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2007-12-12

ニコニコ動画が言い続けた「アンチ集合知」とは何だったのか

ニコニコ動画はおもしろい。

たぶん、Webサービスにおける2007年最大の革命だと思う。

ただ、ニコニコ動画のおもしろさや技術的な側面については多くの場所で語られているけれど、

どうも今ひとつ表層的な部分で終わってしまって、本質にたどり着いていないような気がするんです。


例えばちょっと前の記事、

Second Lifeとニコニコ動画の同期性、“後の祭り”と“いつでも祭り”

でも、「コメントが積み重なって、あたかも擬似的に同期しているからいいんだ!」と言われてますが、

それはそうなんだけど、そうだと何がいいのかがよくわからない。

コミュニケーションが取れる」イコール「楽しい」みたいな図式が自動的にできあがっているようで、

なんとなく釈然としなかったのです。


ニコニコ動画に学ぶ、人気サービス開発の極意:スペシャルレポート - CNET Japan

こちらも、記事の内容は素晴らしく、なるほどなーと思うんですが、

手法はそうかもしれないけど、だからといって人気サイトにならなかったところはたくさんあるわけで、

その違いはなんなんだと、やっぱり釈然としないのです。


そして、これらとは別に自分の中で1つだけ答えが出なかったことがありました。

夏頃に発表された「ニコニコ宣言」では、

無機的な集合知ではなく人間のような感情を備えた集合知を目指します

とあります。WikipediaAmazonなどがポピュラーになってきて、「集合知こそWeb 2.0」だと言われてた頃です。

このとき言っていた「感情を備えた集合知」とは何だったのでしょうか。

ひろゆきも「集合知なんてつまんねー、感情がある方がおもしろくね?」って言ってた程度だし、

たぶん、言っている運営の人達も「こんなんじゃないかな〜」ぐらいの漠然とした感覚で言ってたんだと思いますが、

その辺を軸に「Webサービスニコニコ動画」を考えてみました。

アジェンダ

ニコニコ動画を「オモシロイ」と感じるのはなぜですのん?

基本的な前提

自分はニコニコ動画の機能は以下の2つだけだと思っています。

  • 「動画」共有サイトである
  • 動画にコメントをつけられる(動画上を流せるという意味で)

よく「ニコニコ動画のすごさって何?」というと、

「動画職人が集まる」「初音ミクの作品が次から次へと出てくる」てなことがあげられたりします。

しかし、これは上記2つの機能の上で成り立った、ただの文化であってニコニコ動画の機能ではありません。

著作権アニメの未来うんぬんの話も同じです。

なので、その辺の副次的な面白さは考えないことにします。

CGMに必要なこと

さらにニコニコ的なサービス、ユーザー参加型というかCGMを実現するには以下の要素が必要です。

  • 消費者(受け手)にとって、メリットがあること
  • 制作者(作り手)にとってもメリットがあること

多くのサービスがこの両方を見通さず、バランスを欠いてしまうために立ちゆかなくなってしまっています。

何よりもいい例がニコニコブックマークで、一般ユーザーである消費者には好き放題書けるメリットがありましたが、

Webサイト運営者側にしてみればメリットはありませんでした。

結果的におもしろいコンテンツが提供されることがなく、そのまま終了となっています。

rerofumiのつぶやき:勉強になるのはニコニコブックマークの方とする説参照)


ユーザー参加型の場合、ユーザーが次から次へとコンテンツを提供してくれるかどうかがカギです。

情報発信者の姿を見て「自分もやってみたい」と消費者から制作者に移る人が出てくるぐらいの魅力作りが必要です。

ニコニコ動画がこの魅力作りに成功したのは言うまでもないところですが、

では、その魅力とはなんなのでしょうか。

ニコニコ動画は「私を肯定してくれる場所」

結論から言うと、ニコニコ動画は「私を肯定してくれるWebサービス」なのではないでしょうか。

しかも、その「私」が消費者、制作者ともに当てはまるのが、このサービス最大の特徴です。


消費者の場合

コメント機能が「ライブ会場や友達の家でテレビを見ているような一体感を生み出す」という話は方々で語られてきました。

しかし、単にコメントや弾幕が流れるだけでは一体感を生むことはできません。

重要なのは「質」だと思うんです。


例えば好きなアーティストのライブに行った。当然、自分は盛り上がる気満々だった。

ところが、なぜか周りの人たちがみんな「なんだ、歌ヘタだな」「こんなの好きなやつはおかしいんじゃん?」と言い出した。

これでは楽しい気持ちも台無しです。きっとケンカが起きるに違いない。

つまり、ライブが楽しいのはお目当てのアーティストに会えると同時に、

「好きな人たちが集まった空間」を味わえるからだとも思うのです。


ニコニコ動画のコメントを見てみると、基本的に好意的なものが多く流れていきます。

これにはいくつか要因があると思いますが、

  • そもそも、ユーザーは好きなジャンルの動画しか見ない(から、好きな人が集まりやすい)
  • 2ちゃんねると違い、動画内コメントに「話題の流れ」がないため、荒らしどころが難しい。加えて、
    • コメントでやれることの限界があって荒らしづらい
    • 荒らしからすれば動画を最後まで見て荒らすのも面倒なので、せいぜい最初の数秒しか荒らせない

     (だから、目立たない。掲示板だと最終レスを全員が見るため「荒らされた」という印象が強い)

    • コメントが多すぎて荒らしが目立たない。しかも流れていく

などが考えられます。

つまるところ、好意的なユーザーが自分たちの好きな動画に集まるので、好意的なコメントが増え、

荒そうと思うユーザーからすると労力がかかりすぎるため、荒らしも増えない、

という仕組みができあがっているんだと思うのです。(まあ「エレクトーンで演奏してみた」系は荒れてますが)


