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2017-02-21

映画版のおかげで設定の破綻が理解できた『華氏451度』。そして洗脳装置としての映像の力の限界について考えた。

| 02:14 |

華氏451 [DVD]

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 『華氏451度』はしばしば『すばらしい新世界』や『1984年』と同格の傑作であるかのように紹介される。

 ただし、『すばらしい新世界』と『1984年』は10回以上通読したのに対し、何故か『華氏451度』の方は一度読んだだけで終わっていた。言語化は出来なかったものの、超一流の作品とまでは言えないような何らかの理由を漠然と感じ取っていたのである。

 そして最近映画版を視聴して、ようやくこの謎が解けた。やはり設定は当初から破綻していたのである。

 真っ先に気付いた疑問は、「実用書無くして、この高度な映像主体の文明をどうやって維持しているのか?」というものである。

 おそらく「家やテレビの作り方も映像媒体に記録されている」ぐらいしかまともな回答は不可能だろうが、もしもそうであればその映像は電子化された書籍とほとんど変わりがない。

 映画版では、消防署にも紙媒体の資料が存在する場面を隠しきれていなかった。

 その資料が「本」ではないのは、一枚ずつバラバラになっていて綴じられていないからなのであろうが、そもそもかつての量産本はしばしばそういう形式で売られており、購入した個人が自分や製本屋の労力で製本したものである。

 こうして映画版のおかげで、少なくとも一定レベル以上の労働者には「これは本ではありませんよ」という抜け道を許さなければ、本を発見して焼くシステムすら維持出来ないと気付いたのである。

 今回の視聴で判明した事は、『華氏451度』の文学としての価値の限界であったが、これを通じて映像の影響力の限界にも気付かされた。

 テレビが家庭に入ってきたばかりの頃には、その影響力の強さを警戒する文章が各国で大量に書かれた。「文字やラジオと違って映像は強烈な洗脳装置になり得る」というものであった。今でもそうした世界観を持ったままの老人は数多くいる。

 しかし映像は製作者の伝えようとしなかったものまで、赤裸々に伝えてしまうものである。それを防ごうとすれば、文字媒体への検閲と比較して莫大な手間がかかる。これは洗脳装置としては大きな弱点だ。

 だから、権威者から「これは傑作だ!」と紹介されて小説『華氏451度』を渡されたら概ね騙されてしまう私のような人物でも、映画『華氏451』ならば直ぐにその設定の穴に気付いて「これはケッサクだ!」と嗤う事が可能となるのである。

一九八四年[新訳版] (ハヤカワepi文庫)

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2017-02-20

清水富美加氏の「出家」を機に、幸福の科学教団とその信者に望む事(追記あり)

| 13:17 |

 清水富美加氏が幸福の科学に「出家」したという事件が話題となっている。

 「関係者の中で、誰がどの程度悪いのか?」という議論にも今後参入するかもしれないが、現時点ではほとんど背景の情報を持っていないので、しばらくはそうした記事を書く予定はない。

 ただ、これを機に幸福の科学教団に望む事がある。それは、ブラック企業を批判する方向へと教義を変えて欲しいという事である。

 かつて幸福の科学の機関紙では、「「ブラック企業」批判は、左翼による「資本主義の精神」への攻撃だ」(http://megalodon.jp/2017-0220-1226-06/the-liberty.com/article.php?item_id=6479)という記事を書いていた。

 これは、「ブラックという言葉には、暴力団とつながりがあったり、許認可を得ないもぐりの業者といったイメージが付きまとうからだ。労使の問題が一部生じているからと言って、"ブラック"と批判してしまうのは、あまりにも悪意に満ちている。」等と書き、労使問題を非常に軽視する文章であった。

 そして数あるブラック企業批判活動の内の一つである「ブラック企業大賞」の企画委員に「左翼運動家と思われる人物がずらりと並んでいる。」事等を根拠に、「ブラック企業批判は、資本主義そのものを否定する立場からの、新たな左翼による労働運動である。」とまで言い張っていた。

 それが清水氏関連の記事では一転して、「清水富美加さんとレプロとの「奴隷契約」を擁護する弁護士の不見識」(http://megalodon.jp/2017-0220-1235-34/https://the-liberty.com:443/article.php?item_id=12602)という記事を書き、普段は自分達が軽視していた憲法・刑法・労働基準法を総動員して清水氏を擁護している。

 身勝手な理由から転向した上にかつての自分達の態度を自己批判していないのは問題だが、国法と世間の道徳に従う方向に変化したのは、カルト度の低下を意味するので、どちらかといえば良い変化の兆しである。

