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2016-08-20

統計を無視して何かを怖がる態度は三流。しかし統計を根拠に彼等を馬鹿にするだけではまだまだ二流。

| 03:23 |

 「飛行機事故で死ぬ確率は、X事故で死ぬ確率よりもずっと低いですよ。だからそんなに飛行機だけ怖がる態度は愚かですよ」という発言を、幼少期に聞いた記憶がある。その頃の私はその論法で完全に納得していた。

 その後の人生でも、「米兵が犯罪をする確率と日本人が犯罪をする確率」とか「精神障害者が犯罪をする確率と健常者が犯罪をする確率」とか「原子力発電所で減る寿命の期待値と火力発電所で減る寿命の期待値」とか、同工異曲の発言を何度も聞かされた。

 中には不正確な統計に基くデマもあっただろうが、正確な統計に基いてそういう発言をしている人は、確かにイメージだけで何かを怖がっている人よりも、幾分か賢いのであろう。それは今でも認めている。

 しかし徐々にある種の違和感を感じるようになってきた。それは、そうした統計愛好家の発言の影響力に限界がある事に気付いたからである。いくら「〜はそんなに危険ではありません」と統計愛好家が叫んでも、それに対抗するデータを示さずにひたすら怖がり続ける連中が多かったのである。

 一旦原点に戻って、飛行機事故について考えてみた。

 そして、飛行機事故を怖れ続ける人が怖れているのが、「死」そのものだけではないのではないかという仮説に至った。

 日本人の多数派の宗教観念においては、骨の埋葬が重要となる。科学的に考えれば骨に意識は無いし、仏教や神道ですらそのような主張を強くしていたりはしない。だが日本人の多くは、骨の埋葬にかなりこだわりを持っている。

 こうして、飛行機事故を怖れる人の中には、実は死に加えて死体の散逸を心配している者も多いのではないか、と考えるようになった。それならば確率を軽視した恐怖感にも説明がつく。

 米兵や精神障害者の犯罪を怖れている人も、国家が仇討をしてくれない事を怖れているのかもしれない。現代の刑法は復讐が目的のシステムではないが、そこに結果的な復讐を期待している民衆が多いのはまぎれもない事実である。

 かくいう私も、「十万円の損害を受けたが、犯人は刑務所に行った」というのと「九万円の損害を受けたが、犯人は裁かれなかった」というのでは、前者を体験する方がマシと感じてしまう人間の一員である。普段庶民感情を馬鹿にしている期待値愛好家や近代法の理念の唱道者の中にも、実は一万円程度の差異ならば復讐心を満たしたがる者が一定数いるのではなかろうか?

 こうした問題について真に一流と言える態度とは、自分自身は統計に基いて「正しく怖れる」と同時に、「不正に怖れている」人の気持ちも汲み取り、状況に応じて適切な説得をしたり、そもそも説得を諦めたりするという態度であろう。

2016-08-14

児童ポルノ規制問題については、こういう妥協案もあり得るだろう。しかしこの妥協案にも難点がある。

| 08:01 |

 児童ポルノ規制問題の難しい点の一つは、規制を推進する立場が大きく二種類の勢力に分けられる事である。

 第一は、生殖能力の無い世代の人間に性欲を持つ事が生物として異常であり、そういう性癖の人物が存在する事自体が罪であるという、二時代古い立場である。第二は、表現は原則として自由であるべきだが、実在の児童の場合はプライバシーに関する観念が未発達であるので、児童の出演を父権主義的に規制する事で出演者が数年後に悔やむ事を防ぐという、現代的立場である。

 この二時代古い立場と現代的立場が、表現の自由絶対主義という一時代古い立場を挟み撃ちにしているのが、児童ポルノの規制をめぐる論争なのである。

 この構造に気付いていない人の意見は、大概の場合どことなく不自然なものとなる。

 本日私が提唱する妥協案は、現代的立場と一時代前の立場の妥協案であって、二時代前の立場とは無関係のものである。

 ただし私は後述する様にこの妥協案を強く唱導しているという訳ではないので、二時代前の思想的立場の人にも参考になる記事だとは思う。そういう立場の人には、敵と潜在的敵がこの様な妥協を勝手に進めるのを防ぐにはどうしたらいいかを考える良いきっかけになると思う。

 さて、漸く本題なのだが、私が考える児童ポルノ規制の妥協案とは、「本人が幼い頃に自撮りした写真を、成人後に流布した場合のみは合法」というものである。これならば、「判断力が低かった児童の頃に、自分の写真の撮影と流通に気軽に同意してしまって、成人してから後悔する」という類系の人権侵害は防げよう。

