仕事を選んだのだろうと。
すごく限定的なイメージや、その時々の求人情報をベースに仕事を選んで、仕事をする中でうまくいかずに嘆いているのではないか?と。

でも遡って、どんな情報が高校生や中学生の時にあれば後悔の少ない仕事選びをできたのだろうか?
または、自分で「将来のリアルな自分の姿」をイメージした上で、目指す職業に向け勉強や能力を磨けたのであろうか?

僕なら一番欲しいのは、

「職業別の働いているプレーヤーの総数を明らかにした上で実力順に並べて何位までがいくらの年収をもらっている」というデータである。

これが網羅的にデータとしてあれば、自分の実力や意欲と照らし合わせてきちんと将来食っていける仕事がどこにあり、また今から順位的にどのあたりを目指していけばよいかというのが分かるはずだ。

そういう意味では、村上龍が監修している、13歳のハローワークというのがある。
こちらは書籍もあるが、Webサイトの方も充実している。
http://www.13hw.com/jobapps/ranking.html

このサイトなどは、非常に丁寧に仕事の種類と従事者数、年収なども記載されている。
が、、十分ではない。

僕が何が言いたいかというと、エリートの視点で「仕事」を捉えると、必ず、「何がやりたいのか?」ということが中心に仕事選びを組み立てはじめる。
これを多くの非エリートがなぞることが苦しみの元になっているのではないかということだ。

「自分が何をやりたいのか?」を中心とした職業選びは、例えば、学生時代に司法試験をパスしてしまうような一部の人たちにとっては弁護士も民間企業も官僚もプロブロガーも同一の土俵だから意味あることかもしれないが、「自分がやりたいこと」を「正義」にすることで実は多くの非エリートに職業のアンマッチを発生させ、大多数の人間が然るべき活躍の場で活躍しないまま、ぼんやりとした夢なのか願望なのかも分からないモノを追いかけてゆく過程で手に職を付けることもままならず歳を喰ってダメ人間扱いをされているのではないかと思う。

つまり、自分の可能性をあきらめ、適切な職業に収まる機会を持てないまま年齢だけ重ね、社会からキックアウトされてしまっている不幸な状況が続いていると思っている。

先日、東大ハーバードスタンフォード卒で各分野でご活躍されている職業人という方々の教育論をテーマにした対談に観客として参加したのだが、その教育観、キャリア観の違いに度肝を抜かれた。

彼らは親に特に勉強しろと言われた記憶もなく、また大学卒業後も「自分は何がしたいのか?」「自分の社会における使命は何か?」という軸で仕事選びをしてきたというのだ。

かくいう僕は、どういう考えで仕事選びをしてきたか?というと、もうそれは決まりきっていて、もはや一本筋が通っている。
「自分の実力でも食える収入が得られること」である。

そうか、、この人たちが子供達の可能性を語ってるのか。。
僕はなんだか納得行った。

逆説的に言えば、僕がこんな意識の高い場所に座ってエリートの彼らと話をしたり、もっともらしく質問できるまで来れたのはなぜか?
一重に、自分の生き残る居場所(仕事)を見つけて徹底的にガマンしてしがみついたからだ。

僕は頭もよくない。テストでもクラスの一番にもなったこともない。
大学も自分なりに一生懸命勉強して入ったのが地方の押しも押されぬ3流大だ。
そんな僕は危機感だけは父親のおかげで死ぬほど植えつけられてきた。
少年時代から金融業の父が一階の電話で債務者を怒鳴りつけるのを子供部屋で耳をふさぎながら怯えて過ごしてきたのだ。
人生は転落したら終わりだ。
実力なき者は夢など追いかけてはいけない。
ただ居場所を見つけて努力し、しがみつくのみだ。

何かをつかむ人間、人より秀でた才を持った人間はもう小学校高学年くらいには頭角を現しているはずで、何者でもない自分が、、この斜陽の国の中で食って行くにはどの職業がよいのか?
そういう視点でしか物事を考えたことはなかった。

例えば極端だが、プロ野球選手は日本で750人、プロ棋士は160人程度だ。
アナウンサーは2500人程度。
これはその年の採用人数ではない従事している総数だ。
それに対して、SEプログラマーは67万人、倉庫業は14万人だ。

どんな職業でも必ずしも実力順に給料が支払われているわけではないだろうが、ただ、やはりその傾向はあるはずである。
その道で食っているの中でランキング最下位の人の収入ラインが350万円くらいというのは、プロ野球選手でもプロ棋士でも、アナウンサーでもSEでもおおよそ同じはずだ。

とすれば、あまりにも規模と食えるようになるレベルに差がある。
職業として同じレベルに並べるのもおかしいほどなのだ。
アナウンサーを目指す人は日本で実力3000位ならその職で生活することすら不可能だが、SEで3000位なら年収はそれなりによいはずだ。いやむしろかなり良いかもしれない。

この職業と食えるレベルに対する難易度を少年少女にはきちんと説明すべきではないのか?
親自身も社会も、「子供には無限の可能性がある。」と言った美辞麗句を盾に、職業選択とその後の現実に蓋をするのはあまりにも無責任だ。

先に出た東大エリートの方々のセミナーは、「何にせよ子供がやりたいことを全力で応援してやるのが子供の将来にとってよいでしょう!」というしめくくりだった。

その結論は間違っているとは思わない。もちろん僕は息子達ややりたいという事に全財産をぶち込んでも惜しくはない。
ただ、同時に僕はそれで食っていけるのか?
それで将来家族を養えるのか?
勝算あっての勝負なのかはきちんと精査するつもりだ。
僕は人生を楽しんで生きたいと思っているし、息子達にもそうあってほしいと思っている。
その上では経済的な自立と自由を確保することは最も大切なことだ。
それを達成するために打ち込める仕事に出会い、誇りを持って取り組むことの為であれば問題はない。

だが、十分な仕事や将来に対する情報の取得も、理解も無い状態で、漠然と出した方向性に対して賛同して「自己責任」とするのは親の責任放棄ではないのか?
子供と親が適切な職業選択と将来に対して納得のゆく意思決定をする為にも、
「職種毎の職業人のマーケットでの実力順位と年収」は明らかにして簡単に取り出せるような一覧にすべきだと思う。

全員が1番になれるわけではないのだ。それどころか死ぬほどがんばってもその業種で1000番になることすら難しい。
それでも社会には職業によっては必要とされている場所がある。

いかなる実力の人でも一人ひとりがきちんと幸せになるべきだ。
人生は必ず大成功するわけではないが、かといってムリゲーであってはいけないと思う。
なぜ、非エリートの為のきちんとした職業選択ができるデータベースを公開し、職業教育をしないのか?
1人1人が幸せになれる居場所に導くようなサービスを行うような議論が進まず、無用な競争を煽るような情報やサービスが世の中にあふれてしまうのかと憤りをいつも感じる。

叶わなかった弟の夢

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