雑記

雑な記録。略して雑記。

蛍光灯

はて、蛍光灯が妙にチカチカするような。
そう思うのに入居から然程の歳月を必要としなかった。
しかし、実際に対処するには大いなる年月を必要とした。具体的には9ヶ月ほどである。
これで忙しかったのであれば格好はつく。だが、まったく忙しくはなかった。何せ、私は知己から「お前にはついていけない、時間的な意味で」と揶揄されたことのある人間だ。
要は億劫だったのである。


いや、少し弁解させてもらえば、何もしていなかったわけではない。
さすがに蛍光灯を変えるくらいはした。というかそれで解決するだろうと思っていた。
だがしかし、事はそう簡単ではなかった。蛍光灯を交換して暫くは改善したように感じたのだが、気づいたらまた元の状態に戻ってしまったのである。


さて、この時の私の心中は如何許りか。
どっこらせと重い腰をあげ、新しい蛍光灯を買い、古い蛍光灯を取り外し、新しい蛍光灯を取り付け、古い蛍光灯をゴミに出した。そのような重労働をこなし、達成感に満ち溢れていた。にもかかわらず、その天下は百日どころか数日も保たずに崩れ去った。ナポレオンもびっくりである。
そう申し上げれば分かっていただけるだろうか。


挫折した時の反応には二通りある。
何糞と立ち上がるか、もういいかと諦めるか。
私の場合は後者だった。
かのドストエフスキーが喝破したように、人間は慣れる動物なのだから、きっと大丈夫だろう、と。


しかし、悲しいかな、点滅にはいつまで経っても慣れることはなかった。
というか、点滅が規則的ではないため、慣れようにも慣れられなかった。そういうことにしておく。ドストエフスキー先生が間違えるわけはないのだから。
事ここに至って、年末が近づくにつれ、ぎっくり腰になった人がそーっと立ち上がるがごとく、徐々に徐々に「やってやるかあ」という気持ちになってきた。
とか言いながら年は越してしまうのだが、新年になったおかげで昨年とは違う自分になろうという意欲も高まった。
そうして漸く閾値を超え、私は管理会社に電話することにした。


電話のやりとりについては割愛する。ただ一言申し上げるのであれば、私はコミュニケーションというものがあまり得意ではない。
とはいえ日本語のスピーキング能力は一般人並みにはあるので、どうにかこちらの意(蛍光灯を交換したにもかかわらず明滅が治らない)を相手に理解させることはできた。現場の方が外に出ているので日程を調整するとのことだった。
さああとは向こうにお任せだ、と思っていたら、折り返しの電話での返答は意外なものだった。


なんと、照明器具で交換すべきは、蛍光灯だけではなくグローなるものもあるという。蛍光灯の横についているはずだから、そちらを交換せよとの指示が来た。
なんだそれはと混乱し、その勢いで憤りかけたのも束の間、工事の方々との応対がなくなったと思ったら落ち着いた。
蛍光灯を交換できた私の手にかかればグローを換えるのも造作もあるまい。
そう思い、承知した旨を伝えて電話を切った。


さて、じゃあ交換するかと思ったものの、ネットで調べたところグローにも様々な型があるらしい。
実際のグローにその種類が書いてあるとのことだったので、見ることにした。


ところが、ここで大いに焦ることになる。
なんとグローがないのだ。
ネットで見ると、蛍光灯の傍についている小さい円柱状のものがグローとのことだったが、私の視力1.0を誇る曇りなき眼で見る限り、小丸電球というかナツメ球というか、無精紐を何回か引っ張ると点くちっこいランプしかないのである。
動かざること山の如しとどこかで誰かが言っているかもしれない私の精神もこの事態には動揺した。
ただ、もう一度電話することを考えると、それはそれは気が重かった。
どうする。どうしよう。どうしたものか。
一通り逡巡し、悩みに悩み抜いた。一度は携帯電話に手がいきかけた。
しかし、もし万が一私に見落としがあったら申し訳なさやら何やらで一晩悶えることになりそうだと思い、徹底的に検証することにした。
すると、なんと、なんとなんと、ナントの勅令、南斗の拳、あったのである。我が家の照明器具には蛍光灯を取り付ける部分と、それを天井を結ぶ部分があるのだが、後者の器具の側面にグローがあったのだ。なんでこんな死角にあるねん。


こうして今回はこと無きを得た。
といいつつそのあとも、温度計が零下を示す中グローを買いに行ったら最初の電気屋で6個買いたいのに5個しか在庫がなかったとか、そのせいで泣く泣くもう一店まで足を運んだら「いまお守りを配っているんですが、ご家族は何名ですか?」と聞かれて勝手に傷ついたりだとか、色々あったのだが、まあ、要するに、最後まで諦めずに見直すことが大事である。
センター試験に挑んでいる方々に伝えたい。