Hatena::ブログ(Diary)

名付けられぬ領域のほとりにて このページをアンテナに追加

2017-02-26

ポスター等は見てたはずなんすけど、今日がマラソンの日であることを失念してて

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目の前に横断歩道があっても渡れない、ってことがちょっとめんどくさいことにあらためて気づかされました。

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2017-02-24

音楽史におけるナントカ派とかは横に置いておくとしてオーストリアにアントン・ブルックナーという作曲家が居ました。3P…じゃねえ3Bと呼ばれるバッハ、ベートヴェン、ブラームスほどではないにせよいまでもそこそこ演奏される機会が多いです。ただしブルックナーの交響曲は若干長いです。でもって同じメロディーの繰り返しがあったりします。ここらへん音楽の不思議なところなのですが、指揮者によっては退屈な演奏になってしまうことがあります。もちろんその逆もありえて、指揮者によっては誇大妄想的…じゃねえ、緻密で荘厳な世界が展開されます。

スタニスラフ・スクロヴァチェフスキというポーランド出身の作曲家兼指揮者が居て、十数年前にNHKでブルックナーの交響曲8番が放映されていました。それほどたくさんブルックナーを聴き込んでいたわけではなかったもののいくらかはやめのテンポでありつつもしかしそれでいて軽くならず、緻密に作り上げられ、その週のうちにあわててタワレコへ行ってザールブリュッケン放送のオケとの録音のCDを買いに走ったんすけども。そのスタニスラフ・スクロヴァチェフスキさんが去年来日していて、読売日響とのコンサートをNHKが録画して放送していたのですがそのときは90を超えていました。変わらずの美しいけどどこか良い意味でひっかかりがある緻密な音楽を読売日響相手に引き出していてまったく衰えを感じさせず、なんかこう、食い入るように視聴していて、ああ変わんないなあ、まだ元気そう、と思っていたのですが。

21日にお亡くなりになった旨読売日響のHPにありました。

私はしんどいときに音楽を聴く習性があります。良い音楽には麻薬のようにしんどいことを忘れ去す効能があると思ってて、ザールブリュッケンとの録音を何度も聴いていてお世話になっていました。訃報を知って惜しい人がいなくなっちまったなあ、ってのがあったり。

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2017-02-23

私はいまは相応にくたびれたおっさんですが、10代の頃は週刊少年サンデーでパトレイバーを楽しみにマンガを読んでいました。ちょっといいにくいのは途中から親しかった女の子の影響からか那須雪絵というひとの単行本のコミックスも読んでいて「ここはグリーン・ウッド」とか「フラワーデストロイヤー」、やまざき貴子というひとの「可視光線」とか「っポイ!」もちょっと読んでいました。ついでに書くと中島梓という評論家に興味を持ってしまい「やおい」という単語をうっすら知っていて、心理描写や背景設定やストーリー展開がしっかりしていれば抵抗なく読めていたので秋里和国さんの「眠れる森の美男」とか、いわゆるBLのものも読んでいないわけではありません。

ところがいつの間にか全然手を出さなくなりました。

前述の長い連載になっていたはずの「っポイ!」が完結したってのは知っててて、登場人物である「万里」や「平ちゃん」がどうなったかってのは気にはなるものの、買って確認するほどにはなれず、なんとか元気にやってるはず、くらいの意識で未読です。「大人になってしまった」ってので済ますことが可能ですが、大人の誰もがマンガを欲しないかなんてことはないですから、たぶん答えになりません。おそらく個人の問題です。

とするといつのまにかわたし個人に変化があってマンガを必要としなくなってマンガを卒業してしまったのかもしれません。振り返るとなぜ以前は「マンガを必要」としていたのだろうっていう疑問がでてくるのですが、おそらくマンガの創作物には麻薬性のようなものがあって、しんどさをごまかす・現実を忘れさすための麻薬として物語としてのマンガが必要であったのかも。いまは相応の精神力がついたのと音楽という別の麻薬を手に入れてしまったわけで必要性が低下したのかも。

