luxemburg卿の別荘にて(3)

luxemburgさんの「とりあえず」に登場してすっかり(一部)ブログ界でのアイドルと化した西園寺麗子嬢。luxemburgさんの語り口のあまりのオモシロさに、つい調子に乗ってキャラを拝借したんだけど、早まったかなぁ〜。どうあがいても本家のオモシロさには太刀打ちできそうもない上に、類似品がたくさん出回るようになる始末。当ブログに登場の麗子嬢とばあやも出来の悪い類似品で終わりそうだが、乗りかかった船だし、luxemburg本家の素晴らしさを際立たせるためにも、第3回目、やっつけましょうか...
 
ばあや:樵さん、ずいぶんと長い中座でございましたわね。
麗子:あらやだ、○ン○でしたの? とっても大きかったみたいね。
:いやいや、そうじゃねえだよ、お嬢様。本家でも馬脚ならぬM字開脚を現しているけど、類似品の方も負けず劣らずだべな 暑さに参っておりましてな。暑さは単肉(単純肉体労働者)には堪えまする。疲れてPCの前に座る元気がなかったのでござります。
ばあや:それはそれは、お気の毒に。でもまあ、この世の中、どのようなお仕事も須らくみな尊いものですわ。ブログをなさるのも結構ですけど、ご自分のお仕事を大切になさいませ、オホホホホ。
 
ばあやの嫌味な高笑いを樵が不愉快に感じたその瞬間、ばあやが悲鳴を上げる。
 
ばあや:ギャ、お尻が何かに噛み付いた!
麗子:キャハハ、ばあや、慌てて間違えてる。お尻は噛み付かれても噛み付きませんわ。
ばあや:痛い、痛い! お嬢様、何が噛み付いておりますの?
麗子:さっきのワンチャンだわ。
:そいつはさっきのとは違いますだ。コラ、ガブラ! そんなバッチイものに噛み付くんじゃねぇ!
 
ガブラと呼ばれた犬は、ばあやの尻から離れる。
 
ばあや:バッチイものとは、何ですか! 失礼な!
:申し訳ねえだ。コイツは何にでもガブリ、ガブリとすぐに噛み付きよりましてな。なかでもオラが腹を立てた相手には、すぐに噛み付いてしまいますだ。
麗子:ローレンツ博士の『ソロモンの指輪』ISBN:4150502226りましたわね。
この子、共謀罪にブーとそっくりですけど、兄弟なの?

ブーも登場。二匹でじゃれ合って、遊ぶ。

麗子:ほんと、そっくり。
:母娘です。
麗子:そう。それで仲がいいのね。
ばあや:私がお尻を噛まれたことと、「ヒトを自然状態においたときに自律的に平和な状態を保つことができるか否かは、その置かれた環境によります」ってことと、どういう関係があるのよッ!
麗子:まあ、なんて強引な誘導なんでしょう。でも、やっと本筋に戻りましたわ。で、どういう関係がありますの?
:この犬2匹の仲がいいのも、置かれた環境によるのですじゃ。2匹が親子だから仲が良いということもあるが、それだけではございません。2匹を厳しい環境に置いてしまうと、どうしてだか、とんでもないケンカをするようになる。一匹だけを可愛がったりすると片方がひねくれてケンカを起こすけど、2匹を同じように可愛がっても場合によってはケンカをするのですじゃ。
この冬まで2匹とも外に別々に犬小屋を置いて飼っていたのですじゃ。最初は母娘なんで一緒に置いていてもいいだろうと考えて一つの小屋で飼っていたんだけども、しばしば飼い主が仲裁に入っても収まらないようなケンカをするもんで、別の小屋にしたのじゃ。けれどこの冬、ブーの方が体調を崩したので夜は玄関先の土間へ置くようにしたのじゃ。ほどなくガブラも夜は家へいれるようにした。片方だけいい思いをさせると、またケンカするでの。家の中で2匹にケンカをされてはカナワンと心配したが、その心配は無用じゃッた。ケンカはピタリと治まったのじゃ。玄関先に入れるようにした外は、何も待遇は変えとらん。餌も散歩の時間も同じ。ケンカが治まった原因はこれしか考えられん。
犬もヒトと同じく、社会を営む動物じゃ。野生では群れをつくり、群れの中で序列をつくる。おそらくその形態が厳しい環境を生き抜いていくのに適しているのじゃろう。ガブラとブーがケンカをしたのも、その序列付けが動機なのじゃろう。野生剥き出しのケンカをしおった。ところがじゃ。家の中へ入れてやると野生の箍が外れたのじゃ。今では2匹、争うことなく平穏に過ごしておる。
ばあや:それでは貴方は、人間も犬と同じだと言いたいのですか。やっぱり評判どうりの虚け者ね。犬と人間とが同じなんて。人間には、自分で自分の行動を律する理性がありますのよ。欲望だけの畜生とは違います。
麗子:ばあや、この方は、人間はバッタとも同じだと言ったのよ。
ばあや:とんでもないことを。確かに人間には争いを好むという「悪」の部分があります。けれど人間の基本を「善」とし、「悪」を克服する社会を建設していく。それがこれからの人類に課された課題であり、求められる政治姿勢なのです。
:ヒトはもともと善でも悪でもねえよ。善でいられるならば善だし、悪にならねばならんのなら悪にもなる。それはヒトだけじゃねえ。生命はみんな、そんなもんよ。
オラは思うだ。旦那様のブログで見たルソーさんはきっと、ヒトが豊かな環境でのんびり暮らしていたときのことを言っているんだし、ホッブスさんは環境が厳しくなってのんびりとやっていけなくなってからのことを言ってる。
麗子:樵さんの言うとおりだとすると、環境をよくすれば人間は一人でに平和になるはずよね。今は昔に比べれば豊かになったはずなのに、どうして平和にならないのかしら。
:モノは豊かになったか知らんが、どんどん環境を貧弱なものにしていく。環境が貧弱になるもんで、その不安もモノで埋める。そんな悪循環を一生懸命廻してる。それが現代社会ってもんだろう。だから相変異したバッタと同じだって言うんだべ。
ばあや:あなたは相変異したとおっしゃるけれど、、人間の理性があるのです。知性があるのです。人間の知性が生み出した理念が世の中を変えていくのです。
:ワシにはアンタがたのような学はないもんで、よくわからんが、ヒトが善か悪かも分からないような知性なんぞ、そう立派なもんとも思えんがね。
麗子:オホホ。おっしゃる通りかもしれませんわね。
ばあや:人間が自らの理性よりも環境に左右される者だというのなら、どうしたらよいというのです?
cそんなことは、ワシャ知らん。あるがままに生きるだけじゃ。
麗子:もっと人間のことを研究すればいいのよ。人間は神の姿に似せて作られた特別な存在だなんて思わずに、犬やバッタと同じように生態を研究すればいいのだわ。どんな環境下なら人間は平和でいられるか、その環境条件を。資本主義も民主主義も、どちらも人間を特別な存在とする思考から生まれたものだがら、これも根本から考え直す必要もありそうね。
ばあや:まあ、参考にはなるかもしれませんわね。
麗子:なんだって参考にすればいいのよ。悪いことじゃないわ。
:これから先は、どうも難しい話になりそうじゃな。あっしには関わりねえことでござんす。
(犬に向かって)おい、ガブラ! ブー! 帰るぞ!
(麗子とばあやに)どうも、お邪魔致しました。
 
樵、犬を連れて去る。
 
麗子:難しいことは分からないなんていいながら、結構難しいことを言うだけ言って行っちゃったわね。
ばあや:やっぱり虚け者ですよ、あれは。
 
おわり。