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2016-06-27

「犯罪者でない者は顔を見ればわかる」と主張する国家権力者は怖い。

| 04:55 |

 数か月前、暴力革命を起こす可能性があると警察に疑われている某政党の幹部のA氏が、「自分や別の幹部の顔を見れば暴力革命を企んでいない事が判別可能な筈だ」という意味の発言をしていた。

 これは実に恐ろしい発言であった。

 顔で犯罪者かどうか判別出来るとかいう連中が内閣を掌握した時、国家権力がどんな暴走をするか、あらかた判別出来てしまったからである。

 まずA氏が、しい的に「犯罪者顔でない」と決め付けた顔に似た凶悪犯達は、軒並み起訴猶予になり、野に放たれるであろう。

 だがこの恐怖はまだ序の口である。

 下手をすれば、一足飛びに「犯罪者顔だから」という理由で予備拘禁されたりする世の中になるかもしれない。

 またそこまで極端な事にならなかったとしても、以下の様な悲劇が起きる可能性はかなりある。

 近代法の下では「疑わしきは被告人の利益に」という原則がある。よって「B氏とC氏のどちらか一方が内乱の首謀者である事は100%確実だが、どちらであるかは不明である」という場合、両者ともに内乱の首謀者として裁かれる事は無いのである。しかしA氏がしい的に「C氏は犯罪者の顔でない」と決めつけた場合、消去法でB氏は100%の確率で内乱の首謀者である事になってしまう。

 警察に理不尽に疑われる事の辛さは、A氏こそがよく知っているだろう。だからこそ、「顔」等という曖昧な基準を用いて警察による明日の被害者を増やすというやり口で疑いを晴らすのではなく、近代主義的な論法で警察を批判して欲しいものである。

2016-06-24

政党は、なるべく多くのカルトと全方位等距離交流をして欲しい。

| 16:58 |

 かつて、ほとんどの新興宗教は自由民主党(以下、「自民党」と表記)にだけ票を売っていたものである。

 その頃の自民党はカルトの総合商社とでもいう様相を呈していたし、これに不満を持つ者も多かった。

 その後、マルクス主義を奉じない野党が続々と現れ、また自公連立により自民党への影響力については創価学会の一人勝ちともいうべき状況が続いた事もあって、幾つかの新興宗教は時に自民党以外の政党とも組むようになった。幸福の科学の様にほぼ完全な独立を果たした組織もある。

 複数の新興宗教の自民党への影響力の総和を、単純な数の足し算で把握する人の中には、これを歓迎する者もかなり多かった。

 しかし、「ほぼあらゆるカルトと均等に付き合える者こそが、実はカルトと一番遠い位置にある」という考え方も成り立つと、私は考えている。

 例えば「日蓮をどの程度尊敬するか?」というのをx軸とした場合、日蓮系カルトが「念仏無間と学校教育で教えなさい」と自民党に依頼してxをプラスにしようとしても、自民党が法然系・親鸞系カルトと同じ程度に深い仲であった場合、「それは親鸞系団体がうるさいので無理です。その代わり、日蓮を誹謗する教育も阻止してみせます。」と上手い事を言って、xの値を0に引き戻す事が出来たのである。

 そうしてあらゆるカルトの影響を均等に受けた場合、ほぼどの軸においてもベクトルが中和されてカルトの影響は0に戻り、せいぜい「宗教法人への課税を甘くする」というz軸のみがプラスになるだけとなる。

 ここ数年の自民党には「創価学会の影響だけを受け過ぎている」という批判があり、また最近では「日本会議の影響を受け過ぎている」という批判も出てきた。これにつき、「自公連立を解消して、日本会議派を追い出せば、自民党は一気に生まれ変わる!」という主張もあるが、私にはそう単純に上手くいくとは思えない。

 そういうわけで私は、政党にはなるべく多くのカルトと全方位等距離交流をして欲しいと思っている。その「距離」が無限大であれば尚の事良いのであるが、当座は「等距離」にする事が先である。

2016-06-21

「目先の弱者を救うために自由を放棄すると、長期的に見て却って弱者の不利益になるから、自由主義を守るべきだ」論の反対者の全員が、論を理解せずに反対しているというわけではない。

| 17:08 |

 「目先の弱者を救うために自由を放棄すると、長期的に見て却って弱者の不利益になるから、自由主義を守るべきだ」論については、私自身は賛同している。

 しかし賛同者の同志達の中には、「反対者は単にこの高度な論理を理解出来ない馬鹿者だから反対しているだけであって、頭が良くなれば自然に転向する」と思い込んでいる者がいる。確かにそういう類系の反対者もいるのだが、世の中にはこの論法を理解した上でなお反対している者もおり、また私がその人の立場なら反対していたであろうと思える立場の人も大勢いるのである。

 そういう人々だって存在するという事実を同志達に理解して貰うため、以下の様な話を作った。

 

『百年後のキャセイ国』

 あるパラレルワールドが舞台である。

 ある自由主義国との大戦争に敗けたキャセイ国では、占領軍の指導の下、極端に自由主義的な憲法が制定された。独裁政権下の不自由に苦しんでいた人々は諸手を挙げてこれを歓迎した。

 しかし、行き過ぎた自由主義の弊害を告発する声も次第に高まっていった。

 ある日、自分では虫一匹殺せないような連中が集まって、どうせ採用されない意見である事を承知しながら、「政府は日本人を皆殺しにすべきだ!」と主張するデモを行った。

 

