INVISIBLE Dojo. ーQUIET & COLORFUL PLACE-

John 8:32 Then you will know the truth, and the truth will set you free."  複数ブログの過去記事を移管し、管理の委託を受けています/※場合により、語る対象の「ネタバレ」も在ります。ご了承ください 

修斗王者・青木真也の新しい戦場とは?

http://kumapage.exblog.jp/3659556
を読めば経緯はお分かりだが、要は公表されていた進路(静岡県警)を見る限り現在は警察学校に入寮中。他の選。手がブログなどで触れているような行動は、とても時間が取れないはず。つまりは退職したのではないか・・・・という話です。


いやいや実は。
http://www.asyura2.com/sora/bd13/msg/839.html

日本の公安組織、中でも警備・公安警察に戦後間もなくから「サクラ」「チヨダ」と呼ばれる裏組織が厳然と存在し、共産党対策を中心に菅生事件や共産党国際部長宅盗聴事件など数々の秘密工作活動を平然と繰り返してきた事実を踏まえると軽々しく笑い飛ばせる話と切り捨てられない。
共産党国際部長宅盗聴事件の発覚で『サクラ』から『チヨダ』と名前を変えた部隊は、今も『ゼロ』と呼ばれて活動を続けています。現在は警察庁内で組織の見直し作業が進>んでいるようですが、戦後の民主警察という建前の裏で警備・公安警察が表立ってできない工作活動をこうした秘密部隊を使って繰り広げてきたのは疑いようのない事実です」

「ゼロ」に編入された警官は、所属の籍を抹消され、同期も親族もどこに勤めているのか分からなくなる・・・。そもそも机すらないのだ。彼の「殺しの技術」が評価されたことはいうまでもない。ひょっとしたら既にマーダー・ライセンスを支給されているかもしれん。
そして警察が、ファンの疑念を掻き立ててしまうリスクを犯しても、彼を組織に極秘裏に編入せざるを得ない特別の理由があった。
彼は静岡県警。
静岡県警が、格闘家を集めなきゃいけない理由なぞ分かりきっているだろう。
静岡県にあってZEROの直接指示を受ける部署とは・・・・・・・・・・・・・
”対「G」特別対策室”に決まっている。

http://d.hatena.ne.jp/gryphon/20060508#p1

http://d.hatena.ne.jp/gryphon/20060509#p3


終戦争は間近だ。(フィクション)

真面目な話

仮に復帰しても、公約どおり他の団体には上がらず、修斗一本でやっていくんでしょ?
UFCにもPRIDEにもHERO'Sにも出ないとなると、生活はたいへんだな。
つうかあんなこと言わなきゃよかったのに・・・

君が代替え歌

http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20060529-00000000-san-soci

卒業式、入学式での国歌斉唱が浸透するなか、「君が代」の替え歌がインターネット上などで流布されている。「従軍慰安婦」や「戦後補償裁判」などをモチーフにした内容だが、本来の歌詞とそっくり同じ発音に聞こえる英語の歌詞になっているのが特徴で、はた目には正しく歌っているかどうか見分けがつきにくい。既に国旗掲揚や国歌斉唱に反対するグループの間で、新手のサボタージュの手段として広がっているようだ・・・(略)
・・・歌詞は、本来の歌詞と発声が酷似した英語の体裁。例えば冒頭部分は「キス・ミー・ガール・ユア・オールド・ワン」で、「キー(ス)・ミー・ガー(ル)・ヨー・ワー(ン)」と聞こえ、口の動きも本来の歌詞と見分けにくい。


実にいい話ではないか。この微温さ、ぬるさ加減は、ひとつの勢力の根強さではなく、風化ぶりを示してあまりある。

もともとこのネタ 「Free care coward to be come means not」(古池や 蛙とびこむ 水の音)以来の長い言葉遊びの伝統ではあるが、これを儀式で自分は歌ったつもりです、周りは君が代を歌っていると思っている、儀式は滞りなく終了・・・。
あるうららかな春の一日が、こうして過ぎていって何の問題があろうか(笑)。
これだと罰金20万円も払わないですみそうだし(笑)


もともと世の中、「内心はこうだった」とか言っても、外に出た部分で物事を見ていくしかない。
少年漫画で「勘違いするな、お前を倒すのはこの俺だからだ」といって味方したらやはり味方だろうし、少女漫画で「あんたはもらえないだろうから、同情で仕方なくあげるんだからね」といってチョコくれたらやはりチョコだろう(笑)。
「私はこの神社で平和を祈っている」
ていうのもあれか(笑)

もし反抗の意思を外部的に示すなら、前田慶次がやったように、まげでも片方に寄せて、平伏するふりをしながら顔を背けるとかそーいうことでもしないと駄目というか。まああれも結局のところ、客観的に見てもささやかな傾奇なのだが、問題はあれが誰も気付かなかったら意味が無かったというジレンマだ(笑)


で、そもそも論というか話が広がるんだが、そもそも最近話題の学校教育法で「内面の自由」に関して議論が出たり「愛国心は押し付けるものじゃない」「自然に湧き出てくるものだ」とかいう議論があちこちで。
ただ、そもそも学校教育と内心の自由はかけ離れすぎているのだ。


たとえば授業の開始と終わりに教師に向かい起立、礼をするのは、内面から自然に「ああこの先生に教えていただいて本当にありがたい。これからもよろしくお願いします」と感じたがゆえにいっせいに頭を下げるのだろうか? 俺は何千回起立、礼をやったか覚えていないが、たぶんそんな気持ちで自然にやったことは一度も無いな(笑)。あれは権力に強制されただけだ(笑)。

実は、現行の教育基本法も「内面に踏み込んでいる」という批判をかつて多く浴びていたのだ(続く)。




【補足】読んだ直後から、だいたい上のようなことを考えてはいたのだが、ぼやぼやしているうちに特に前半部分の議論が既に
http://alicia.zive.net/weblog/t-ohya/archives/000318.html
で詳しく、何倍も緻密に論じられている。
ブログでアイデアの先行を競ったりする意味など多分無いとは思うが、いささか惜しい気分と同時に、あ、だいたい同じ発想だ、と意を強くした次第。

・・・・法に可能なのは所詮行為外形の規制に過ぎないのであり、そこで感知可能な差異が出ないならそれは合法的な行動ということになるだろう。だから第三者の側では規制を守らせたつもり、本人は破ったつもりで相互に満足ならお幸せなことで文句を付ける筋合いでもない・・・


オチが秀逸。

それくらいなら最初のみの字をむに変えただけのやつの方がいいような気もするんですが。良心の呵責なく歌える人も多そうだし。

キムが代?
「むはみよりもおそろしい」ということか。