Hatena::ブログ(Diary)

名付けられぬ領域のほとりにて このページをアンテナに追加

2018-08-28

[]させていただく

私は日本語を母語としながらも日本語に詳しくないのでヘタなことは言えないのだけど、数年前から他の組織の人などが口にする「させていただく」ってのがずっと気になっていました。「する」意思を持つ人がへりくだりつつ、相手の同意を条件にしてるように見せながら、ほんとは異論なんかないことを前提としてる曖昧模糊とした言葉で、同意を条件にしてるようにもみせてるので断れば悪い人間にまつり上げられる可能性を秘めてるわけで・へりくだれば安定的に相手を操作できると思ってる前提の言葉に思えて、なんだかいやらしい言葉だなあ、と長いこと思っていたので私は「させていただく」というのはまったくつかいませんっててめえのことはともかく。

ほんとに偶然なのですが、司馬遼太郎さんの街道をゆくシリーズの「近江散歩・奈良散歩」を手にしてて近江の項を読んでいたら浄土真宗の近江門徒に触れていて真宗絶対他力の教養などが近江商人を丁寧な口調にさせたと説明してて、

この語法は浄土真宗(真宗・門徒・本願寺)の教義上からでたもので、他宗には思想としても、言いまわしとしても無い。真宗においては、すべて阿弥陀如来―他力―によって生かしていただいている。(中略)この語法は絶対他力を想定してしか成立しない。それによって「お蔭」が成立し、「お蔭」という観念があればこそ、「地下鉄で虎ノ門まで行かせていただきました」などと言う。

司馬遼太郎「近江散歩・奈良散歩」P11(朝日文庫

と書いてあったのを読んで、目からうろこというか、なんだか腑に落ちました。昭和になって広まり「もちろん今は語法だけが残っている」とも書いてるのですが、信仰に裏付けされたことばの成り立ちを知ると「いやらしい言葉だなあ」というてめえの無知と勝手な感想をちょっと恥じたんすが。

もっとも語源を知ってもなお「させていただく」にはまだ抵抗があって、口にはできそうになかったり。

2018-02-23

[]ネコ

品のない話をします。いつも品はありませんが。

いつ読んだかも誰が描いていたかも題名も忘れてしまったのだけど印象に残っているマンガのシーンがあって、登場人物が家事をしながら「私の猫はネズミがとってもとっても大好き」という趣旨の歌をフランス語で歌うのです。それを耳にしたもうひとりが「ちょっとまて、おまえその歌の意味知ってるのかよ」と訊く・咎めるのですが、それに対して「なんでてめえこそこの歌の意味を知ってるんだよ」とやりこめるシーンがありました。猫(ma chatte)にスラングとして別の意味があることをそれを読んだ10代の頃には知っていたのでどういう情景をうたったものかはなんとなく悟った記憶があります。対になるネズミは詮索するとおそらく男子のある部位なるはずなのですが、それがフランスでネズミとよばれてるのかどうかは不勉強ながら知りません。実際に猫とネズミにまつわるそんな歌があるのかどうかもわかりません。しかし20年以上ずっとひっかかってて、いつか余裕ができたら、猫とネズミの歌があるのかとネズミのスラングについて調べてみたいとは思っています。でもどうやって?ってのはありますが。場所柄を考えると日仏会館で訊くわけにもいきませんし。

いつか余裕が出来たら調べてみたいことってのはまだあります。

紆余曲折あって同性と寝るという世界に入ってスラングというか知らない言葉というのにいくつかぶちあたりました。いまでも謎のものがあります。たいてい挿入される側(どこに?なにを?とか、よくわからない良い子のみんなはわからないままでいいです)の男子のことを「ネコ」と呼ぶことがあることをなんとなく知ったのですが、なぜネズミでも犬でもなく「ネコ」なのかは謎であったり。英語だとそのことに関する表現は「bottom/top」なので動物は関係ありませんし、英語由来ではないことは確かです。もしかしたらゲイタウンなどに行けば教えてもらえるのかもなんすけど、ゲイタウンと無縁なので知らないままなのです。「にゃあ」とか「みゃあ」とか鳴くわけでもありませんし、なぜネコなのか。