日本人「やれやれ、実に不愉快な言論を聞かされたものだ。思えば昔のキャセイ国は良かったなぁ。ああいうデモは独裁政権が全部取り締まってくれたからなぁ。」

老人「まったくぢゃ。ああいうデモは同じキャセイ国人から見ても不愉快ぢゃ。今すぐ独裁に戻せとは言わんが、せめて現状と独裁の中間である戦う民主主義国ぐらいには揺り戻して欲しいものぢゃ。」

エリート「今、お二人の期待に応えられそうな法案を一生懸命作っているので、お楽しみに。」

自由原理主義者「皆さん、何て事を言うんですか。ああいうデモを禁止する法律を作れば、確かに今は良いでしょう。しかし長い目で見たならば、権力者はそうした法律を恣意的に運用して、不自由な世の中を作ってしまうでしょう。そうなると却って住み難い社会になりますよ。そんな事も解らないのですか?」

日本人「そんな事ぐらい判りますよ。でも最大多数の最大幸福にとってどうであるかはさておき、私個人にとっては不自由でも大々的に差別されない社会の方がマシですから。それに私はいざとなったら別の国に移住する予定なのです。私を説得したかったら、別の論理を考えるなり、永久出国禁止令でも出してみなさいよ。」

老人「儂の計算では、目先の利益を重視したせいで長期的に見て損となるまで、二十五年かかる。一方、儂の余命の推定値は二十年ぢゃ。儂を説得したかったら、別の論理を考えるなり、若返りの薬でも発明することぢゃな。」

エリート「恣意的な法の運用で反対者を弾圧出来るなら、私にとってはまさに一石二鳥です。私を説得したかったら、別の論理を考えるなり、私を没落させてみる事ですね。」

2016-06-11

大川隆法著『不滅の法』(幸福の科学出版・2012)と幸福の科学の信者数の話

| 04:26 |

不滅の法―宇宙時代への目覚め (OR books)

不滅の法―宇宙時代への目覚め (OR books)

 幸福の科学という宗教団体は信者数が一千万人以上だと自称しており、会員の中にはそれを信じる者もいる。

 教祖本人も半ばそれを信じているのか、『不滅の法』という著作の中で面白い事を書いている。

 82・83ページでは、東日本大震災について「被害の大きさから見ると、当初は、「亡くなった信者は千人を超えるのではないか」と思い、心を痛めていたのですが、」と書いている。仮に日本人の十人に一人が本当に幸福の科学の信者であったとするならば、確かに比率からいって千人強の会員が死んでいた筈である。

 しかし実際の会員の使者は僅か八人であったと、さらりと書いている。しかもその中には、家族に勧められて仕方が無く加入した者が、少なくとも二名含まれていたそうである。

 これには部外者である私ですら、「こんなに無防備でいいのか?」と心配してしまった。

 これは常識的に解釈する限り、「幸福の科学の会員は、厭厭ながらの名義貸しを含めて、日本人の約二千人に一人だ」と自白しているに等しいからである。

 教祖本人は、死者が少なかったのは奇跡のせいだと言い張っているが、それを本気で信じる者は、二千人に一人もおるまい。

 なお、地震や津波関連での幸福の科学の奇跡に関する主張の検証としては、「エル・バカターレ」という方による「検証!幸福の科学 ‥貽本大震災の奇跡」(http://sanpole.blog.fc2.com/blog-entry-33.html)という記事が秀逸なので、紹介しておく。

2016-06-07

二世政治家を減らすための提案は、何故ほとんどが極論なのだろうか?

| 11:29 |

 「二世政治家を減らそう、あわよくば無くそう」という提案は、管見の限りではほぼ全て極論である。

 具体的には、「親が政治家であった人物から被選挙権を剥奪する」とか、或いは少し妥協した振りをして「親と同じ選挙区からは立候補させない」とか、そういったものばかりが目につく。

 私は極論は嫌いではないのだが、それはあくまで社会の一部分であるべきだと考えている。

 現状と極論との間には、凡人でもほんの少し頭を使えば様々な種類の提案を思いつけるはずだ。

 例えば、「「カンバン」の効果を減らすため、コンピューターがランダムで決定した数値でしか投票出来ないようにする」というのはいかがであろうか。「丹瀬井一郎元総理の息子の丹瀬井二郎で〜す! 丹瀬井二郎をよろしく〜。」ではなく、「丹瀬井一郎元総理の息子の丹瀬井二郎の今回の投票番号は2126で〜す。投票用紙には2126とご記入下さ〜い。」と叫ばなければならなくなるとすれば、二世政治家もかなり一生懸命選挙活動をしなければならなくなるであろうから、かなり平等となる。

 仮に「いや、二世にのみ不利益を課してこそ真の平等だ」という過激な主張を前提にしても、「二世は供託金二倍」だの「ポスターを貼っていい箇所は通常の半分」だのと、やはり現状と極論との間には無数の提案を思いつけるであろう。

 何故そうした主張がほとんど出てこないのだろうか?

 私が思いついた仮説は、「敢えて採用され難い極論を唱える事で、一部の不満屋からリスク無しで喝采を浴びようとしている」というものである。

 以前、「自由民主党が過激な改憲案を主張したのは、実は第九条や第九十六条すら本気で変えようとしていないからだろう」という分析をした事がある(参照→http://d.hatena.ne.jp/gureneko/20121210/1355138673)。

 この「二世政治家を減らすための提案のほとんどは極論」という問題も、実はそれと同じ構造から生まれたのではなかろうか。