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2017-03-16

としま鬼子母神プロジェクトに異議あり!

| 09:01 |

 池袋アニメイトの側に、池袋保健所が建っている。一階のスペースには、性病や子育てといった性に関する情報を集めたコーナーがある。これから異性と付き合ったり子を作ろうと考えているが知識不足を実感している若者が、アニメイトのついでに気軽に立ち寄れる仕組みになっている。

 その精神といい立地条件といい、素晴らしい税金の使い方だと絶賛したくなるプロジェクトである。

 だがそのスペースの名前が「鬼子母神plus」なのが頂けない。

 「池袋といったら法明寺の鬼子母神」という発想と「子育てといったら鬼子母神」という発想とが、単純に癒着したのであろうが、これは法明寺という特定の宗教法人の宣伝を税金でしてやっているようなものである。

 津地鎮祭事件の判例から、「なぁに、この程度なら裁判になっても合憲とされるさ」と安心したのだろうが、法律以前に道徳として、公権力が特定の宗教を助長する行為はなるべく避けるべきであろう。

 世の中には「鬼子母神なんか架空の存在だ!」と見做す宗教観の人々も多いであろうし、逆に「実在した悪女であり、仏が免罪してもこの私が許さん!」と思っている人もいるかもしれない。そうした多様な世界観に対し、行政は中立でなければならない。

 まして池袋といえば、日本全国、いや世界各国から、多様な人々が来る町ではないか。

2017-02-24

岩井志麻子著『十七歳』(徳間書店・2007)を読んだ。著者の長編も読んでいこうと思った。

| 00:12 |

十七歳

十七歳

 岩井志麻子氏の『現代百物語』シリーズを読み、自由な長さで書いた作品も読みたくなり、『ぼっけえ、きょうてえ』を読んで感動をしたという話は、以前書いた通りである(参照→http://d.hatena.ne.jp/gureneko/20170203/1486059545)。

 これにより、短編については今後も読んでいこうと考えた。

 長編も読んでいくかどうかについては迷ったので、とりあえず近所の図書館に置いてある著者の作品群の内、長編で、題名が特殊でなく、しかも章が細かく分かれてなさそうなものを選んで試しに読んでみる事にした。そういうスタンダードな長編も面白ければ長編も読んでいき、つまらなければ短編だけ読んでいこうと思ったのである。

 そうして選んだのがこの『十七歳』であった。

 読んでみると、まさに現代百物語から著者を知った者のために書かれたような内容であり、運命を感じさせられた。

 主人公「林あや美」は著者の分身的存在であり、身近の怪事件や怪人物や業界の奇怪な裏情報を面白おかしく短いエッセイで紹介していく作家であった。物語に関わるエッセイは、作中作品として原則として全文が掲載されていた。

 そして主人公が書いたエッセイの背景事情や、執筆が切っ掛けで出会う次なる怪事件等が、地の文で長く語られるという訳である。

 現代百物語の中の一部の話の簡潔過ぎる記述に不満を持ち、「もっと知りたい、もっと膨らませて欲しい!」と悶えた自分としては、その不満を完全に解消してくれる一冊であった。

 なお、長編なのに中弛みが無かった。

 これは、ホラーとミステリーを融合させていたからであろう。終盤まで黒幕がいるのかどうかが不明であり、仮にいたとして誰なのかも不明だったのである。

 この手法は最近視聴したホラー映画『ボイス』(http://d.hatena.ne.jp/gureneko/20170209/1486580960)を思い起こさせた。

 以上の次第により、今後は著者の作品は、短編・長編を選り好みせずに読んでいこうと決めたのである。

現代百物語 嘘実 (角川ホラー文庫)

現代百物語 嘘実 (角川ホラー文庫)

ぼっけえ、きょうてえ (角川ホラー文庫)

ぼっけえ、きょうてえ (角川ホラー文庫)

2017-02-21

映画版のおかげで設定の破綻が理解できた『華氏451度』。そして洗脳装置としての映像の力の限界について考えた。

| 02:14 |

華氏451 [DVD]

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 『華氏451度』はしばしば『すばらしい新世界』や『1984年』と同格の傑作であるかのように紹介される。

 ただし、『すばらしい新世界』と『1984年』は10回以上通読したのに対し、何故か『華氏451度』の方は一度読んだだけで終わっていた。言語化は出来なかったものの、超一流の作品とまでは言えないような何らかの理由を漠然と感じ取っていたのである。

