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名付けられぬ領域のほとりにて このページをアンテナに追加

2010-12-30

たまに仕事が自分の影響が及ばないところのなんらかの事情でうまくいかないとイラつくことがあります。他人のリズムと自分のリズムが違うとイラつくのでしょう。伴奏は昔やったことありますが、相手の呼吸がわからないとき苦痛だったっていえば苦痛だった気もします。前戯ももうちょっとやっててほしいときに限って、先に急がれるといらつきます。

自己の処理能力よりオーバー気味の仕事がきちまって、たまったタスクのリストをみてるとふしぎとイラついてきて、なんでイラついてるんだろ、ってことがあります。なんでいらつくか、っていったらあんまりまとまってないのですが、自分の中の理想のスピードというかリズムと、現実がちがうからでしょう。

ずっとそんなことにイラついてたかもしれません。たぶんブログにもそんなことを繰り返し書いてる可能性があります。どうやったらいらつかずに淡々とこなせるか、ってのは、いまだわからずじまいです。


関係あるようでないけど、わかんないことにぶつかったとき、不安になります。なんで不安か、っていったら、はっきりしないところがあるからです。でも全体がわからない、ってわけでもなくて、わかるところもあって、わからないところとわかるところがイチマツ模様に散在してて、イチマツの不安を感じるのです。わかるところからじわじわと外堀を埋めるように不安を除去する作業をしてるときにどうやったら怖がらずにモチベーションがあげることができるのか、ってのがここ数年の課題ですが、答えはまとまりません。これもブログに何度か書いてるかもしれません。


あたまの中のまとまらない考えというのを文章化することはたいてい不完全燃焼であまりけりがつきません。でもって、文章というのは他人にわかってもらうためのものなんすけど自分の脳内でおぼろげにしかまとまってないような不完全燃焼のようなものをわかるようにするのが私にとっては大変かつ難儀でした。そもそもリズムがずれるとイラつくとか不安なときにモチベーションが下がるとかおでんが美味しいと幸せとかは、誰もがそうなる・そう考えるとも限らないしそこらへんは私の感覚っていうか生理の問題というか個人的体験であって、文章化しても俺が抱えてることを他人にわかんなくたってしかたねーか、ってな部分があります。だからこのブログに書いてる文章って、誰が読むかわかんねーけど通じたらめっけもの、俺はこう考えたよ、みたいなまるで小学生の絵日記みたいなところがたまにあります。今年はそれが強かったのではないか、なんて思ってます。楽しいことだけかけばよかったのかな、なんていまさらなことを考えるんすが、楽しいことだけ書く、ってのは、日記じゃないよな、なんてことも考えてました。これって公開に値する日記といっていいのかどうかわかりませんが。でも日記ってなんなんすかね。なんでもアリかな、って開きなおってるんすけども。

一年間、このよくわかんないかもしれない文章を根気よく読んでくださった皆様方、ありがとうございました。

文字通り

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頭さげるしか、思いつきません


カメラを持つ機会が増やしてて(ファインダーを覗いてるときはそのことに集中できるので気分転換になるからなんすけど)今年は意図的に東京各地をアップしてます。

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いつかここいってみよー、ってな場所があったら幸いです。

都知事に成り代わりまして、東京へのお越しをお待ち申し上げております。

[]朝のまどろみ

冬休み期間になってありがたいのは、朝の通勤時に電車がいつもほど混まないことです。場合によっては座れたりする。朝は冷え込むので電車の座席下の暖房もいくらか強めな気がするのですが、足もとがあったかいせいもあって地下鉄の中でうつらうつらしてました(今日も出勤です)。

いくらか疲労がたまってるのですが、電車の中でうたた寝するとなんとなく微妙にすっきりします。朝のまどろみって、値千金だよなー、考えながら出勤したのですが、ここらへんは、なんだか人類共通の普遍性がありそうな気がするとにらんでるのですが。

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2010-12-28

夜になって気温が下がると湯気の出るものは正義、っていったら云いすぎなんすが、湯気の出るものってのはなんとなく落ち着きます。身体があったかいものを、どこか欲するのかもしれません。この時期のおでん、ちゃんとかくと関東煮きってのはまた良くて、日本酒にも合います。個人的には味の良く滲みた大根とかジャガイモに期待がかかるのですが、夜に複数でおでんを食べにいったら、予想外なところに伏兵がいて不思議なくらいに白こんにゃくが美味しかったです。正直、侮ってました。

美味しいものってのを食するとなんとなく幸せなのは、身体に刻み込まれる快感のようなもののせいで、脳内が「美味しいもの」で全面的に上書き保存されさらにそれまでの時間的経緯からくる疲労等がいったんちゃらになって消えるからです。

げんきんなもので肉体的疲労ってのはどうしようもないけど、精神的疲労ってのは、白こんにゃくで直っちまうんすから、ほんとやすい男だよなー、って思います。

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2010-12-25

[][]炭団坂

ことしも残すところわずかとなりました。しかしこの期に及んで、またもみじを。

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けっこう落葉してますが、わずかに生き残りが踏ん張ってました。三四郎池のそばです。

