Hatena::ブログ(Diary)

名付けられぬ領域のほとりにて このページをアンテナに追加

2018-07-20

[]一日の最後に

「しなければならないめんどくさいこと」というのに直面することがあります。仕事に関してある方向性をだしたとして、協力を得るために根回しが必要でなおかつ多岐に渡って準備しなければならない、ってことがあったりします。しなければならないことを箇条書きにしてメモを作成することがあるのですが、メモした項目の多さに「うげー」となったりします。私は根は真面目で勤勉な人間ではありません。学生の頃は宿題が多いと逃げたくなることがありました。でも先送りしたら絶対あとで困るな、とおもってちまちま片づけてました。いまでも本質は変わりません。できることなら逃げ出したいのですが、逃げたところでなんの解決にもならないのでちまちま片してます。もちろん寝ている間に靴屋の小人さんが片しておいてくれないかな、なんて考えることはしょっちゅうです。残念ながら靴屋の小人さんに逢ったことはないので、やはりおのれでやるしかありません。やるしかありませんが「やらなければならないめんどくさいこと」を朝から考えるとどんよりします。どんよりするなら一時的にそれを遮断すればなんとかなります。きっとなんべんも書いてることなのですが、遮断するために北欧であるとかキムラヤであるとかちょっと値の張る美味いと思う食パン買っておき、それを賞味して出勤します。たぶんこれを書くのは10回目くらいかもしれませんが美味しいものを食べることで遮断できるのです。モチベーションと胃が直接つながってるようなので、しんどい仕事が続くときは毎回同じことをしています。「負けない事投げ出さない事逃げ出さない事信じ抜く事」っていう歌がありましたけど(正直あんまり好きな歌ではない)、ダメになりそうなときってのはたいていへばってるときなので、ほんとにダメになる前になにか食べたり遮断してへばらないように一時的に投げ出したり逃げだしたりすることもほんとは大事なのではないかと思っています。

腹立たしいことがあったとき、その日はなるべく台所に立ちます。たとえば炒めた鶏肉と玉ねぎを酢や醤油などと煮るアドボというフィリピン料理があるのですがそれだと酢をきかせておくとにおいが立ちこめ、目の前で料理を完成させると出来上がるころにはある程度その日にあったことは薄れています。というか「その日にあった腹立たしいこと」や「やらなかればならないめんどくさいこと」はえてして脳内でなんども再生してしまいます。脳内にあることを忘れさすとしたら、やはり味覚や嗅覚でうすめるのがいちばんです。たいていのことは美味いもの喰えばなんとかなるはずです、って、そんなことないかもしれませんがどこかそう考えちまうところがあります。

はてなの今週のお題は「わたしのモチベーションを上げるもの」なのですが、なんだかごまかし方の話になってモチベーションとかけ離れてきちまいましたが。

モチベーションを上げる方法は単純です。人参というかごほうびを設定し、それをうやむやにせず必ず実行することです。いちばん簡単なのは夏の時期なら「今日は帰ったら黒ラベルをなにがなんでも呑むのだ!」と決めて仕事を遂行し、帰宅したら冷えた黒ラベルを腰に手を当てなくても良いからぐぐっと呑むことです(アテなしにぐぐっと呑むことは止めとけといわれてるのですが、ついやっちまうのです)。どんなに大変なことがあっても・それほど大変じゃなくても、おのれに対してごほうびを習慣化すれば・一日の終わりに麦酒が五臓六腑に染みわたりうまかった記憶さえ残せば、だいたいのことはなんとかなります。たぶん。

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2018-07-17

[]100円ビール

日本酒やビールを販売できるのは酒税法上の酒類小売販売業者です。日本酒やビールをフタなし・栓をあけた状態で提供できるのは酒類の飲食提供で、差があります(根拠が酒類販売業免許ではない)。記憶に間違えなければ焼き鳥屋やそば屋では絶対ビール瓶の栓をあけて出します。そうじゃないと販売になってしまうからです。

酒類の飲食提供をしてるところでの酒類販売は酒税法上アウトで、できないはずです。ケンタで最近、ビールだしてますけど、ケンタが酒類の飲食提供を選択してるのでビールは店内に限ってて、テイクアウトにすると違法になってしまうので断ってるはずです。例外はもちろんあります。酒類販売もしつつ酒類の飲食提供できるのは明確に区別されてる場合です。梅田駅の阪神百貨店は地下のスナックパークでフタのないビールを売ってますが、酒類売り場とは別だからクリアしています。で、セブンの場合、酒類小売販売業者でやってきてて、いままでも酒類の飲食提供になるようなフタのない状態での酒類販売はしなかったはず。100円でビールを売る報道をみたときに、ビールをカップに入れて泡があふれ出しそうな状態だったポスターを見て、フタなしで販売するとそれは「酒類の飲食提供」になっちまうので限りなくグレーなのではないか、と思っていました。

