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2017-08-28

「怪獣使いと少年」を少し捻くれた視点から視聴

| 19:36 |

 『帰ってきたウルトラマン』の、差別問題を扱った回として名高い「怪獣使いと少年」は、しばしば悪い差別者と善良な被差別者の二項対立的な分かり易い説明によって紹介されるが、しっかりと時間をかけて視聴をすると、更に味わい深い回である。

 以下、多くの媒体で余り語られない観点を、登場人物ごとに指摘してみる。

1.佐久間良

 汚染された地球環境によって傷ついたメイツ星人を救うため、そして自分も地球を脱出するため、メイツ星人の宇宙船を発掘しようと、河川敷を黙々と掘る「少年」佐久間良。

 佐久間はしばしば純然たる被害者として紹介されるが、私にはそうは思えない。

 メイツ星人にはまだ超能力が残っており、彼が本当に母星に帰りたいと思っているならば、地面を掘る作業を少しは手伝う筈である。そして実際の発言を聞いても、宇宙船を掘り出して欲しいとは思っていないようである。佐久間の発掘作業は、佐久間の側で安らかに衰弱死したいと思っているメイツ星人にとっては、言わば有難迷惑なのである。

 それでも地面を掘る佐久間なのだから、自分にも言い聞かせている建前はメイツ星人救済であっても、目的の大半は自分の地球脱出であろう。これはラストシーンでメイツ星人の死後も黙々と地面を掘っていた事から明らかだ。

 佐久間が町の人に、「我々の町をムルチから救ってくれた善良な宇宙人がいるんだけど、彼のために一肌脱いでくれないか? それが無理でも、僕の宇宙船発掘作業の邪魔だけはしないでくれないか?」と先に正直に言っていれば、奇人扱いされずに済んでいたかもしれない。だが「地球人は遠からず自らの作った公害で滅び、自分だけはメイツ星に逃げる」という思想で他の地球人を見下して、メイツ星との縁を独占しようとしている佐久間には、これが出来なかった。

 では「特権意識で万民を見下していた佐久間は差別されて当然」かというと、それはそれでまた単純な感想になってしまう設定も丹念に描かれている。父に蒸発され、母に先立たれ、生後約七年で天涯孤独となったのである。

 幾多の宇宙人に侵略をされた経験を持つ作品世界の地球人が、「超能力者を見たら宇宙人と思え。宇宙人を見たら侵略者と思え。」と考えるのが普通であるのと同様、佐久間が「地球人を見たら取り敢えず悪辣な迫害者であると思え。」と自分に言い聞かせていたとしても、誰がそれを批難出来ようか。

2.メイツ星人

 彼は地球の調査に来たが、佐久間への愛情から任務を放り出してしまった。

 母星に帰る気も無いし、帰った所で処罰を受けるだけである。だから地球でひっそりと衰弱死しようとしている。おそらく佐久間を母星に連れ帰る気も権限も無い。

 それでいて佐久間には「町の人に(あまり)嫌われない方法」等を指南しようとはせず、佐久間にとって脅威となる犬を見せしめの様に超能力で爆死させ、町の連中の怒りを更に買う。

 自分が地球人に敵意の無いメイツ星人である事、ムルチを封印した事、自分が(非業の)死を遂げるとムルチが復活するので、今の内に対策を練っておくべき事等を、積極的に町の連中に伝えていたら、自分と佐久間への待遇は余程変わっていただろう。

 以上、彼の失敗をあげつらったが、そもそも地球の文化をほとんど知らないのであるから、本人を責めるのは酷というものである。

3.郷秀樹

 ムルチとメイツ星人の関係を知らない、僅か約二十人の暴徒が佐久間とメイツ星人を襲い、その内のたった一人の警官が発砲をし、メイツ星人は死ぬ。そしてその直後の暴徒の大半は「流石にやり過ぎだ」という雰囲気を出しつつ後退りをしていた。死んでいくメイツ星人には、暴徒への恨みの台詞の様なものはなかった。

 そうであるのに、郷は暴徒の怪獣を倒せという要求に「勝手な事を言うな」と無茶な事を内心で言う。もしも発砲した警官が、メイツ星人を殺せばムルチが復活するという事を知っていた上で殺し、その警官本人が「さあ、ムルチを殺すのは君の役目だ」と要求してきたのなら、それは確かに身勝手な発言だが・・・。

 しかも郷は勝手にメイツ星人の内心を忖度し、暴れるムルチを「まるで金山さん(メイツ星人の仮名)の怒りが乗り移ったかの様だ」と評する。そのムルチってメイツ星人にとっても敵だったのだが。

 ムルチの立場も考えてみよう。自分が誰かに一年間ぐらい封印されて、その封印者が死んだ御蔭でようやく解放された挙句、「貴方こそ封印者の気持ちの代弁者ですね」と決めつけられたら、どんな気分になるだろうか?