はてな今週のお題が「卒業」なのででつらつらかいてきたのですが、ちょっとくだらないことを書きます。はずかしながら性を意識したのはマンガの火の鳥です。女性の登場人物が着ているものを脱ぐシーンがあって・脱ぐところを描写するのではなく衣が床に落ちるシーンがあって、二十数年以上たってもその描写は覚えています。乳房とか性器とかよりも実はこれからなにかが起こることを予感させる空気にどきどきしていたのです。そのシーンの影響からか、エロの本質というのは人の身体にあるんじゃなくて、起こるべき事態の予感にあると思っています。いまでもシャワーを浴びに行った相手の脱ぎ捨てた衣服をみるとなんかこう「えっちだなあ」と思うところがあったりします。マンガから卒業できても、そういう点ではまだマンガの影響からは完全には卒業できてないところもあったり。

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2017-02-22

猫の日です。

いま住んでいるところは南向きに玄関ドアがあります。餌付けをしたわけでもないのになじかは知らねど、どこの猫だか知らないものの、玄関の前に猫が居ることがあります(おそらく暖かいのかなあ、と)。人の顔をじっと見て、そのままです。そこに居られるとドアが開けらんないんだよなあ、と思ってもどいてもらえません。ボランティア門番猫みたいなものかなあと思って蹴っ飛ばしとかはしませんが、鍵をもってガチャガチャやるとどいてもらえます。

夏目漱石の「吾輩は猫である」の中で、ネコがネコにもルールがあることを紹介してて、たしかいちばん一番先に見付けたものがこれを食う権利があって、相手がこの規約を守らなければ腕力に訴えてよいくらいなのにもかかわらず「我等が見付けた御馳走は必ず彼等(人間)のために掠奪せらるるのである」と嘆いてるくだりがあります。ネコからすると人間のほうがわがままだという批難です。漱石説をとるとドア前は登記に関係なく最初に見つけた彼の領地であるはずで、そのせいか領地に入る私の姿をみるとちょっと不服そうな顔をします(逃げないところをみるとナメられてるのかもですが)。

新宿小田急で岩合さんの猫の写真展をやると観に行く程度に興味があって猫はいつか飼ってみたいなあと思いつつ余裕がないことを理由に止めたほうが良いという結論になって、果たせていないのですけど、猫をみてるとちょっとやはり、揺らぎます。

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2017-02-21

[]( >д<)、;'.・ ィクシッ

昨日あたりからけっこう花粉が飛散しはじめてて、ストナリニを頼りはじめています。ただ毎年書いてるかもなんすが眠くなりにくい代わりに副作用っていうか自覚できる程度になぜか若干イライラしやすかったり。これが地味にストレス要因で、ほんとはストレスを減らしたいところなんすが服用しないわけにはいかないのでいかんともしがたいところです。

でもって通勤時などにはマスクの下でモンデリーズというところから出してるクロレッツのミントキャンディをなめています。ほんとに効果があるかどうかはわかりません。でもなんとなく抑えられる気がしてここ数年ずっと使っています。以前はJRのキオスクでよく売っていたのですが通勤に使う駅のキオスクも乗り換え駅のキオスクもコンビニ型になったら扱いを止めちまい(販路が違うのかコンビニにはまずない)、サンドラッグなどで見つけた時に買い置きしています。在庫がなくなりかけると不安になる・そわそわするんすが、なんだか薬物依存患者です。

残念ながらはやく花粉に耐えるつらい日々がはじまっちまいました。

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2017-02-18

少し前から個人的に株をひきうけてる小さな会社があって株主総会がありました。無配当継続中の、天候に左右されるとことがないわけではない中央東線の高尾より西にある小さな会社です。去年の8月までは惨憺たる数字で、しかし9月以降持ち直しててまだ希望が持てる決算だったんすが、景気回復っていつまでたっても道半ばなのではと(経済音痴のくせして)実感しました。

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帰り道に桔梗屋の信玄餅を買って東京に帰ってきました。小さいころからよく知ってる味で飽きてるはずなのに中央東線で出かけて見かけてしまうと「懐かしい」と買ってしまうおのれの行動を「桔梗屋の罠にはまる」と勝手に名付けてます。信玄餅自体は求肥加工した餅にきな粉がかかっててそれを黒蜜で食べる和菓子です。たいていきな粉の分量が黒蜜より多く持て余し、かといってきな粉だけ喰うのもなあと思ってもったいないなあと思いつつ捨てちまう後悔も込みで、桔梗屋の罠です。今日も桔梗屋の罠にはまりました。1年に1回あるかないかなので、甘い罠だしいいかなあ、と。

