2008-06-13 呉智英先生に聞いてみたいこと。<追記あり>

[独り言][ことば]呉智英先生に聞いてみたいこと。
こちら(http://d.hatena.ne.jp/Prodigal_Son/20080611)で呉智英氏の名前を見て、ふと思った。
確か、氏は在日コリアンの名前を韓国語読みで表記することを批判していた。
例えば「姜尚中」だったら「カン・サンジュン」ではなく「かん・しょうちゅう」とすべきだと。日本語にない「韓国語読み」を認めることは「日本語の破壊になる」というのが理由だったと思う。
先生は、「餃子」「炒飯」「麻雀」「達磨」などはどう読むのだろう。
<2008.6.24追記>
コメント欄で↑の呉氏の主張のソースは?というご質問をいただきました。ソースは、別冊宝島のムック「嫌韓流の真実!ザ・在日特権」です。ただ、立ち読みで読んだだけで内容はうろ覚えだったのですが(↑で「確か・・・思う」と曖昧な書き方をしていたのはそのため)、「ザ・在日特権」というタイトルで文庫化していたので購入してきました。呉氏は「常識的在日論」と題した章で、帰化の問題について触れた後にこう述べています。
<引用開始>
姓について、もうひとつ言っておかなければならない。かつては認められにくかった民族名(金、朴、李などの)が、今では認められるようになっている。それはいいのだが、これを朝鮮音で読むように強制することには反対しないわけにはいかない。日本人が朝鮮語の勉強を強制される理由はないからだ。辛淑玉<ルビ・しんしゅくぎょく>という人材育成コンサルタント(理解に苦しむ職業だが)がいる。彼女は自分の名前を「しん・すご」と読ませているが、こんな無理な話に付き合わされてはかなわない。作家の柳美里<ルビ・りゅう・みり>など「ゆう・みり」と読ませているが、そもそもこれは朝鮮語読みでさえない。日本人の音韻体系にない音を強制する理不尽に唯々諾々と従うことは、日本文化に意味のない亀裂を生じさせるだけなのである。
<引用ここまで>
こうやって書き出してみると、かなり記憶違いがありました。「在日コリアンの名前を韓国語読みで表記することを批判」ではなく「朝鮮語で読むように強制することには反対」、「日本語の破壊になる」ではなく「日本文化に意味のない亀裂を生じさせる」でした。
ただ、それでもやはり呉氏のこの主張には首を傾げてしまいます。
そもそも、「辛淑玉」さんが自分の名前を「しん・すご」と読んで欲しいと要求することが「強制」「朝鮮語の勉強を強制」することなのか?という問題があります。「辛淑玉<シン・スゴ>」という表記を見て、「朝鮮語の勉強を強制されている!」と感じるというのはどうなんでしょう。
もうひとつ、「たかだか朝鮮語の名前の読み方を受け入れただけで『亀裂が生じる』ほど、『日本人の音韻体系』とやらはヤワなのか?」ということ。
日本語における漢字と読み方の関係の話をし始めると話が長くなってしまいますが、この二つの関係は案外ルーズというか良い加減で、しかしそのルーズさが「日本語の豊かさ」をももたらしたのだと思っているので、呉氏のような発想は、原理原則にとらわれすぎて日本語(に限らず、言語全般)の柔軟性を無視しているように感じられます。
まあ、この辺の問題は、掘り下げてみると面白そうなので、気が向いたらまた記事にするかもしれません。
ただ、基本的にはものぐさなので、いつになるかは分かりませんが。

質問です。(「きょうしょうちゅう」でなく)「かんしょうちゅう」とすべきだと主張しているのは誰ですか。
本エントリでの「呉氏の批判」のソースはありますか。それとも存在しませんか。
あと、達磨のような仏教に限って使われる呉音の表記を、昭和とかって年号に使うのはどうよ。
とも言ってます。
-さんへの反論はなさらないんでしょうか。
こっそりエントリーを消すなんてせこい真似はやめてくださいね。
>ーさん
>呉智英は「朝鮮人名の漢字表記をきちんと朝鮮語読みしないのならば、それはひどい差別だから正さねばならない」とゆーよーな言説を批判しているのであって
朝鮮人・韓国人の名前を朝鮮語読みで表記するようになったのは比較的最近(80〜90年代)だと思うのですが、その際「差別だから」という言説があったのでしょうか。自分としては差別の問題というよりは相手のアイデンティティに対する敬意の問題ではないか、と思います。
>あれさん
記事に追記しましたが、例として挙げられていたのは辛淑玉と柳美里でした。ただ、呉氏の別の本(これもまた立ち読みで、書名すら思い出せないのですが、新刊本のコーナーで見た記憶があるので比較的新しい本だったと思います)では姜尚中氏が例に挙げられていたと記憶しています。ご指摘のように「かん・しょうちゅう」ではなく「きょう・しょうちゅう」だったかもしれません。
