年代ごとの一覧表(暫定)
※注意
・いただいた情報の中で「これはちょっと違うけど…」「敵役は、生徒会じゃなくて番長グループとか教師だけど」…という保留があったものも、とりあえず一覧にまとめています。
・「ちょっと違う」情報をもらってるものを紫にしました(確実な定義や確認ではない)。
・「違う」の方向性も「敵役は生徒会ではなく非公式の番長、有力グループ、あるいは教師集団である」というのもあれば「生徒会は出てくるけど、敵役とか主人公の敵ではないよ」「というか主人公が生徒会側だよ」というのもあります。
※分類・年代特定や判断不能
「恩田陸の学園もの」「あしたのジョー少年院編での力石徹」「立野真琴のマンガ」(名前不明、「20年くらい前」との情報)「幻魔大戦」(1967、ただしバージョンが色々ある)
※援助依頼。
自分は結局、90年代−ゼロ年代ぐらいになって完全に「漫画などでお馴染みの、アノ生徒会」という認識が出来てからの、ことに集英社、小学館、講談社以外の範囲… ゲーム・アニメ・ラノベ系の作品をほとんど知らないことに気付いたです。今回は募集を「元祖探し」のニュアンスでお願いしたので、今度あらためて、上の表にない「最近のもの」があったらおしえてください。
(ご協力ありがとうございます、その後の充実ぶりは上の一覧の通りです)
次にブクマやtwitter、人力検索などからのご指摘、またそこから考えたこと
【考察(1)】実際に70年代までの「学園闘争」の成果とかもあって、生徒会が大きな自治権、懲罰権、予算編成権などを持っているところもあるらしい。まあ世田谷区長(保坂展人)も、高校全共闘 麹町中全共闘 を名乗ってた時代だからね…そういうのがあったのは知っていたけど、それがこんな「悪役」になるとは(笑)。
【考察(2)】もともと、「非実在生徒会」が生まれたのは、学園ものを描くときに「敵役がほしい、そこで闘争を描きたい」というのがあって、ムチャを承知でこういう組織像を作り上げたという点も大きそう。
で、「学校の番長グループ」がリアリティを持っていたときは、そっちのほうにこそ出番があったんでしょうな。まあこれも「非実在」な部分は当時から大きかったと思うけど。教師連はどうかな…。
「非実在生徒会の隆盛は、非実在番長グループの衰退と相関がある」ということなのかなあ。ちなみに、ギャグマンガで「まだ番長グループなんてあるんですか?」「こっちも恥ずかしいんだよ!」といったやり取りが、あろひろし「優&魅衣」(1983)にありました。「絶版マンガ図書館」で読める様子。
http://www.zeppan.com/book/detail/43571
【考察(3)】生徒会と対をなす「変な部活」「変なグループ」が発明されて盛り上がったと。物語は対立構造があるからこそ盛り上がるのだが、もともと対になってましたね。ニワトリが先か、卵が先かだけど。主人公が所属する部、グループvs生徒会、が洗練?されて、とにかく変な部を発明する、という流れの進化も出てきたと(笑)。
まあ、生徒会という既存組織がそもそも「変な部」であるパターンも、かなり実際の学園社会では多い(実例を見ている)。いまは生徒会そのものに主人公らの所属する、というパターンも多いとか。
【考察(4)】マンガ研究家・伊藤剛氏のツイートを、リツイートも含めて。
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https://twitter.com/GoITO/
伊藤 剛 @GoITO · 1月18日
これは調べなければと思っていることなんだよね。70年代の劇画調少年マンガあたりがルーツで、その元イメージには高校全共闘があるのかもしれないと推測してはいるのだけれど。
http://q.hatena.ne.jp/1421539628
king-biscuit @kingbiscuitSIU · 1月18日
具体的な経緯はようわからんけど、「権力」の一般的なイメージ自体がそういうラスボスみたいなものになってく、より社会的な経緯が少年マンガに投影されてった、ってのはあるんでないかなあ。おそらく70年代あたり。
伊藤 剛 @GoITO · 1月18日
学校という場で強力な権力を持っているのが「教師」ではなく「生徒会」というところがミソだと思っています
伊藤 剛 @GoITO · 1月18日
「番長モノ」が覇権を争う構造になっていることとも関連してくるはず。
伊藤 剛 @GoITO · 1月18日
話を戦後に限っても「マンガ史」は「よくわからなくなってしまっていること」がいくらもあるんだよね。掘り下げれば掘り下げるだけ「わからないこと」が出てくる。
伊藤 剛 @GoITO · 1月18日
『ねらわれた学園』そういえばそうですね。少年少女向け大衆小説も大きいですね。RT @yanahiko02 非番長ものだと、73年の小説版『ねらわれた学園』で、学園を超能力とファシズムで掌握する生徒会が出てきますね。あと、少女漫画における小姑としての風紀委員も多少リンクしてるかも
【※一度この記事を作成後】
伊藤 剛 @GoITO 32分32分前
@gryphonjapan 拝見しました。リストとてもありがたいです。マンガではありませんが(かつパロディ的なネタですが)、『護法少女ソワカちゃん』にも『第六話 ソワカちゃん VS 暗黒生徒会 の巻』というのがありますね。
http://sowaka.s-dog.net/ep6.html
【考察(5)】ブクマから
id:IthacaChasma 生徒(主人公)の敵を教師に設定してしまうと学生運動の色が強く出過ぎるし、よっぽど良くできてないと「大人対子供」の構図って面白くならないというエンタメ方面からの要請もあると思う。
id:filinion すでに言われてるけど、生徒会は「悪役組織」というより、学園ものの舞台を「生徒による自治」という設定にすることで、物語への教師(大人)の関与を弱める働きがあるのだと思っている。
「子どもの冒険を描きたいなら、大人はいないほうがいい」というのはジュブナイルの大原則ですね。親の両方または片方と死別したり、外国にいったりする物語が多いのも、基本これで説明が付く。ながいけんのパロディ漫画でも、日本を二分する番長の対決が、教師の「これから授業ですよ」で終わってしまう、というのがあった(笑)
【考察(6)】ブクマとコメント欄。
id:mahal 米系の創作でフラタニティやソロリティを舞台にした何かが源流だったりせんかなと思ったが、案外ぐぐってもそういうのが引っ掛からず、うーんとなってる。本朝では、部活系漫画の隆盛の文脈で出現した面もありか?