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2017-02-17

[]「ローカル路線バスの旅」のこと

太川さんと蛭子さんが女性ゲストとともに行くローカル路線バスの旅、というのを視聴してることを何回かここで書いてるのですが、BSで放映していた最終回の録画を視聴しました。旅という名前がついていますが生半可な旅番組ではなく高速バスや鉄道をつかわずに・地元の人に尋ねたりしながらたどり着けるかどうか、という異色のドキュメンタリーです。毎回ハラハラしながら視聴するのですがなぜ他人の旅行なのになんでハラハラしなくちゃいけないのかよくわからないのですけど、よく判らないなりについついやってるのとみつけると予約して観ちまうのです。今回は会津若松から秋田の由利本荘までです。毎回、地方の状況や地方の公共交通の現状というのをそのまま・ありのまま映し出すのですが今回も路線バスではつながらない区間がけっこうあり、雪降る東北を歩く姿が何回かありました。ついでにかいておくと善意で地元の人が持ってる知識で相応のルートを教えてはくれるのですが、最適解とは限らないのです。最終回でありながら、残念ながら太川さんが悩みぬいて選択したルートで羽後本荘まではたどり着けなかった・有終の美を飾れなかったのですが。

路線バスの旅ではみている限りでは番組ではルートはもちろん一切正解を示しません。正解っぽいのもだしません。蛭子さんは(いつもそうなのですが)空気を読まずに調和を考えずにけっこう思ったことを口にします。たとえば今回立ち寄った喜多方について「他に名物があればいいけどラーメンしかないから」という趣旨のことをぽろっと口にしてしまいます。本来ならカットすべきところでしょうが、そのまま流していました。喜多方の街並みを見せ、喜多方ラーメンを見せ、蛭子さんが正しいかということについては判断しません。みたほうに任せます。この番組の凄みはそこらへんです。

有終の美を飾れなかったものの、毎回番組を仕切りながら地図とにらめっこしてルート選択をし要所要所で決断し、周囲をねぎらいながらぐいぐい引っ張るのは太川さんでした。太川さんぬきにして路線バスの番組は成り立たなかったのではないか、と思います。ただしまじめ一辺倒ではありません。必ずお約束行事として宿泊先の蛭子さんの部屋に行き、ベッドにダイブしてぐちゃぐちゃにするのがお約束です。今回もまた、そのお約束行事があって蛭子さんに怒られていたのですが。

でもって太川さんのパートナーが蛭子さんであったのも25回続いた要因かもしれません。けっこう固有名詞をすぐ忘れたりとかテキトーなのですが交渉事はわりと蛭子さんの領分で、思わぬところで粘り腰を発揮します。それとはまた別に蛭子さんに関してもうちょっと書いておくと以前、コインランドリーがあるところで泊まりたかったけど距離を稼ぐためにそれが叶わないとなると従うのだけど、でも若干露骨に・しかしニコニコしながら・云わないでもいい不服を表明したことがありました(蛭子さんがコインランドリーのあるところに泊まりたがるのはパンツをたくさん持ってきてないので洗いたいためです)。空気を読まずに云わないでもいいことを云う・建前がないというか本音一直線かつ裏表がないので、どちらかというとゴールを目指す真面目な太川さんとの対比で蛭子さんは一瞬ひどい人に思えます。でも、云わなくていいことを云うことはあんまりよくないことのように見えるけど、内心、思ったことを我慢して云わないのは健全か不健全かっていったら不健全です。ぶつぶついう蛭子さんのニコニコとした顔をみてると「空気を読むとか調和を考えることは一見よいことのように見えることはほんとは健全なことでもなんでもないんじゃないの」というか、みてるほうを内省させるというか、ちょっと揺さぶりをかけるのです。単なる旅番組にならなかったのは空気を読まない蛭子さんが居たからかもしれません。

最後に特筆しておかねばならないと思うのは栃木の「やまあげ」の資料館であるとか山形の真室川ののこぎりの資料館であるとか静岡の薩埵峠であるとか日高のエンルム岬であるとか、(すべての回を視聴したわけではないのですが)必ずしもメジャではないものの要所要所で「これは」と思う場所や絶景を積極的に紹介していたのは偶然の産物かもしれませんが好感が持ててました。

好感を持ててたゆえに完全に「おじいちゃん」になってしまった蛭子さんに過酷な旅をさせるのはまずいよなあ、やむを得ないかなあ、ととおもいつつ、終わってしまうのはちょっと惜しいなあ、と思っちまうのですけども。

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