Hatena::ブログ(Diary)

名付けられぬ領域のほとりにて このページをアンテナに追加

2006-12-31

[] Je vous remercie!

社会に出ると能力以上に人間関係における要領の良さが求められていることがあります。取り入る、とかそういうところですね。そうするとどこかで、媚び、というのが出てきます。けど、この媚び、というのはわりと人間を誤らせるところがあると思います。媚びることを平気でする人は正確な状況をいわないので、的確な判断ができないわけです。

幸か不幸か私は社会人になって大阪で最初に媚びるということをものすごく嫌う人の下で働くことができ、それが基本になったので媚びるということをあまりしないでやってこれました。ある意味幸福なことで、悲劇かもしれません。異動で東京にきて媚びるということをしなかったために無断欠勤すれすれで死んだ父の納骨になりそうになったことがあります。誰かに媚を売るくらいなら、した噛んで死んだほうがいいかも、って感じです。ただこれは誰にも薦められることではありません。媚びられない自分に対する生き方へのガマンと媚びて近道しようとする他人との心理との差があればあれほど、損しているような気になってムカついたり揺れ動いたりします。適度に媚びたりしたほうがいいかもしれませんです。ほんとは。


他人の媚ほど見てていやなものはなくて、メイド喫茶とか絶対行けそうに有りません。媚びたりしてどうするのかと考えちまうからです。コーヒーとかで差をつけろよ、そういうところで差をつけるというのは邪道かも、と、本気でおもってます。媚びに金を出すようなふうにはなりたくないな、とも思いますし、媚びにさして付加価値があるというのはなんか妙だとおもいます。自分でも媚びを売るというのは苦手です。ブログを始めるにあたって誰かに媚びようとか全く考えていませんでした。今でも媚びて無いつもりです。にもかかわらず、閲覧してくださってる方がいます。個人的には非常にありがたいことであったりします。

お付き合いいただきました皆様方に御礼を申し上げます。

         ありがとうございました。

                                  

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2006-12-29

今日も出勤です。たのしくおしごとしてきました(ぼうよみ)。

オフィス街は昼間の昼飯の行列が緩和されてグーです。

ただそういうときに限って、食欲が無い。

けどampmのチキンタツタサンドを食べると、微妙にもう少しなんか食べれるかな、という不思議な感じにとらわれます。

[]山椒魚に餌

良い加減の酔っ払いから酔い覚ましにか電話がかかってきてどうでもよいことをちと話したあとに、こちらの心配をさぐる会話になる。椎間板ヘルニアのことを話したら腰についての話と誤解していかにぎっくり腰がきついかを語りだそうとするので、頚椎のことだよ、と告げて、棺桶はいるってあんな感じかも、とMRIのことを話すと、笑っていた。ツボだったみたいです。

長くはない会話で、自分から切りたくなかった。少しでも気にしてくれてるのはありがたいかなと。嘘をつかないし多少はやりっぱなしにしない後始末のできる男だから付き合えたし、誠実ではないが悪くは無いから周りが黙ってなくて奥さん候補を斡旋したのだろうと考える。どうしてこういったふうにまだ電話をかけてくるのか、電話の後にちと考えて、即やめる。無意味だから。けど一番残酷で猛毒で甘美なのは無邪気さの会話の中に潜んでいるとおもう。


ただ、自分の弱さに胡座をかいて現状維持というか逃げることがないようにしないといけないなとつくづく思います。それは助けてくれる人がいる人だけが使える技だ。体力と気力が戻ったら、何とかしないと、です。

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2006-12-28

[]今年やりのこしたことはありますか?


今年やり残したことはありますか?

ないです!ってのはうそで、有ります。

些末なところからいくと、年賀状も和飾り類も手付かずです。部屋を大掃除してませんし、そういや、読もうと思っていた本もあまり進んでいません。



やり残したこと、というのは、始末をつけてない、ということです。カタがついてないというか、そういうところです。

始末という字が示すように,ものごとには始まりと終わりがあります。始まりは簡単ですが、ここで終わりというのも難しかったりします。やらなければならないことがあるときに明日でも間に合うから今日はやめておこうと思うことがありますけど、翌日になると新しい用件が飛び込んできて先延ばした用件ができなくなることが度々です。明日には明日やるべきことが待ち受けているみたいです。明日は明日の風が吹くとはよくいったもので、全くそのとうりです。首尾よくカタがついたことも有りましたが、それ以外に今年でケリをつけなければならないことってあったのですが、始末はついていないものもあります。


実家でのことや親族関係、勤務先での越し方行く末とかは別論として、本来私事をあまり引きずりたくなかったですが、自分の中ではやはり関係の清算というか山椒魚が自分の中にいてそれが正直なところケリがついていなかったりします。過ぎた事は仕方が無いわけでどこかでケリをつけねばと判っていてもあかんかったりします。最低限のこととして自分1人でケリをつけ生きていくしかないと思いますし、こういう私事は基本的には誰も助けてくれやしないし、油断すればたちまち足元をすくわれます。他人にすがって生きるという姿勢は基本的にダメでしょうしおのれのことはおのれで始末をつけるしかないことは知ってるつもりです。

ただ、このブログで、内心をちと吐くことだけは許されるかなとは思ってます。もしお嫌でしたら、是非お気に入りとかから外してください。


もうひとつ、上げるとするなら対人関係の言動の改善でしょうか。気をつかってるつもりなのですが、実は自分の態度は本人がオブラートに包んでるつもりでも案外他人に対してストレートすぎるようです。キレやすい若者だからハハハって云える年齢じゃないので、もうちょっと気をつかわねばならぬのかなあ、とか考えています。他に自分の意思表示を伝えるための言葉を持ち合わせていないことも有るので語彙を増やせなかったという反省かもしれませんが。

あと半分バカみたいな目標でしたが、目指せ平均体重ってのあってせめて体重を65ぐらいまでもっていきたかったですが、無理でした。これも来年まで持ち越しです。似たような目標として、髪形を変えてみるとか、多少色気のある感じになるってのもあったのですが叶いませんでした。


ちと余談ですが。

企業においては自らの財務状況を把握するために貸借対照表を作成して活用しています。この表は左側を借方、右側を貸方と呼び、借方には企業の所有する建物や土地や預貯金などの資産、貸方には負債や資本金や利益ほか損失等が記入され、常に左右の合計が同額となり、バランスを保っているためバランスシートと呼ばれています。

これに例えるなら自分の精神的なバランスシートは財産があまりなく、リアルやネット上からの知人友人のみなさんからの有形無形の負債があるていどあります。バランスシート上は均衡を保っていますが、借りている負債を年内にかえすことができませんでした。どういう負債返済方法があるかわかりませんが、金利をつけて何らかの形でちまちま返済できたらいいなと思っています。負債を放棄せず取り立てたいという方がいらっしゃいましたら、来年もお付き合いのほどよろしくお願いいたします。

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2006-12-27

[]朝日新聞が嫌いです


4人の死刑を執行と法務省が発表 05年9月以来の執行



 法務省は25日、4人の死刑を執行したと発表した。長勢法相の就任以来初めて。杉浦前法相が在任中に死刑執行命令書への署名を拒否したまま任期を終えたため、執行は南野法相時代の05年9月以来1年3カ月ぶりとなった。1度に4人に執行されたのは、永山則夫元死刑囚らが執行された97年以来9年ぶり。執行されたのはすべて男性で、70代も2人いた。

関係者によると、執行されたのは96年に広島県で4人の女性を相次いで殺害した元タクシー運転手H死刑囚(44、広島拘置所在監中)、高知県で78〜81年、義姉ら3人を殺すなどしたF死刑囚(64、大阪拘置所在監中)のほか、千葉県で75年、工場主を殴り殺して現金約1000万円を奪ったA死刑囚(77、東京拘置所在監中)、栃木県で81年、別れた妻の親類2人を殺害して金品を奪ったF死刑囚(75、同)。

就任3カ月足らずの長勢法相が執行命令書に署名した背景には、執行されていない死刑確定囚が100人近くに上る現状で、「今年の執行数をゼロにすることは絶対に避けたい」という法務官僚の強い意志があった。

裁判所が死刑判決を「量産」し、死刑確定者は06年は20人を超えた。一方、実際に死刑囚の命を奪うことになる命令書の署名には消極的な法相も多く、その結果、03年までは50人台で推移してきた未執行者は25日現在で98人に。法務省幹部は「100人を超えれば死刑制度の根幹が疑われることになる」と危機感を持っていた。

2006年12月25日付 asahi comより転載

過去に一度述べたのですが、死刑の存廃はともかく記事の内容についてあえて申し添えると、死刑執行を命じることが職務でもある法相が死刑を命令出来ない(公務を果たせない)のであれば、最初から法相など引き受けるべきではないとおもいます。わざと死刑執行命令書にサインしなかったことは法相が法相の任を遂行できなかったということよりも、(仏教徒として宗教的信仰心を理由に死刑執行命令書への署名を拒むことは心情的に理解出来るのですが)裁判所の判断をないがしろにしてるのとおなじで深刻な事態です。刑事訴訟法で定められた再審等の手続によって死刑執行が回避される可能性があるかないかを精査するために設けられた手続があって、それによって疑義があれば話は別ですけどそうでないのならサインはすべきであったでしょう。



で、私は朝日新聞をあまり読みません。大学生のときのバイト先が別の新聞社であったせいもありますが、たまにこういう記事を書くからです。なにを書いてもかまやしないのですが、ちと頭にきたのでものすごいバカなことをいってる、という指摘だけしておきます。少なくとも

