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2007-04-07

[]向井さんの件雑感


代理出産向井亜紀さんの双子、最高裁が実子とは認めず

タレントの向井亜紀さん(42)と元プロレスラーの高田延彦さん(44)夫妻が、米国での代理出産でもうけた双子の男児(3)の出生届を受理するよう東京都品川区に求めた家事審判で、最高裁第2小法廷(古田佑紀裁判長)は23日、受理を命じた東京高裁決定を破棄し、申し立てを退けた。出生届の不受理が確定した。

決定は「現行民法の解釈としては、女性が出産していなければ卵子を提供した場合でも法的な母子関係は認められない」との初判断を示した。

決定は4裁判官全員一致の意見。代理出産の適否には言及せず「今後も民法が想定していない事態が生じることが予想され、立法による速やかな対応が強く望まれる」と異例の言及をした。夫の精子と妻以外の女性の卵子を使った「代理母」のケースでは、最高裁が05年に法的な実の親子関係を認めない決定を出していた。今回は夫妻の精子と卵子を使う「借り腹」と呼ばれる方法で、判断が異なる可能性もあったが、いずれも認められないことになった。夫妻は米国で代理出産を試み、03年11月に双子が生まれた。米国ネバダ州の裁判所は夫妻を法的な実の親と認めており、審判では、この裁判の効力が日本で認められるかが争点となった。

第2小法廷は「日本の法秩序の基本原則や基本理念と相いれない外国判決は公の秩序に反して無効」とした97年判例を踏まえ、ネバダ州裁判の効力を検討。「民法が定める場合に限って親子関係を認めるのが法の趣旨」とした上で「民法が認めていない場合に親子関係の成立を認める外国の裁判は公の秩序に反する」との判断を示した。その上で「出産した女性が母親」とした62年判例を引用。「親子関係は公益と子の福祉に深くかかわるため、一義的で明確な基準により決められるべきだが、民法には子供を出産していない女性を母と認めるような規定がなく、母子関係は認められない」と述べ、効力を否定した。

双子は「保護者同居人が日本人」という在留資格を得て日本で夫妻に育てられている。実の親子関係に近い「特別養子縁組」が認められるなどすれば、日常生活に大きな支障はないとみられる。【木戸哲】

3月23日付毎日新聞より転載

↓最高裁の決定全文

http://www.courts.go.jp/search/jhsp0030?action_id=dspDetail&hanreiSrchKbn=02&hanreiNo=34390&hanreiKbn=01


たびたび取り上げてる向井さんの件です。結論は

「現行民法の解釈としては、女性が出産していなければ卵子を提供した場合でも法的な母子関係は認められない」

なんですが。

ちょっとたっちまいましたが、今更ながら述べてみたいと思います。


この件は、

「米国ネヴァダ州で代理出産契約を結び出生した子どもを実子として品川で出生届を出したところ受理されなかったこと」

をめぐるものです。で、向井さんはネヴァダ州の裁判所で親子関係の確定の申立てを行い実父母として確認を受けていてそれを証拠にもって品川区に出生届けを提出し、受理されなかったので争っていました。第一審では、出生届受理の申立ては却下されちまったものの、去年秋に第二審の東京高裁は、子どもは当該夫婦の卵子と精子により出生しして血縁関係を有すること、民法は生殖補助医療技術が存在しない自然懐胎のみの時代に制定されたものであって現在は人為的な操作による懐胎や出生が実現されるようになり、法制定時に想定されていなかったことで法秩序の中に受け入れられない理由にはならない、という判断をして、その上で、向井さんが双子を実子として養育することを望み、ネヴァダ州裁判所の判決が認められない場合には子どもに法律上の親がないことになること、法律的に受け入れるところがない状態が続く以上は向井さんを法律的な親と認めることを優先するべき状況で、向井さんたちに養育されることが子の福祉にかなうとして、品川区に出生届の受理を命じていました。

それを分娩の事実によって親子関係を確定してきた日本の自治体のひとつである品川区側が不服として争ってたわけです。


 

直接的な論点は向井さん高田さん夫妻を子供の両親とするネヴァダ州の判決を承認できるかどうかです。承認の条件は民事訴訟法118条3号に書かれていて

「判決の内容及び訴訟手続が日本における公の秩序又は善良の風俗に反しないこと」

ってのが重要でした。つまるところいわゆる公序良俗に反しないで日本の社会通念上の基本的価値や秩序に混乱をもたらさないことが承認の条件です。

まず、その問題について↓

実親子関係は身分関係の中でも最も基本的なものであり、様々な社会生活上の関係における基礎となるものであって、単に私人間の問題にとどまらず公益に深くかかわる事柄であり、子の福祉にも重大な影響を及ぼすものであるからどのような者の間に実親子関係の成立を認めるかは、その国における身分法秩序の根幹をなす基本原則ないし基本理念にかかわるものであり、実親子関係を定める基準は一義的に明確なものでなければならず、かつ、実親子関係の存否はその基準によって一律に決せられるべきものである。したがって、我が国の身分法秩序を定めた民法は、同法に定める場合に限って実親子関係を認め、それ以外の場合は実親子関係の成立を認めない趣旨であると解すべきである。以上からすれば、民法が実親子関係を認めていない者の間にその成立を認める内容の外国裁判所の裁判は、我が国の法秩序の基本原則ないし基本理念と相いれないものであり、民訴法118条3号にいう公の秩序に反するといわなければならない。