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今日は東京の天気は、晴れ。水面に映る空がほんとの空より青くみえます。でもって、この池は意味もなくなんとなくよりみちしちまうところです。


カメラをかばんに忍ばせといたのは前日にブラタモリ・本郷台地をみてたせいです。

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本郷三丁目の交差点からみた本郷通。旧中山道です。うっすら坂になってるの、わかりますかね。それほど余裕があるわけではないけど時間ぎりぎりまで寄り道することにして(いわゆる逃避行動)、坂の下からはじまる川のあとの(写真はないけど)菊坂をくだりました。菊坂のさらに下に菊坂下道ってのがあって、そこから南へ曲がる道があるんすが、そこにあるのが炭団坂。

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本郷台地の上から炭団坂下(川が削った菊坂渓谷?)を見下ろしてる図です。そんなこと知っててなにになる、ってなたぐいのことを書いておくと、この写真の左が坪内逍遥の邸宅あとで、この坂の下に赤門前で筆耕係をしていた宮沢賢治の旧居あとがあります。本郷から帰郷して書いてるのが文字に従って行動するととんでもない結果が待ち受ける「注文の多い料理店」です。彼は本郷でなにをみたのかなー、なんてゲスな詮索をしちまうのですけども。


で、御茶ノ水。向こう側が水道橋方向。

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実はこの景色が江戸時代に本郷台地を掘削したものである、ということをブラタモリをみるまで知りませんでした。神田川って私が子供のころはわりと大雨のたびに水が出ててたしか二十年くらいかけて流域に水を流すトンネルを作って治水対策をしたのですが、江戸時代の治水対策としては神田川の流れを変えてここに流し、江戸城のそばを洪水から守る役目をこの渓谷はもってたわけです。

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向こうに見えるは聖橋です。北に湯島聖堂、南にロシア正教(正確には日本ハリストス正教会)のニコライ堂があるので、聖橋っす。

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でもって、ニコライ堂・東京復活大聖堂。アーチの下の十字架のようなものは、八端十字といいます。

前にも書いた気がしますが、ニコライ堂って私にとっては特別な場所です。子供のころにめがねを作ったのがこのそばで、鐘の音を知っててもおぼろげな姿しか知らなかったニコライ堂をくっきりと見たのが、私にとって、それまで見てきた世界と同じだけど違うもうひとつのクリアなもの・鮮やかなものがある世界のはじまりみたいものなんすよ。そういう経験があるので私は仏教徒だけど、神様はほんとにいるのかもなー、鐘の音がなってるところに光のようなものを照らしてるのかもなー、なんて思えるんすけどね。今日がクリスマスだからいうわけでわざと書いてるわけではないっすけども。

[]ごあいさつ

May the spirit of Christmas keep you warm!!

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2010-12-24

いまだにシングルなのでクリスマスだからって特定の誰かになにかをあげる、ってなことはないのですが、f:id:gustav5:20101224155611j:image

特定の誰かがいるときに「さて、なにをあげようか」ってことを考えるのはけっこう好きでした。でも好きな癖して下手な考え休むに似たりで、父親の命日に花を贈ってくれた御礼をなににしようか迷った挙句、骨の多い傘を買って「使ってよ」と渡したことがあります。渡してからベタすぎたかなー、ってなことを考えたのですが、ほんとだいぶたってからのある雨の日逢うことになって、自分が贈った傘を持って目の前に現れたとき、偶然なのかずっと使ってるのかわかんないけど、やはりうれしかったっすね。プレゼントってあげるだけではなくて、あげたほうがあげた相手からなにかを貰うってこともあるんじゃねーのかな、なんてことを最近考えてるんすけども。

[]歌舞伎座展

勤務先のそばの百貨店で、歌舞伎座展をやってて、今週帰りがけにむりやり寄りました。一階にあった赤じゅうたんや歌舞伎座の設計図や衣装や過去の名優の写真のほかに、なぜか花道のセットがありました。いちど愛媛の内子座で花道ってのは歩いてはいるのですが、素通りするにはなんだか惜しくて靴を脱いで花道を歩いてみたのですが、テープなんすけど音楽が流れてて、なんだか耳を少し傾けてる間に幕見席で観劇してたときのようにもし足を踏むならここだな、ってな瞬間があって、そのタイミングに「とん」と足を鳴らしてみるとなんと気分のいいことか。で、続けようとするとほかの人も同じことを考えてたのか、その花道にいたほかの人が同じタイミングで足を踏んでました。たぶん、歌舞伎座に通ってた人なんだとおもうんすけどね。


邦楽の場合リズムといっていいのかどうか判らないけど、リズムに乗る・タイミングがあうってのは、なんだか気分が良かったっす。

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2010-12-20

睡眠不足気味になるとケアレスミスが起きやすい・風邪を引きやすい、ってのがあるので、なるべく睡眠時間を多めにとってるのですが、それでもやはり眠いときは眠くて、いつもどうりに出勤しようとして自転車で100メートル行ったところで空き缶類をみて缶と瓶を出し損ねたことに気がついてあわてて引き返しました(今日を逃すと今年はもう収集がない)。

