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greenmanbaliの日記 RSSフィード Twitter

2015-12-14

ソレが帰ってきた!

14:43




12月6日午後、思いもよらない事故でパギといっしょに遊んでいたソレが死んだ。

わずか14か月の生命の果てだった。

パギとともにわが家の庭に捨てられていた時からかぞえれば、ちょうど1年を過ぎたばかりだった。


ほんとうに仲のよいパギとソレだった。

去年の11月半ば、2匹の子犬が捨てられているのに気づいた時には、白い子犬をまず北側の垣根のそばで見た。やられた(捨てていきやがった)! と思ったのは後の祭り。やがて、その白い子犬と新たにブチ茶の子犬が庭の茂みでじゃれあうように遊んでいるのを目撃。

「捨てられた」というじぶんたちの身に降りかかった無慈悲で過酷な現実もなんのその、押しあい噛みあい転げて遊んでいる。

キャッキャと笑い声さえ聞こえてきそうだ。


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この1年間の2匹の子犬の成長を眺めながら、「遊びをせんとや生まれけん」の有名なことばはじつは犬のこんな姿から生まれたのではないだろうかと感じたほど、かれらの日々はひたすら遊びが中心だった。

しかし、その遊びの果ての事故死という事実は皮肉でもあり、また考えようによっては幸いであったのかもしれない。



ソレがいなくなって4日後の12月10日朝、えさを食べ終わったパギが甘えるように鼻をならしながら部屋の中をうろついていた。

ついこのあいだまで、この時間帯にはころげまわるようにしていっしょに遊んでいたソレを思い出しているのかナ、と、その時にはそういう気がした。

そして、その翌日。

この日も朝からなんべんか鼻をならしながらソレを探すそぶりを見せていたパギ、やがて夕方、部屋をぐるりと見渡してからおもむろに庭に出ると、ソレを埋葬した墓の前に立ち前足をゆっくり動かしながら土をひと掻きふた掻きしていたが、とつぜん片隅に置いてあった線香立てをパクリとくわえるとサッと走り去っていった。

まるで、ソレに、ホラ追いかけてこいといわんばかりに、いつも通りのしぐさで走った。

部屋のなかでその様子を眺めていたぼくは、そばにいた丁稚のダルに、見てごらんと声をかけたのはちょうどパギがまだ土を掻いているときだった。

「ソレのにおいがするんだ」

とダルは言ったが、果たしてそうだろうか? 死後5日もたって土中で生前のにおいが残るものだろうかと疑わしく思った。

パギがくわえていった線香立てをダルが取りにいき、ぼくはパギの様子を見に庭まで出ていった。



ぼくの姿を目にしたパギは、さっと頭を低くし、からだを前にかがめ腰を高くもちあげて左右にふっている。遊びを「挑発」するときの姿勢であり、「ここまでおいで!」と追いかっけっこを誘う犬特有のしぐさだ。

ようし、とこちらもその体勢に合わせて走り出すとパギは耳を寝かせダッシュして逃げる。急に方角を変え低い姿勢でこちらにむかって走ってくるとぼくの脇を猛スピードで駆けぬけていく。手で捕まえるよゆうもなく、走りぬける後ろ姿を追いかける。

あっちへ走り、こっちへ戻ってきてとくりかえし開けた口からは長い舌がのぞき、いかにも楽しくてしょうがないという表情をしている。



しかし、実はパギはこんなことをいまだかつてしたことがない。ソレが、ぼくと遊ぶときの姿そのものだ。

こうやって追いかけっこをしているぼくとソレの姿をパギは目で追い、やがてソレに向かって走っていく。そこで、いつもぼくは遊びつづけるソレとパギを残し家の中にひきあげていた。


ソレだけがしていたあのしぐさを、いまパギがしている。あたかもソレがパギに乗り移ったかのように。


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翌12日朝、エサを食べ終わったパギはしばらくしてから庭を駆けはじめた。ふっと立ち止まりキョロキョロ周囲をうかがっている、あとを追いかけてくるはずのソレの姿を探しているのか、それとも追いかけていたはずのソレの姿を見失ったのか。

