「犯罪者でない者は顔を見ればわかる」と主張する国家権力者は怖い。

 数か月前、暴力革命を起こす可能性があると警察に疑われている某政党の幹部のA氏が、「自分や別の幹部の顔を見れば暴力革命を企んでいない事が判別可能な筈だ」という意味の発言をしていた。
 これは実に恐ろしい発言であった。
 顔で犯罪者かどうか判別出来るとかいう連中が内閣を掌握した時、国家権力がどんな暴走をするか、あらかた判別出来てしまったからである。
 まずA氏が、しい的に「犯罪者顔でない」と決め付けた顔に似た凶悪犯達は、軒並み起訴猶予になり、野に放たれるであろう。
 だがこの恐怖はまだ序の口である。
 下手をすれば、一足飛びに「犯罪者顔だから」という理由で予備拘禁されたりする世の中になるかもしれない。
 またそこまで極端な事にならなかったとしても、以下の様な悲劇が起きる可能性はかなりある。
 近代法の下では「疑わしきは被告人の利益に」という原則がある。よって「B氏とC氏のどちらか一方が内乱の首謀者である事は100%確実だが、どちらであるかは不明である」という場合、両者ともに内乱の首謀者として裁かれる事は無いのである。しかしA氏がしい的に「C氏は犯罪者の顔でない」と決めつけた場合、消去法でB氏は100%の確率で内乱の首謀者である事になってしまう。
 警察に理不尽に疑われる事の辛さは、A氏こそがよく知っているだろう。だからこそ、「顔」等という曖昧な基準を用いて警察による明日の被害者を増やすというやり口で疑いを晴らすのではなく、近代主義的な論法で警察を批判して欲しいものである。