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2016-06-03

日本を戦う民主主義国にしたがる人が、大抵自身も相当偏っている理由を、初めて真面目に考えてみた。

| 07:58 |

 民主主義に反対する自由を禁じた民主主義を「戦う民主主義」という。そうした体制下では、国家権力から極右・極左・カルト等とみなされると、言論の自由市場や選挙から排除されてしまう。

 日本は戦時中に国家権力が暴走した苦い経験があるため、中間団体の暴走よりも国家権力の暴走を心配する気風が強く、「戦わない民主主義」に分類される体制を採用している。

 しかしながら一定数の人が、熱心に戦う民主主義への移行を主張している。

 これについて私が長年不思議に思っていたのは、論壇で戦う民主主義を鼓吹する連中の大半が、戦う民主主義下では自身の立場も危うくなりかねない連中であるという事である。

 日常生活では確かに、国防論においても富の分配論においても自民左派や民進右派程度の思想の一般人が、憲法を知らないが故の素朴な庶民感情として「右翼も左翼もカルトも暴力団も全部取り締まって欲しい」という意味の主張をする場合もある。

 しかし現今の国制を理解した上で改革案として戦う民主主義を論壇で主張する者は、私が見た限りでは本人自身の思想が相当偏っている事が多かった。

 この現象について私は長年、「身の程を弁えよ。貴公とて準異端児ではないか。」程度の感想しか持たなかった。

 しかし余りにも長くこの傾向が続いたので、ひょっとしたら実は深い陰謀が蠢いている(場合もある)のではないかと思い始めた。

 そして思い出したのが、危険な皇道派の急速な衰退が却ってファシズムの地ならしになったという、戦前の歴史である。

 2・26事件で皇道派による軍事独裁国家が成立しかけた事に危機感を持った当時の中道勢力は、皇道派よりかはまだしも文民と価値観を共有している統制派と手を組み、徹底的に皇道派を排除した。軍部大臣現役武官制の復活もその一環である。

 しかしこれによって陸軍省は統制派の一枚岩となり、やがては日本全体が彼等の価値観に乗っ取られてしまったのである。

 戦う民主主義になった時にギリギリで弾圧を免れそうな連中というのは、戦わない民主主義下においては所詮準少数派である。そのままでは半永久的に準異端児である。だが真の少数派・異端児が法で規制されるようになり、その勢力・票田の大部分を併合したならば、一気に膨れ上がる可能性がある。

 ひょっとしたら戦う民主主義が大好きな準異端児たちは、そういう展開での一発逆転を目指しているのかもしれない。