>裁判所が死刑判決を「量産」

してなんかいません。

どこをどうとって、量産できるのでしょうか。今の刑事裁判の手続きで。

というのは死刑というのは本来「人間存在の根元である生命そのものを奪う冷厳な極刑」(最判S58・7・8)ですから死刑を科すためには特に誤判が生じないようにきわめて慎重に刑事手続や審理を進めて判断しているのが日本の裁判所です。簡単に量産できるものではないのです。

もし仮に朝日新聞が量産してると感じるのならば、その根拠を示すべきでしょう。まさか、死刑確定者が増えたことをもってのみ「量産」といってるのであるならば、随分とふざけた話だとおもいます。疑義を呈するのはかまわないのです。ただ、ものを知らないで勝手に文句をつけるような感じで云いたいことをいうというのは、云ってる本人はとても気持ちがいいことかもしれませんが、はたから見てると単なる阿呆であったりします。

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2006-12-26

先日のMRIの結果が昨日でて、何のことはない、椎間板ヘルニアだけどかなり軽度で手術するほどではないとか、です。しかしなんでこうなったのかはわからずじまいです。ラグビーや相撲をやってると、よく、首の椎間板ヘルニアになるらしいのですが、全くそういう経験は無かったりします。やってたら貧弱じゃなくもっといい身体してたでしょう。痺れとかがあるのですが以前みたいにコーヒーこぼすようなへまはしなくなりました。ご心配おかけしました。

ついでにいうと、ほんとにいま、禁酒状態でタバコもやりませんし勤務先と自宅の往復という修道僧のような全く清らかな生活を送ってます。


東京は今日はさむかったです。

ポタージュスープが欲しくなるくらいの。




(仮説→相談することによって相手に言い放った自分の言葉から自己分析ができる人も居る。もちろんできない人もいるかもだけど。本日再確認しました。)

ミサミサ 2006/12/27 03:32 こんばんは。
お加減はどうかな〜?っと思い、日記を見たらちょうど書かれてましたね^^:
そっかぁ。やっぱりそうだったんですね・・・
なんでなのか分からないのは微妙ですね〜!
でも、ひどいものではなかったようで、ほっとしております。
それではこのへんで。
失礼致します。

グスタフグスタフ 2006/12/27 21:34 ミサさんこんばんは
ご心配おかけしました。
少なくとも軽度で手術とかは回避です。
クスリで散るみたいで、その間だけ禁酒してればなんとかなるかもです。忘年会新年会シーズンつらいですけど。
原因はこの際どうでもよくて、治ればいいや、とか、考えていますです。
コメントありがとうございました。

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2006-12-24

[]第九

この時期になるとどこもかしこも第九をやります。大抵通常の定期公演より値段がちと高めに設定してあるので、貧乏人にはちとつらいのと、恥ずかしながら年末忙しいことが多くて生で第九を聴きに行ったことはありませんです。

この第九ってくせ者でして、第1楽章、第2楽章は微妙に力強いメロディが繰り出されたり切迫感や緊張感があるのですが、第3楽章では柔和な感じになり、第4楽章の冒頭でそれまでの3つの楽章のテーマを次々と回想してから、チェロとコントラバスの重苦しい旋律を用いて片っ端から否定していきます。で、よりによって

O Freunde, nicht diese Tone !〜 

(ああ、友よ この様な調べでは無くもっと楽しく歌をうたおうやないか!)

となって、徐々に第4楽章の合唱部分に入ります。今までのは何やったんや!と、突っ込みたくなる曲です。で、ご存知の大騒ぎと信仰を連想させる静かな部分がきます。

このことを頭に入れて機会があったらぜひ聴いてみてください。

偏狭な音楽家が最後に仕上げた、ちと、変わった曲ってことがわかると思います。

演奏するほうからするといろんなことを見越して緻密に組み立てるか、ちと異常な感じがないとキレイに纏められちまうと合唱部分の大騒ぎがつまらなくなるはずで、そこらへんの按配はものすごく難しいのだろうな、とおもいます。指揮者の力量が問われる曲でもあるとおもいます。




薦めるとしたら、チェリビダケの第九です。

そもそもCDの録音時間は、カラヤンが「ベートーヴェンの『第九』を1枚に収録できる時間で」ソニーの社長であった大賀さんに宿題をだして開発されたのですが、このCDは二枚組みです。精細というか丁寧に追っかけてますからしょうがないのですが。

第3楽章などはかなり美しいです。第4楽章はちと変わっているとおもいます。一部、発音をハッキリさせずに歌を音楽に溶け込ませようとしている気がします。



またぞろ小澤さん盤。第一楽章の張り詰めた尋常でない緊張感と、第4楽章の合唱はさすがです。ちと、冷たくい感じがしないでもないです。

繰り返しになりますが第4楽章の男性の独唱「O Freunde〜」がなんかタイミングが半テンポずれてるというか、それがすごく気になります。

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2006-12-23

[]寝汚いかも

この前、高知に行くとき、東京駅のひとがきをきかせて、二階建てバスの二階の一等手前というスペシャルな席をアサインしてもらったにもかかわらず、六本木ヒルズと渋谷を見たぐらいで夜景を楽しむこともせず、徳島で一回起きたきり高知まで熟睡でした。これもはりまやばしをすぎても一向に起きる気配のない私を隣の人が心配して起してくれたからなんとかなったので、下手したら車庫まで連れて行かれたかもしれません。

寝汚い、という言葉が適切かどうかわかりませんが、私はどんな状況でも(昨日のMRIは別として)わりと簡単に眠れることができます。またほんとに眠れないってことは年に一回あるかないかぐらいです、今年はまだそういう経験がありません。


眠れる余裕があったときには寝てしまわないとなんか損した気分になります。つか、眠るのを我慢できないほうです。絶食は可能ですが徹夜というのは苦手です。(もっともここらへん肩や腕の痛みで眠りが浅く、ちとつらい日々があり、いままで眠れない不眠っぽいひとの心情が理解できませんでしたがなんとなくわかるようになりました)。

眠れない、というのは体が冷えているか興奮してるかのどちらかだと思うのですが、私は興奮が持続しないようです。たとえば死ぬまでに一度眠れなくってずっと寝顔を見てたよ、とか誰かに云ってみたいものですが、云われたことがあったかどうかはともかく云ったことはありません。




眠っている間は夢をみるってことがほとんどないみたいです。ほとんど覚えていない。悪夢にうなされるということがあまり記憶にないですし、多分良い夢であったもおぼえていません。眠りから覚まされて直後の寝起きはこの世のすべてを敵に回してもいいくらいに朝がきたことを恨みます。恨みながら出勤のために着替えをしたりしています。そういえば寝覚めのよい朝なんてここ十年経験したことが無かったりします。どうやったら寝覚めの良い朝になるのかはが実はわかりません。もしお解かりの方、コメント欄にアドヴァイスをお願いします。



見切りといったら語弊があるかもしれませんが、心配事や悩み事を抱えてたとしても、起きていたからといってそれが改善されるわけではないとおもうので、寝ちまうことが多かったりします。眠ってる間に靴屋の小人さんが出てきて状態を改善してくれればいいのですがそうはいきません。小人さんが来ないとわかってる以上は起きてる間にベストを尽くせば良いや、みたいなところがおおいです。ベストを尽くすためにぐっすり寝たい、というところですが。

どう言葉を尽くしても、なんか、寝汚い印象は薄れないかもしれません。

また、眠っている間に状況を改善してくれる靴屋の小人さんの連絡先を知ってる方がいらしゃいましたら、メールをいただけると嬉しいです。





ちとどうでもいいですが、眠りで思い出した曲です

この中に「4つの最後の歌」というのがあるのです。

「4つの最後の歌」は、作曲家リヒャルト・シュトラウスが、ヘルマン・ヘッセの詩の曲をつけたもので彼の最後の作品です。機会があったら是非聴いてみてください。邦訳を載せておきます。

三番目に眠りにつくとき、というのがありますです。つか、よく読むと、なんか永遠の眠りっていう気がしますが…

眠りにつくとき

                          ヘルマン・ヘッセ

この一日に 私は疲れてしまった

私の心からの願いは 星の輝く夜が

私をやさしく迎えてくれることだ

眠くなった子供を抱きとるように

手よ、すべての仕事をやめよ

頭もすべての思いを忘れるのだ

私の感覚は 今やすべて

眠りの中に沈もうとしている

そして魂は 思いのままに

その自由な翼を広げる

夜の魔法の世界に

深く無限にとどまるために


こういう詩を書けるっていうのは、ただただ単純にすごいなあ、とおもいます。私は眠いときはこんなこと思いもつきませんから(比較するのが間違ってるのか)。

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2006-12-22

好きな人を嫌いになるのは難しいことだとおもいます。好きなら悪い所だって許容できちまう訳です。多少相手が誠実でなくとも、待ち合わせ時間にルーズだとか、ちとデリカシーがないとかでも普通は許せちまうわけです。風呂に入ろうとして脱ぎ掛けたらケータイが鳴り、半蔵門線の中からなんだけど途切れたらごめんね、と、注釈入れながら電話してくんなボケ!とおもいつつ(自宅からかかけにくいものと思料)、途切れ途切れに何度かかかってくる電話も頭が多少イカレてれば、許容できちまう訳です。


