子ども手当を使っている親を叩いてる人の矛盾

オヤジが酒大好き・タバコ大好きの低収入の大家族

2ちゃんねるを批評するのも馬鹿らしいのだが、自分の意見整理のために記録する。


子どもがいる親の立場からすると、別に社会のために子どもを生み育てているわけではない。子孫繁栄という願いは「社会システムの維持」という単純な理由だけではない。おそらくもっと根源的な理由である。その「わけのわからない、しかしそうしなければ人類は滅びてしまうとDNAが叫んでいる」ということを無自覚のうちに、私たち人の親は、子どもを育て、結果的に社会システムの維持に寄与しており、子どもを育てるという行為によって、親である大人は公共の福利に貢献しているといえる。


しかるに、子ども手当を発端として、子どもを育てることを経済効果で判断するのは反対である。


子どもを育てるのは「儲かる」とか「自己利益をもたらす」からではない。子どもを育てても儲からない。子ども手当をもらっても短期的には儲かるかもしれないが、長期的に見れば経済的な意味はない。なぜなら、お金があるだけ育児に使うし、ないならないで何とかやっていくものだからである。だから、子どもを育てるというのは、その行為に対して、これだけ投資すればよいという単純な数字の問題ではない。
子ども手当は、ある意味で「ありがたい」ものではあるけれど、本質的にそれ自体無価値なものである。


2ちゃんねるのご意見をみると、とにかく堕落している親に対して「俺たちの税金」が使われることに憤りを感じているようだが、親の立場に立ってものを考えられないという想像力の欠如がなければ、このような意見は持てないと思う。
そもそも「俺たちの税金」は「俺たち」の自己利益のために使われることはないのである。仮にそれが「俺たち」を対象としたことに使われることがあるとしても「堕落している親」も税金を払っており、彼らもまた「俺たち」の範囲内なのであるが、それをマゾヒズム的に批判するのは、どんな意味があるのだろうと私は思う。