 なお、私はこの案を強く推進したいという訳ではない。抽象的な理論としては完璧に近いとは思っているが、いざ実務の世界で運用する事を想定してみると、難点が二つあるからだ。

 第一の難点は、写真の外見からはそう簡単に違法か合法かを判別出来なくなり、合法と偽った非合法児童ポルノが大量に出回ってしまう可能性があるという事だ。合法の写真の一部に関係省庁の許可印を押すという制度を作ったとしても、次はその印の偽物が作られてしまうであろう。

 第二の難点は、この妥協案の思想を世界中に広める前に一国の内部でのみ先行してしまうと、国際的な非難を浴びかねないという事である。

2016-08-12

『牙狼<GARO> HDリマスター』の副音声で崩れる、生活のリズム

| 03:49 |

 初代牙狼のHDリマスター版が、現在再放送中である。金曜日の夜中、日付の上では土曜の午前1時23分頃から放映されている。

 これに、出演者や監督が副音声でオーディオコメンタリーを入れている。

 撮影時の苦労話等も聞けて、かなり面白い。

 急遽構成を変えた話もあるらしく、テレビドラマは放映された内容だけを根拠に脚本家を称賛したり叩いたりしてはならないという事を再認識させられた。

 だが残念な事に、私の環境・能力ではこの副音声の方で録画が出来ないでいる。だから副音声を聞くため、金曜日だけはふらふらになりながら、夜中まで起きている。

 夏になってから、原則として午後22時頃に寝てしまい、起きるのは午前4時頃という生活になっているのだが、金曜の夜に一気にこれが崩れてしまうのである。

 早く次のシリーズが始まるといいな〜。

牙狼<GARO> Blu-ray BOX

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2016-08-09

一気読みをして真価が理解出来た漫画『ぼくらはバラの子』

| 21:17 |

ぼくらはバラの子 1 (花とゆめCOMICS)

ぼくらはバラの子 1 (花とゆめCOMICS)

ぼくらはバラの子 2 (花とゆめCOMICS)

ぼくらはバラの子 2 (花とゆめCOMICS)

ぼくらはバラの子 3 (花とゆめCOMICS)

ぼくらはバラの子 3 (花とゆめCOMICS)

 水森暦氏の『ぼくらはバラの子』という漫画を、かつて一巻ずつ発売されるごとに読んでいた。

 その頃もそれなりに価値を認めていたのだが、昨日一気に全巻通し読みをして、伏線の見事さに気付かされ、漸く真価を理解出来た。

 急速に成長していく宇宙人の子と、彼女を取り巻く小学生達が主役であり、全体を貫く主題は「愛情」である。

 「平和倖成」の実母(本名不明。以下「Xさん」と表記)は、子供への愛が幼い独占欲という形で身勝手に発揮されている。そのため、自傷行為程度かそれ以下の気軽さで、子供に暴力を振るった過去があった人物である。

 そしてその親子の物語と並行して、「大谷地清」を独占したい「歌代ありか」の物語が描かれる。小学生の愛情なので、その幼稚な愛は決してグロテスクなものではなく、誰しもが「昔はあーだったなー」と照れる様な微笑ましいものである。そしてありかもふとしたきっかけにより、途中で反省して大人流の他人の愛し方を知るのである。

 これらは別個に語られる物語なのだが、一気読みをする事で「Xさんはありかみたいなきっかけに出会えないまま年齢だけ重ね、ついに脳が少女のまま子供まで産んでしまった人なんだな〜」と理解出来る仕組みになっていたのである。

 そしてXさんは、「暴力男から逃げてきたの」という活字の台詞とともに、手書きの小さな文字の台詞で「そんな人にばっかり好かれちゃって」と語っている。Xさんもまた、彼女の男性版みたいな人物の犠牲者であるとともに、同じ愛し方の人間としか付き合えない(「付き合い」だと認識出来ない)のだという事が、遠まわしに示唆されている。

 倖成の境遇と悪い意味で対極的なのが、「羽柴祈」の境遇である。彼の両親には息子への執着心というものが、逆に全く無い。完全に放置である。倖成と祈は、立場が逆だからこそほぼ同じ類型のトラウマを抱えており、惹かれあっている。

 そして利他と利己とが複雑に混ざった状態で、祈りは倖成のために、ある罪を犯すのである。祈は風貌も思考も大人びており、愛の暴走についても幼稚さ故のものではなく、大人に多い複雑な形式を描くのに使われた感がある。