すっと顔をあげると、ふたたび身を低くして全力で走っていく、ソレがよく身を横たえて休んでいた場所をのぞくがなんの気配もない。

もういちど見つけた! パギは走る、ソレを追いかけて走る。

永遠に追いつくことのない最後の遊びの記憶をパギは追いかけつづけていた。

2015-12-13 ソレがやってきた

2015-10-19

生きることについて ナーズム・ヒクメックの詩から

21:06


この1週間はなにかの符号がぴたりぴたりと合わさるように、ただ一点にむけて考えつづけていた。それは死についてであり、ひとしくいま死にむかってすすんでいるぼくらの生についてだった。



はじまりは、古くから付き合いのあるアメリカ人の友人Dが新たに契約をむすんだ借家に招かれたときだった。ニュークニンの渓谷前の傾斜地にたたずむだいぶ築年数を経たその借家は、贅沢ではないが、しかし優雅で趣味のよい彼の暮らしぶりにぴったりだった。

いま71歳になる彼は、今年3月を起点に16年の契約をすませたという話を聞いた瞬間に、聞こえはよくないかもしれないが「欲望」の深さというものを瞬間的に思った。いいかえれば生命力の旺盛さのことだ。それが自然とちからになって生きるという営みをいとわない積極性だ。

そうか、面倒くさがらずに欲望は充たしていくべきなのかとやはりそのとき瞬間的に思った。



その直後に、札幌にお住まいのTさんがトルコ出身の詩人ナーズム・ヒクメットの「生きることは笑いごとではない」の一行ではじまる有名な詩「生きることについて」をFBのTLに投稿されていた。



「生きることは笑いごとではない

あなたは大真面目に生きなくてはならない

たとえば

生きること以外に何も求めないリスのように

生きることを自分の職業にしなくてはいけない」



冒頭からハッとさせられるまとまりのよいことばの連結が一連の最後までつづく。

そしてきわめつけはつぎの一節だ。



「真面目に生きるということはこういうことだ

たとえば人は七十歳になってもオリーブの苗を植える

しかもそれは子供たちのためでもない

つまりは死を恐れようが信じまいが

生きることの方が重大だからだ」



友人Dのことばやその暮らしのディテールをのぞき見て直観的に感じたのはこういうことだったのかと、あらためてなんども詩を読み返してみた。

「七十歳になってもオリーブの苗を植える」──それは、当然この先にある死をおそれてあるいはたじろいであるいは立ちすくんでいるのではなく、いま生きることの営みの具体性にこそ生存の根拠を与える、そういうことではないだろうか。いまなにかをなすことは、誰のためでもなく現在生きている(明日死ぬかもしれない)みずからのためなのだという真実。

それが真面目に生きるという意味なのだ。



そして数日前。Twitterにリプライの形式でメッセージが入っているのに気づいた。

「U市在住のKです。私の知っている潔君ですよね?

ただいま癌に侵され闘病中です。

連絡ください」



衝撃的な内容もさることながら、なんと37年ぶりに彼の「声」を聞くおどろきと嬉しさ!


20代の頃に影響をふかく受けたふたりの友人のうちのひとりで、当時、新婚だった彼の奥さんが「嫉妬」するほどしょっちゅうつるんで遊んでいた年上の友人Kだ。

肺ガンが骨にまで転移し、医者にいわせれば末期ガンの症状をかかえているが、Kはぜんぜんめげていない。術後の腰が痛くてしかたなく歩くのにも難儀しているが、からだがもどったらぼくのいるバリ島にやって来ると、さらに便りがきた。



「今日は、朝からカラッと気持ちの良い秋晴れの日。

病人にはお天気が何よりのごちそうで、良薬です。

昨日は、バリ島の観光ガイドを買ってきまして、熟読しました。

ハワイやグアムのように簡単な島かと思ったら、意外に広くびっくりしてます。

ホノルルやタモンの街並みなら、どこになにがあるかわかるし、ホイホイ歩けるのですがバリはてこずりそうです」



ぼくらは会わなければならない。

手こずる島に20年も住んでいるぼくがきみを島のすみずみまで案内しよう。



ぼくらは会わなければならない、あの世ではなくこの世でかならず再会しようと、ぼくは返事した。

                              