接触を断ち、距離を置いて、嫌いになるは無理でも好きではなくなる状態に至るのを待つ、という、あさはかな考えをもっていたのですが、正論が難しいのと同様あさはかな考えはハードルが高かったりします、たぶん。それとしんどそうな気がします。恐怖はより大きな恐怖によって駆逐されることを知ってるので(学生時代の定期テストと歯医者の抜歯の関係)、それに似せて好きな相手のことを思うよりも楽しいことを見つけて、心に占める順位を下げていくようにすればいいのかな、と、考えたものの、なかなか難しいものだったりします。対症療法よろしく、その場その場で例えば音楽を聴くとかなら、可能なのですが、それは抜歯みたいに根本的治療ではないのでときたま疼くというかおさまらない。


模索というか、勤務時間はともかくそれ以外のときはなるべく簡単に理解できそうにないもの、むかし理解するのに苦労した法律関係の基本書をひっぱりだして読んだりとかはしています。

ただそれでもほんのちょっとした時間に思考が行き、凹んでしまい、メールや電話に浮上するような感じです。

最終的にはどこかでケリをつけ、新しく好きな人を見つけねばならんのでしょうけども。正論を云えば。それが根本的治療ってわかってはいるんですけど、なかなか難しい。

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2006-12-21

「世の中こんなもんかなあ」と、あるところで見切るのが日常になって日々を過ごしていると「ほんとはこうあるべし」の高さを維持する根性というか志というか精神力が弱くなってしまうというものやとおもいます。

けど。

たとえば、勤務先でも恋愛でも友人でも家族でも良好な関係を持続させるためには努力が必要じゃないかとおもいます!という正論はだれでも吐けます。正論なんて実はそこそこ頭をはたらかせるだけで誰でも吐けるもんなんですよね。ただ、実践するのは、見た目以上に、それとは比べようもないくらいハードです。

[]MRI

椎間板ヘルニアかどうかをハッキリさせるために、MRIの検査を都内で受けてきました。

辞書を引くと、MRIとは核磁気共鳴の物理現象を応用して、人体の断層撮影や含有物質の同定を行う機械のようです(実はよくわからない)。ともかく、えっと、痛みの原因を特定するために行ってきました。答えはまだでて無いのですが。

えっと、問診のあと、耳栓をわたされて緊急の場合はこのボタンを押してくださいとにこやかに女医さんにいわれたもののどういう状態が緊急状態にたるのかわからぬまま寝台の上に横になって首と頭をしっかり固定してもらって機械のなかに入って行きます。当分絶対動くな、といわれたのでずっと目をつぶっていたのですが、中にいるときはああひょっとして棺桶の中に入ったらこんな感じなのかな?というくらい圧迫感がありました。撮影が始まると装置から「コンコン」という音がして、その後まるで工事現場にいるようなうるさい状況が続きます。例えるなら道路工事と旧式の地下鉄が同時にやってきた感じです。音が等間隔で鳴ってるときは四拍というか123412341234とずっと数えていて、ようは、すること無いから暇なのと、おそらく子供なら泣き喚くだろうとおもうのですがかなりの緊張感とちと恐怖感がありました。この大騒音にさらされるのは,健康な者でもたまったものではないとおもいますです。推測するに多分あの大音響と機械内の圧迫感で、気分悪くなって緊急ボタンを押す人がいるのでしょう。どう考えたってあの中でわめいても外には聞こえない筈です。頚部の中心から熱くなっていってああ、これが磁石の力なのかなとか勝手におもってましたがこれが正しいかどうかはわかりません。

いい加減早く終わらないかなあ、とか、考えていたら終了でした。たぶん20分か30分でしょうか。

暫らくすると輪切りの写真が完成するようです。

技術に進歩ってすごいなあ、と思う反面、気分が乗らないときの何かよりもちとつらい感じです。できれば避けたいです。つか、誰もが避けたいと思うかも。閉所恐怖症じゃなくとも。

閲覧してくださってるかた、どうぞ健康にご留意を。

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2006-12-20

精子保存、生存中に限定 本人死後の使用禁じる


凍結保存した精子の扱いをめぐり、日本産科婦人科学会(日産婦、理事長・武谷雄二東京大教授)は9日までに、「保存は提供者本人の生存中に限る」とし、死後の生殖補助医療への使用を禁じる会告案をまとめた。16日の理事会に提案し、会員らから意見を募った上、来年4月に開く総会で正式決定する。

会告は会員の医師が守るべき診療指針。同様の指針は既に日本生殖医学会など複数の学会が定めているが、ほとんどの産婦人科医が加盟する日産婦の決定で足並みがそろうことになる。

夫の死後に、凍結保存していた精子を体外受精して産んだ子を夫の子として認知するよう求めた訴訟で9月、最高裁は「民法は死後の懐妊で生まれた子と死亡した父との間の親子関係を想定していない」などとし、父子関係を認めなかった。

このため日産婦倫理委員会(委員長・吉村泰典慶応大教授)が凍結精子の扱いを検討。死後受精で生まれた子の父子関係が法的に認められない現状では、子供の福祉が確保できないと判断した。

12月9日付共同通信社配信

この判決が影響してます

随分前に取り上げた松山の事例のときは、奥さんがだんなは生きてると偽って病院に受診してました。それを信じて病院は診療を開始して、死んでただんなの精子で懐妊したわけです。えっと、妥当な決定だと思います。ただし、破ったって刑事罰になるわけじゃなく学会から除名されるだけです。ひょっとしたら闇で保存行為がはびこるかもしれませんが。

しかし規制しないと150年後にいま生きてる人物の実子が生まれることもありえないわけではないわけで、一歩前進かもしれません。

[]山椒魚

「山椒魚は悲しいんだ。彼は彼の棲家である岩屋から外に出てみようとしたのであるが、頭が出口につかえて外にでることができなかったのである。」

井伏鱒二著「山椒魚」の一節です。

「山椒魚」を読んだのは確か高校生のときでした。簡単に言うと、しかるべきときにしかるべき行動をとらず洞穴の中で二年間を過ごして、ある日、体の発育のため、もはや絶対にそこを出られないと悟った山椒魚は、「何たる失策であることか!」とつぶやきます。


いまから考えると、誰もがそれを抱える危険性があると思うのですが「山椒魚」というのは引き篭もりって肥大化する自分の幻想のことで、肥大化してしまった自己に対する愛を重んずるばかり現実から逃げてしまうことを戒めるようにもとれますし(→えっと、自己愛まんまんの幻想の自分を見出すことによって現実としての今日を生きる自分をないがしろにしがちになることを遠まわしに戒めてるのかなあ、と)、またなによりも、しかるべきときに行動せよ!という警告なのかもしれません。いま、私はそういうふうに解釈しています。いずれにせよ、深い、と、ため息をつきたくなるような、作品です。

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2006-12-18

人間はさぼりやすいので規則、要綱、マニュアル等がんじがらめにして人の行動を縛らなければ能率は決してあがらないというのはどこかで聞いたことがあります。それが正しい理論かはわかりませんが。私は多少のあそびがあった方がいいと思うほうです。

ひょっとしたら構成員の自主性に任せたほうが組織の中で人間は作業能率が上がるかもですが、現実はそうは問屋はおろさないようです。で、その規則とかしばる理屈は当然年上の人が過去の経験則によってつくります。

年上の人にもたいした人だよなーとおもう人もいれば、そうでない人間もいます。


昔はどれほど牧歌的だったかわかりませんが、過去の経験則から最適だと思われる解が、いま必須とされてる解とはかけはなれてる可能性があります。

それすらも思い至らないのかな、とおもうと、なんか、哀れですが困ったことであります。

随分と甘い認識で、よく来れたなー、と、おもうときがあります。

できることなら甘い認識で生きられるような、そういう環境で仕事したかったかもしれません。

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2006-12-15

わけあって、最近ネット上で民事訴訟についていくらか説明できることがあるならお手伝いしようと思ってチャットで話したことがあります。けど、ほんとは訴状がどんなものか見るまでは全く何もいえないですし、訴えの内容によってはもちろん細かな状況によってとるべき対応や、やっておかねばならぬこととか微妙に違ってくるし、その点微妙に細かく説明が違ってくるので現段階では具体的なことが何も言えず抽象論になってしまう。けど、抽象論ほど相手に伝わるのが難しいものはないきがします。巧く説明できないのです。

また、法律を多少齧った人間なら自白の意味はわかるのですが、そうでない場合は言葉が通じないなんてのはあたりまえです(えっと、原則民事では相手方の主張する自己に不利益な事実を争わない旨の陳述のことを云います)。そういったこともふまえて説明しなきゃとか、頭で理解してて、何をどうこうといえそうにもかかわらず、実はあまり巧く云えてなくて、ものすごくもどかしい。かゆい背中に手が届かないもどかしさ、みたいな(孫の手が無いなら背中を掻くには碁盤のように区分して場所を指定して誰かに掻いてもらえばいいのですが)。

このもどかしい経験を昔、やはり、勉強してるときになんども味わいました。一度読んだのにその内容を内面化できず再び基本書を読んでいるとき、また演習でいくらか判例の読み込みが足らずにいくらか失敗したとき、自分は自分が思っているほど物事を上手くこなせる人間でないと、つくづく痛感してきました。にもかかわらす、調子に乗って得意分野かもとかおもって軽いきもちで介入した自分の軽薄さの事実は、まだ本とに大人ではないのかあ、と疑念を抱かせるには充分でした。