たまに前日に翌日のTo doはリストアップしてるつもりなのですが、余裕がないときは案外見落としってあるもんすねー。今日は午前中に少し気を使うことがあったのですが、そういう目前のなにかに気をとられてるときほどちいさなミスっておこしやすいのかもっす。

[]買い物リスト

たまにやるのが、帰宅時に買うものをリストアップをしたはずのものを忘れてでてきちまう、置きっぱなしにしちまうことです。そういうときにさて、なにかうんだったっけかな、ってのを西友で必死に思い出そうとするのですが、そう簡単にはいきません。どこかになにかを置き忘れたのはたしかなんだけど、それがなにか・どこに置き忘れたかがわかんないような、微妙なもどかしさに支配されながら推理してかごに入れてくんすが、帰宅して置き忘れたリストと買ってきたものが同じだと、すっきりはするけどなんだかまぐれでくじを当ててしまったけどこんなことで運をつかっていいのかな、ってな感じの微妙な気分になったりします。


もちろん忘れ物をなくせばそんな気持ちにならずにすむしそれが一番いいんすが、簡単なようでなかなかむずかしいんすけども。

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2010-12-18

東海道中膝栗毛って原典は下ネタがおおくて、(そうは桑名の焼き蛤の)桑名の先の伊勢のどこかでやじさんかきたさんは、お店の若い女の子に向かって君のはまぐりほほうが、ってなことぐらいいいます(意味のわかんないよい子はわかんなくていいです)。

で、やじさん喜多さんは陰間茶屋勤めとひいき筋で、いっしょに寝るような仲なんすが、世の中に広がってる東海道中膝栗毛って、蛤の件も含めてそういうのが一切ないんすよね。長いこと、あの二人はなんで伊勢まで行ったんだろ、ってのが謎だったんすけど、おおもとを知って教育上よくないからその記述がないのかー、と腑に落ちたんすが。


社会通念上、性ってのは非公然性を求められます。ですから、人前では君のハマグリのほうが美味しかろう、なんてことはいいませんし、普通はパンツをはきますし、性行為を公開をしません。また二人でするセックスは相手の同意が重要です。現行法の社会では、同意なきセックスは犯罪になりかねません。それら社会の通念を取得してく時期に強姦や強制わいせつを含む過激な表現ってのを無条件に子供が見続ければ、その子の性の非公然性やセックスにまつわる観念がゆがむ可能性ってのは肯定もできませんが否定もできません。過激表現を教育上未成年にみせるべきではない、ってのは(感覚的には)判らないでもなくて、過激描写の流通の規制をする都条例の必要性ってのは理解できないでもないのです。でも、(くりかえしになりますが)見せる見せないの規制を画一的に行政がやって良いのか、って言うとどうかな、と思いますし、あるべき性道徳を行政が誘導する、ってのは思想統制みたいなもんだと思ってるので、ちと怖いと思ってます。で、歌舞伎の桜姫東文章は襲った釣鐘権助に姫様が恋する話でもあるんすけど、強姦行為から恋がはじまると言うのは強姦行為を不当に賛美する部分がないとはいえないのでたぶんマンガにすると規制に引っかかります。その差はなんだろ、って考えると今回の条例の抱える滑稽さのひとつが理解してもらえるかもしれません。そのうち修正が図られるかもっすけど。


他人の同意を得ない一方的なことってのは、楽であったりします。相手をもののように扱う、っていう作品もあったりします。ただ、現実に相手の前に裸で立って、セックスが人間関係の延長線上ってことに気がつけば、人をもののように扱うことの未熟さが見えてくることがあります。でも、自分の快感のために人を都合よくもののように扱いたいってのは、ひょっとしたら案外誰もが持つのかもしれません(じゃなかったら代替品としてのバイブやTENGAが売れないでしょう)。人というのは性におぼれやすくてセックスの場面で他人まで思いやれないことがあるという、その未熟さをえっちなメディアを通して直視するのも、実は未成年のうちにやっておいたほうが良いのではないか、なんて思うのですけど、それはともかく。


表現の規制ってのはいまにはじまったことではなくて、教育上よくない、っていう配慮からやじさん喜多さんみたいな過激でなくても物語をゆがめちまうこともあるわけで、歴史は繰り返すっていうかまたそういうことろへ戻ってくのかな、ってなことを思ったよりあっけなく都条例が成立したことをつたえる今週の新聞の報道を見ながら考えてました。

ただ都条例が成立しても、えっちなメディアは、誰かが手に入れて親しい間柄の友人を介して夜に未成年の間にこっそり流通するんじゃないか、なんて思ってますが。

[]追記のようなもの

表現の自由ってので、よく付随していわれるのが、「さまざまな表現物をみて、自己実現の一助にすべき」っていう必要性っす。法学部だとたいてい大学二年まで憲法ってやるとおもうのですが、書かせる問題の答案でこの文言が入ってるかどうかで点数がわかれてくるような気がします。ある意味で「こう書いておけば正解」みたいなところがあります。でもこの言葉にいまでもけっこう引きずられてます。