Kuni TakeuchiKuni Takeuchi 2015/10/20 08:44 「七十歳になってもオリーブの苗を植える」──心に深く残ることばですね。

2015-04-17

九月の海べりの午後の日差し 非観光的スポット案内

16:39


構図について考えていた。


目の前にひろがるビーチ、その手前に幅4、5メートル、全長50メートルほどもあるやけに細長いプールがビーチに平行して横たわっている。プールサイドにはカンバス地の日除けに護られたふたりがけのソファベンチが置いてある。泳ぎおわった白人男女のカップルがこの幌つきベンチの前でタオルを使ってからだを拭き、おしゃべりしているのが見えていた。

彼らの動きはその会話と同じように弾んでいる。その姿を撮ろうとは思わなかった。

女性がタオルを幌の上においてベンチに移動し姿を消した。男性はその女性にむかってまだ話しかけている。


そこへ左手から白いキャップを被ったプールスタッフがやってきた。

これでシャッターを押す気分になった。

ただ、どのタイミングで? と、あたまの中にいくつかのパターンが湧いた。

離れすぎもせず、重ならず、ちょうどすれ違った一瞬をねらった。


この先、決してふたたび交差することもない無関心がまぶしい光のなかで微笑んでいる。


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September 16, 2014 Jimbaran Beach

2015-04-16

あたりまえのことから世界と関わる(リー・ミンウェイ展の印象)

06:47



会場に入ると右手のL字型の白い壁面に色とりどりのボビンが間隔をあけ垂直に架けられている。大きな壁面を占領するカラフルな糸巻きのディスプレイだけでも、巨大なパレットのようなインスタレーションの印象をうけるのだが、そのひとつひとつの糸の先は、手前にある細長いテーブルの上に無雑作に山となって置かれているいろんなタイプの衣服やちょっと古くさいぬいぐるみに縫いつけられている。

展覧会場を訪ねたひとがあらかじめ用意しておいた身近な衣料品のそのほころびを、アーティストのリー・ミンウェイ自身が繕うというのが、このアートプロジェクトの狙いだ。

繕いつつ、ミンウェイは訪れた者とむきあい語り合う。

どんなやりとりがそこで交わされるのかは分からないが、展覧会場にあってはつねに「観るひと」であることを強いられる来場者を巻き込んで、作家がみずから色彩豊かな糸を針に通し、ひとびとの持ちこんだ布の穴をかがりほころびを繕う。

この「繕う」と題されたアートプロジェクトの萌芽は9.11に由来するという。

WTCが突然の攻撃をうけ瓦礫になったその時刻、リー・ミンウェイはパートナーとともに近くのプールで泳いでいた。それは奇跡に近い「幸運」だった。というのは、ミンウェイのパートナーは一瞬にして命を落とした400人余の彼の同僚と本来ならばWTCのオフィスで働いていたはずなのだから。

ふたりは現場に駆けつけた。

そこに茫然と立ちつくすひとびとを、彼らは手当り次第に近くにある彼らの住まいへ誘った。

見ず知らずのひとたちを。

ミンウェイはひとりスーパーマーケットに走った。あたまが混乱したまま、彼はやみくもにケーキを、そして、ふと「修繕しなければならない自分のシャツやズボン」のことが心に浮かび、針と糸も買った。

どうしてそんな買い物をしたのか、あとになってふりかえると見えてくるものがある。ミンウェイはこう述べている。

<ケーキはバースデイケーキにつながるのだろうと思った。いま、ぶじに生きていることへの祝福として無意識のうちにそれを選んだのだと思う>

もうひとつは古代中国神話に登場する「女媧/じょか・ぬわ」に由来する話。

会場にあった説明では女媧は人間の女性で神と結婚する。ところがこの神さまは破壊好きというか、なんでもかでも壊してしまう。女媧はそれをひとつひとつ直していく。ある日、壊し好きの神さまはなんと天空に穴をあけてしまったのだ。女媧の手にかけてもこれは容易に直せるものではない。