 町の連中は全員で佐久間を差別していたわけではなく、彼に同情してちゃんとパンを売る女性等もいた。郷が躊躇している時間にも、町の被害は拡大し、そういう人もどんどん巻き添えになったり、経済的基盤を失ったりしていった事であろう。

4.暴徒

 メイツ星人を殺した警官は、この話の一番の悪役である。

 だが『ウルトラマンA』の「明日のエースは君だ!」を視聴して、北斗星司の苦悩を知れば、そう簡単に絶対悪と決めてかかる訳にもいかなくなる。

 彼だけは知っていたのかもしれない。「メイツ星人が一秒でも長く生きれば、それだけムルチが強大化してしまう」等の裏設定を。

 それは極端な例だが、正体不明の超能力者は、敵かもしれないし味方かもしれない。弱い地球人が警戒をするのは当然であり、彼らを現実社会で弱者をいたぶっている差別者と安易に同視する事は、却って現実社会における別の差別を正当化してしまう。「あいつらはいつも徒党を組んで要求をゴリ押しするんだ。まるで「怪獣使いと少年」に出てきた暴徒の様にな。だから許せん」と。

2017-08-25

胡种と胡軫の関係 ついでに李傕の昇進に関して思ったこと

| 19:11 |

 後漢書王允伝には司隸校尉の「胡种」という人物が登場する。

 王允政権時代の右扶風であった王宏が、李傕政権によって逮捕されると、王宏と仲の悪かった司隸校尉胡种は、王宏を殺してしまう。しかし夢の中で王宏に杖で殴られ、その後すぐに死んでしまったのだという。

 後漢書献帝紀によると李傕は前政権の司隸校尉であった黃琬を初平三年六月に殺しており、また董卓伝の記述と総合するに、同年九月には李傕は車騎将軍になると同時に司隸校尉を兼任しているので、胡种が司隸校尉だったのはこの六月から九月までの一時期ということになる。

 胡种という人物は司隸校尉という高い地位に就任していながら、これ以外の記述に登場しない、謎の人物である。こういう場合は、誰か別の人物の別名・誤記であるか、またはエリートでなかった人物が李傕に多大な貢献をして急に昇進したか、あるいはその折衷的な理由を持っている可能性が高い。

 

 そして三国志張既伝の注で引用された三輔決錄の注によると、司隸校尉の胡軫は游殷と以前から仲が悪かったので游殷を殺すのだが、游殷が鬼を率いて攻めてくる幻覚を見て死んでしまったのだという。

 

 二人の地位と死に様は酷似しているので、同一人物であった可能性が高い。

 

 仮に同一人物でなかったとしても、胡軫の勢力を引き継いだのが胡种であるという可能性もある。

 胡軫は李傕討伐を命じられながらも、李傕に寝返った人物である。単に政権の成立に功績があるのみならず、直属の部隊を持ち、それによって発言力を確保していたであろう。こういう立場の人物が突然死んだ場合に、その部隊を無事に引き継いだ人物は、そのままその後釜になることも多い。

 

 ついでになるが、九月に一気に李傕・郭棔樊稠・張濟が昇進しているのは、胡軫(・胡种)が急死してその部隊と発言力を四等分に吸収できたからであるかもしれない。

 そしてこういう僥倖があると、その体験は忘れられなくなりそうである。「旧董卓軍の五分の一を率いていたら揚武将軍にされた。しかし胡軫が死んで四分の一を率いる身になった途端に、旧来のエリートたちは俺をより恐れるようになり車騎将軍にした。それなら樊稠も殺してしまえば、大司馬ぐらいにはなれるんじゃないか?」と。

2017-08-22

数の暴力を活用した張飛 vs 少数の兵で果敢に挑んだ曹操

| 21:14 |

※最近手元に本がないので、引用した漢文は全部、中央研究院の漢籍電子文献資料からのものです。

 

 『三国志』の張飛伝では、曹操が長阪で劉備に追いついた時、張飛が僅か20名の騎兵でしんがりを務める場面がある。

 