30こえると、たまには渋くてカッコよくてできるところを見せたいものですが、ほど遠い気がします。

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2006-12-14

記憶に間違いなければ

「私はいいよ・・・私にかけると電話代かかっちゃう」

「○○はソフトバンクじゃないもんね」

「ごめん」

「気にしなくていいよ」

「○○が悪いんじゃないし」

って女の子同士で話が流れてて、最後にテロップで「友達は大切に」 って来るんですよ。

ソフトバンクモバイルのCM。

なにを流してもいいんですけど、なんだかわけのわからない不快感だけが残ります。

ようは、ドコモとかよりよくしゃべれるよ、ってことなんでしょうけど、友人関係がそんな打算的なものばかりじゃないと思う私のような少数派からすると非常にひっかかるCMです。



それとも普通は電話代気にするものなのかな。

わたしが鈍なのか。

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2006-12-13

酒がないと眠れない、というわけではないのですが、現在鎮痛剤服用中なのでアルコールを摂取できません。この状態がいつまで続くか見当がつかないのですが、忘年会シーズンにつらかったりします。また微妙に痛みがゲリラ的にやってきて、痛みって、インターバルというか、無痛の間があると、ちと、何食わぬ顔で仕事してるものの、つらいっすね、こういう痛み。


で、こういうときに限って、なんかこう、仕事がマウンテン・オン・ザ・マイデスクだったりします(意味不明

[]傲慢か

実は今朝方思わず発言してしまったのですが、よく考えるとよく言われる「自分にいわれて嫌な事は他人にもいうべきでない」という見解は、目の前にいる相手を考慮する点で政治的に正しいのかも知れないけど、そもそも相手を理解できると思うのはちと無理があるかもしれないと思いはじめました。他人は決して自分でないわけで思想思考パターンは全く異なるはずで、となると、自分にとって嫌な事が相手にとって嫌な事とは限らない可能性は否定できない。けど、勝手にそれを他人に押し付けてるわけですよね。うーん。


なんかここんとこ傲慢な思考に陥ってる気がしてなりません。

toyotoyo 2006/12/14 00:42 gustav5さんこんばんは、toyoです。
「自分がされて嫌なことは他人にするべきではない」
「自分と他人の嫌なことは違って当然」
どちらも正しいと僕は考えます。

「高確率の嫌」と「微妙な嫌」ってありません?
例えば…
最愛の人が殺される=高確率の嫌
自宅に遊びに来て、片付けをせず帰られる=微妙な嫌
自宅に遊びに来てくれるだけで嬉しい人とか、
片付けがそんなに苦では無い人とか…
gustav5さんが仰るのはこの「微妙な嫌」でしょうか。
僕が嫌なこと、gustav5さんは平気かも。
その逆もまた然り。

けれど、えっと…個人的な例えなんですけども
僕が隠し事が嫌いだとして、
相手は隠し事されても平気な人だとして、
僕が相手に隠し事をしたとする。
そして、相手には「隠し事をするな」と主張する。

こういうのが甘えによる傲慢だと思います。

相手は行為そのものをされても平気だけど、
自分が嫌なことを相手が許すからって
相手にはしておきながら、自分はそれはされたくない。
これはある意味相手を軽んじてる、舐めてるような気がします。
フェアじゃない、ずるい、一方的だと思います。

例え自分と相手の基準が違っていても、
その違いはそんなに重要なことでは無く、
自分が相手を尊重している、その姿勢を
相手に見せられる1つの手段が
「自分が嫌なことは人にはしない」
だと思います。厳しく言えば、
違いを免罪符に配慮を怠ってるだけ、
のように僕には見えてしまいます。
こんな考え張り巡らす人も稀かもしれません。

長っ!

グスタフグスタフ 2006/12/14 01:30  toyoさんこんばんは

「嫌」という感情について、微妙な嫌も、高確率な嫌もできれば避けたいところですが、今回書いた内容に即して云えば、微妙な嫌についてです。


えっと、私は最近「他人」を理解できるとは思ってないですが、自分が勝手に規定した人物像をもってしてその「他人」が「別の誰か」に微妙な嫌なことを云われたらたぶん嫌だろうな、と、勝手に思って平気で行動してます。
けどこれは思い上がりだと、私はおもうのです。「他人」なんて判らなくてあたりまえで、勝手に決めた人物像をもってして怒るだろうと反応を予測して代わりに怒るなんて自分の価値観でもって「別の誰か」を批判してるわけで、傲慢かなあ、と考えているのです。そもそもその「他人」は自分でしゃべれるわけですし、「他人」を一人前として扱ってないよなあ、という点でも傲慢かと思います。
また、「別の誰か」がいなくて二人だけだとしても同じことかな、と、おもいます。

このような状況下では、私が云うべきことは、そういう言説を単に自分が云われるわけではなくとも、耳にするのも嫌です、だからやめませんか?ということかもしれません。

で、toyoさんの指摘する甘えによる傲慢を私は対人関係で要求してるつもりはありませんし、他人がわからないからこそなるべく嫌なことは除去すべきかも、とか、考えていますし、摩擦を避けるための言葉を尽くす価値はあると思います。また、なるべく配慮を怠るつもりはありません。


>自分と相手の基準が違っていても、
>その違いはそんなに重要なことでは無く、
>自分が相手を尊重している、その姿勢を
>相手に見せられる1つの手段が
>「自分が嫌なことは人にはしない」(である)
この点はほぼ同意見です。

コメントありがとうございました

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2006-12-12

[]ふたたび


臓器移植法改正案、国会審議へ…13日に参考人質疑

 国会に提案中の臓器移植法改正案について、衆院厚生労働委員会は、今国会会期中の審議入りを決めた。

29日の同委員会理事会で与野党が合意した。来月13日に参考人質疑を開き、専門家の意見を聴取する。

脳死臓器移植は、法が施行された1997年以降、9年間で49例にとどまっている。改正案は臓器提供の機会拡大を目指しており、家族が同意すれば本人の意思が不明でも提供が可能になる「家族同意案」と、提供者の年齢を現行の15歳以上から12歳以上に引き下げる「年齢緩和案」の2案が提案されている。

(2006年 11月29日 付YOMIURI ONLINE転載)



えっと、臓器移植法改正が俎上に上がっています。政治について詳しくないので改正が成立するかどうかはわかりませんが、あえてまた取り上げてみたいと思います。

脳死というのは心臓が動いてて、体は暖かく、脈もあり、少なくとも素人目には死んでいるとは思えないのですが、もとにもどることがありません。ですからそこから新鮮な臓器を取り出して移植に役立てようという発想が臓器移植法にはあります。1997年に成立してずっとやってきたのですが、実は現行法の問題は、子供の脳死移植です。脳死での臓器提供には書面による本人の意思表示に加えて家族の承諾が必要という、厳格な要件が課されています。15歳未満の臓器提供はダメで、小児の移植がほとんどできないことも日本だけの制限で、海外に行かないと確かに移植が受けられない、という難点があります。東京の西部だと子供の海外での心臓移植についての募金活動が盛んで、それに応じてか、マスコミの論調もじつは子供に対して心臓移植ができないのは国家として怠慢ではないか、みたいな論調がありました。


脳死状態からの動いてる心臓摘出ということだけ抽出すれば、それは究極的には生命を奪うことに他ならないのですが他方助かる命があるのはこれもまた事実です。脳死状態になれば回復可能性が無いわけで、ただただ無為に何もしないよりは確かに救える命があるのなら、というのは良く分かる話ではあるのです。もし仮に本人が提供の意思をしているのならばそれは他人が制止するべきでは確かになさそうな気がします。

しかし、人間というのは果たして個人だけで生きてるわけではなく、社会的存在や家族関係等他人との交わりが有って成立してる側面が有ります。個人的には、生物資源的視点から臓器移植の緩和を求めるというのは、私は好ましいことでは無い気がしてしてならず、また、なぜ脳死患者だけがそのような扱いを受けるのか(植物状態では心臓摘出は不可能です)、生命の価値に幾許かの差をつけてることへの反感があります。私は本人の意思が不明確でも家族が良いといえば提供が可能という改正案にはかなりの違和感を拭えませんし、また言葉の問題なのですが、仮に臓器移植の申し出があったとしてそのような志を無にしてはいけないと思いつつ(わざと善意という言葉を使ってません)それが臓器を提供しないものがまるで悪人かのように、さもあたりまえのように臓器を提供しなければならない風潮になることを多少危惧しています。当然「臓器提供」は人の役に立つ行為には違いないのですが、人の役にたつこと≒それが善という価値観があまりにも強調されるとまずいとおもうのです。 ここから先かなり感情論になりますがそもそも脳死を認めない人がそれなりに厳然と日本には存在してて、もちろん現行法でも改正法でも家族等が臓器摘出をキーパーソンとなって拒否をできるようにはなっていますが、救える命が有るのなら、という、厳然とある事実をつきつけられたとき、家族が生死をさまよってるときにはたしてどれほど冷静に摘出患者の家族が臓器移植に対して判断が可能ででしょうか。すくなくとも現行法の本人の意思表示を前提にし、かつ、家族の許諾が必要という厳格な要件は死守すべきではないのかな、とは思うのです。

また、現行法はかなり自己決定という側面を重視して成立したと思われるのですが、改正法では本人の意思表示がわからなくとも家族の代諾でよいという案は、本人の自己決定なんざはなから気にしてない、ちと時代に逆行しているもののような気がします。かなりの長期にわたり患者の自己決定権をこの国において確立しようとせめぎあいがあったのですが、ほぼそのことは考慮はされてません。なんのことはない、単に、臓器を移植して欲しい側の意見はかなり反映されている気がするのですが、きわめて弱い立場に置かれる可能性の高い脳死患者に対しての配慮が欠けてる気がしてなりません。元にもどることない、脳死患者にはそれほどの価値はないのでしょうか。


