【57想】 メディア・リテラシー―世界の現場から / 菅谷明子
メディアリテラシーというのは
ひょっとしたら今一番関心がある領域かもしれない。
そんな中この本を手に取る。
基本的に海外ではどういう教育をしているかという内容になっており
肝心の日本についてやメディアリテラシーそのものに対する
深い考察は見られなかった。
しかし、カナダ、イギリス、そしてアメリカでの
子どもたちに対するメディアリテラシーの教育をみていると
「教育」ということについて深く考えさせられた。
自分はどちらかというと、
子どもは完全に自由に、大人からの意図的な操作を極力なくして
その時その時に子ども自らが必要なことを学んでいくことを
大人がほんの少しだけサポートする、
というスタイルが一番いいように思っている。
これは自分がまったく逆に育てられてきたから
ということもあるかもしれない。
しかしこの本を読んで、
確かに子どもの頃にこのような教育があれば
きちんとメディアリテラシーが身につくような気がする。
また「教育」については別の機会に考えよう。
メディアが送り出す情報は、現実そのものではなく、送り手の観点からとらえらえたものの見方のひとつにしかすぎない。現実を切り取るためにはつねに主観が必要であり、また、何かを伝えるということは、裏返せば何かを伝えないということでもある。メディアが伝える情報は、取捨選択の連続によって現実を再構成した恣意的なものであり、特別な意図がなくても、制作者の思惑や価値判断が入り込まざるを得ないのだ。
ドキュメンタリー映画は、制作者の意図によって構成されたものであるにもかかわらず、映像が持つ写実性を前に、見る人はそれを事実と錯覚しがちであった。
そしてそれをナチスドイツが利用した。
生徒たちは、メディア教育から、一般のテレビ番組を批判的に見ることを学んでも、メディアを批判した番組は、なぜか鵜呑みにしてしまいがち。批判番組も批判的に見る必要がある。