もっともネズミも猫も知らなくても不都合はまったくないのですけども。

2017-11-08

[]闇

数字はうそをつきません。数字を追ってるうちに「なんか変だぞ」というようなことがあって、上役と相談しながら片っ端から資料を読み込んで全体像をつかんでから「これってどういうことですか?」というようなことをやったことがあります。そのとき当事者の態度からはなにかいいにくいことをしてる人というのは周囲が見えなくなるものなのだ、というのを思い知りました。

なにか他人にばれたらまずいことをしている当事者におそらくあるのは「周囲にはわからないであろう」という発想・錯覚です。周囲がわからないであろうと思うからこそどんどんエスカレートします。でも犯罪が起きるとよく加害者に「闇」がある、という言葉があふれます。犯罪者には闇があって、故に犯罪が起きる、という方が理解しやすいからです。その言葉を聞くたびに「闇」というあまりにも詩的な言葉が理解できず( ゚д゚)ポカーンとしてしまうのですが、人に闇があるという考え方って、危険なんじゃないすかね。「闇」というものがあると平気で犯罪に手を染めてしまう、というほど人は簡単かつ単純ではない気が。

ここらへん、性格から犯罪が生起されるわけでもなく犯罪者の素質がある人間が犯罪を起こすものでもない、と教え込まれたせいもあります。「バレないと思ったら人というのは間違ったことに手を染めやすいのではないか」という仮説をもってるのですが、もちろん確信はありません。

でもって巧く言葉にできないのですが「おのれのしていることがどういうことか判断できない」ことを「闇」という言葉で済ましてしまう世の中に猛烈な違和感があったりします。

2017-08-04

[][]すぐそばにあるコワさ

私は東京育ちです。当然、母語は日本語です。しかし、日本語でも東京以外では理解できないことがありました。何回か書いてるのですがまず社会人になって大阪へ放り込まれました。以前書いたかもしれませんがはじめての土地で言葉も慣れないところである日の仕事終わりにけっこうきつめの先輩が私の前に来てぶっきらぼうに「名前覚えといたるわ」といわれて去っていったことがあります。意味が理解できないとちょっとコワいです。これをきいたときなにか気がつかないところで失敗したのかけっこう不安になりました。しばらくして当の本人や同僚から「名前おぼえといたるわ」というのは認められてる・褒めてるっぽいことを理解したのですが、えらいところに来たな感がありました。そのあとは名古屋です。直属の上司の上のほうから直接「あんばようやってちょーよ」と云われたときになにを云ってるのかわかりませんでした。ニコニコしながら云われたので怒られてるわけではなさそうだぞ…というのは理解できたので「はい」と答えたのですが、直接の指示の言葉が理解できないとやはり不安になりました。名古屋出身の同僚に訊いて「塩梅よくやっといてな」ってなことは理解できたのですが。語彙が増えたいまとなっては↑ここらへんのことは笑い話ですむのですが言葉ってのは不安を引き起こす怖さを持つ側面があることを大阪と名古屋で理解しました。と同時に、自分の持つ言葉が他人と同一とは限らず、自分の持つ言葉が伝わるとは限らない、ということを思い知らされた経験でもあります。

対面で話していると言葉以外で表情などからなんとかなることがあるのですが、Webも含め生きてるといろんな経験をさせてもらったのですけど、文章が方言のない日本語で書いてあっても理解できない、ということがあったりします。自分の持つ言葉が他人と同一とは限らず、自分の持つ言葉が伝わるとは限らないという経験をしても、不安どころか恐怖でしかありませんでした。もちろん文章を編んでこちらがなにかを云っても伝わらないし理解してもらえなかったりってのもあったりします。根っこに「理解できる」というのがあるから怖さを引き起こすのかもしれません。「言葉を連ねても理解してもらえない世界」「言葉が並べてあっても理解できない世界」というのは実感としては絶望しかないです。誰もが優れた読解力をもつわけでもなく、誰もが優れた美文を作成できるわけでもないわけで、そんなことほぼSFの世界だと思っていたのですけど、案外すぐそばにあります。はてなの今週のお題は「ちょっとコワい話」なんすが、言葉って存在は絶望の海に放り込まれるつまずきの石になりえて、ちょっとコワいもののような気がします。もっともここらへんのことって若干とりあたまゆえにすぐ忘れてしまいがちで、事態に再度直面して「あ、前にもこんなことあったよな」っていうふうになっちまうのですがって書いてておのれの愚かさを連ねてるだけのような気がしますが。たぶん、この先なんべんもコワい目にあうのかもしれません