いまは政治家として職務を果たされてる小説家の代表作の中にナニで障子紙を破るシーンがありますが、えてして野郎ってそういうがきっぽさが抜けないことがあります。さらに「拳闘にのめりこむように」恋にのめりこむ主人公の姿が描かれますが、男にとって恋は拳闘と同じレベルで全身全霊をかけるようなすべてではないことがある、というのもきもであると思ってます。表現物をみて、あーそういうこともあるよな・あるんだな、ってのを知って、わが身の参考にするのが、自己実現のひとつだとおもってるのですけども。


成立した都の条例で、規制の対象になるような強姦シーンのあるような漫画・アニメについてなんすけど、個人的に欠けてる、とおもってるのはそこらへんで、さまざまな表現物に触れてあれこれ考えるってのは人が一人前になってく上でけっして間違ったことではないはずで、好ましくないものから思春期の青少年を一切遠ざけるというのは正しいのか?と思ってるのですが。好ましくないものを見るときになんで好ましくないのかを考えることも実は重要だと思ってて、いろいろなものを考えるチャンスのときに好ましくないものが一切ない、ってのは、どこか次の世代から考えるチャンスを奪うことになるんじゃないかなあ、と思うのですが。

[]常識

いつだったか酒のあとで、もともとはラーメンといえばとんこつが主流の北部九州が故郷の会社の上の役職の人が、はじめて東京に出てきたときにしょうゆベースの東京のラーメンを見てラーメンという言葉のほかに「中華そば」という言葉がなんで有るのかよく判った、ってなことを語っててちょっと興味深かったです。

私は湯船にはいる前に身体を洗わないと気が済まなくて(これは雑木林のほかにわりと畑があって土ぼこりの多いところだったせいもある)それが風呂に入るときの常識だと思ってたら、寒い地方だといったん湯船に入って身体を温めるのが先のことがある、というのを聞いて、妙に納得したことがあります。


育ってく上で周囲の環境がその人の常識を左右するってことはあるんじゃないか、ってのはなんか感覚的に判るんすよね。半径3メートルくらいにあったものから・見えたものから人っていろんなことを学んでくのかなあ、なんてことを考えてるのですが、あってるかどうかはわかりません。

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2010-12-10

[]雄観奇想

夏にも旅行してますが、いくつか抱えてる懸案のうちのひとつが、ひとやま超えたこえたので三日ほど休みをもらって旅にでてました。

○遡及日誌一日目

でもなかなかうまくいかないもんで、京都について9時過ぎに地下鉄の駅を降りたらもケイタイに連絡が入っててうわー、と思いながら、処理。

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片付いてから、成道会の日だったので、千本釈迦堂の大根炊きをいただきに。うまかったです。

【雄観奇想】

蹴上にあるうえに雄観奇想とかいてあるねじりまんぼ。向こうは南禅寺方向になります。

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ねじりまんぼってなんやねん、といわれると工学部出身じゃないのできついのですがすくなくとも「ねじり」はレンガ組みからきてます。レンガをねじらせるように組み上げてトンネルをつくってあるのです。雄観奇想ってのは、雄観はすばらしい眺め、奇想は普通じゃない発想、って意味ですが、ここらへんいったいのことを示すのか、それともこのトンネルをさすのかわかりません。

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トンネルの上には線路があります。インクラインというのですけど、

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水運に使った舟を運ぶ線路です。この舟は琵琶湖疏水に浮かべてた船です。奥の水の流れが琵琶湖疏水。琵琶湖疎水ってなんやねん、って言うところから説明すると、琵琶湖の水を京都に導水して、その水を京都の上水道・電力に使ってました。で、水路に舟を浮かべて物資を運んでました。

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南禅寺という寺はいまでもあるのですが、江戸時代はもっと広い敷地を持ってました。明治になって南禅寺は敷地のかなりの部分を失います。その敷地に明治時代、工業地帯を作る計画がありました。水道も、材料や製品を運ぶ運送も、疎水があるからばっちしです。実際、それを見越して水力発電所までは作られてます。でも、計画倒れに終わっちまい、かわりにできたのが、別荘群です。たとえば野村證券の野村家や、細川家などがここに土地を購入して工業とはまるで正反対の、なんの役にも立たない別荘を全力で作りはじめます。

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NHKの番組でこのあたりのことを知って来たのですが、疎水から流れてる水路が、たしかにいまでも各別荘地・別荘跡地に流れてます。

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そのうちのひとつが、山県有朋の屋敷であった無鄰菴です。庭園作りで定評のあった七代小川治兵衛と山県有朋がいろいろぶつかりながら手がけた作品です。向こうに見えるのが東山の山並みです。でもって北となりは道を隔てて動物園などがあるですが、まるで別世界です。疎水の水はここにも流れてます。京都市が今は管理してるので、誰でも見学ができます。12月に来るより、春か夏、せめて紅葉の時期のほうがいいかもしれないです。

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疎水を計画してたときの雄観奇想とはちょっと違うと思うのですが、雄観奇想ってのはうまい云い方だなあ、とおもいます。しばらくここでぼんやりしてました。

