たかが一社のMSに!

 名目上の立場を超えて権勢を振るっている存在がいて、それを皆が必要以上に恐れている時に、敢えて名分論に立ち返る事で皆の不安を取り除くというのは、非常に優れた扇動の手法である。
 かつて護良親王が、事実上の日本国王であった北条氏を「伊豆の在庁官人の子孫の東夷」と敢えて呼ぶ令旨を発行したのは、その成功例である。
 『神皇正統記』で、「俺達村上源氏は例外だが、源氏には屑が多いね。清和源氏は十四人からスタートしたが、大臣になれたのは一人だけ!」という意味の事が書かれているのも、事実上の日本国王となり二代も経てば海外からも公式に日本国王だと承認されかねない勢いを持った足利尊氏を意識したものと思われる。
 しかし、この種の扇動をしている本人が名分論に嵌ってしまうと、相手の実質を無視した空論に振り回されるだけで終わってしまう。「こんな世界は間違っていて、俺の方が正しい!」と言い続けたまま衰亡して行ったり、敵を侮って無謀な突撃を仕掛けて滅んだりする。
 『平家物語』における法住寺合戦での平知康の言動とその末路は、「法皇に勝てる者はいない」等の建前を、発言者自らが自然科学上の真理だと思い込んだ場合に生じる失敗の好例である。
 『機動戦士ガンダム』のドズル中将の末路も、この種の失敗例の一つであると言えよう。彼は既に戦略兵器級の存在に近付きつつあったガンダム二号機を「たかが一機のモビルスーツと見做し続け、自身の駆る大型モビルアーマーがこれに敗北した時には驚愕していた。「戦いは数だよ!」という自身の理論に拘泥し過ぎて、一機のモビルスーツが一機のモビルアーマーに勝利するという現実を受け入れられなかったのであろう。自身の創り上げた机上の空論に振り回された挙句に戦場の現実に敗れるというその姿は、豪傑風の容姿に反して、悪い意味で文官じみている
 しかもこのドズル中将は、敗北後は折角脱出に成功したというのに、なんと一人の歩兵としてガンダムに再挑戦する。戦力を機械的に数値に換算するという建前論を貫くのであれば、一人の歩兵が一機のモビルスーツに敵う筈がないのに、自分に対しては「この俺」と特別視を続け、ガンダムに対しては相変わらず「貴様如き」と蔑視を続けたのである。
 そして当然敗死する。名分論と実質論の悪い部分だけを組み合わせた様な、最低最悪の最期であった。
 私はまだ見ていないが、この『機動戦士ガンダム』の監督であった富野由悠季氏が、また新しいガンダムシリーズを創ったらしい。
 それに関するインタビュー記事が、「アキバ総研」というサイトに載っていたので読んだ。「大人が「G-レコ」を見る必要はない! 「ガンダム Gのレコンギスタ富野由悠季に直撃取材&サインプレゼント!」という記事である。
 その2ページ目(https://akiba-souken.com/article/21122/?page=2)で、富野氏は「その問題がWindows XPのサポート終了ではっきり露見しましたね。たかが一企業の都合で公文書まで見られなくなったとしたら、一体どこに落とし前つけるつもりなのか、ということです。」と語っている。
 マイクロソフト社は、世界的影響力が有るとはいえ、確かに名目上は「たかが一企業」であろう。その圧倒的影響力に畏怖して逆らう事すら忘れた人々に、「たかが一企業」という名目を思い出させるという意味では、この宣言は非常に効果が有るだろう。
 しかし本人までもがその名目論を信じてしまったならば、抵抗運動の成果はおそらく空しくなるであろう。
 いくら平均的な人間よりも社会的影響力が有るとはいえ、富野氏もドズル同様に、所詮は一介の個人なのであるから。

神皇正統記 (岩波文庫)

神皇正統記 (岩波文庫)

平家物語 (岩波文庫  全4冊セット)

平家物語 (岩波文庫 全4冊セット)