2016-10-07

[]「がんばってるのが顔に出ているうちはプロじゃない」(追記あり)

大手化粧品会社の放送中止となったCMのなかにデスクワークする女の子が「がんばってるのが顔に出ているうちはプロじゃない」と指摘されるのがありました。くだらないことなのですが、気がついたことがあります。私は男で、いつもあたりまえのようにすっぴんで勝負していて、化粧をいっさいしないので目の下のくまとか疲労がたまると顔に出ちまうことがあります。目の下のくまについて異性・同性の先輩や後輩から指摘されることもないわけではないのですが、化粧ってわけにもいきませんからそのままだったんすが、もしかしたら「なんとかしろ」という意味なのか、ということに今頃気がつきました。しかし化粧なんてするつもりもないのですが。

CMの内容を知って「あ、おれプロじゃないなあ」と思いつつ、そもそも「がんばってる姿を見せてはいけない」という世界って、負担軽減策を同時に施行しなければ単なる無理難題を吹っかけてるわけで、ちょっと変だし、放送中止になったのがなんとなくわかった気が。

制作側にはそんな意図はないかもしれないけど、さらっと怖いこと言ってるよなあ、と。

2016-08-23

[]感動

槇原さんの曲のなかに「林檎の花」というのがあり、それはJR東日本のCMと連動していたのですが、そのCMは吉幾三扮する津軽の古参駅員が東京から来た三浦春馬演ずる若手駅員を「おい東京!」と呼びすてするところからはじまりました。同じように放り込まれて名前も最初はろくに覚えてもらえず「おい東京!」からはじまったのでそのCMをみるとあああそこに俺がいるよ!と思っちまいそのCMをyoutubeでみようものなら今でもぼろぼろと涙が出てきます。また印象が強すぎたのか「林檎の花」をきくといまでもつい目頭がうるってなっちまうところがあります。実はこの「うるっとくる」とか「目頭が熱くなる」というのが感動なのかどうかちょっとわからないところがあります。正確に書けば、感動というのが言葉の存在自体は知ってるけどどういうことなのかわからぬままオトナになっちまったところがあります。おのれの体験とリンクして涙もろくなるのが感動なのか、そうじゃないのか、それすらわからないところがあったり。

たまにふとした拍子に世の中とおのれの認識のかい離を確認してしまうことがあるのですが、私は五輪と感動というのがいまいちつながらないのです。ダイジェストを「すげー」といいながら見入っちまったりすることはあるのですが、泣くこともありません。帰宅時の電車で感動と五輪が並記されてる広告を見て、世の中では五輪で感動するんだよなー、というのを改めて思い知ったのですが、いまいちぴんときません。

こうかくとほんと「人」としてなにか欠落してるのではないか、とおもっちまうのですが、いつかちゃんとした「人」になれるのかな、というのがどこかあったり。

2016-07-08

[]左回り

名古屋の地下鉄に名城線ってのがあって、市役所⇔栄⇔金山⇔堀田⇔名古屋大学⇔ナゴヤドーム⇔市役所という具合に環状線です。名城線は内回り外回りではなく右回りと左回りという表記で、栄から市役所・ナゴヤドーム方向が右回りで金山・堀田方向が左回りです。

栄の駅で金山方向へ行こうとして西向きのホームで待ってると左回り名城線は電車は左に動いてゆくので左まわりって理解できるのです。が、ホームの構造はすべて同じではなくて市役所駅では東を向いてるホームで金山方面左回りの電車を待ってると左回り方面が右方向へ動いてゆきます。恥ずかしながらそれにちょっと戸惑うのです。市役所から金山方面がなんで左回りなのかと根っこのところで理解していないかもしれない・そもそも左回りってなに?てきな私みたいなやつのために英語でClockwiseとCounter clockwiseという表記があるので金山方向へ行くなら反時計回りだな、理解しています。英語表記に頼る日本人って少数派だと思いますが。

生まれつき右目が悪くて目をつぶって目のよく見えるほうが左!という左右の認識でやってきて、それほど道に迷わずにいままで生きてきたのでこの先もダイジョウブと勝手に確信してますが、名城線に乗るとたまにおのれの脳の弱さに不安になることがあったり。