 これに似た変化はかつてもあったそうで、大川隆法氏はいじめられる側を蔑むような本を書いていたのに(参照→http://gallerytondemo.blog.shinobi.jp/life/129)、自分の三男がいじめられた途端に態度を急変させたのだそうである(参照→http://gallerytondemo.blog.shinobi.jp/life/130)。

 これも、色々と問題点は多いが、原則として正しい方向への変化である。

 また以前、「数え年」の計算の仕方を知らない無教養な教団が純朴な信者に虚偽の計算方法を流布していたので、この私自らが親切にも指南をしてやった事がある(参照→http://d.hatena.ne.jp/gureneko/20130804/1375582471)。すると何の返礼も謝罪も無かったが、記事はこっそりと修正されていた(参照→http://d.hatena.ne.jp/gureneko/20130809/1375982964)。

 これまた非常に問題のある行為だが、延々と噓を吐き通そうとするよりかは余程良い。

 こうした傾向を見るに、幸福の科学教団は「悔い改める」のに必要な良心は持ち合わせていないものの、「改める」程度なら何とか出来る場合もあるようだ。

 そういう次第で、今後はせめて労使問題については被害者の立場を考慮する立場へと生まれ変わって欲しい。その程度の要求ならば決して無理難題ではなかろう。

 そして信者諸氏に望むのは、このように教団の主張はどうせ千変万化するのであるから、あまり熱心に今の教義を信じない方が良いと気付いて欲しいという事である。いつ、どんな、取り返しのつかないどんでん返しをされるか、知れたものではないのだから。

 そして清水氏に同情する心を持てたなら、次は世間の様々な立場の弱者へとその同情心を広げていって欲しい。

 幸福の科学の教義では「人生は一冊の問題集」なのだそうだが、多くの弱者に寄り添えば、自然に見識は広がり、福沢諭吉流に言えば「一身にして二生を経るが如」き実り多き生涯を経験出来るであろう。

(以下、2月20日19時50分頃追記)

 幸福の科学における「出家」の意味が、日本語本来の意味と余りにもかけ離れている事を指摘するブログ記事(http://ameblo.jp/two-bass/entry-12249359737.html)を拝読したので、題名及び本文における「出家」に鉤括弧をつけました。

幸福への道標 (SUPER CONTACT)

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文明論之概略 (岩波文庫)

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2017-02-09

ホラー映画『ボイス』・『ヴォイス』、両方楽しめた。

| 04:09 |

 自分の周囲で、『ボイス』という韓国のホラー映画が面白いらしいから借りて観ようという話になった。参加者は全員未見であり、ネタバレ情報すら持っていなかった。

 借りる担当の者は、棚に『ボイス』と『ヴォイス』があったので、どちらが本物か判らなかったらしく、両方借りてきた。

 世の中には有名な作品に似せた邦題を付ける商売が蔓延しているので、どちらかがつまらないB級映画に違いないと、この時点では皆が思っていた。

 まず『ボイス』から観た。

 これは非常に秀逸なホラーであった。

 序盤から中盤まで、科学で説明の付く人間の陰謀がもたらす怪異を扱った作品なのか、それとも幽霊物なのかが、判別出来ない仕組みになっていた。

 我々は約10分ごとに一時停止をして、その後の展開を予想し合った。

 そして終盤、物語は様々などんでん返しを経て、一気に辻褄の合った話として完結した。

 一番褒めたいのは、伏線の張り方である。前述した通り、様々な誤誘導もあったのだが、それでいて無駄な話が一切無かったのである。つまり、視聴者にホラーとしてのジャンルを勘違いさせかねない場面も、しっかりと物語の一部として機能していたのである。

 序盤では下手に見えた設定も、最後にはそれこそが至上の設定であると思い直す展開になっていた。

 一つだけ例を挙げておく。

 主人公の記者は、援助交際事件の闇を暴いたせいで加害者かその同情者らしき連中に追われる事になり、友人の夫の別荘に引っ越しをすることになる。そしてその家で怪異に遭う。

 当初はこれを、「呪われた家」に一人で住む事になった経緯を自然に説明するための話であると思っていた。そして身を隠さなければならない事件となると、政治かマフィアがらみの方が良いと、我々はケチを付けていた。だが、やがてこの設定がじわじわと活かされてきたのである。

 また「主人公が命を失うのが自然な二つの危機に同時に遭遇し、それが同時だったせいで却って助かる」という設定であるかのような場面があった。

 この偶然を御都合主義的な主人公補正だと皆で嗤っていたのだが、やがて必然的な展開であったと判明して、恐れ入ったのである。

 久々に満点を付けられる映画に出会った。ホラー映画に満点を付けるのは、ひょっとしたらこれが人生で初かもしれない。

ヴォイス [DVD]

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 続いて『ヴォイス』を観た。『ボイス』が秀逸だったので、パチモノだと皆が覚悟して観始めた。