案の定、100円ビールは一時的に中止になったようなんすが、税務署もしくは税務に詳しいスタッフがつっついたのではないかと勘繰っています。もしかして再開するとすると明確にレジを分けるか、フタつきで販売するしかないのかなあ、と。

ただ「ちょっとだけ軽くビール」というアイデアは悪くないなあ、と思いました。個人的にはキリンじゃなくてサッポロ黒ラベルならファミマから浮気してこの猛暑の中でもちょっと寄るかも。

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2018-07-13

[]つまらないはなし

いわゆるファミコンが発売された83年は小学生でした。前に書いたかもしれませんが、視力が悪くなるからという理由でファミコンは買って貰えませんでした。目が悪くてずっとぼやけた世界に居たのですけど、小学生になってメガネを作ってもらってはじめてクリアな視界を手に入れてて、クリアな視界を失うというのは子供心にも恐怖でしたから特に欲しいとも思わなかったのでファミコンやゲームとは(剣道やったり絵を描いたりしてたので)無縁のまま大人になりいまでもスーパーマリオ童貞です。もっとも信長の野望は同級生が持ってて日本史は詳しかったのであれこれ訊かれた上で触ったことはあります。はてな今週のお題が「ゲームの思い出」なんすがほんとその程度で、思い出に浸るほどゲームをほとんどやってない少数派です。もしかしたら他の人が知ってる楽しみを知らない可能性がありますがスマホのゲームもまったくやってません。猫を飼いたい意識はあったので「ねこあつめ」は興味があったのですが「仮想の猫に媚び売ってどうするの」という意識が抜けずインストールしませんでした。いまでもなにひとつインストールしていません。つまんないやつです。

いまからちょうど20年くらい前には電車でGOというのがありました。秋田新幹線こまちなどの運転のシュミレータのゲームで、ゲーセンに置いてあったのをやったことがあります。その時指摘されはっきり自覚したのはスピード狂のケがあることです。裸眼は悪いので自動車免許の取得をいっさい諦めてたのですけど、ゲームって隠れたおのれの一面をあぶりだすところがあるような気が。人並にえっちぃことにも興味はあるのでノートパソコンを買ったあとにアダルトゲームのコーナーを覗いたことはあります。そのときなにかしら買っていたらもしかしたら自覚してない隠れていた一面があぶりだされていたかもしれなかったのですが、結局買わずにでてきちまいました。見知らぬおのれ一面に出会わずに済んでいます。たぶんこの先も買わないと思われます。さよなら、弟萌えだったかもしれない会うこともなかった楠田(仮)くん。

くだらないことを書くと博奕はやりませんがスピードとかトランプのゲームはやれば熱中しちまいます。もし本格的にゲームの世界に入り浸ってたらまともな生活してなかったかも。

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2018-07-12

「ゆく人なしに」という小説を高校生の頃に読んで辻井喬という作家に興味がずっとあって既刊はほぼ読んでいました(既に亡くなられています)。辻井喬は詩人・小説家・文学者としての名前で西友などの経営者としては堤清二という名前です。経営者堤清二として体験したことを辻井喬の名前で口述してることもありました。上野千鶴子さんとの対談で「ポスト消費社会の行方」という本があるのですが、日本の食文化についても触れられてて、興味深いことが書いてありました。

辻井喬:日本のスーパーの食品売り場では生鮮食品が半分を占めていて驚くほど高額です。これはアメリカの小売業者もヨーロッパの小売業者も理解できないことなんですね。それでも日本の消費者はわざわざ高い生鮮食品を好む。私はこれを、昔はシアーズ・ローバックに、それからいまのウォルマートに何度も云いましたがなかなか理解してもらえない

上野千鶴子:ああ、なるほど。

辻井喬:日本の食生活における生鮮食品の比率は、アメリカ人もヨーロッパ人も理解できないんです。そのうえ生物ですから、主婦が調理加工しなければならない。彼らは「そんな手間がかかる高いものを、どうして日本の消費者は食べるんだ」と聞く。「どうしてっていったって、日本はそういう食生活なんだよ」といっても「それは合理的でない」と主張する

