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2012-02-10

武田信玄(Shingen Takeda)の名言

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「人は城、人は石垣、人は堀、情けは味方、仇は敵なり。」


「三度ものをいって三度言葉の変わる人間は、ウソをつく人間である。」


「為せば成る、為さねば成らぬ成る業を、成らぬと捨つる人のはかなき。」
武田信玄の名言


武田信玄(Shingen Takeda)は日本の武将、大名。1521年に生まれ、1573年に亡くなった。
父である武田信虎静岡に追放して甲斐の国(現在の山梨県)の大名となる。
信濃(現在の長野県)にも勢力を拡大し、上杉謙信と衝突する。上杉謙信とは有名な川中島の戦いで両大将同士が刃を交えたと言われている。川中島の戦いは計5回行われた。4回目の川中島の戦いで武田家家臣の山本勘介が討死した。
上杉家との争いが一応の決着をみると、信玄は西と南に視野を向ける。
京都足利義昭の要請に応え、大軍を率いて京に向かう。途中で徳川家康が立ち向かうがあっさり退ける。しかし、肺結核の病気が悪化し甲斐の国に戻る途中で没する。

武田24将と呼ばれる結束の強い家臣団が有名。24将ではないが、家臣には真田幸村の父親の真田幸隆がいる。
信玄との戦いに大敗した徳川家康は武田家が滅んだのちに旧武田家の人間を積極的に採用し、武田家の慣習などを吸収し徳川家に導入したといわれている。
武田信玄の息子武田勝頼織田信長と争い、長篠の戦いで大敗した。これが武田家滅亡の大きなきっかけとなる。
信玄は軍略家としてだけでなく内政家としても優れ、治水や産業発展などに力を発揮した。
武田家の戦略・戦術は徳川の時代に研究され、甲陽軍鑑にまとめられている。
NHK大河ドラマでは、主人公になったりと頻繁に取り上げられる人物の中のひとり。

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