「曹公追之,一日一夜,及於當陽之長阪。先主聞曹公卒至,棄妻子走,使飛將二十騎拒後。飛據水斷橋,瞋目毀頚:「身是張益也,可來共決死!」敵皆無敢近者,故遂得免」(張飛伝)

 

 張飛は地形を利用して少数の兵同士しか戦えない状況を一時的に作り、敵を大いに脅かすと、誰も張飛と戦う勇気がなかったため、ついに劉備は逃げおおせたのである。

 この部分の記述だけを読むと、『三国演義』のイメージに引きずられていない者すら、少数精鋭の張飛隊が知恵と勇気で数の暴力をしのいだかのように思えてしまう。

 私も最初はそう感じたのだが、次第にそういう固定観念に疑問を持つようになった。

 こういう、やたら一騎打ちが強い相手が狭い場所に陣取ったならば、大軍の側では「遠巻きにして矢を射よ!」とかするものだからだ。

 あるいは仮に矢が不足していても、莫大な褒美で釣った、張飛の名声をあまり知らない雑兵の群れを縦一列であったとしても順番に送りこめば、いつかは張飛も疲れるだろう。

 そういうことをしたくないのであれば、別動隊を安全な場所から渡河させてしまえば、数分後には張飛を包囲殲滅できるだろう。

 そう考えるうちに、張飛はほんの数分持ちこたえれば、一気に逆転出来る状況にあったのではないかと思うようになった。そして曹操軍の兵士の多くもその企みを見抜き、「あんなのを相手にする必要はない」と無視したのではないかと思い始めた。

 以下はその理由である。

 まず長阪で襲われた劉備軍の陣容を先主伝から確認してみる。

 

「過襄陽,諸葛亮説先主攻,荊州可有。先主曰:「吾不忍也。」乃駐馬呼,懼不能起。左右及荊州人多歸先主。比到當陽,眾十餘萬,輜重數千兩,日行十餘里」(先主伝)

 

 まだ諸葛亮が「俺達で劉を攻めれば絶対勝てるぜ!」と言った時点が劉備軍の初期兵力であり、劉備が劉を攻めなかったのに自発的に惰弱な劉を見捨てて劉備軍に加わる者がその後さらに加わり、ついに十数万の大軍が成立したのである。軍需物資を積んだ輜重も数千両であった。それが一日あたり十数里の速度でゆるゆると南進していたのである。

 これは無力だが逃げ足の速い民の群などではなく、戦争で一旗あげようとする血気盛んな連中が敵の突出を誘いながら慎重に後退していく様ではないか。

 対する曹操の軍はというと・・・、

 

「曹公將精騎五千急追之,一日一夜行三百餘里,及於當陽之長坂」(先主伝)

 

 なんと、精鋭騎兵とはいえ、たった五千! 劉備軍の約三十分の一!

 しかも昼夜兼行で、劉備軍の二十倍の速度で走ってきた! 馬も兵士も疲れ切っている!

 これはもう、「龐涓死於此樹之下」の再現という結末の方が自然である。

 なぜこんな危険なことをしたのかというと、曹操の方こそが、そうせざるを得ない状況に追い詰められていたからであろう。

 ここで追わなければ荊州南部に、二十万の大軍を擁する劉備政権が成立してしまう。それと数年がかりで地道に戦っていたら、遠征中の軍の方が気候や補給の観点で不利である。それを考えたら、自分が包囲殲滅されない範囲内で騎兵で奇襲攻撃を加え、「曹操は強い」と宣伝しなければならない。

 だがその宣伝に成功さえすれば、多くの兵士が寝返ってくれるだろう。

 いわば、かつて青州黄巾軍を降した時と、酷似した状況だったのである。

 

 そして曹操の疲れ切った騎兵が、三十倍の劉備軍に奇襲を加えた瞬間、敵を舐めていた一般兵は慌ててバラバラになったであろう。その統率の取れない連中のうち、特に弱そうな部分を叩いてみせることで、曹操軍は強さを宣伝した。それは通常の強さの兵士に対する、「こっちに寝返ろよ!」という呼びかけでもあっただろう。

 そして劉備とその側近とその取り巻きの精衛兵は、すぐに落ち着きを取り戻した。歴戦の勇士達は、曹操が来襲した日時から、敵が実は少数で疲れ切っている事を即座に見抜いた。