【いまくまの観音】

西国札所いまくまの観音です。(自分用ではないのですけど)頭痛封じのまくらカバーを分けてもらいにきました。頭部領域の観音様って言う説明が妥当かもですが、頭痛封じや知恵授けの観音様がいます。

私はなぜか仏様に自分のことについて何かをお願いする、っていうことがなんとなく苦手です。あんまりしたことがありません。観音様に自分の頭がよくなるように、っていうことをお願いするのに抵抗があるのですが、ここでは頭がよくないことを自覚してるのでそれをしました。

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でも頭がいいとか知恵ってなんすかね。でもって知恵がつく、ってのは悪知恵が働くってことばのように、いいことなのかどうかはわかりません。正直、自分の身につけた分野についてはさすがに30年以上生きてると知識はついてきた気もしますが、それをうまく生かしてるかどうかはわかりません。来し方行く末っていうか、このさきどんくらい生きてられるのか、なんてことをぼんやり考えはじめてて、のこりを巧く生きぬく知恵がつけばなー、なんてことを考えるように最近はなってきちまいました。死んでもバカは治らないきもしますが。

南禅寺はほぼ散ってたのですが、なぜかここではまだ紅葉がきれいでした。

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このもみじを撮影したあと、ひとり旅の若い女の人がもみじを拾って手帳にはさんでたんすが、ああ、紅葉狩りってそういうことなのか、ってのをあらためて思い知らされました。もみじを見ても掃除が大変そうだなーとかしか思わなかったむくつけき東男はやはりなにかが欠けてます。

三条通

東海道の終点は三条大橋ですが、そのさきにあるのが三条通です。

で、この三条通というのはなぜか南にある四条通や北にある御池通とことなり不思議と拡幅工事が行われずにいて、興味深い建築があります。たとえば京都文化博物館別館。

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日本銀行京都支店です。明治39年、辰野金吾の設計です。日本橋本石町の日銀本店と設計者は同じです。レンガつくりで、狭い三条通から見上げるとけっこう威圧感があって、やや装飾過剰な気がします。でも銀行という性格・京都というまちの性格を考えると威圧感があるくらいがいいのかなあ、と。英国風の意匠なんすが、そういわれればそうかなあ、って気もします。

で、そのさきにある不思議な建物が京都ダマシン・旧家辺徳時計店です。明治23年建築。

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1階部分3連のアーチがあるのに肝心要のところがショーウインドで支柱がありません。2階も同じで、柱があっても不思議ではない場所に柱がありません。なんでこんなことになってるのか、っていったらこの建物の骨格は木造で、3連アーチも2階の柱もどきの石もレンガも単なる装飾だからです。設計者は不詳で、洋風はこんなものなのではないか、と頭をひねって作ったのかもですが。

古い建築ではないものの、対比の意味で興味深いのをもうひとつ。

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高瀬川べりにあるTIME'Sです。安藤忠雄さんの設計。昭和59年築。建築畑の人なら知ってることが多い建物です。建物自体には装飾はあまりありません。

たぶん高瀬川があふれることがないであろうということで川に面して柵がないテラスをつくり、川べりを生かして半地下にも光が差し込む設計になってます。ほんといろいろと練られてる建物で、この建物はけっこう歴史に残る名建築じゃないか、と私も思ってます。


歴史があるってことは、過去と現在を対比できる、ってことで、有名無名の建築家が頭をひねった建物がなぜか三条通にはあります。なんか磁力のようなものがあるのかもっすけど。

神戸ルミナリエ

京都で用を済ませたあと阪急電車を乗りついで、神戸入り。目的はルミナリエ見学です。ルミナリエは今年で16回目になります。

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光ってのは不思議で、ないとあるとでは大違いで、闇夜に光あると人って不思議と安心します。震災時にローソンに売るものがなくても、市民感情を斟酌してなるべく照明だけは落とさなかった、という話を聞いたことがあるんすが、そのあと神戸で光の祭典をやるようになったのは、個人的にはなんとなく腑に落ちます。

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悲しいかな不況の影響ってのはここにもきてて、協賛金が集まらないのか継続のための一口100円の募金の協力をあちこちでよびかけてました。そういうことならと募金のほかに収益をルミナリエの資金に充てる宝くじを買ったら実は1000円があたりました。灘が近いしちょっとだけ良いお酒を買って呑もうかと心が動いたものの、やはりそのまま募金箱へ。f:id:gustav5:20101208201542j:image

良いもん見せてもらえたお礼と、できれば来年も無事開催するための足しになれば、と思ってなんすが。

○遡及日誌二日目

一乗寺

神戸から粟生というところを経て加西市へ。一乗寺という札所を目指します。バスで行けないことはないのですが、本数が極端に少ないので5キロほど離れたローカル線の駅からひたすら歩きはじめました。歩きはじめました、って書いてますが、四国と違って目印はほとんどありません。地図を頼りに歩いてました。でも地図の通りに歩いてても知らない町ですから不安になります。不安になるので他人に尋ねたいところなんすが、トラックは通るのですが人がいません。頼れるものがない、文字通りの孤独です。孤独に耐えうるのはただひたすら自ら動くことっす。動かないと孤独はかわりません。でもってひたすらこの道であってるはずだ、と思い込んで歩いてました。たとえ間違ったとしてもいったん間違えた分岐点までもどればいいんすけど。でも、悲しいかなその失敗の時間がどこか惜しいと思っちまうのが凡人の悲しさです。