>へっぽこ君Zさん
情報ありがとうございます。ところで呉氏が「餃子」「達磨」について書いている著作などはあるのでしょうか。もしご存じでしたら教えて下さい。
>LMAさん
>こっそりエントリーを消すなんてせこい真似はやめてくださいね。
はい。^^
「朝鮮語読み 裁判」でググると、一番上に出てきますね。
上記から引用します。
【これは一応相互主義とか呼ばれていますね。
中国はこちらを中国語読みにするけど、韓国はこちらを日本語読みにするから、
こっちも韓国朝鮮を現地語読みにしてあげないといけないなどと説明されています。
でも、たわごとです。
韓国人は東京を「トンギョン」と呼んでるし、豊臣秀吉はプンシンスギルと呼び今でも目の敵です。
(ただ、最近の韓国人はもう漢字が読めないらしく、今の日本人のことは日本語読みするようになりましたが。)
実際は、1988年最高裁判決「NHK日本語読み訴訟」(判例時報1266号)が原因なんです。
在日韓国人崔昌華(チォエチャンホァ)氏がNHKに対して、彼の氏名を日本語読みしたことで、人格権侵害によって損害賠償請求を求めたのです。
判決は当時はそういう慣例(現地語読み)などはなかったので、常識通り崔昌華氏の敗訴なのですが、この裁判の影響で、NHKは例によって事なかれ主義で韓国や北朝鮮の人名地名をその現地語読みにするように改め、他マスメディアもこれを倣って現在に至ったのです。
テレビで「韓流」のことを「ハンリュウ」とか言ってますね。これって固有名詞じゃないですよね。でも日本語で「韓」の字をハンとかは読みませんね。もう韓国は、「かんこく」やめて「ハングク」ですかね。】
>朝鮮人・韓国人の名前を朝鮮語読みで表記するようになったのは比較的最近(80〜90年代)だと思うのですが、その際「差別だから」という言説があったのでしょうか。
と、書かれていますが、まさにそのとおりで、発端は思いっきり差別だという主張です。
というか、この裁判について全く聞いたことがないという方がこの問題を論じるのを見て、非常に驚いています。
この議論、はっきり言って-さんの最初の反論で終わっているんで、
あんまりだらだら書くのもあれですが、呉さんは朝鮮人名を朝鮮語読みしないやつは
差別主義者だ、という主張(前のレスでそうした主張が実在することを示しました)に反論しているのであって、
朝鮮語読みに反対しているわけではありません。
例えば上の例のうち「餃子」については「言葉の常備薬」の50pで「ギョーザ」という読み方の起源は
朝鮮語読みの「キョジャ」ではないかと推測した上で、当然のように「餃子」を「ギョーザ」と読んでいます。
>LMAさん
レスをありがとうございます。
裁判については「何かそういう話があったような」くらいの認識くらいしかありませんでした。後で詳しく調べてみます。
>呉さんは朝鮮人名を朝鮮語読みしないやつは差別主義者だ、という主張(前のレスでそうした主張が実在することを示しました)に反論しているのであって、朝鮮語読みに反対しているわけではありません。
呉氏の主張がLMAさんのおっしゃる通りならば「なるほど」と思わなくもないのですが、しかしその主張と、記事に追記した「ザ・在日特権」での記述にはズレがありますね。姜尚中氏や辛淑玉氏が「朝鮮人名を朝鮮語読みしないやつは差別主義者だ」という主張をしているというならまだ分からなくもないのですが、呉氏の上記の文章ではそのようなことは言っていません。ただ「日本人が朝鮮語の勉強を強制される理由はない」「日本人の音韻体系にない音を強制する理不尽に唯々諾々と従うことは、日本文化に意味のない亀裂を生じさせるだけ」というのを「朝鮮音で読むように強制することに反対する理由」として挙げています。
深読みすれば、「そちらが勝手にシン・スゴなりカン・サンジュンなりと名乗るのは構わないよ。でもこっちはあくまで『しん・しゅくぎょく』『きょう・しょうちゅう』と呼ぶから強制しないでね」という風にも解釈できなくはないのですが、別に辛氏・姜氏は朝鮮語読みを「強制」しているわけではないでしょう。
それに「日本人の音韻体系にない音を強制する理不尽に唯々諾々と従うことは、日本文化に意味のない亀裂を生じさせるだけ」というのなら、「ギョーザ」という読みも「日本人の音韻体系にない」のだから、反対しなければダブスタになるけれどその辺はどうなの?という疑問がこの記事を書いたきっかけです。
余談ですが、自分は「朝鮮人名を朝鮮語読みしないやつは差別主義者だ」とは思いません。ただ、当人が「シン・スゴ」「カン・サンジュン」と名乗り、そう読んで欲しいというのなら、そう呼べば良いだけの話じゃないの?と思っています。