2011-06-20 今日の出来事。
林美登利「幼き魔女たちの宴」展
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林美登利の人形は怖い。子供は本能的にその怖さを感じ取る*1。そして、その感覚は、たぶん、正しい。林美登利の人形は怖い。なにが怖いのか。人形に現実のなにを切り取るかの選択眼と、現実になにを加えるかという想像力と。おそらくそのふたつが相まって、怖いのだ。
サーニットの肌理。童子のモチーフ。ある一瞬で静止してしかし今にも動き出そうなタメを感じさせる表情。虚空を見つめる強いまなざし。しかし、彼女は自分で自分が何者であるのかは、おそらく、知らないのだ。彼女は彼女の生を生きている。ざっくりと切り取られた現実がそこにある。現実が切り取られていること、それ自身が怖い。あるはずのない現実が、雄弁にそこに存在しているからだ。あるはずのないものが存在すること、それ自身は恐怖の対象となる。
今日、展示会に行くまで、わたしも林美登利の人形が怖かった。正直、みるのもあんまり気が進まなかったし、行って見始めたときも、その印象は変わらなかった。
一番、見るのが嫌だったのは、「珊瑚姫」だった。この人形は、童女の顔や頭に醜い穴が数多あり、手は血塗れたように赤く、胸には突き刺さったがごとく巌のような赤い珊瑚が突き出ている。初見で伝わってくるのは”痛み”である。しかし、この人形が「珊瑚姫」であることの意味が飲み込めてくると、自分の中でなにかが替わりはじめる。そう、この童女は珊瑚なのだ、と。この珊瑚がたまたま童女なのだ、と。珊瑚であれば、当然、ぽこぽこ穴が開いたり赤かったりするのである。よくよく見れば、足も珊瑚だ。それが現実であると理解できるようになると、あとは、すんなりと飲み込めるようになる。怖いことはなにもなかったのだ。誰も酷い目にはあっていないのだ。それがその子の現実なのだ、と。蜘蛛の子も、蝶の子も、鳥の子も、百足の子も。芽が出ちゃった冬虫夏草の子は、まあ、本当は虫だったんだろうけど。そういうことも、ある。欠けたり足しあわされたのではない。最初からまったき者としてそこにあったのだ。そう理解すると、突然、彼女たちはものすごい説得力でもって彼女たちの現実を語りかけてくるのだ。
林美登利の人形はヘの字口の子が多い。そのまま泣き出すか、くるっと表情を変えてにぱっと笑うか。それは、あなた次第だ。なにも、怖いことはないのだ。怖がっていたのは、鏡に映ったあなただ。……だからといって、彼女のお人形とお暮らしあそばせ、と仰られても、それはそれ、全力でご遠慮させていただきたいところではあります。はい。
三度目の正直でも、行って良かったと思える展覧会でした。
*1:会場でお子さまがぎゃん泣きしていました。うん。だよねー。











的確かつ健全な、ありのままを捉えた視点で良い記事ですね。
blogにしておくのがもったいないくらい良かったです。
林さんの人形には愛くるしさを感じます。
子供は泣くこも年を経て変わる感覚を身につけてくのかもしれませんねw
今では、みんなてらいのない良い子達だなぁ、と人形に対して、そんな感慨を抱いています。でもやっぱり子供たちの反応の方が正常な気もw いろんなものを見て、いろんなものを知るうちに、見えないものを見る能力を失ったのかなぁ、とも思ったりもします。
珊瑚姫はまだ昨年末でも、パラボリカ・ビスでお留守番していた気もしますので、なにかの機会に会いにいってあげるといいと思います。
ケースの木箱の朽ち方と衣装の茶色いとこの相性が良く、悶えましたw
gsminekさんのおかげです、ありがとうございました。
珊瑚姫も飛び出てるとことか、かわいかったです…抱っこしたくなります
しかしやはり生の子供の「こわい」反応は安心感を覚えるかもしれませんw
ちょうど、本日(昨日?)わたくしもカレーを食べに行ってまいりました。その席で、林さんにお会いすることがありましたので、ファンの方からコメントいただいてるんですよ、ということをお伝えしたり。今年は心を入れ替えてTwitterで話しかけてくださった方はフォローを返すようにします!と、もう何度目かの心の入れ替えをなさったようですので、もしよろしければ、Twitterの方にもいらっしゃると良いかと思います。たくさん人形はあるのに、そんな中からわたしの人形のどこを好きになってくれるのか、とても気になる、とのことでしたので、そういったお話をされると、とても喜ばれると思います。