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惜しいってのはなにか、っていったら、どこかを間違えて実現されなかったことに関しての、取り返しのつかない、失っちまった時間のことです。損得っていうのをいったん考えはじめると失ったものに対する意識がついてまわります。だからあんまり損得を考えないほうがいいんすが、やはりどこか考えちまいます。困難な道を切り拓いてるそばで別の方法で巧い具合に切り抜けた人なんかをみてると、あ、俺損してるのかな、とかっす。じゃあ、損をしない、間違えないのが良いのか、っていったらそんなことはないはずなんすけどね。損といっても原因を突き詰めれば損をしない人に比べてどこに問題点があるか、ってことを知ってるぶん、つまるところよく判らない部分が少ないぶん、損をしなかった人より得はしてるのですが。失う、という経験も同じことがいえるかもしれなくて、失ったことがない人より、失った人のほうが、どこかプラスの部分があるんじゃないか、と。

でもって、失敗しないこと・失うことを恐れるな、というのは理解してるんすが、それでも間違えるってことは時としてすごくストレスで、同時に間違えないように心がける、ってのもまたこれまたストレスなんすけど。でもって惜しいとか悔しいとか損してるなーとかの、それらを捨て去ることができるかっていったら、どんなに年をとってもやはりできそうに無いなあ、なんて思います。

ってなふうに、凡人なので歩いてるうちに無の境地には至らずに、あれこれ余計なことまで考えちまいます。

わけのわかんないことを考えてるうちに(一人も逢わないうちに)、

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なんとか無事に参道にたどりつきました。

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一乗寺は四方を山に囲まれた中にありました。三重塔は平安時代末期のもの。ちなみに創建は(インドから仙人が雲に乗ってやってきた)650年です。三重塔では古い部類です。よくみると屋根は上にいくほど小さくなるように造られててどこか優美なつくりになってます。で、風が無いかわりに、陽もあまり差さないところなので、立ち止まってるとひたすら寒かったっす。門前で熱いお茶を頂いたのですが、それが身に染みて美味しかったっす。お茶を飲みながら八回既に回ってる人としばらく話しこんでました。

書写山

一乗寺の門前を通過するバスをつかまえて姫路市内にでてから、こんどは書写山というところへ。

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ロープウェイがあるらしいのですが、ロープウェイの駅へ行くバスに乗らなかったので、ふもとの集落のバス停まで行って参道とおぼしき道をのぼりました。参道っていっても、どうみても山道です。勾配もきついです。かといって途中で引き返すってことをするのもいやなので、こんどはなにも考えずにひたすら参道を登ってました。ただ失敗したなあ、とおもったのは、さきほど頂いたお茶と持参の水分以外は朝からなにも摂取してなくて、腹が減っててすこしふらふら気味で、なんどかひやっとした場面がありました。粟生や姫路で何か買えばよかったのですが、いまさらおそかったりします。腹が減っては戦ができぬ、ってのは、たぶんあってるはずです。山登りは戦じゃないですが。

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道はきつかったのですが、眺めはよかったっす。

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およそ一時間くらいで圓教寺という札所に到着。天台宗の三大修行道場の一つで、武蔵坊弁慶が一時いました。余談ですが、映画「ラストサムライ」がこの地でロケをしてたらしいことを後になって知りました。知ったところで映画を見てないので、ロケ地を見ようって気にもならなかったんすが。

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摩尼殿というのですが、清水の舞台とおんなじで、舞台造です。勤行のあとしばらく見学してたのですが、けっこう近くで見ると圧倒されました。でも大正時代に焼け落ちてしまい、これは昭和初期に普請したものです。

で、別の道を降りたのですが、勾配がやはりきつくて、ちょっとこわかったです。ロープウェイがかかってる意味をそのとき理解しました。

【姫路城】

姫路城そのものはいま改修工事中です。なもんですから、となりにある庭園・好古園へ

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昔からあるものではなく、江戸時代の屋敷あとを再整備して平成になってから作り直したものです。でもちょっと見応えがありました。

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で、姫路城天守閣はこんなかんじ

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どうみてもビル工事現場です。きれいになったら機会があれば見学したいところ。観光に来たわけではないので、悔しくはないのですが。ただ悔しいというほどではないけど、播州出身のブロガーさんがかいてた、しょうが醤油つきのおでん(関東煮)を食べそこねたのがちょっと心残りっす。悔しいで思いだしたんすが

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みなさまの足・阪神電車がいまは姫路から梅田まで直通してます。ただ阪神特急がフルスピードで快走してても、須磨浦で並行して走る後から来たJRの新快速に目の前で見事に抜かれちまいました。目の前で抜かされるとおだやかではいられないというか微妙に悔しいもんすね。

○遡及日誌三日目

【奈良】

泊ってた宿を朝早く抜け出して、

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奈良の平城宮跡へ。既に1300年祭は終わってて祭りのあとなんすが、朝の景色を無性に見たくなったのです