 そして最近映画版を視聴して、ようやくこの謎が解けた。やはり設定は当初から破綻していたのである。

 真っ先に気付いた疑問は、「実用書無くして、この高度な映像主体の文明をどうやって維持しているのか?」というものである。

 おそらく「家やテレビの作り方も映像媒体に記録されている」ぐらいしかまともな回答は不可能だろうが、もしもそうであればその映像は電子化された書籍とほとんど変わりがない。

 映画版では、消防署にも紙媒体の資料が存在する場面を隠しきれていなかった。

 その資料が「本」ではないのは、一枚ずつバラバラになっていて綴じられていないからなのであろうが、そもそもかつての量産本はしばしばそういう形式で売られており、購入した個人が自分や製本屋の労力で製本したものである。

 こうして映画版のおかげで、少なくとも一定レベル以上の労働者には「これは本ではありませんよ」という抜け道を許さなければ、本を発見して焼くシステムすら維持出来ないと気付いたのである。

 今回の視聴で判明した事は、『華氏451度』の文学としての価値の限界であったが、これを通じて映像の影響力の限界にも気付かされた。

 テレビが家庭に入ってきたばかりの頃には、その影響力の強さを警戒する文章が各国で大量に書かれた。「文字やラジオと違って映像は強烈な洗脳装置になり得る」というものであった。今でもそうした世界観を持ったままの老人は数多くいる。

 しかし映像は製作者の伝えようとしなかったものまで、赤裸々に伝えてしまうものである。それを防ごうとすれば、文字媒体への検閲と比較して莫大な手間がかかる。これは洗脳装置としては大きな弱点だ。

 だから、権威者から「これは傑作だ!」と紹介されて小説『華氏451度』を渡されたら概ね騙されてしまう私のような人物でも、映画『華氏451』ならば直ぐにその設定の穴に気付いて「これはケッサクだ!」と嗤う事が可能となるのである。

一九八四年[新訳版] (ハヤカワepi文庫)

一九八四年[新訳版] (ハヤカワepi文庫)

2017-02-20

清水富美加氏の「出家」を機に、幸福の科学教団とその信者に望む事(追記あり)

| 13:17 |

 清水富美加氏が幸福の科学に「出家」したという事件が話題となっている。

 「関係者の中で、誰がどの程度悪いのか?」という議論にも今後参入するかもしれないが、現時点ではほとんど背景の情報を持っていないので、しばらくはそうした記事を書く予定はない。

 ただ、これを機に幸福の科学教団に望む事がある。それは、ブラック企業を批判する方向へと教義を変えて欲しいという事である。

 かつて幸福の科学の機関紙では、「「ブラック企業」批判は、左翼による「資本主義の精神」への攻撃だ」(http://megalodon.jp/2017-0220-1226-06/the-liberty.com/article.php?item_id=6479)という記事を書いていた。

 これは、「ブラックという言葉には、暴力団とつながりがあったり、許認可を得ないもぐりの業者といったイメージが付きまとうからだ。労使の問題が一部生じているからと言って、"ブラック"と批判してしまうのは、あまりにも悪意に満ちている。」等と書き、労使問題を非常に軽視する文章であった。

 そして数あるブラック企業批判活動の内の一つである「ブラック企業大賞」の企画委員に「左翼運動家と思われる人物がずらりと並んでいる。」事等を根拠に、「ブラック企業批判は、資本主義そのものを否定する立場からの、新たな左翼による労働運動である。」とまで言い張っていた。

 それが清水氏関連の記事では一転して、「清水富美加さんとレプロとの「奴隷契約」を擁護する弁護士の不見識」(http://megalodon.jp/2017-0220-1235-34/https://the-liberty.com:443/article.php?item_id=12602)という記事を書き、普段は自分達が軽視していた憲法・刑法・労働基準法を総動員して清水氏を擁護している。

 身勝手な理由から転向した上にかつての自分達の態度を自己批判していないのは問題だが、国法と世間の道徳に従う方向に変化したのは、カルト度の低下を意味するので、どちらかといえば良い変化の兆しである。

 これに似た変化はかつてもあったそうで、大川隆法氏はいじめられる側を蔑むような本を書いていたのに(参照→http://gallerytondemo.blog.shinobi.jp/life/129)、自分の三男がいじめられた途端に態度を急変させたのだそうである(参照→http://gallerytondemo.blog.shinobi.jp/life/130)。

 これも、色々と問題点は多いが、原則として正しい方向への変化である。

 また以前、「数え年」の計算の仕方を知らない無教養な教団が純朴な信者に虚偽の計算方法を流布していたので、この私自らが親切にも指南をしてやった事がある(参照→http://d.hatena.ne.jp/gureneko/20130804/1375582471)。すると何の返礼も謝罪も無かったが、記事はこっそりと修正されていた(参照→http://d.hatena.ne.jp/gureneko/20130809/1375982964)。