すると、

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  1. 自分が好きな動画にアクセス、自分が気に入る動画を見ることができる(個人的満足)
  2. 同じものを同じように好きな人がいると、感じることができる(共感)
  3. 自分の気持ちが肯定される(強化)

という流れが生まれます。

自分が見ている動画、ひいては見ている自分を否定する人がいない。

誰だって、自分が好きな物を好きだと言われれば嬉しいし、

同じ物を好きだという人が、あたかもそばにいるように感じられれば嬉しい。


これが消費者にとってのメリット「自分を肯定してくれるWebサービス」だと思います。

ここで重要なのは「否定的なコメントが集まりにくい」「ぬくもりを感じられる」サービスになるよう、

「動画」や「コメント」の特性が活かされ、システマティックに構築されていることです。

自動的にそういった空気が生み出されるようになっている。

これは賢いなぁ、と。

CGMWebサービスはこういったガイドラインを自動的に作れるかどうかが大事で、

個人的にはこれを手動でやろうというのは、CGMという観点から見たら間違っていると思ってるんです。

やぁ、そうなんだ。間違ってると思うんだよ、goo。ていうか、goo ニュース畑



●制作者の場合

一方、制作者、つまりコンテンツ提供者側ですが、

こちらの自己肯定は「自分を見てくれる、興味を持ってくれる」だと言えます。

誰にでも「私のことを見て欲しい」という思いはあると思うんです。

さらに言えば「すげー」って言われたい。そんな思いをニコニコ動画は満たしてくれているんじゃないかと考えます。


例えば、ブログ経験者であれば一度は自分のブログアクセス数を気にしたことがあるはずです。

カウンターが増えればたくさんの人に読んでもらえていることがわかり、嬉しくなります。

すると今度は、感想を聞きたくなります。

みんなどう思っているんだろう? アクセスしてくれているけど、楽しんでくれているんだろうか、というように。

ブログのコメントやトラックバックシステムは、この部分を実現し、発信者と受信者の距離を縮めました。


しかし、ブログにされるコメントは「日記全部の総評」です。

起承転結を考えて書いても「結」の部分しかコメントがもらえなかったり、

一番言いたかったことではなく、違う部分ばかり言及されてしまったりすることがあります。

また、トラックバックしてくれた人も、自分の日記について書くわけではなく、

「この記事読んでて思い出したんだけど…」と違う話題だったりします。

(ていうか、自分もそういうコメントしかできないです)


最初は単に「感想が欲しい」というだけだったのに、

どこかで「一文一文をちゃんと読んでもらって、反応してもらいたい」と思うようになっていたりします。



ニコニコ動画の場合、「動画」というメリットがここで出てきます。

秒単位で動画中のあらゆる場所にコメントができる。

ジャブのようなギャグも、まさかのどんでん返しも、ポイントポイントで反応してもらえる。

しかも自分の動画だけに集中してもらえる。「そういや思い出したんだけど」なんてない。

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そして自分の期待した流れにそって、楽しんでもらえた反応を、

それこそ視聴者の息づかいが聞こえてきそうなくらいに感じることができる。

ブログだと自分の言いたかったことが半分も伝わらない気がしますが、

ニコニコ動画の場合、「ああ、自分を見てもらえた」という気になるんじゃないでしょうか。


ここでもまた動画が持っている「作品性」(=「自分なりのテクニック」を出せるアイテム)という特性が生きてきます。

作品の評価が、イコール自分自身に対する評価に感じられ、良い意味で錯覚しやすいからです。


つまり、人は「自分のことをちゃんと見て欲しい、そして評価して欲しい」という欲望があって、

ホームページアクセスカウンター

ブログのコメント」という進化で、Web上での他人との距離感を縮めてきたのだけど、

「動画上にコメント」というシステムがさらにその距離感を縮め、

「100%私を見てもらえる」「喜んでもらえてる」という実感や満足度を生むのだと思うんです。



まとめてみるとニコニコ動画は、

消費者にとっては「自分の好みを肯定してくれる」場所であり、

制作者にとっては「自分の存在を肯定してくれる」場所になっているんじゃないかと思うのです。

このアプローチで、CGMにとって重要な両者のメリットをきっちりと実現できたんじゃないかと。

感情の集合知の正体

ニコニコ宣言で述べられている「感情の備わった集合知」とは、このことなんじゃないでしょうか。

極論かもしれませんが、「楽しい」「嬉しい」を突き詰めていくと、

「他人から自分を肯定してもらえる」というところに行きつくのだと考えています。

この場合、自分が世の中的に正しいかどうかなんて関係なくって、認めてもらえればそれだけで嬉しい。

だから感情の集合知とは、

「ユーザーが、あたかも他者から受け入れられているように感じられるための集積体」だと思うのです。


そして繰り返しになるけど、

ニコニコ動画がすごいのは(ちょっとは偶然もあるんだろうけど、運営者の抜群のバランス感覚が良かった)

この雰囲気を自動的に生み出せる仕組みを作ったということ。

mixiにもこういった要素はありますが、ユーザーのモラルに頼る部分があります。

ニコニコ動画の場合、動画という特性に助けられた部分や、コメントの長さの制限などが手伝って、

知らず知らずのうちに実現するシステムになっているのが、すごいなと思うし、

Webサービスはこうでなくっちゃと思うんです。

「便利なサービス」を作る時代は終わった

ホントはこっから本題を書きたかったんだけど長くなったんでやめます。

簡単に言うと、

 使い手が「便利だなー」と感じるサービスに、もううまみはないよ。アメリカ人が作っちゃうよ。

 使い手が「あそこのサイトに行くと気持ちいいから、またアクセスしよう」と思うサービスがおいしいよ。

てなことを考えてました。


いずれ、別の機会にでも。