女媧はすっと身を翻して空に飛び、みずからの身を天空の穴に縫いつけて穴をふさぎ地上の人間の破滅を救った。

みずからを犠牲にして空の穴を繕う──9.11の衝撃は、リー・ミンウェイのアイデンティティの神話的想像力の深さにまで及んだにちがいない。

確固とした現実が、疑うことも想像することも予測することもなかったかたちで崩壊する。その危機的状況になんの予告もなく放り投げられた彼が、無意識のうちに・とるものもとりあえずとった行動が「繕う」という作業だったのだ。

アートパフォーマンスとして誕生した<プロジェクト・繕う / The Mending Project >には、こうした背景があった。

                 

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会場はいくつものセクションにわかれている(その詳細は、最後にのせたリンクを参照)。この展覧会情報ページにどういうわけか載っていないのが「手紙をつづる」というセクション。

広いセクションスペースに入ると、正面に三つのブースが並んでいる。

ひとつのブースの広さは、畳にして2畳ちょっとというところか。素木の腰高の板壁、上半分は障子、外から見るとその障子に、ブース内の光源を浴びたいくつものちいさな方形の影が間隔をおいて並んでいる。

ブースに履物をぬいで入ってみて初めてその影がなんだったのかが分かった。

さまざまなサイズの定形封筒である。

ブースの中にはテーブルと椅子、あるいは和風の書きもの机に座布団が用意され、そこで、誰かに宛てて手紙をつづる、という仕立てになっていた。リー・ミンウェイ展のキャッチコピー「参加することもアートなんです」が、こんなところにも仕掛けられている。

すでに書き上げられた手紙は封筒に入れられ、障子にそってつくらている三段の棚に立てかけて並んでいる。ブースの外から見えたいくつもの淡い影は封書の影だったのだ。

細幅の棚に立てかけられている封書は、封が糊づけされていないものは読んでもよいという説明書きがあった。

そこで、目の前にある洋型2号の白い封筒を手にとった。宛先は「おじいちゃんへ」となっている。

便せん1枚のその手紙を読みはじめてハッとした。

「年を越すことのできないおじいちゃん、来年はもういないんだね」

筆圧の強い、鉛筆で書かれた文字は中学生か高校生男子のもののように思えた。

病床にある彼の祖父はすでに余命いくばくもない、そのことが、思春期にある彼のこころを占める「重さ」になっているらしい。祖父と交わした会話や祖父から教えられたことの数々を、彼はふりかえっていた。そして、締めくくりはこんなふうに終わっていた。

「おじいちゃん、向こうにいっても元気でいてね。

 ぼくが会いに行くのはまだまだずっと先だけど、楽しみに待っててね」

いくつも重なりあった偶然の結果、ぼくはある少年の手紙、逝きつつある彼の祖父に宛てた手紙を読んだ。名前も顔も知らぬひとたちのきわめてプライベートな関係と生の断片をかいま見ることを、手紙という形式によって、しかもいちばん重要なのはアートパフォーマンスという表現の場で、結果など予期せぬまま体験させられたのだ。この衝撃、そしてあとからじわりと伝わってくるぬくもり。

ブースを出るとき、入り口で脱いだスニーカーに足を突っ込んだ瞬間、不覚にも涙があふれてとまらなかった。


                 *


先にも書いたように、この展覧会会場はいくつものセクションに仕切られ構成されている。それぞれのセクションのテーマは、いま書いた「手紙をつづる」であったり「繕う」であったり「食べること」「眠ること」「リビングルーム」といったもので、それぞれがアートプロジェクトとして来場者の参加をうながすスタイルになっている。

提示されているテーマはきわめてありふれた日常の営みであり、どれひとつとっても例外なくぼくらが日々ふるまっている行為なのだが、そのふるまいがリー・ミンウェイの仕掛けを通していつのまにか他者とのあるいは世界との関わりへと変換してゆく。その過程の自然な流れ、おだやかな時間、やがてこころの奥に染み入ってくる温かさ、展覧会場を出るときのすがすがしさはいまだに忘れられずにいる。

http://www.mori.art.museum/contents/lee_mingwei/…/index.html

Naruse Kiyoshi's photo.