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早朝ですから、誰もいません。独り占めです。ただし寒かったっすけど。こういう馬鹿げたことを私は平気でやります。

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教科書にかかれれたことが、このあたりで有ったんだろうなあ、ってなことを考えると、なんとなく昔覚えたことが身近に感じてくるから不思議です。でもそれは錯覚なんすけど。ちなみに朝九時にならないと建物の中には入れません。


朝ごはんを食べた後に興福寺近辺へ。うしろに見えるのは今年からはじまった、江戸時代に焼け落ちた中金堂の再建の工事現場です。

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冬だしすいてるんじゃないかと期待して行った興福寺は修学旅行生がすごかったんすが、阿修羅像にも対面してきました。想像してたより生々しいというか、次の表情が想像できるようなつくりのせいか、どこか仏像という気がしませんでした。私は彫刻をやってませんが、もし彫刻をやってたら嫉妬するほど生々しいです。あの時代に阿修羅さんの顔のような感じの人がいて、それを生き写しにしたのかなあ、作った人はそのひとに仏様のようなものを感じて彫りだしたのかなあ、ってな関係ない罰当たりな感想をもちました。仏様って、川向こうとか敷居の高いところにいるとは私は思ってなくて、同じ目線で人の姿かたちをして娑婆でテキトーにウオッチしてるイメージを持ってたので、なんだか親しみを持てたんすが。

さて、東大寺

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こちらは大仏さんがいます。私は信仰というのは仏さまの前に身を投げ出すようなものだと思ってて、(私の場合は仏像は必要ないのですが)目に見える見守る存在が必要な場合もあるのかなあ、なんて大仏さんを見てて頓珍漢な感想を持ちました。人間不安なときは、だれかに見守ってもらってる、ってのは安心します。そういう作用があるってわかってるから人って像を必要とするのかも、なんてことを考えてました。ちなみにここも焼けおちてます。いまあるのは江戸時代の建物です。

ところで大仏殿再建や大仏建立に際して、はたして材料・材木をどうやって運んできたのか、ってのが、全然調べてないけどそのうち調べたい課題です。考えるとおもしろそうなんすけどね。

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外人さんがシカを面白そうに見てたのですが、そうだよなー、と思います。世界中どこ探したって、こんなところ、ないんじゃないかなあ。

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眠れるシカです。

どこか帰りたくないなー、ってのがあって俺のかわりに東京に戻って仕事片付けてくんねーかな、と頭の隅でシカを見ながらほんの少し思いましたが無理そうです。そういう考え方自体がどこか危険っす。現実逃避・浮き世離れもそろそろこれくらいにしとこう、と考えて東京に戻ることに。

【おまけの南座前】

丹波橋乗り換えで四条へ。

海老蔵丈のいない南座です(まねきを確認したらもうありませんでした)。

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そういや去年もこの前を通過したよな、来年、どうなるか予想がつかないんすが、またまねきをみれたらいいな、なんてことを考えながら、鴨川を渡って東京に戻りました。

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2010-12-06

NHKに若い研修医をあつめてベテラン医師と一緒に事例研究をする番組が秋までやってたのですが、目上の人へ敬語・丁寧語をつかう研修医に対してあるベテラン医師の先生がフランクに話かけてるのを見てて、ああーこの人は見えない膜を破ろうとしてるな、なんてわかったのですが、いくばくか経験をつんで敬語・丁寧語を遣われる立場になるとその膜がなんとなくわかります。オブラートに包んだものの云いかたをしてくるのです。だから、なんとなくどこかあいまいな、ほんとは切迫してるのかもだけど、まだ大丈夫なのかな、ってなふうに思えるときがあります。


敬語とか丁寧語というのは場所によっては「水臭い」印象を与えちまうので注意しないとまずいのですが、かといって「親しき間に礼儀あり」ってのもあるので最低限の礼儀は弁えたい、そこらへんの塩梅・さじ加減ってむずかしいってことも承知してます。ぐだぐだ考えてるうちにことばに不可視の膜ができて、ほんとに伝えたいことがうっすら伝わりにくくなってるのかも、とか勝手に推測してます。同じペーパーをみせて説明してても、丁寧語をつかったときにちゃんと伝わってないことからくる反応が人によってはたまにかえってくることがあって、ああ、敬語とか丁寧語が必ずしも自在に扱えてない私の言葉遣いがそうさせてるのかなあ、と考えることがあります。フランクにしゃべれたらな、なんて思ったことがありますが、なかなかそれは相手によっては難しい。


でもって、常に敬語・丁寧語をつかうってのはなにかしらの距離がそこにあって、そこでなにかを伝わるっていうのは紙飛行機を飛ばすようなもので、言葉の問題と同時になんとなくタイミングがあるのかなあ、きちんと状況を見極めないと伝えることは難しいなあ、なんてこともややこしいことを伝えるときに考えちまいました。

