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John 8:32 Then you will know the truth, and the truth will set you free."  複数ブログの過去記事を移管し、管理の委託を受けています/※場合により、語る対象の「ネタバレ」も在ります。ご了承ください 

長距離走者の孤独。

http://news.livedoor.com/webapp/journal/cid__250790/detail

<五輪陸上>マラソン妨害男はアイルランド出身の元司祭
 アテネ五輪男子マラソンのコースに乱入した男はアイルランド出身の57歳の元司祭。民族衣装をまとい、沿道から声援を送る人々の中から飛び出して道路を横切り、先頭を走っていたバンデルレイ・デリマ(ブラジル)を抱きかかえるようにしてコースから押し出した。駆け寄った警官に、その場で逮捕されたという。


司馬遼太郎梟の城」より。

「だれに頼まれた」
「口を慎まぬか」
重蔵は、低声で叱った。
「おぬし(引用者註:豊臣秀吉)は、わしの囚われびとじゃ。手さえ伸ばせば
おぬしの命は、たった今でも消えることを忘れてはならぬ」
「お、おのれは・・・」
と叫びかけた。しかしさすがに声を呑み、声を落として
「わ、わしは六十余州、日の照る下のあるじであるぞ」
「解っている。しかし、それは昼間のことではないか。家臣が居並んでいてこそ
おぬしの通力は利く。が、この夜ふけ、わしと差し向っているかぎりでは、わしの
支配を受けねばなるまい」

今回のあれはキリストの再臨に備えるためなんだそうで、それじゃあしょうがないよね(笑)。
いや、そいうアレがアレな人は置いといて、また今日も世界のあちこちで勃発した政治・宗教テロとは別に、この種の愉快犯的・突発的ないたずらテロはそれなりに増えていくと思う。


司馬の「梟の城」から上の部分を引用したのは非常に端的に表現されているからだ。
日本国の権力を一身に握るのも、城下に人知れず忍び込み対面する相手の生殺与奪を握る力を持つのも、いずれも困難な努力が必要ではあろうが、前者のほうが難しいのは間違いないだろう。
そして、白日の下で正面から向き合えば、豊臣軍は千成びょうたんの馬印のもと、伊賀者一人など押し包んでなます切りだろう。

しかし、意表を突き、一対一でルールを越えて対峙するときに、その力は個人としての秀吉、日本最高の権力者を上回り、とりもなおさず一瞬だけでも全知全能の存在となるのだ。

ラソンで、世界最高の舞台五輪で、途中まででもトップに立てる選手はまさに絶対的な力を持つ超人だ。
しかし、脇から出てきてその選手を押し込んだ3.5秒間、あのけったいな元司祭(自称)は、世界最高峰のアスリートを越える全知全能の支配者だった。


その隠微な喜びを求めるものは、これからもきっと出てくるだろう。

しかし
(つづく)

                                                                                • -

予告(メモ)
テロリストの無上の権力性
瞬間だけ王として君臨

古代ギリシャ(ローマ?)の記録(アシモフの雑学コレクション)
お調子者の系譜

月光仮面
クロードX
忍者
バンナ入場

沢木のムーブメントが動かした歴史学

毎日新聞書評欄
http://www.mainichi-msn.co.jp/shakai/gakugei/dokusho/archive/news/2004/08/29/20040829ddm015070136000c.html

評者はまさに研究者としてかけ出しの時代に、沢木耕太郎の一九六〇年に焦点を合わせた「テロルの決算」と「危機の宰相」に出会った。実はこの二作品との遭遇こそが、その後の評者の歩みを決定的にした。何故なら、ノンフィクションという“新しい”手法に則れば現代史が描けるという確信めいたものを抱くに至ったからである。

 あれから四半世紀がすぎた。・・・評者は長いトンネルをくぐった後、ノンフィクションの手法にヒントを得て、いつしかオーラル・ヒストリーという領域の担い手となった。

いや驚いた。
現在、政治学の中でもっとも輝いている俊英・御厨貴
中曽根康弘や石原信雄(長年の内閣官房副長官)、渡辺恒雄などに直接話を聞きに行き、その談話を歴史学の資料としても通用するようにしよう--という、極めて野心的な試みをやっている学者の、そもそもの着想の原点が沢木の「テロルの決算」など一連の初期傑作だったとは。
(あ、今日の題名は「テロルの決算」だけどそれは偶然。マラソンの話ですから(笑))


自分も、最初に読んだときは「ここまで調べると、ここまで美しく構成できるのか」と驚いたもんだよ。
山口二矢命名、浅沼のポケットの手帳、新聞記事、チケットを山口にただであげた入り口の人の親切、カメラマンのボックス・・・すべての偶然を、運命のように一点に集約させたすさまじさ。
「ノーマンズ・ランド」に関し、最初に提示した謎にとりあえずの答えを出すエピローグ。

御厨の告白を聞いてしばらく考えると、あの作品が歴史学に影響を与えたのもさもありなん、という気が。


さて、そこで。
紙プロ(とくに吉田豪堀江ガンツ、チョロ氏など)の一連のインタビューというのは、まさにオーラル・ヒストリーたりえるものだと思う(けっこう構成で面白おかしくしているとも聞くが、商業的な要請もあるからそれはコミ)。
将来、体系的な格闘技史を描くことを、彼らインタビュアーは視野に入れているだろうか。
意志はともかく、実際にそれは可能だと思う。
ただし、今からそれに向けた準備をするかしないかで、最終的に構築された歴史も相当変わってくるだろうが・・・