 ところがこれまた、かなり見事な構成の作品だったのである。

 ある高校で突然死をした生徒の幽霊と、その子の声が唯一聞こえる友人とが、事件の謎を解いていくというものであった。

 全体的に色調がセピア色で、郷愁を呼び起こされた。

 そして自分はセピア色から「懐かしさ」を連想する最後の世代なのか、それとも約束事としてもうしばらくこの伝統は続くのか、などと考えさせられた。

 こちらの物語もどんでん返しが多く、中々良かった。

2017-02-06

映画版、『ぼっけえ、きょうてえ』(2006)には馴染めず。

| 20:48 |

インプリント~ぼっけえ、きょうてえ~ [DVD]

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 小説『ぼっけえ、きょうてえ』に感動したので(参照→http://d.hatena.ne.jp/gureneko/20170203/1486059545)、映画版も観た。

 映画版では、「怖さ」の力点が拷問等への生理的嫌悪感に置かれていたので、原作特有の恐怖感は味わえなかった。

 「こっちの方が好き」という人もいるかもしれないが、私は他人が痛がっている場面を見るのが苦手なので、見ていて単に不愉快になっただけであった。

 原作に感動をしたという人は、安易に観ない方がいいだろう。

ぼっけえ、きょうてえ (角川ホラー文庫)

ぼっけえ、きょうてえ (角川ホラー文庫)

2017-02-03

珠玉のホラー短編集 岩井志麻子著『ぼっけえ、きょうてえ』(角川書店・2002)

| 03:19 |

ぼっけえ、きょうてえ (角川ホラー文庫)

ぼっけえ、きょうてえ (角川ホラー文庫)

 「岩井志麻子」という作家の名前を知ったのは、彼女の書いた超短編集である百物語シリーズのうちの一冊を読んだのが切っ掛けであった。

 この百物語自体は、大して怖いとは感じなかった。どれも同じ長さにしているため、それぞれのネタにちょうど相応しい話の長さになっていなかったため、しばしば冗長さか物足りなさを感じてしまったのである。

 しかし自由な長さで書けば相当面白くなりそうな怪談話を、惜しげもなく百物語にし続けている、この岩井志麻子という人物には恐怖感を覚えた。そしてこの人が自由に書いた怪談を読んでみたいと思ったのである。

 そして入手したのが、角川ホラー文庫の『ぼっけえ、きょうてえ』(2002)であった。1999年10月に単行本として出た内容の文庫化らしいのだが、手元にあるのは文庫本のほうなので、本稿ではこの文庫版に依拠して内容等を紹介していく。

 本書には四作の短編が収められている。そしてそのどれもが、何らかの形で岡山県の貧しい村の村社会を描いている。

 本当に怖い部分は、この村社会における人間模様がもたらす悲劇の部分である。

 「怪異」らしきものも一応描かれているが、それは夢や幻覚かもしれないような状況下で登場するので、せいぜい添え物程度の意味しか持たない。

 時代設定を明治にしているのも、読者に村社会の怖さを感じさせるのに最高の設定である。

 江戸時代の村社会の怖さを描いても、読者にとってそれは「異界」である。「今はもうそんな時代じゃない、よかったよかった。」と感じられてしまう。

 現代の秘境の村の村社会も「異界」である。「設定が非現実的だし、仮に現実にそんな村があっても、自分の実生活の遥か遠くにあるだろう。」と思われてしまう。

 しかし表向きは「近代」を受容した国制の中にあって、敢えて都会に対抗して「村社会」を守り、住民同士で相互に抑圧しあっている世界というのは、かなり現実的な恐怖を感じさせてくる。

 平成の今、もうそんな「村」は存在しない。しかし、小学校のクラスやカルト集団などでは、まだまだそういうものが残っていそうである。そして、自分もまたふと油断した隙に、その小宇宙に飲み込まれてしまうかもしれない。そうした世界への恐怖は、ほとんどの日本人の心の底で蠢き続けているであろう。

 そういう、「現代社会にあって自己の隣にある特異点としての闇」への恐怖を呼び起こしてくれるのは、「近代初頭にあって都会の隣にあった面としての闇」の描写である。

 四作どれも素晴らしかったのだが、一番質が高いと感じたのは、第二作の「密告函」である。これは、プロットが練りに練られていると感じさせられた。計算づくで書いたなら真の秀才の作であり、計算しないで書いたなら真の天才の作である。

 コレラの流行する村の小役人の受難を描いた作品なのだが、同じく「疫病もの」の中で世界的傑作とされているカミュの『ペスト』を、私の中で超えてしまった。

 以下に、軽く内容を紹介してみる。

 主人公の片山弘三は「××村」役場の一番の若手である。いわば、「江戸時代から連続している土俗的な村社会」と「西洋近代社会と連続している明治国家」との境界線上の存在である。