「ポスト消費社会の行方」辻井喬・上野千鶴子2008文春新書P243

銚子より東へ行ったことが無いのでアメリカのスーパーがどんなものかはてんでわからないです。が、思い当たるフシがあります。魚です。魚は私は価格より鮮度を気にします。多少高くてもやむを得ないと思っています。近所の西友は以前は鮮魚は仕入れた魚を捌いているのが売り場から確認できました(頼めば鯛のうろこ取りもお願いできた)。それがウォルマートが西友に経営参加して「KY=カカクヤスク」のあたりからはいったん無くなって、たしかに安いけどすぐそばで捌いたわけではなさそうな魚が並ぶようになって、バカみたいな話かもしれませんが私は西友で魚を買うのを避けるようになってました(多少高くても店内で捌いてるのがわかる他店へ行った)。上記の言葉を借りれば値段より鮮度を気にする「理解できない」買い物をして、さらにそれをキッチンで調理する典型的な「合理的でない」消費者です。でもって魚に関してわたしにような「理解できない」「合理的でない」消費者はけっこういるはずです。さんざんけなしておいてなんですがウォルマートが西友に経営参加してウォルマート流にチラシや特売を減らして毎日低価格のEDLPを目指し「KY=カカクヤスク」を掲げて良かったこともあります。ひとつは牛肉の低価格化です。ほんとに牛肉は安いです。

牛肉のほかワインなども外国からの輸入が増え、西友は以前に比べ安くなったのは確かです。安いだけではない無印良品が市民権を得たように日本では「安さ」が必ずしも商品を買う決定的な動機にはならないことに気がついたのか途中からは「ど生鮮」といって生鮮重視に舵を切ったものの遅きに失した感があります。それが証拠に大和郡山や河内長野、小倉など西友はここ数年閉鎖する店舗がけっこうありました。たぶん他店に流れちまったのではないかと推測しています。

12日付でウォルマートが子会社である西友を手放す方向の旨の報道がありました。おそらくやはり日本は「理解できない」ところでビジネスをしてゆくうえで「合理的でない」ところだったのかもしれません。

西友が今後どうなってゆくか、というのも気になります(特に魚類)。でもって日本史を専攻しなかったので謎なのですが、米国の大企業が斬りこもうとして手こずった挙句手を引いた、生鮮食品に金を惜しまない+手間を惜しまない食文化は、どうして形成されたのだろうというのもちょっとだけ気になるのですけども。

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2018-07-09

「記憶と言うてもな、映る筈もない遠すぎるものを映しもすれば、それを近いもののように見せもすれば、幻の眼鏡のようなものやさかいに」ってのが豊饒の海に出てきます。身に覚えのある・身体に刺さるけっこう強烈な言葉です。手続きが終わった通知を受けて書類を片しているとき、目は書類に落としてたはずなんすけどふとした拍子に脳内は悪戦苦闘していた頃の映像でいっぱい、ってな経験もあります。ただし数字であるとか詳細なことは忘れています。

民事訴訟では実際だいぶ経ってから記憶をたどって残したメモより事象が起きたことのあとのすぐのメモのほうが証拠能力は高かったりします。たぶん、記憶はあんまりあてにならなくて、時間の経過とともに正確さは欠けてゆく、という習性が一部の日本人にはあることがあるということなのだと思うのですが、これがわたしのような一部の日本人だけなのかそうではないのかちょっと気になるのですがそれはともかく。

新宿と藤沢方面を結ぶ小田急というのがあります。祖父や両親が眠ってる墓地は途中まで小田急に乗ったほうが速く着くので小田急は小学生の頃から記憶にあります。

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小学生の頃から見慣れていた現時点でいちばん古いロマンスカー(LSE)が10日に引退するので特集本が出ていて帰りがけに寄った本屋の店先でそれを見つけ、そういえば小学生の頃にはじめて乗せてもらえたんだよな、そのとき車内で森永のアイスクリームを食べたよな、と表紙を眺めながらほんの数秒脳内に過去の記憶の映像が湧き出てきたのですが、でもそれが夏であったような気もするし冬であったような気もするし・昼であったような気もするし夜であったような気もするし、幻の眼鏡の作用があることを改めて確認しながら詳細は覚えてなくておのれの記憶って、やはりどこかあてにならないな、と思っちまったり。

おのれの記憶は棚上げしておくとして、小さいころの特別の記憶が詰まったものが世の中から消えてしまうのはちょっとだけ寂しいものがあります。歳を重ねるとそういう経験が増えてゆくのかもですが。