また、年齢引き下げについてですが、移植を待つ人々の心情は十分理解できるものの、例えば中学生の年齢で生と死を深く考え、自らの意思を決定できるか、というと多少疑問だと思うのです。実質は臓器摘出の許諾≒脳死を認めることなのですが、死生観や自己決定について知識に欠けるところがないとはいえない世代を、成年した大人と同じに扱うことはどこか酷であり、その意思表示をしたとしてもその意思を認めるべきではないのではないかと、おもうのです(また非常に云いずらいですが罰則規定が既にありますが、子供の臓器の売買についての可能性も、念頭においておく必要があるのではないかと思うのです)。



改正法の成立を急ぐことなく、もう少し時間をかけて冷静な議論が必要なのではないかと私などはおもうのですが。



臓器の移植に関する法律(抜粋)

(基本的理念)

第二条  死亡した者が生存中に有していた自己の臓器の移植術に使用されるための提供に関する意思は、尊重されなければならない。

2項  移植術に使用されるための臓器の提供は、任意にされたものでなければならない。

3項  臓器の移植は、移植術に使用されるための臓器が人道的精神に基づいて提供されるものであることにかんがみ、移植術を必要とする者に対して適切に行われなければならない。

(定義)

第五条  この法律において「臓器」とは、人の心臓、肺、肝臓、腎臓その他厚生労働省令で定める内臓及び眼球をいう。

(臓器の摘出)

第六条  医師は、死亡した者が生存中に臓器を移植術に使用されるために提供する意思を書面により表示している場合であって、その旨の告知を受けた遺族が当該臓器の摘出を拒まないとき又は遺族がないときは、この法律に基づき、移植術に使用されるための臓器を、死体(脳死した者の身体を含む。以下同じ。)から摘出することができる。

2項  前項に規定する「脳死した者の身体」とは、その身体から移植術に使用されるための臓器が摘出されることとなる者であって脳幹を含む全脳の機能が不可逆的に停止するに至ったと判定されたものの身体をいう。

3項  臓器の摘出に係る前項の判定は、当該者が第一項に規定する意思の表示に併せて前項による判定に従う意思を書面により表示している場合であって、その旨の告知を受けたその者の家族が当該判定を拒まないとき又は家族がないときに限り、行うことができる。

4項  臓器の摘出に係る第二項の判定は、これを的確に行うために必要な知識及び経験を有する二人以上の医師(当該判定がなされた場合に当該脳死した者の身体から臓器を摘出し、又は当該臓器を使用した移植術を行うこととなる医師を除く。)の一般に認められている医学的知見に基づき厚生労働省令で定めるところにより行う判断の一致によって、行われるものとする。

以前とまた同じことを書きますが、六条を見てほしいのですが、脳死したものの身体ってあるのですが、そもそも身体というのは生きてることを前提にしてるのです。で、脳死の患者は生きてる身体であるそれを死体として同列に扱いますよ、ということにして、ややこしいんですけども、この六条を根拠に脳死判定と臓器摘出を、脳死状態の生きている身体?に対して行っています。

この条文のおかげで脳死を一律に人の死とせず、臓器を提供するかどうかは家族の留保をつけて患者の自己決定権によることを現行法は間接的に示しています。

で、以下のように改正しようって考えてるわけです。二つあります。法案が。




第六条第一項を次のように改める。

  医師は、次の各号のいずれかに該当する場合には、移植術に使用されるための臓器を、死体(脳死した者の身体を含む。以下同じ。)から摘出することができる。

 一 死亡した者が生存中に当該臓器を移植術に使用されるために提供する意思を書面により表示している場合であって、その旨の告知を受けた遺族が当該臓器の摘出を拒まないとき又は遺族がないとき。

 二 死亡した者が生存中に当該臓器を移植術に使用されるために提供する意思を書面により表示している場合及び当該意思がないことを表示している場合以外の場合であって、遺族が当該臓器の摘出について書面により承諾しているとき。

 第六条第二項中「その身体から移植術に使用されるための臓器が摘出されることとなる者であって」を削り、「もの」を「者」に改め、同条第三項を次のように改める。

3 臓器の摘出に係る前項の判定は、次の各号のいずれかに該当する場合に限り、行うことができる。

 一 当該者が第一項第一号に規定する意思を書面により表示している場合であり、かつ、当該者が前項の判定に従う意思がないことを表示している場合以外の場合であって、その旨の告知を受けたその者の家族が当該判定を拒まないとき又は家族がないとき。

 二 当該者が第一項第一号に規定する意思を書面により表示している場合及び当該意思がないことを表示している場合以外の場合であり、かつ、当該者が前項の判定に従う意思がないことを表示している場合以外の場合であって、その者の家族が当該判定を行うことを書面により承諾しているとき。

 第六条の次に次の一条を加える。

 (親族への優先提供の意思表示)

第六条の二 移植術に使用されるための臓器を死亡した後に提供する意思を書面により表示している者又は表示しようとする者は、その意思の表示に併せて、親族に対し当該臓器を優先的に提供する意思を書面により表示することができる。



臓器の移植に関する法律の一部を改正する法律案

 臓器の移植に関する法律(平成九年法律第百四号)の一部を次のように改正する。

 第六条第一項中「場合」の下に「(当該意思の表示が十二歳に達した日後においてなされた場合に限る。)」を加え、同条の次に次の一条を加える。

 (親族への優先提供の意思表示)

第六条の二 移植術に使用されるための臓器を死亡した後に提供する意思を書面により表示している者又は表示しようとする者(十二歳に達した日後において当該意思を表示した者又は表示しようとする者に限る。)は、その意思の表示に併せて、親族に対し当該臓器を優先的に提供する意思を書面により表示することができる。

家族の留保はつけたものの、本人の意思がなくてもなんとか臓器移植をしようっていう方向にすすめてます。

で、もう一方は、年齢引き下げです。

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2006-12-11

[]句読点と、うだうだ

仕事でいろんなことを気にかけていることがあります。日々の仕事でも今日中にはあれをやらないとまずいとか、これは先延ばししちまえとか、これは誰それに予め打診して反応をみなきゃとか過去の資料にあたらなきゃ、とか、なにが足らないかとか、あります。

けど、日々の仕事にはほとんどこれが終われば、この件は片付いたかも、とか、句読点を打て、かつ、気を新たにすることができたりします。

私生活はそれができない。句読点がなかなか打てません。

私生活でいろいろ気にかけても既に自分が何とかできる範囲でないことが有ったりします。気に懸けることをやめればいいのですが、それをやめることがまだできない。

忘却を試みようともらった時計を捨てようかとかおもうのですが、それもできない。


不器用なのは承知してましたが、おもいのほか、むちゃくちゃ不器用なのを自覚してますです。

忙しくして考えないようにしないとまずいかもですね。

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2006-12-10

先月からちと眠りが多少浅かったりしたので、食欲が多少低下してました。

したら、体重が落ちてしまって、ホテルで風呂上り姿見で自分の身体を見たら、なんか、色気とかそういうのがなさそうな感じになっちまってました。

プロテインを薦められたので、試してみようかと思っております。

えっと、快眠快食が一番だと思いますです。

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2006-12-09

[][]向井さんの件についての補足


時間があったので、実はこの件についてキチンと考えようと思って、再度判決文を読みました。事件の概要と、

前回触れたのは

こちら

判決文はこちら



おさらい

03年11月、米国ネバダ州で、代理出産で双子の男の子をもうけ、翌年1月22日に品川区に「実子」とする出生届を提出した。同区役所は預かりとして法務省の判断を仰いだが、同年6月9日に不受理の通告を受けた。

夫妻はこれを不服として処分の取り消しを求める申し立てをしたが、東京家裁は昨年、申し立てを却下。このため夫妻側が抗告していた。

関西地方在住の日本人夫婦が同様のケースで国と最高裁まで争い、昨年11月に不受理が確定した経緯もあった。それだけに今回の家事審判の成り行きが注目されていた。

(今回)東京高裁は29日の決定で「ネバダ州の裁判所が向井さん夫婦と子供の親子関係を認める判決を出しており、この裁判結果は日本でも承認される」として、東京家裁の決定を取り消し、品川区に出生届を受理するように命じた。(9月30日付スポニチより転載)




えっと、勉強不足で申し訳ないのですが、向井さん側の前例を外れた規定違反の届出だけど子の福祉をひとまず優先させるため、大岡裁きじゃないけどある意味特例で受理命令が出たのかなと私は勘違いしていました。

恥じ入るのみです。

新聞の判決要旨しか見てなかったのですが、今回キチンと読んで、それが全然違うことに気がつきました。すくなくとも東京高裁は代理母については明確に正面からは認めていませんです。



まず事実として

1、代理出産を行ったアメリカのネヴァダ州の裁判所で向井さんと高田さんが法律上の母親と父親であることが認められている

2、その出生証明書が発行されている

というのがありました。

民事訴訟法118条というのが有って、外国裁判所の判決は要件を備える限りは日本国内でも効力を有する、というのがあります。ただこのなかに公序良俗についての規定があって、品川区としては分娩というか子宮の母じゃない向井さんを母として認めない、という態度を崩しませんでした。