菜々氏 2015/01/19 17:10
昭和40年代初頭の「生徒会長」的キャラは、問題を暴力的手段で解決しようとする主人公に対し、対話による文化的な解決を要求する優等生的キャラ(しばしばヒロイン)として、主人公と対立する構図が多かったように思います(後略)
そーなんだよ!! この源流を遡ると…自分もいちどツイートしたが、そのまま忘れてたんだ(笑)
gryphonjapan @gryphonjapan
自分は知らないジャンルだけど英国などの寄宿舎を舞台にした欧州ユーモア小説とかも、あっちの自治組織、管理、支配側に回ったマジメ系学生が悪役…とかの類型があるのかも?
上での考察で「番長グループの代わりに生徒会では?」という仮説をかいたけど、マジメすぎる、堅すぎるという”悪”で主人公に立ちふさがる、という役目は生徒会、風紀委員じゃないとできない。
端的にいうと「型破りの主人公に、破るための『型』を提供している!」となるのだろうか(笑)。そうすると石坂洋次郎や、森田健作の青春ドラマに基点があるとの説も、実はすごく重要かも。
菜々氏 2015/01/19 11:48
1971年に森田健作主演でドラマ化された津雲むつみのマンガ「おれは男だ!」は、
学園を支配する真面目な女子生徒グループが固めた秩序に、
型破りなバンカラ主人公が挑戦する、という点で、「強大な生徒会」の初期の作品といえるかもしれません。
「真面目なクラス委員長の女子」と「バンカラな男子生徒」が衝突しながら仲良くなる物語は、おそらく石坂洋次郎あたりの青春小説にルーツがあるのではないでしょうか。
最近では、「型破り主人公」のライバルが、お堅く四角四面の風紀委員、というパターンが木村紺の柔道漫画「からん」で登場していました。
ryo 2015/01/24 13:04
1968年のイギリス映画、『If もしも....』(If....)。主演はマルコム・マクダウェル。
規則の厳しい全寮制パブリックスクールに反骨精神の主人公が対立するパターンの典型です。抑圧的な監督生が出てきますが、「非実在」というよりはイギリスでは実際にこうだったようです。『トーマの心臓』や『風と木の詩』はこの映画の影響もありそう。
http://blog.goo.ne.jp/8seasons/e/cd2b983e6ff519714db41d937807dc11
【考察(7)】「島津戦記」「ライトノベル『超』入門」の新城カズマ先生とやりとり
https://twitter.com/SinjowKazma/status/557411011901554688
Sinjow Kazma @SinjowKazma
@gryphonjapan すみません、はてな経由で御指名いただいてたみたいなのですが、ただいま〆切直前にて……ちなみに「強い生徒会」イメージは『トーマの心臓』『風と木の詩』等にも見られます&蓬莱学園もその影響下にあります
gryphonjapan @gryphonjapan
ああ、わざわざ有難うございます。こういう風に物語を分類したり起源を考えたりするに当たっては『ライトノベル「超」入門』が大いに参考になり、少し前に
『ライトノベル「超」入門』〜ライトノベルって何?という疑問に、歴史や分類を通じて手堅く答える本(新城カズマ) - 見えない道場本舗 (id:gryphon / @gryphonjapan) http://d.hatena.ne.jp/gryphon/20141212/p2
で自分なりに紹介記事を書かせていただきました。@SinjowKazma
Sinjow Kazma @SinjowKazma
@gryphonjapan こちらこそ有り難うございます:「巨大学園もの」の歴史と構造については書籍にまとめたく思っておりますが、果たしていつになるやら/需要があるのやら^^;……
Sinjow Kazma @SinjowKazma · 8時間 8時間前
とゆわけで巨大学園について考えたりなんだりの午後…『巨大学園の歴史と構造』&『架空言語設計入門』は(需要さえあるなら)これまでの経験&思索をちゃんと整理して書籍化したいが… ←〆切直前のスチャラカ作家の戯言^^; #hourai2015
※……という企画案↑あり。編集者各位はメモ。
島津戦記
- 作者:新城 カズマ
- 出版社/メーカー: 新潮社
- 発売日: 2014/09/22
- メディア: 単行本
【考察(8)】暴力的番長のその上に、「オモテでは学業優秀な優等生+ウラでは番長のさらに上」なヤツがいる…というパターンから、非実在生徒会に?