 「加藤小次郎」は、対人関係ではかなり常識人に見える。しかし全巻を通して読み、愛がテーマの作品だと理解した上で考えると、彼もまた歪んだ愛情を克服した主人公の一人であり、その歪んだ愛情とは「低レベルな自己愛」であったとわかるのである。

 そしてこの五人の主人公の「愛情」という感情の発露の仕方の成長の物語において、台風の目の様な要となるのが、彼らに育てられている宇宙人「ばら子」なのである。

 ばら子は、地球人と比較して急速に成長するという特質と、体から殺傷能力のある棘を生やせるという特質を持っている。

 普通に読み流していると一番特殊なキャラクターに見えるのだが、成長の速度は「主役キャラ達の心の成長」を象徴的に描いた現象だとも言える。また彼女の体から生える棘とは、「愛した相手に不用意に近付き過ぎると、Xさんや序盤のありかの様に逆に相手を傷付けてしまう」という歪んだ愛のもたらす副作用を描いたものなのであろう。

 だからこそ題名が『ぼくらはバラの子』なのである。

 なおここでは紹介しきれなかったが、巻をまたいだ壮大な伏線・対比関係は他にも山程ある。

 こういう「全部一気に読んでみて、ようやくその見事な構成が解る」作品が、それと本来は相性の悪い「連載」という形でしか発表出来ないというこの世の事情が、やや残念に思えた。とはいえ、読者を定期的に楽しませる作品もなければ、漫画文化そのものが衰退してしまう事も事実である。

 それにしても、一巻毎に読んでも真価が解り難いこの作品を、一話毎に読んでいながら初期の段階でその価値を理解し、私に勧めてくれた某氏は、真の読み巧者だと思う。日本の漫画の質と量のバランスを上手に保っているのは、こういう偉大な読者なのかもしれない。

2016-08-07

「国連は中立である(べき)か?」という議論の副作用について語ってみる。

| 05:55 |

 リアルタイムで視聴したのか録画で視聴したのかは秘密であるが、歴史教科書問題に関する討論番組を視聴した経験がある。

 ある教科書が国粋主義的かそうでないかをめぐる論争だったのだが、その中で反対派の一人が「大日本帝国憲法はアジアで最初の憲法とか書いているけど、ミドハト憲法の方が先だ。」と主張し、執筆陣が「トルコはヨーロッパだ。」と反論する場面があった。

 結局その部分の論争は深められる事なく、全体的に「日本の誇りvs東アジア諸国の反発」が議論の中心のまま番組は終わってしまった。

 だが私個人の印象に残ったのは、このトルコの所属問題の方であった。

 「大日本帝国憲法はアジアで初の憲法だ」と教科書に書くと、「トルコはアジアなのでEUに入らないで欲しい」と思っている多くの現EU諸国の人々と一部のトルコ人の心を傷つける事になり、「大日本帝国憲法はアジアで二番目に出来た憲法だ」と教科書に書くと、「トルコはヨーロッパなのでEUに入るべきだ」と思っている多くのトルコ人や一部の現EU諸国の人々の心を傷つける事になるのだと、その日に気付いたからである。

 自分達が軽く触れた問題の深刻さに気付かないまま、「日本の歴史教科書問題は、日本とその周辺諸国の問題」というのを自明の前提として議論を続ける論客達と司会者が、それ以降は一回りも二回りも矮小な存在に見えてしまったものである。

 最近も似た様な論争を目にした。

 国連事務総長が中国の戦勝記念の式典に出席した際に、「国連は中立である(べき)か?」という論争が行われたが、賛成者も反対者も、国連事務総長を糾弾するか庇うかばかりを考えている様に感じられたのである。

 管見の限りでは、ネットにおけるこの議論の参加者達は、「国連は中立なのか?」を何十年も考え続け激しい論争の末に疑いながら国連に加盟したスイスの人々の事は、誰も話題に出さなかった。自分の主張がどちらであれ、巡り巡って数多くのスイス人を怒らせるという事実に、全く気付いていなかったのである。

 この記事は、議論の個々の参加者を批判しているのではない。誰しも興味の深い分野や得意分野というものはあるだろうから、スイスにはまるで関心の無い人というのも一定数居て良いと思う。それは個性だ。

 だがやはり、「誰もスイスを引き合いにしなかったのは、総じて実に矮小な論争だったな〜」と思うのである。