で、裁判で争われている趣旨は、外国であるネヴァダ州裁判所の確定判決を民事訴訟法118条に適合するものとしてわが国で受け入れるか否かであって、えっと、代理母を認めるかどうかとは別の問題なのです(私はこの点を多少誤解してました)。問題はアメリカの判決を日本の国内法に則って承認するかしないかで、それを向井さん夫婦が求めてるわけです。ネヴァタ州で判決がでているのだからそれを尊重して外国判決についての民事訴訟法118条の適用というか類推適用がされるべきだ、という主張ですね。東京高裁はその主張を認容できるかできないかを審議した上で認容との結論に至り、ネヴァダ州の判決を承認して出生届の受理命令が出たということです(高裁決定の通りに、ネヴァダ州の裁判所の命令に従って、実子として品川区が出生届けを受理すれば話は早いけどそうはいかずに承認された外国判決が日本の民法の母に関する取り扱い内容と不一致という初のケースに戸惑った行政側が現在最高裁の判断を仰いでいるところですが)。




ものすごい長い判決文を読んでいただけると判りますが、キモというかなんというか、争点は「代理母出産の公序良俗性及びそれによる子の実子認定」ではなんかではなくて、「ネヴァダ州で法律上の父母とされた向井さん夫婦を日本法上でも法律上の父母とすることが公序良俗に反するか」どうかに絞られていて、東京高裁は代理母出産はわが国における民法上の公序良俗(民法90条)に反するとしつつ、日本の民法における母子関係認定は「分娩者が母」であるという原則を崩さずに外国の判決を承認することで向井さんを法律上の母とすることを可能にしています。

またネヴァダ州のほうで子宮の母が実の母でないことが確定して、品川でも向井さんが母として確定しないとなると法律上の母が居ませんから、まずい。そのため、高裁決定の文中において「本件子らの福祉にとっては,わが国において抗告人らを法律的な親と認めることを優先すべき状況となっており」と述べてます。

これらの点はもっともだと思います。

ついでに言うと、ネヴァダ州で実子という判決が出てますから、いまここで向井さんが子供たちを養子にしようとすると民法の規定からしてこんどは実の子ではないという裁判をおこさなきゃいけない、という、摩訶不思議な状態になることになります。ここらへん、すごく微妙なところに子供たちは置かれています。考えちまうんですが。

再度の指摘になりますが「民法制定時に想定されていないからといって、人為的操作による妊娠、出生すべてが法秩序に受け入れられない理由にはならない」と指摘した点も画期的だと思います。そのとうりにしたら、実は収拾がつかなくなるおそれはありますけど。



個人的にはやはり代理母の制度は良いことではない、とおもっています。九月末と考えは変わらないです。

どちらかというと生命を人間がコントロールしていいのか?というような倫理観生命観の問題に最後はなってくるのですけども、少なくとも法整備がキチンとなされるまでは規制すべき事柄じゃないのかな、という気がします。産みたいけど病気で産めない、という女性の悲痛は感情的にはわかりますが、少なくとも今の法制度では代理母から生まれた子に対して万全な法整備がなされていないからその立場は不安定で、それが子供のためになるとは思えないからです。

また誤解を怖れずにいえば代理母の問題は付言すれば純血思想というか養子と実子との差の問題が日本人の中に深く横たわってて、厄介だと思うのです。養子ではなく、実子が欲しい代理母の心中が多少はわかるつもりですが、私は代理母を簡単に容認できる社会というのは多少怖い気がします。代理母を選択する女性を批難するつもりはないのですが、やはり血のつながった親子というのは、血のつながらない親子よりも勝るものなのでしょうか。

性行為をしても破瓜があるわけでもなく、出産の苦しみが体験できない男が何をいってもムダなのかな、という気がしますが。

桜井桜井 2006/12/10 15:32 まだ纏まっていないのですがコメントしています。

代理母側のほうはともかく、頼んだ側のほうで疑問がひとつ。
実子であることに何故そこまでこだわるのかという点。自分の子じゃないと愛せない?法律上の不利が赦せない?(あるのかどうかはいまいちわかりませんが)
法律云々は私には全くわかりませんが、なんか心理的に理解しずらいです。愛した男の子供を残したいまではわかるんですけどね。
うーん、やっぱり上手く纏まりません。

どーでもいいですが、コメント欄が広くなって書きやすいです(笑)

グスタフグスタフ 2006/12/10 23:34 桜井さんこんばんは

我々日本人は「できちゃった」とか「子供をつくる」っていうのです。どこか工作物的感覚なのです。愛せないわけじゃない、とおもいたいのですが、工作物的感覚がある限り、自分たちに子供が「作れて」あたりまえって感覚は抜けないと思います。あたりまえだから、実子にこだわるのかなあ、と、おもうのです。
それと自分の遺伝子を受け継いだ子を育てたい、ってのは感情的にあるんじゃないかと思いますです。これは愛した男の子供を残したいってのにも関連するとおもいます。
ただなんとなく実子至上主義、みたいなところに私も違和感を覚えています。



また、推測に過ぎないのですが、日本の場合、天皇家が血筋を重視してることが影響してるとおもうのです。血筋至上主義というかなんというか。極端なはなし、あの家はずっと血筋が絶えてないですよね。
家を中心とした、保守的な考えがまだ日本には残っていると思うのです。仮に養子という選択肢を取ると血筋が絶えますから実子というのにこだわりがあるんじゃないかと思います。

養子となると、特に不利な点は無いはずです。相続等も実子と同じです。ただ、婚姻と同じで離縁ができます(未成年の場合は相当ハードルを高くしてます)。実子の親子関係は離縁がありえません。たぶん相違点はそれくらいのはずです。

ちとコメント欄が大きいテンプレを導入してみました。暫らくこれで行くつもりでおります。


まとまりのないレスで申しわけありませんです。
コメントありがとうございました。

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2006-12-07

基本的に私は時間というものはあったりなかったりではなくて無理にでも作るものだと思っていて、処女の貞操じゃないけど係わり合いのある人間関係の中で特定の相手にあげる大切なものの一つが時間じゃないのかな、という幻想をもってます。時間の長短とかは関係なくて、時間を割いてくれてることだけでなんか満足だった時期があります。人と付き合ってるときに、ですが。

ちとほんまに(差別表現のつもりではないのですが、不愉快な人がいたらごめんなさい今日の表現)女々しいなあとおもうのは、電話やメールのレスの数分すら割けないのならそれは相手を意識していないとか好きじゃないとか、そういうふうなのかな、と、愚考する癖というか、負け犬じみた発想があって、期待なんざハナから期待していないのに、どうでもいいことであっても何かしらメールとか留守電に戯言でも何か入ってると妙に心が軽くなる自分がいます。



きもいかなあ。

きもいかもね。

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2006-12-06

宿題を溜めてしまいましたです。

けっこう難しかったです(泣)


「鏡花水月」の若桜みきさんから御指名いただいたものです

【名無しバトン】

あの、1問目から「ダレに回す〜」ってありますがスルーおっけいだそうです。

1・ダレに回すかを5人選んでください (えっと承諾をとらずに指名していますので、指名された皆様におかれましてはスルーしていただいてかまいませんです)

finitさん/コロンさん/toyoさん/桜井まなさん/Hikaruさん

2・その5人との関係

親しくさせていただいてるネット上での知人で、リンク先です。

3・その5人との共通点

たぶん無いと思われます。無いからリンクしているわけです。相互補完みたいな感じでしょうか


4・5人のいいところ

finitさん:意見の相違はありえますが、博識で、どこか筋のとうっている考えを持たれている方です。

コロンさん:見聞の広さとやはりフットワークの軽さでしょうか。社交性のある方だと思います。

toyoさん:率直であること、および、頭の回転の速さ、でしょうか。描写力はすごいとおもいます。

桜井まなさん:率直さと、視点の独特さでしょうか。構成力は喉から手が出るほど欲しいです。

Hikaruさん:率直さと、明るさでしょうか。二つの文化を体験してるので、複眼視思考が出来るのではないかとおもいます

(率直さというのが私にはないみたいです。故にそこがなんか気を引きます)

5・5人に回した理由

えっと、いままでの御礼と改めてよろしくお願いします、という意味で。

6・5人との出会い

たどりついたfinitさんのブログを閲覧しててコメントするようになり、そのコメントを見たコロンさんがリンク先に加えてくださり、コロンさんの手引きでtoyoさんのブログを知り、toyoさんのチャットで知り合ったのが桜井さんとHikaruさんです


7・この5人が居て良かったと思うこと

視点が異なると物事が違うように見えてきますけど、違う目線を吸収することができたことはありがたかったです。

8・この5人と今後どうして行きたい?

縁が切れるまでは現状維持もしくはそれ以上

9・5人は自分のことを、どう思ってる?

怖くて訊けません。

10・5人と喧嘩した事ある?

意見の相違はありますです。喧嘩というほどのことはありませんが、深刻な見解の相違によってリンクを外そうか、程度のことはありました。

11・5人は一生の友達?

一生になるかはそれは神様か仏様が決めるのかな、とはおもいます。






次いで、

「雫はいづれ海に還る」の桜井さんからいただいたものです

【あなたバトン】


■好きな歌ベスト5

1: 太陽がいっぱい(ヒカルゲンジ)

2:Little Birthday (ヒカルゲンジ)

3:夏の決心(大江千里)

4:LADY NAVIGATION (B'z)

5:Komachi-Angel Red Hot Style (B'z)

時代がばれますね。4と5は英語で覚えました。1と3が多いかな。咄嗟に出てくるのは。

■好きな漫画ベスト5

1:可視光線(やまざき貴子)

2:フラワーデストロイヤー(那須雪絵)

3:TOMOI(秋里和国)

4:スリィピングビューティ(水城せとな)

5:月光オルゴール(えみこ山)

好きというよりも、影響を受けたのと印象深いほうです。微妙に少女マンガ誌連載がおおいのは気のせいかもしれませんが。

えっと、マンガ読まないほうかもしれません

■好きなキャラベスト8

1:エルキュール・ポワロ

2:犀川創平(すべてがFになる)

3:西之園都馬(同上)

4:長兵衛(文七元結の主役)

5:助六(助六所縁江戸桜)

6:法界坊(法界坊)

7:弁天小僧菊之助(白浪五人男)

8:大石内蔵助(元禄忠臣蔵)

2はずるですね。歌舞伎関連が多いのはご愛嬌ということで…

■今までに習って来た事を教えて下さい

油絵(公立にもかかわらず近くの私立中の美術教室に出入りしてました)

オルガン(ちょっとだけ)

剣道(ちょっとだけ)

どれもその方面にはすすみませんでしたけど。

■自慢出来る事を言って下さい

ありません

■あなたのストレスはどこで発散する?