 これまた非常に問題のある行為だが、延々と噓を吐き通そうとするよりかは余程良い。

 こうした傾向を見るに、幸福の科学教団は「悔い改める」のに必要な良心は持ち合わせていないものの、「改める」程度なら何とか出来る場合もあるようだ。

 そういう次第で、今後はせめて労使問題については被害者の立場を考慮する立場へと生まれ変わって欲しい。その程度の要求ならば決して無理難題ではなかろう。

 そして信者諸氏に望むのは、このように教団の主張はどうせ千変万化するのであるから、あまり熱心に今の教義を信じない方が良いと気付いて欲しいという事である。いつ、どんな、取り返しのつかないどんでん返しをされるか、知れたものではないのだから。

 そして清水氏に同情する心を持てたなら、次は世間の様々な立場の弱者へとその同情心を広げていって欲しい。

 幸福の科学の教義では「人生は一冊の問題集」なのだそうだが、多くの弱者に寄り添えば、自然に見識は広がり、福沢諭吉流に言えば「一身にして二生を経るが如」き実り多き生涯を経験出来るであろう。

(以下、2月20日19時50分頃追記)

 幸福の科学における「出家」の意味が、日本語本来の意味と余りにもかけ離れている事を指摘するブログ記事(http://ameblo.jp/two-bass/entry-12249359737.html)を拝読したので、題名及び本文における「出家」に鉤括弧をつけました。

幸福への道標 (SUPER CONTACT)

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文明論之概略 (岩波文庫)

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2017-02-09

ホラー映画『ボイス』・『ヴォイス』、両方楽しめた。

| 04:09 |

 自分の周囲で、『ボイス』という韓国のホラー映画が面白いらしいから借りて観ようという話になった。参加者は全員未見であり、ネタバレ情報すら持っていなかった。

 借りる担当の者は、棚に『ボイス』と『ヴォイス』があったので、どちらが本物か判らなかったらしく、両方借りてきた。

 世の中には有名な作品に似せた邦題を付ける商売が蔓延しているので、どちらかがつまらないB級映画に違いないと、この時点では皆が思っていた。

 まず『ボイス』から観た。

 これは非常に秀逸なホラーであった。

 序盤から中盤まで、科学で説明の付く人間の陰謀がもたらす怪異を扱った作品なのか、それとも幽霊物なのかが、判別出来ない仕組みになっていた。

 我々は約10分ごとに一時停止をして、その後の展開を予想し合った。

 そして終盤、物語は様々などんでん返しを経て、一気に辻褄の合った話として完結した。

 一番褒めたいのは、伏線の張り方である。前述した通り、様々な誤誘導もあったのだが、それでいて無駄な話が一切無かったのである。つまり、視聴者にホラーとしてのジャンルを勘違いさせかねない場面も、しっかりと物語の一部として機能していたのである。

 序盤では下手に見えた設定も、最後にはそれこそが至上の設定であると思い直す展開になっていた。

 一つだけ例を挙げておく。

 主人公の記者は、援助交際事件の闇を暴いたせいで加害者かその同情者らしき連中に追われる事になり、友人の夫の別荘に引っ越しをすることになる。そしてその家で怪異に遭う。

 当初はこれを、「呪われた家」に一人で住む事になった経緯を自然に説明するための話であると思っていた。そして身を隠さなければならない事件となると、政治かマフィアがらみの方が良いと、我々はケチを付けていた。だが、やがてこの設定がじわじわと活かされてきたのである。

 また「主人公が命を失うのが自然な二つの危機に同時に遭遇し、それが同時だったせいで却って助かる」という設定であるかのような場面があった。

 この偶然を御都合主義的な主人公補正だと皆で嗤っていたのだが、やがて必然的な展開であったと判明して、恐れ入ったのである。

 久々に満点を付けられる映画に出会った。ホラー映画に満点を付けるのは、ひょっとしたらこれが人生で初かもしれない。

ヴォイス [DVD]

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 続いて『ヴォイス』を観た。『ボイス』が秀逸だったので、パチモノだと皆が覚悟して観始めた。

 ところがこれまた、かなり見事な構成の作品だったのである。

 ある高校で突然死をした生徒の幽霊と、その子の声が唯一聞こえる友人とが、事件の謎を解いていくというものであった。

 全体的に色調がセピア色で、郷愁を呼び起こされた。

 そして自分はセピア色から「懐かしさ」を連想する最後の世代なのか、それとも約束事としてもうしばらくこの伝統は続くのか、などと考えさせられた。

 こちらの物語もどんでん返しが多く、中々良かった。