正確に伝えようとすればするほど、日本語ってどこか難しいっす。

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2010-12-04

小学生から大学まで育った町を、働いたて稼いだお金をつかってすこししゃれたコートをまとって歩いたら「金持ちはちがうね」的なことを幼いころを知ってる人から皮肉られすこしぐにゃりときたたんすが、汗水たらして働いた金ですこしぐらいご褒美に贅沢したっていいじゃないか、とおもうのだけど、どうも気に食わないんだろうなあ・その町から越した時点で、その町にいた人の記憶が、たぶんいくらか苦学生じみてた大学生時代の私で終わってて、変化が納得いかなかったんだろな、なんてことは推測できます。

けっして住みにくい町ではないんだけど、いくらか口出しされるような人間関係がたまーに、息苦しいな、と思うことがあったりします。でもって息苦しいってのは、俺が周囲の雑言を誘引する素因があって、一人前の人間にいまだみられてないせいかな、ってなことも判ってはいるんすが。

別に小学生時代とか中学生時代に嫌な思い出があったわけじゃないのだけど、なんとなく自分の育った町、というのにそれほど愛着がないのです。ずーっと息苦しいっていうのが、どこかあってそのせいか、郷土愛、ってのがほとんどありません。

いまの土地はそういう息苦しさがないから楽で、やっぱり戻りたいとは思えないし、引っ越して正解だったのかなあ、なんてことをすこしだけ今週、考えました。

[]想像で語るライフハック

ぐにゃりとくるようなことをいわれても、そのことをくよくよと思い返したところで意味ないもんなー、なんて考えるので、そうへこんでもいられないというかへこんでも先に進めないので、たまに「どうとも思ってない!」って顔を洗面台の鏡の前でわざと暗示をかけるようにしてみたくもなるのだけど、それはいったい意味があるのか・効果があるのか、よくわからないっす。でも、しないときがすまないときがあって、こういうつよがりをひょっとしたらライフハックとでも云うのかな、と思ったり。


ライフハックの本来の意味は生活とか仕事のクオリティをあげるための取組なんすけど、こうあるべき、ってのはきりがないから、ゴールのないマラソンをするようなもので、そんなもん続けてたらつかれちまうと思うのですけども。

個人的には、ちょっとだけえっちなことを考えたほうが、毎日元気に過ごせるんじゃないかとか思うのですが、へこんだりつかれてるときはたいていえっちなことすら考える余裕がないっす。かわりに気分を切り替えるために必ず明るく終わる曲を聴いたりするんすが、自分の中にどこにスイッチがあるのかすらよくわかってないので、切り替わってるのかどうか、効果のほどはほんとはわかりません。

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2010-12-01

12月1日はエイズデーです。もっとも、今日だけ考えればいい、ってなもんだいじゃないんすけども。


はるか昔に、つかわないとなんとなく元に戻る、ってなことを書いた記憶があります(どこだかわかんないよいこはわかんなくていいですぅ)。そうなると、相手と一緒にある程度準備しとかないとうまくはいきません。具体的に書くと痛いのです。そういうときに役に立つのが潤滑液です。もちろんコンドームには基本的に潤滑液がついてます。でもまず、私の場合はたりません。相手が男のときは、ですが。だからたいてい買ってもらった潤滑液のボトルがそういうときはベッドサイドに置いてあります。

何年も前から世の中にはananがコラボしたコンドームってのがあって、水性の潤滑液が増量されてます。ananの意見を反映して作ったのだろうと推測しますが、たぶんこっちのほうが負担が少ないはずっす。でも伝導性とか薄さを競う現状を考えるとanan仕様がスタンダードにはならんだろうな、とは思います。

で、潤滑液って水性ってのが重要で、(実験したことはないですが)油性だとゴム製品が破損劣化するリスクがでてくるはずだからです(口紅も油性でしたっけ?)。でもってコンドームを使うとき、潤滑のために使用するものは(ポリウレタンのものはともかくとして)水性のものがいいはずです。誰もが既知であってほしいけど、重要なことななんじゃないのかな、と思うので改めてここに書いておきます。



去年も書きましたが(検索で来るような皆様は特に知ってほしいのですが)コンドームには消費期限があります。

今月使う予定のある・買い置きのある人はぜひチェックを。

今月使う予定の無い・けど買い置きがある人もチェックを。

異性愛者であっても同性愛者であっても(モトカレのモトカノ・モトカノのモトカレを知らないような場合は特に)エイズに限らずリスクを減らすためにコンドームって大事なので二度書きました。

[]不器用には暮らしにくい社会

コンドームの袋を切るときはそうでもないのですが、包装されたものなどで、手で切ろう・開けようと思ってもなかなか切れないものがあります。弁当の中に入ってる小袋型ソースで苦戦したり、豆腐はおそるおそるあけます。

いちばんの難関はたまに行く店で買う輸入CDで、ノーマルにあけるのはあきらめてカッターか鋏をつかいます。


あけ方が書いてあるんすけど、わりとうまくいかないのがコンビニのおにぎりです。たいてい途中で海苔が生き別れになり、あとで救い出すはめになります。

包装ってのは器用な人を前提に作られてるんだろうなあ、と思うのですが、器用でない人をぜひ開発チームに入れてくれれば、もっとストレスフリーな社会になるんじゃないかなあ、なんてゼリーでも苦戦する不器用な野郎は思うのですが。

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