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2018-07-07

広島はなんべんも仕事で行っている街です。用があるのは東区でそれ以外は八丁堀のほかはあんまり知りません。ただおおまかな地図は頭の中に叩き込んでるので、大雨で被害を受けた瀬野駅というとどこらへんにあるのかはわかります。隣の八本松まで山陽線は上り勾配が続きます。瀬野は坂の下の町であることは予め理解できたものの映像を報道でみてさすがに手がとまりました。

はてなのidをとるとき目の前にマーラーの5番のCDがあったのでgustav5という安易なidにしています。安易にidをとったくせして、ひとつだけ頑なに守ってるのが一切このidで知り合った人と逢わないことです。そのかわりなるべく性のことを含めなるべく書くようになってます。でもって実際に逢ったことはないけど、考え方とか手に取るようにわかる知り合い(と勝手に思ってる人)はできました。そんななかで広島在住、ってな人を3人ほど知っています。3人ともどちらかというとセクシャルマイノリティで個人的にリスペクトしている人がひきあわせてくれたことによる縁なのですが、広島在住であること以外は年齢も職業も本名も詳しくは知りません。根掘り葉掘り訊くのもなにか違う気がして、問うこともしませんでした。いまは音信不通で、ブログを持っていた人は更新も数年途絶えています。瀬野駅の映像を眺めながらダイジョウブかなあ、無事であって欲しいなあ、なんてことを考えちまったのですが。

何年か前の大雨のときもつくづく思ったのですが、匿名性が維持できるネットってありがたいと思いつつ、匿名性から先に踏み込まなかった分だけ歯がゆさもあるよなあ、と。

[追記]

広島に限らず大洲などの被害を時間の経過とともに知るにつれ今回の豪雨のすさまじさを改めて理解しました。とってつけたような白々しいことしか書けないのですが冠水した地域が一日も早く普段の生活にもどれるように思わずにはいられなかったり。

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2018-07-06

[]果報は寝て待て

シェイクスピアの「Julius Caesar」のキャシアスのセリフなかに

Men at some time are masters of their fates:The fault,dear Brutus,is not in our stars,but in ourselves,that we are underlings

というのがあって、「人には運命の主人になるときがある、ブルータス、不幸にもこうなってしまった責任は我々の星にあるのではなく我々に原因があるのではないか、我々がどってことないしたっぱになってしまったのは」って訳そうと思えば訳せるのですが、このセリフの根っこには星が運命を司ると思ってるフシがあります。この文章を読んだときディズニーのピノキオの「星に願いを」を想起して、ああネッド・ワシントンの創作ではなくて英語圏の人はもうシェイクスピアの時代から星が運命を左右してると思ってるのかー、というのを理解した次第です(もっともキャシアスは星のせいではないのではって言ってるわけですが)。

西洋の考え方に星占いってのもあって、私は4月生まれのおひつじ座なんすが、おひつじ座は「熱しやすく冷めやすい」とか「幼稚で猪突猛進」とかぼろくそ書かれてるのをひでーとか思いながら読んだことがあるのですけど、星占いの類はおそらくそういうウィークポイントを星座を根拠に正当化できるので読まれてるだけであって、おのれの明日を星に左右されてたまるかよ、ってのがあったりします(もっともちら見しためざましテレビの占いでおひつじ座が最下位だったときに不注意で柱にぶつかって唸ってしまったこともあるのですが)。

はてな今週のお題が「星に願いを」なんすが江戸の訛りを強く残す両親に育てられて英語圏に育ってないので星が何かしらを左右すると思ってもいないし、なんとかしたいと思っていることに関して多くは自らが動かない限りなんともならないことが多いので、星になにかしら願いを託したことはありません。

というか万に一つ、願い事があったとして実際、夏の空で見つけやすいのはアンタレスですが、アンタレスは619光年の距離がありますからいまからアンタレスに向けて願いをかなえてもらおうとしてもその願いが光速の速さで届くとすると往復すると1238年後なので絶対私は生きていません(桓武天皇が即位直前に夏の平城京で星になにかを願っていたとしたらそれがいまごろ戻って来ている)。冬の大三角のひとつのシリウスは8光年ですから、もし「星に願いを」するなら冬まで待つつもりです、って、いまから16年後、生きてるかなあ、おれ。

やはりそう考えると星に願いごとなどせずに、自力で頑張って疲れたら果報は寝て待ったほうが良いような気が。

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