 そしてこの村でコレラの流行が始まる。村人は近代国家が作った隔離病院を信用せず、迷信的な恐怖感を抱いている。弘三は患者を発見したら通報し、村から彼らを隔離する立場の人間だ。ここでも、弘三が村社会と近代社会の境界線上の存在である事が強調されている。

 役場と弘三の家までの道には、細井家がある。弘三は細井家の嫁に密かに恋慕しているのだが、怪力の夫である静吾郎が怖いので不倫を我慢している。

 だが弘三は静吾郎がコレラに罹患して弱っているのを偶然見てしまう。そして細井の嫁は、そんな弘三を見てしまう。この瞬間、様々な立場の人間が一気に様々な恐怖を味わい始める。

 静吾郎の嫁は、夫が国家権力によって隔離されるのを恐れる。そしてその権力の末端である弘三を恐れる。弘三は細井の嫁の尋常ではない顔を恐れ、さらにはコレラ菌の感染を恐れ、なおかつ静吾郎が隔離された場合に村で密告者とみなされて爪弾きにされるのを恐れる。

 「忘れかけていた幼い頃の怖い絵草紙がそのままの毒々しさでよみがえるが、あんな解りやすい幽霊など正に絵空事だ。」(55ページ)と語られ、この一文が本作全体の精神を要約している。

 そして静吾郎を匿い続けた細井一家はほぼ全滅をするのだが、弘三には罪悪感がほとんどなく、ただただ密告者扱いされずに事が済んだのを喜ぶのである。この村社会ならではの精神構造も、ある意味では恐ろしい。

 やがてそういう村社会の特性に対応したコレラ対策として、役場に「密告函」なるものが作られる。罹患の可能性のある者の名前を書いた密告書を誰もがこっそりと投じられる箱である。すると今度は一気に大量の密告書が投じられる。その中には、単なる恨みから健康な人間の名前を書いた書もあった。

 弘三はそれらの書に従って各家庭を検分しに行くのだが、コレラの流行さえなければ隠し通せていたかもしれない各家庭の闇を見る事になる。当主が発狂して座敷牢に入れられていたり、随分前に死んだ死体が家族から生者と思い込まれて遇されていたりと…。

 念のため確認しておくが、成田ミイラ化遺体事件が発覚したのは1999年11月なので、こうした状況設定を思いついた能力は現在の我々の常識で判断するよりも高い。

 そういう精神的に苦しい仕事をしているうちに、弘三のストレスは高まり、やがて視察するふりをして流れ者の「お咲」の元へと不倫をしに行くようになる。こういうサボリかたができるのも、誰が告発されているのかが外部からは不明な「密告函」関連の仕事が、弘三に押し付けられているからである。

 普通のホラーに登場する、あやかしの眷属じみた雰囲気をまとっていたお咲は、すぐにその神秘性を失い、大金持ちの妾になろうとした挙句、正体は弘三の妻「トミ」の可能性が高い謎の女に焼き殺されて死んでしまう。

 この「お咲」も「元気だった頃の静吾郎の腕力」や「怖い絵草紙」と同じく、本当に恐ろしい者を際立たせるための咬ませ犬みたいなものであった。

 お咲を焼き殺した翌日から、トミは夫を心から愛していた時と同じ顔で、コレラの犠牲者の出た家の側の川で採れた魚などの危険な食品を、弘三に出すようになったのである。

 感情を押し殺して表面的な付き合いをして、病魔よりも村八分を恐れて相互に構成員を国家権力から匿い合い、それでいて匿名で密告出来る密告函が出来た途端に憎い相手を密告し合う。そんな村社会の究極が、表面的には大人しく夫唱婦随の家庭を維持しつつ、裏では浮気した夫の死期を早める努力を惜しまない、トミであったのである。

 以上が、大体の「密告函」のあらすじなのだが、肉付けとしての描写の筆力も見事なものであり、伏線の張り方も偽の伏線の張り方も、全て見事なものであった。

 この第二話「密告函」まで読んで、かなり感動をしたのだが、一つだけ著者の能力に僅かな疑いが残っていた。それは、「密告函」があくまで男性の視点での恐怖だということである。トミの視点に立てば、弘三こそが先に不倫という悪事をしたのであり、トミは生温い手段で復讐をしているだけだとも言える。「著者は十分天才と言えるが、女性の視点から見た、村社会や身勝手な男性の悪も書けるのか?」という疑念が残ったのである。

 だがその疑念も、第三話「あまぞわい」で一気に消し飛んだ。

現代百物語 (角川ホラー文庫)

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ぼっけえ、きょうてえ

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ペスト (新潮文庫)

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