INVISIBLE Dojo. ーQUIET & COLORFUL PLACE-

John 8:32 Then you will know the truth, and the truth will set you free."  複数ブログの過去記事を移管し、管理の委託を受けています/※場合により、語る対象の「ネタバレ」も在ります。ご了承ください 

みなもと太郎「風雲児たち」最新22巻を、ネットにある「福翁自伝」と読み比べてほしい

サテこの機会に、福沢諭吉先生の「福翁自伝」を読んで貰おうか、と思い立った。ナニ財布を薄くする費えも手間も要らぬ、著作権も既に無き自由の文、ネツトに掲載されているから、ソコから読めば万事不自由は無い…
 
と、なぜ自分まで福沢速記口調になるのだ(笑)。
いや、実際に読んでもらえばわかるけど、もともと明治時代に導入された「速記」という技術とその記録は日本の言文一致体のひいおじいさんみたいなもの。ちょっと古い、耳慣れない表現はあるが、基本的に十分読めて、そのレトロな言い回しが逆に面白いのだ。「のらくろ」みたいなもんで。
福翁自伝
http://www.eonet.ne.jp/~log-inn/fukuzawa/fukuou.htm
http://www.eonet.ne.jp/~log-inn/fukuzawa/fukuou2.htm

ま、このUPは途中で終わってますけどね。それでも今回の「風雲児たち」にかかわるところは全部読める。
番号を振って3つ紹介しよう。
(1)

私は、桂川に頼んで「如何かして木村さんの御供をしてアメリカに行きたいが、紹介して下さることは出来まいか」と懇願して、桂川の手紙を貰って木村の家に行ってその願意を述べたところが、木村では即刻許してくれて「宜しい、連れて行ってやろう」とこういうことになった。というのは、案ずるに、その時の世態人情において、外国航海など言えば、開闢以来の珍事と言おうか、むしろ恐ろしい命懸けのことで、木村は勿論艦奉行であるから家来はある、あるけれどもその家来という者も余り行く気はないところに、仮初めにも自分から進んで行きたいと言うのであるから、実は彼方でも妙な奴だ、幸というくらいなことであったろうと思う。直に許されて私は御供をすることになった。

(2)

ついにハワイに寄らずにサンフランシスコに直航とこう決定して、それから水の倹約だ。何でも飲むより外は一切水を使うことはならぬということになった。ところでその時に大いに人を感激せしめたことがある、というのは船中にアメリカの水夫が四、五人いましたその水夫らが、動(やや)もすると水を使うので、カピテン.ブルックに「どうも水夫が水を使うて困る」と言ったら、カピテンの言うには…(略)

(3)

日本国人の大胆
 しかしこの航海については、大いに日本のために誇ることがある、というのは、そも/\日本の人が初めて蒸気船なるものを見たのは嘉永六年、航海を学び始めたのは安政二年のことで、安政二年に長崎においてオランダ人から伝習したのがそも/\事の始まりで、その業成って外国に船を乗り出そうということを決したのは安政六年の冬、すなわち目に蒸気船を見てから足掛け七年目、航海術の伝習を始めてから五年目にして、それで万延元年の正月に出帆しょうというその時、少しも他人の手を借らずに出掛けて行こうと決断したその勇気といいその伎倆といい、これだけは日本国の名誉として、世界に誇るに足るべき事実だろうと思う。前にも申した通り、航海中は一切外国人のカピテン・ブルックの助力は借らないというので、測量するにも日本人自身で測量する。アメリカの人もまた自分で測量している。互いに測量したものを後で見合わせるだけの話で、決してアメリカ人に助けて貰うということは一寸でもなかった。ソレだけは大いに誇っても宣いことだと思う。今の朝鮮人、シナ人、東洋全体を見渡したところで、航海術を五年学んで太平海を乗り越そうというその事業、その勇気のある者は決してありはしない。ソレどころではない。昔々ロシアのペートル帝がオランダに行って航海術を学んだというが、べートル大帝でもこのことは出来なかろう。たとい大帝は一種絶倫の人傑なりとするも、当時のロシアにおいて日本人の如く大胆にして且つ学問思想の緻密なる国民は容易になかろうと思われる

フリー素材なことがうれしくて、ついつい多めに転載してしもうたが、どれも「風雲児たち」には印象的な形で漫画化されている(ただ(1)は21巻の場面)。

とくに今回強調したいのは、太字にした(3)だ。歴史物とは別資料=ネタバレなので(笑)、どれを先に読むかは悩みの種だが、この(3)だけは今回の「風雲児たち」より先に、ここで読んでおいてほしい。

そして、今回22巻の193-196ページを読んでいただく…すると歴史の重層的な重みが、いっそう深く感じられるはずだ。

「ブルック大尉」のウィキペディアはないなー、とコノ前まで勘違いしていたが、実際にはありました。ただ、咸臨丸のことは描写が少ない。だれか足してくれないかなあ(他人任せ)。咸臨丸を見出しにとって、「風雲児たち」で知った記述ぐらいはもっと詳しく加えようかな…うん、いまちょっとだけ記述を増補しました。


その他の福沢諭吉著書・資料
http://www.eonet.ne.jp/~log-inn/04chosya_hu.htm
http://www.aozora.gr.jp/index_pages/person296.html
福翁自伝」の完全なネット資料はまだ無かったのか…