「おい飛よ、二十騎程与えるから、しんがりを務めなさい」

 これは無茶な命令ではなく、一瞬でも膠着状態を作りさえすれば、曹操軍はすぐに約十五万の大軍の中に孤立する島になる事を分かっている者同士の会話である。

 もしも曹操が張飛を何とか倒そうとして時間をかけていると、劉備軍の一般兵はすぐに冷静さを取り戻し、「敵の力量は張飛様の部隊と同程度。そして数は我等の約三十分の一。これは手柄の良い機会!」と気付くからだ。

 

 こう考えると、張飛伝における張飛の一番の見せ場であるかのような長阪の戦いは、実は「数の暴力に頼ろうとしたが、敵兵を脅しすぎたり地形を活用しすぎてしまった結果、敵の誘い込みに失敗してしまった」という、随分と情けない場面だったということになる。

 

 多分どうせ偉い人が、これと同じ事やこの意見への反論をどこかで発表しているのだろうが、そういう情報も欲しいので、とりあえず発信してみた。

正史 三国志〈5〉蜀書 (ちくま学芸文庫)

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三国志演義 (二) (講談社学術文庫)

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2017-08-15

夏休み初日はボリビアフェスティバル2017

| 17:15 |

 春からずっと早朝に起きる生活をしていたのですが、8月12日深夜をもって、忙しさに終止符が打たれました。

 ダラダラやれば13日の23時59分まで拘束されるはずでしたが、ボリビアフェスティバル2017(http://boliviafestival.com/)で公演をするので見に来いと言われたので、13日から夏休みが始まるよう、必死で頑張ったのです。

 そして夏休み初日は、予定通りボリビアフェスティバル2017に行きました。

f:id:gureneko:20170813110551j:image

 11時から18時まで、ボリビア関連の踊りや音楽が楽しめるイベントでした。

 最後まで見たかったのですが、ちょっと熱中症になりかけたので、15時ごろ退散しました。

 この4ヶ月で短期睡眠に耐えられる体にはなりましたが、デスクワークばかりだったので、忍者が日々麻の成長に順応するが如く日々高まる外気温に順応するという修行が出来ませんでした。

 とりあえず夏休みは暑さに耐える体作りが目標ですね〜。

 ちなみに翌日は昼まで眠りました。

2017-08-10

日本ファーストの会の立ち上げは一瞬出遅れた。

| 17:31 |

 ちょうど今、日本ファーストの会の立ち上げが少しだけ盛り上がっているので、その感想でも書いてみようと思う。

 六月から七月にかけて、内閣支持率は非常に低かった。これについて、最大の原因を某学園関連のスキャンダルのせいであると分析する向きもあったが、私はそうは思わなかった。

 スキャンダルに関しては、この時期に劇的に酷くなり、その後一気に疑いが晴れた、といった傾向は無かったからだ。

 そして通常ならば代わりに支持率が上がる筈の野党第一党たる民進党への支持率も低いままであり、代表は連日マスコミから叩かれまくっていたからだ。

 これらの二つの事情を考慮するに、一時的に内閣支持をやめた人の大半は、「民進党より自民党がマシだが、安倍内閣も酷い。そして安倍内閣が滅んでも民進党単独政権にはならない雰囲気が出てきた。だから不支持に回る。」と考えた人達だったのだろう。

 よって私が想定した支持率下落の理由とは、都議会選における、保守政党の都民ファーストの躍進である。ここでかつての内閣支持者の多くが「代わり」の出現の高い可能性を見出したのである。

 長年、高支持率を維持しているものの、ファッショ的な熱狂的支持者はほとんどいなかった政権だ。「代わりがいないから」という理由が消えた瞬間に支持率が劇的に低下するのは当然の話である。

 だが日本ファーストの会は、この数値が示した「さっさと誕生せよ!」という国民の意思に、いきなり応じ損ねた。

 与党第一党も野党第一党も国民から酷く嫌われているという奇跡の瞬間を掴めば、これといった支持母体のない政党でも一気に熱狂的な浮動票を掻き集められたのだが、その直前に自民党にも民進党にも先手を打たれてしまった。

 自民党は、所謂「御友達内閣」をやめてみせることで、良質保守からの支持を一気に回復させた。そして石破茂の反抗すら、結果的に自民党はいまだ一枚岩ではないという印象を勝ち取る一助になったと思われる。

 また民進党も、人気の下がった代表が辞任をして、党内の代表戦を予告してみせることで、人気と話題性を回復した。

 もはや、日本ファーストの会を立ち上げたところで、そうそう人気も話題も集まらないという鉄の布陣が作られていたのだ。

 やはり古強者を揃えた党というのは底力があると、改めて感じたものである。