菜々氏 2015/01/21 10:18
地域の番長グループを配下に従える「裏の総番長」がいて、
そいつは裕福な家庭で育った文武両道の二枚目で学園を表でも支配していた、
というパターンは1967年スタートの「夕やけ番長」などでも見られました。
資本家やヤクザと結託する現実の政治家の投影なのでしょうね。
石坂洋次郎(およびそのエピゴーネン)の昭和20年代の青春小説が
言論と規則で学園の秩序を保とうとする優等生的な非実存生徒会のルーツかもしれないと仮定しましたが、
裕福で勉強もできる優等生が実は不良で、暴力学生を手先に従えているというパターンは、昭和30年の石原慎太郎閣下の「太陽の季節」とその模倣作品群にルーツがあるかもしれません。
【考察9】TBをいただきました
学園物の主人公の敵のルーツとは? - 北沢かえるの働けば自由になる日記 http://d.hatena.ne.jp/kaerudayo/20150119#p1
【2018年12月のコメント欄より】
追記 2018年12月13日付記事のコメント欄で、宮澤英夫氏からこういう指摘を頂きました
同日記事のほうにも転載しましたが、こちらにも同じものを転載します
宮澤英夫 (https://twitter.com/miyazawa_hideo)2018/12/14 03:13
私も確かにメジャーシーンでは、非実在強大生徒会の源流は「究極超人あ〜る」で間違いないと思います。
しかしそれは「あ〜る」とハルヒとの比較のみにて立証するものではなく、ゆうきまさみ先生の過去作『時をかける学園(ねらわれた少女)』と、その元ネタになったドラマ版『ねらわれた学園』の存在が大きいと考えるのです。
ねらわれた学園 (1982年のテレビドラマ)
1982年の原田知世版『ねらわれた学園』で主人公グループと敵対する生徒会長・高見沢みちる(伊藤かずえ)は超能力で生徒会を我がものにし、学園を支配しようとします。
これまでの弁舌のみを武器とする生徒会と違い、インテリ層にありるながらも物理を超える超能力で教師の影響力を無化し、同じく超能力を持つ楠本和美(原田知世)や関耕児一派と対決します。
そして高見沢みちるの背後には未来から来た京極がおり、ドラマの展開はギャグが加算されつつ原作通りでありながらも、そのラストは今の若者が見ても度肝を抜く超展開でした。
これと映画『時をかける少女』に感化されまくったゆうきまさみ先生は、二つの原田知世主演ドラマを元に『時をかける学園』を月刊OUT内で二次創作マンガとして発表します。
この漫画では「時をかける少女」と「ねらわれた学園」が混ぜこぜになった構成を採っていますが、大筋は「ねらわれた学園」で原田知世絡みのオチとラストは「時をかける少女」に沿います。
ここでも伊藤かずみに似せた超能力生徒会長が出てきますが、会長や京極、ケン・ソゴルや関耕児ら戦ってる連中がボケ倒すので、原田知世まんまの楠本和美は突っ込み役に回り、収拾の付かないままケン・ソゴルのラベンダーで眠らされ、その面影を追って天国にいちばん近い島に行くというメタオチで閉めます。この『時をかける学園(ねらわれた少女)』が更にベースとなって『究極超人あ〜る』が産み出されるのです。
一方、ドラマ版『ねらわれた学園』に影響を受け『ヤヌスの鏡』などの実写ドラマ、大映ドラマが強権生徒会を描くようになり、生徒vs教師陣という教育問題に到る大枠対決を発生させなくてよいという利便性から、漫画やアニメも生徒会を対抗勢力として描く事を取り入れるようになります。その背後には『究極超人あ〜る』が挟撃し文脈を補完した影響がかなり大きいように見えます。
実はドラマ版『ねらわれた学園』には新人の頃の伊藤和典先生が各話担当で参加しており、後にゆうき先生と組んで『起動警察パトレイバー』を企画したり、『究極超人あ〜る』でも文芸部長・伊東としてキャラ化されています。この時期に伊藤・ゆうきらパラクリ一派(他にとりみき・河森正治先生等)がSFマガジンやSFアドベンチャー(徳間書店)などでギャグテイストのSSや中編を発表、これが後にライトノベルの先駆けとなった作家陣に影響を与えることとなります。
つまり現在に至る非実在生徒会の源流はドラマ版『ねらわれた学園』にあり、ゆうき・伊藤先生らのフィルターを通して女性生徒会長のイメージが漫画・アニメに浸透した、というのが私の見方です。