四国へ行く。またはお経を読む。月並みだが音楽を聴く

■願い事が3つ叶うなら?

1:せめて標準体重が欲しい

2:腕の痺れを解消して欲しい

3:指の痺れを解消して欲しい

■次に回せそうな人5人

ごめん、あまりいないのです。

我こそはというかた、こっそりお持ちください

コロンコロン 2006/12/07 22:46 バトン、しかと受け取りました(^0^)/相互補完は、良かったですね。「あ〜、だから、私、赤の他人の文章読んでるのか」としばし納得でした。それと、「あなたバトン」の、ヒカルゲンジにびっくり、でした。

桜井桜井 2006/12/08 01:11 バトン快く引き受けてくれてありがとです♪&バトンいただきましたー。ちょっと時間かかりますが(たぶん本当にかかりそうな予感w)気長にお待ちくださいませ。

やまざき貴子さんは「ッポイ!」とあと2冊くらい持っていますが実は「可視光線」読んだことないです。漫画喫茶にも古本屋にもないので今度本屋で探してみますね(ほんとは読んでから書きたかった…)
B,Zは日本語バージョンを生で聴いたことがあります。プロフェッショナルな方でした。

では♪

グスタフグスタフ 2006/12/08 22:47 コロンさんこんばんは

えっと、あくまでも相互補完は個人的な感覚で、ひょっとしたら錯覚かもしれません。ただ他人の視点というのは妙に気になります。その人の視点と自分の違いとかが、如実にわかったりしますし。
バトンについては、えっと、承諾無いままお渡ししてしまって申し訳なく思いますです。

コメントありがとうございました。

グスタフグスタフ 2006/12/08 22:57 桜井さんこんばんは

大きな声ではいえませんがやまざき貴子さんは「っぽい!」も持ってます。全部ではありませんが。
えっと「可視光線」は風合いが違うかもしれません。少年漫画っぽいところがあります。入手可でしたら推奨いたしますです。

生B`zは羨ましかったりします。つか、クラシック以外、生って一度も有りませんです。
えっと、やはり承諾無いままバトンお渡ししてしまい、申し訳なく思います。

まとまりの無いレスですいません。
コメントありがとうございました

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2006-12-03

[]軟弱へんろの記


今年の夏に、36番青龍寺がある宇佐というところまで歩いたのですが、次の札所四万十町岩本寺までおよそ57キロあります。

ほぼ二日です。最初は歩くつもりでいました。

けど、今回この区間は歩きませんでした。

当初歩く予定だった、「そえみみずへんろみち」というルートが高速道建設のため閉鎖されてて別のルートをとうらねばならなくなったのと、体力にちと不安があったからです。

実は11月の中旬から肩を壊し痛み止めを服用してて、、痛みでなかなか眠れなかったりして体力に自信がなくなりかけてて、三日ほど休みを取ったもののはたしてどうしようか、などと考えていました。弱気になって四国行きを中止して、どこか山形とか新潟とかの温泉でしばらく療養でもしようかな、とかです。とはいうものの、やはり四国へ行って、痛みがひどくなったりとかあかんかったら途中でやめて、道後温泉にでもつかろうか、という気持ちになり、それが高じて、とっくに歩きとおすのは既にあきらめてるからバスを一部使って廻ろう、という、軟弱な案になりました。最終決断をしたのは夜行バスにのる日の午前三時くらいでした。

ですから、今回は前回に比べて、かなり軟弱な、観光気分の、へんろらしくない、修行なんて全く意識して無い、そういう巡礼になっちまいました。故に、読まれてもあまり面白くないだろうことを最初にお断りしときます。




一日目11月29日

前日仕事を終えて東京駅から夜行バスに乗ると朝には高知に着きます。

で、すぐきた土讃線の列車に乗り込み、窪川という駅に降ります。

歩くと二日はかかりますが、特急だと70分くらいです。車窓を眺めながら軟弱案をとった自分にちと後悔していましたが、後日機会があれば来ようか、言い聞かせ(たぶんこれなさそうだけど)駅から遠くない岩本寺を目指します

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紅葉まっさかりです。どうも写真を撮りたがってる「じゃまなんだよね」という視線を飛ばしていたおじさんは丁寧な参拝をする私の存在は迷惑だったみたいですが、かまってられません。作法は守ります。

ついでにいうと、ここ、不動明王薬師如来地蔵菩薩と観世音菩薩と阿弥陀如来がいますから、「おんころころせんだりまとうぎそわか」、とか「おんかかかびさんんまえいそわか」とか、真言を普通は1つですがここは5つ唱えなければいけません。

ちいちゃな一休さんみたいなのは、霊場共通の、案内板です。どこの寺にもあります。



ここからさらに軟弱ぶりを発揮します。さらに中村まで私鉄をのりつぎ、そっからバスに乗り換え大岐の浜というところを目指しました。一時前です。

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ここから歩き始めよう、と決めたのです。

理由は簡単。ここから先足摺岬までおよそ20舛埜淹間弱とふんで、試しにもし時間どうりに歩けなかったら並行して走るバスに乗り、高知へもどろうと考えました。

この大岐の浜は海岸線がへんろみちです。およそ二キロくらいですね。どうでも良いですがこの写真の先、小川があって、靴を脱いで渡らないとまずい場所がありました。冷たかったです。




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地理で昔海岸段丘ってやったとおもいますがこのあたりはまさにそれで、海岸段丘の下に平地がなく、海が迫っていて、集落のほとんどが段丘の上にあります。

全く予備知識が無かったのですが、足摺岬というのを台風情報とかで聞くせいか、メジャな観光地と私は勘違いしてましたが、足摺岬にすすむにつれてどんどん道が狭くなり、人家もまばらになってきます。亜熱帯の植物の森が続き、ちと不安になってきました。へんろ姿の人などほとんどいません。

この不安が足を速めたのかもしれませんが五時前には38番金剛福寺についてました。えっと、五時間とふんでたのですが四時間くらいで着いちまったのです。

じゃ、これくらいなら少し冒険しようかな、という気持ちになりました(ただしこれがあとで失敗する遠因となります)。

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境内が立派で、庭に気を取られてました。や、みごとでした。


ここは補陀落信仰という、観世音菩薩が済む場所に近いとされている場所です。補陀落を目指して海を渡る補陀落渡海の場所でもあるようです。

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亀です。海を渡るのに亀に乗ったかどうかはわかりませんが(説明文を読まなかったのです)。

(えっと、実は山門を撮影するのを忘れてしまいました。いまさっきフォトライフにアップロードしてる最中に気がついたのですが。たぶんそれなりに疲れていたのでしょう)



キチンと調べなかった自分が悪いのですが、足摺岬というのはあまり観光地じみてませんです。あまり食べるところが無いのです。さらに計算違いというか、よく考えれば当たり前のことですが、街路灯がありません。夕方5時を過ぎると急に暗くなり、外は人家がなければ当然漆黒の闇です。肩への負担を考えて懐中電灯すらもってこなかったのが悔やまれます。

素泊まりで予約をしていた宿に投宿して夕飯をとろうとおもったのですが、山門のそばに土産物屋とレストハウスが数軒あったものの、すべてシーズンオフなので食事ができないと宣告されちまいました。一食くらい抜いてもいいんですが、よわったなあ、とおもっていたら、ああ、あそこならやってるかな?と一軒のお店を紹介してくれました。最敬礼でお礼をいいそこへ向かうとなんと定休日です。店の前で途方に暮れていたら運よくそこの主人が居て、よほどなさけない顔をしていたのかもしれませんが、(その主人の)友人の店へ連れて行ってあげるから車に乗りな、との指示。ありがたいことです。ご好意にあまえて軽自動車で少しはなれた山の上の小料理屋に行き、帰りも送るよう言伝ていただきました。

ほんとはそこの自慢料理を摂るべきなのでしょうが、(今回は酒類と)生臭物断ちをしてることを伝えたら、海老と貝柱抜きで野菜だけのかき揚をつくって頂き、事なきをえたのでした。


そこの料理屋からの帰り道わざわざどうもすいませんでした、といったら、最近しょっちゅうこういう送迎をしないとお客さんが来ないのだそうです。土地柄、昼間からお酒を呑む人が多いらしいのですが(つまり漁に出た後帰ってから陽が出てるうちから呑む)、前は呑んでも平気でみんな自動車を運転していたのだそうです。ところが高知県警がかなり厳しく取締りを強化したのがわかると飲酒運転をみんなしなくなり、店まで来てくれなくなりけっこう売上が下がったとのこと。ちと、うーん、と唸ってしまう話です。





二日目11月30日


えっと、旅行に出ると健康的です。9時就寝5時半起床です。急いで支度をしようとおもったのですが、考えてみれば日の出までは漆黒の闇にかわりがありません。仕方ないのでうっすら明るくなりはじめた段階まで待機していました。

