ずっと前に、イギリス人が「A氏はヒトラーやチャーチルと同じく全体主義者だ。」と取材に答えている本を読んだ。戦争が終わった途端にチャーチルの権力を奪った自国の歴史を誇っているイギリス人を見た事もある。
そうした個々の記憶は残ったが、彼の具体的な悪業についてはほとんど知らないまま育ってしまった。自分が懸命に調べなかったせいもあるが、日本に彼の負の側面を紹介しようとする人が少ないのも原因の一つだと思う。
今年に入ってジョン=フレデリック=チャールズ=フラー著・中村好寿訳の『制限戦争指導論』の新装版(原書房・2009)が出たので、記念に読んでみた。この第十三章「第二次世界大戦における戦争指導」を読み、前述のチャーチルの悪評に関して漸く得心がいった。記述を全て盲信した訳ではないが、イギリスの要人が資料の引用元を明記しながら書いているので、かなり信用が出来た。
この章ではまずチェンバレンが評価されている。ソ連と同盟して早期にナチスを叩かなかったのは東欧諸国がソ連に征服される事を心配したからであり、彼がドイツ国内の反ヒトラー派とはしっかり連絡を取り合っていた証拠も紹介されている。
ところが海軍大臣チャーチル主導の下に行われたナルビック遠征が失敗に終わり、チェンバレン内閣は責任をとって辞職する。後継者はチャーチルであった。これが歴史の皮肉なのか誰かさんの計画通りの筋書きであったのかまではフラーは記していない。
その後、当時の軍部の要人のチャーチル評が列挙されている。ここから見えてくる彼の像は、自分が軍事的天才だと思い込み、実際に天才的な指示を出す場合もあり、またそれが故に危険な指示も出してしまうという人物である。戦術に拘泥して戦略を見なかったり、また当座の戦争に決定的に勝利する事ばかり考えてその後の世界情勢を考えていなかったりもしている。まずこの点で強烈にヒトラーと共通していると言える。
パリ陥落の日が迫ると、イギリス国内で単に戦争が誤りであると考えている人々まで裁判も受けずに拘置される。また本文ではなく注釈に記された事からしてこれは流石に特殊例であろうが、390ページの注釈には、偶々モーターボートを所持していてダンケルクで約450名の兵士を救助したのに帰国した途端に逮捕された男の例も載せられている。ダッハウ(本文ではダハウ)に抑留されていた経験もあるユダヤ人避難民の「アスコットに一カ月いるくらいなら、ダハウで六カ月暮らした方がずっとましだ」(389ページ)という発言には驚かされた。
その後もチャーチルは、戦後の世界地図や戦前に結んでいたポーランドとの条約を勘案せず、ドイツを効率的に滅ぼす事だけを考えてスターリンに大幅な譲歩をし続ける。また「無条件降伏」という完全勝利を狙い過ぎて、結果的に戦争を長引かせてソ連に多くの手柄を立てさせてしまう。
また無条件降伏論はドイツ軍内の反ナチス分子までをもヒトラーの下に結束させてしまう。ヒトラーも対ソ戦で自分達を解放軍として迎えてくれた反スターリン派をも敵視してしまう失策を犯しており、フラーは両者を「同じ過失(397ページ)」と論評している。
犠牲の割に大した効果が無かった下手な空襲と、それがドイツの民衆をナチスの下に結束させてしまった件も、419ページからデータ付きで詳細に分析されている。
戦争を政治の手段ではなく目的と化してしまったために、敵味方に無駄な犠牲を強い、しかも次なる敵を台頭させてしまうという失敗は、チャーチルと互いに強い影響を与え合ったルーズヴェルトも犯している。この章ではそれも指摘されている。
日本の三流保守の中には、「鬼畜」の片割れであった筈のチャーチルへの怒りを忘れ、国土に直接的な被害をもたらしたアメリカのみを恨む者が多数見出せる。彼等の多くは、日本の空想的平和主義者達をチェンバレンに擬え(論敵への何たる厚遇!)、自分達をチャーチルに擬える(何たる自己卑下!)。こうした条件が作り出している日本のチャーチル信仰は、そろそろ打ち砕かれねばならない。
さてここからが本題である。
大場つぐみ原作・小畑健作画『DEATH NOTE』には、魅上照という人物が登場する。彼はアンケート用紙に尊敬する人物としてチャーチルの名を書いている。
悪人を強く憎む彼は、悪人を非合法に謀殺し続ける「キラ」に手を貸してしまう。この点、ナチスを憎み過ぎてスターリンに餌を与え過ぎたチャーチルの狭窄な思考に似ている。
また「キラ」ですら標的にしていなかった前科者達の命も奪おうとし、しかもその計画を公表してしまう。作中では描写が無かったが、こんな宣言をすれば、どうせ殺されるのだからと再び犯罪に手を染める前科者が続出するのは目に見えている。これには、チャーチルがナチスだけでなくドイツ全体を破滅させようとしてしかもそれを公言したせいで苦戦を強いられたという件を想起させられる。
原作者が日本ではあまり知られていないチャーチルのこうした短所を知った上で魅上にチャーチルを尊敬させていたかどうかは判らないが、素晴らしい設定である事に変わりは無い。
こうして私は、『DEATH NOTE』が漫画史に残る傑作であるという確信を新たにした。
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