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よほどのことが無い限り足摺岬なんてくること無いでしょうから、ほんとの岬まで足をのばしました。写真は足摺岬灯台です。荒波が絶え間なく打ち寄せる断崖絶壁の上にあります。で、向こう側がたぶん宮崎とおもわれます。写真には写りませんでしたが、うっすら対岸の、たぶん宮崎のどこかの灯台の明かりとおぼしきものが見えました。ついでに足摺岬では宮崎のテレビが視聴可能でした。

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おなじく足摺岬の近辺にある白山洞門という、海水侵食された洞門です。巨大な岩の真ん中が抜けてるわけです。




昨晩お世話になってしまったご主人のところに挨拶に行き改めて御礼を述べてから完全に日がでた7時前には歩き始めました。普通は昨日きた道をもどるのが普通なのですが、それではつまらないとおもい、半島の西側を歩くことにしました。今から考えれば馬鹿なのですが、えっと、昨日なんのかんのいって時速五キロペースなら日が沈む夕方5時くらいまでに40キロくらい進めるかも、と真面目に考えていました。目的地は57キロくらい離れてる宿毛市です。バスが何本かでてるほか最初はここもバスで距離をかせごうとおもってたのですが昨日が調子よかったものですから今日もなんとかなるかもと考えてしまいました。もちろん、途中リタイアも可能と考えましたが。

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こういう林道ならよいのですが

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こんな急坂もあります。

ですから40キロは無理だ、と、途中で悟りましたが。ついでにいうと、民家の軒先です。そこを歩くこともあります。生活道路をよそ者が歩くわけですから、挨拶は必ずします。向こうも慣れたもので、小学生や高校生おじいちゃんおばあちゃんまで、挨拶はヘーきでしてきます。ちと東京とかだと考えられない光景です。見ず知らずの人とおはようなんて挨拶する光景は。





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高知というとなにを思い浮かべるでしょうか。

名産に鰹があります。その加工がどうもこのあたりの主たる産業のようです。ようはかつお節ですね。何箇所か工場を見つけました。写真の籠の中に入ってるのが、鰹です。

かつお節になりかけの、ですが。

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これはソウダ節というかつお節の亜種です。

許可を得て撮影しました。つか、興味があって質問したのです。

齧るかい?といわれましたが、生臭物断ちをしてるので、と丁重にお断りしました。

えっと、ほんまに齧ったら、歯が折れるんとちゃうんかな?




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足摺岬近辺は見事な森林です。えっと、むかしから魚付き林といって、保護していたそうです。鯵とか鰯とかが実はこの森林の樹影に憩うのだそうです。魚つき林、という漁業組合の立て看板がきになって、これも話しかけてくれた地元の人に質問しました。

ここらへん、好漁場みたいです。

なんつーか、ほんとに私はなにをしに行ったのでしょうか?




歩いていたらサイレンが鳴りました。数日前竜巻があったばかりだったりします。竜巻警報か津波警報か?とかおもいましたが、そのまえに船がどんどん港に入っていくのが見えたので、たぶんセリ市が立つ合図なのかもしれません。

土佐清水の漁港のそばでスーパーでパンを買い朝飯兼昼飯を摂ったあと、また歩きます。

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海と空と、山しかありません。思い出したようにたまに集落が現れますけど。





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ちと休憩をかねて、竜串というところによりました。長い年月をかけて海によって侵食された岩があちこちにあります。

軽い気持ちで行ったのですが、どこを歩いていいのかわからない場所がありました、けっこう。だからなによ?って感じもありますが、見て損はありませんでした。

また、珊瑚の屑が大量にあります。



しだの浦、というところまで来て、バスに乗りました。歩き始めて8時間くらい経過して、33キロくらいのところだとおもいます。

3時半のバスの次が6時半で、終バスです。五時には暗くなるのがわかってて、バス停が短い距離に設置されてるわけでもなく、で、街路灯もない海辺で、漆黒の闇のなか、車どうりも決して多くないところで歩き続けるのはちとやばいかも、という判断です。

バスに乗ったものの、交通量が多くなったところで、まだ歩けるかもと判断して、宿毛まであと6キロと書かれた看板を見てからまたそこから歩き始めます。

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海に沈む夕日を眺めながらあるくって、そうそうない経験ですから。



この日は東宿毛というところに泊まりました。ちゃんとした市街地です。ジョイフルというファミレスがあって、そこでごぼうのてんぷらにご飯のセットを付けました。




三日目12月1日

やはり朝早く起床。市街地なので多少暗くても行動を開始しました。ただしべらぼうに寒かったです。

高知県最後の札所39番延光寺を目指します。

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朝日がさすなか、ひたすら歩きます。

今回あまり他のおへんろさんにあわなかったのですが、延光寺へ行く途中、たまたま出会った関西から来てる同じ年ぐらいの男性と歩いてました。土佐阿波の二国打ちで、互いにどこがつらかったかで盛り上がり、やはり夜間暗闇のなかで歩くのが怖い、という点で一致しました。二人とも都会育ちだったからでしょう。彼は足がはやいので途中から先行してもらいました。



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39番延光寺です。

赤い亀が鐘をのせて竜宮城からもって帰ってきたとかいう鐘がこの寺にはあるそうです。故に赤亀山延光寺ともうします。浦島太郎というのははたしてどこの民話だったか全く記憶が無かったのですが、ここらへんなのでしょうか。そういや珊瑚がけっこう採れるのです。このあたり。

ここから次の札所まで30キロ弱あります。今回札所から札所まですべて歩く唯一の区間だったりします。

次の札所へ向かう途中、ヤンキーなり賭けなのか、ちょっと茶髪の高校生にオハヨウゴザイマス、と声をかけられてちょっとびっくりしました。人を外見で判断してはいけませんです。




土佐、伊予の国境の山の中をどんどんすすみます。

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高知県「修行の道場」を終えて、愛媛県「菩提の道場」に入ります。菩提でっせ?つまり仏の悟りでっせ?大丈夫なのでしょうか?

というか、私は根性なしで、今まで鉄道やバスを途中で使っています。はたして修行になったのかわかりません。強いていえば、鰹を喰わず、肉を喰わず、の生臭物回避を徹底してみたくらいです。

そもそも何かを得ようというつもりで四国を廻ってるわけでなく、ひょっとしたら何かを得ようっていうのが実は間違ってるのかな?と、常におもっていました。

えっと高知では、東京から?えらいねー、とか云われたりしたのですが、歩いたりとか、遠くから来ることがえらいかというと、それは必ずしもえらい事ではない気がするのです。足が悪かったりとか、都合がつかずに車や団体で廻る人も居てるはずで、歩くのがえらいとか、四国以外から来るのがえらいってのは、ちと違うんじゃないかな?とはおもっています。そこらへんに気がついただけでもいいのかもしれませんけど。

で、愛媛が終わる段階で何を考えているか、ちっとも予測できませんけれども。




峠を越えて愛媛県愛南町です。たぶんこの日も30キロ以上歩いています。

40番観自在寺です。山門にぶら下がってるのは、草鞋です。

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山門で礼をすると、すれちがった人に怪訝な顔をされました。山門は結界でして、向こうへ入る入り口です。したがってほんまは挨拶しないとまずいんですけど、しないです、団体さんとかは。別にしなくてもかまわないとはおもいますが、じゃ、何しに来てるんだろうこの人たちは四国まで、とか、考えちまいます。そういう私も作法は守るものの実は白装束の白衣をつけておらず、金剛杖もつきません。代わりに白いシャツとかタートルネック姿での巡礼で、向こうからすると一体何しに来てるんだろうコイツは?見たいな目をされてる可能性大ですが。

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街中にある、静かな佇まいの札所です。

今回はここで打ち終えることにしました。つか、次の日から出勤です(泣)

たぶん私の今回のような行程は人によっては笑われるか、怒られるか、呆れられるかのどれかかもしれません。えっと、けど、どこかでなんとなく、四国に行くことによりバランスをとってる自分がいます。アツいお風呂に入って疲れをとるみたいな感じでしょうか。次、何時これるかわかりませんが、できれば早く四国へ行きたいものです。



最後まで読んでくださった方、ありがとうございます。

寺を参拝しなくてもいいので、もし機会があったら高知県西部はお薦めかもしれません。もし、旅行に出ることを躊躇してる方がいらっしゃったら、行ってみてから悩めばいいとおもいますです。

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特急で宇和島から松山に出て、松山から帰京しました。

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2006-12-02

水木金、と、高知へ三日ほど行っておりました。完全なお休みです。

で、四国からかえると暫らく数日はいつも足が地について無い様なふわふわした感覚が数日続くのですが、今朝出勤したらやはり通常の、当たり前のテンポでことがすすんでいました。そのテンポにいくらか違和感ありながらも、そのうち慣れてきました。数日でもとの木阿弥でしょう。俗世に帰るってそういうことなのかもしれませんが。

現実にもどったら、やはりいろいろと解かねばならぬ微妙な問題があって、その解く作業が生きてる証拠のひとつなのですから、逃げてはいけないのでしょうけど。


くだらないことですが、耐性ということをけっこう考えていました。どれくらい耐えられるかとか、です。良いこと有れば、それなりにいやなことでも耐えられるんですけどね。摩擦があって当たり前で、それに対して耐えて徹底的にやらないでいられる方が、ほんとはどうかしてるのかも、などと考えていました。

あ、既に多少攻撃的になってますね。

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