去年秋の東京高裁が公の秩序に反しないのではないか?と判断して品川区に受理しなさいと決定したのとは反対の考え方を示したことになります。いまある民法で規定する親子関係の範囲で外国判決の有効性認定の可否を判断して、ダメ、といっています。

法律上の親子関係は子の福祉のために出産した女性と出産によって生まれた子の間には母子関係が生じるというような「一義的に明確な基準で一律に決められるべきだ」とする最高裁の判断には、強い説得力があるとおもいます。この点同意見です。


ちょっと重要そうなので代理出産により授かった子を日本の民法上卵子の母とその子を実親子として認めることが可能かという問題についても判断しているところを引用しておきます↓

民法の母子関係の成立に関する定めや上記判例(←分娩の事実によって母子関係を確定するとした62年判例(最判昭和37年4月27日民集16−7−1247百選27)のこと)は,民法の制定時期や判決の言渡しの時期からみると、女性が自らの卵子により懐胎し出産することが当然の前提となっていることが明らかであるが、現在では生殖補助医療技術を用いた人工生殖は自然生殖の過程の一部を代替するものにとどまらず、およそ自然生殖では不可能な懐胎も可能にするまでになっており女性が自己以外の女性の卵子を用いた生殖補助医療により子を懐胎し出産することも可能になっている。そこで、子を懐胎し出産した女性とその子に係る卵子を提供した女性とが異なる場合についても現行民法の解釈として、出生した子とその子を懐胎し出産した女性との間に出産により当然に母子関係が成立することとなるのかが問題となる。この点について検討すると、民法には、出生した子を懐胎、出産していない女性をもってその子の母とすべき趣旨をうかがわせる規定は見当たらず、このような場合における法律関係を定める規定がないことは、同法制定当時そのような事態が想定されなかったことによるものではあるが、前記のとおり実親子関係が公益及び子の福祉に深くかかわるものであり、一義的に明確な基準によって一律に決せられるべきであることにかんがみると、現行民法の解釈としては,出生した子を懐胎し出産した女性をその子の母 と解さざるを得ず、その子を懐胎、出産していない女性との間には、その女性が卵子を提供した場合であっても母子関係の成立を認めることはできない。



子宮がん等で子宮摘出した女性のことを考えると苛酷なのかなー、とはおもいますが、

「出生した子を懐胎し出産した女性をその子の母 と解さざるを得ず,その子を懐胎,出産していない女性との間には,その女性が卵子を提供した場合であっても,母子関係の成立を認めることはできない」

という結論です。分娩の事実によって母子関係を確定するとした62年判例を崩していません。私もこれは妥当かなー、と思っています。

で、「出産の事実によって母子関係が発生する」つまり、産んだ人が母親となるのですが、今回のような代理母の場合には遺伝子的には親子関係は存在しませんが。

で、ちょっと深刻かなとおもうのは、ネヴァダ州の裁判によってネヴァダの代理母夫妻との間には親子関係が認められていないのです。日本でもダメ。法的な実親は、双子にはいないことになります。




こうかいていると裁判所の法手続き論を重視した冷徹な判断との印象も受けるもかもですが、引用こそしませんが、いくつかの重要なことを認めています。

○ネヴァダ州在住の代理母はボランティアとして代理母を引き受け、ネヴァダ州法が許容する範囲内で実費を貰っているに過ぎず子を産むことが商行為とは言えない。

○代理母出産がただちに子の福祉を阻害し、生命倫理の秩序を阻害するとは言えない。

○遺伝子的な血縁上の親子関係が高田さん向井さんと双子の間にあることは疑いようがない。

○向井さんたちに養育の意思があり、その実態があり、その実態が継続されることが子の福祉にもっとも適うことは明らかである。

わりと裁判官は向井さんたちに寄り添っている印象を(個人的には)うけます。しかし、それでもなお冷静に判断して、「あきません」ということなのです。

注視すべきは、最高裁の要望として「代理出産という民法が想定していない事態が現実に生じている」と指摘し、幅広い観点から検討した上での立法措置を促しています。ちょっと簡単にはまとまりそうにない気がしないでもないですが。



余談ですがもしひっくり返らないで二審の東京高裁決定が確定すると、実は代理母出産をした子供について、代理母(子宮の母)と遺伝子上の母(卵子の母)の双方から自分の実子として出生届が届けられたとき、自治体はどちらを受理すべきか混乱してたはずです。これまでの分娩の事実によって母子関係を確定するとした62年の最高裁判例に従えば、子宮の母(代理母)が母親となりますし、東京高裁の結果では卵子の母が母親となりますから混乱が予想できました。既に他人の卵子を使っての人工授精が行われていましたし。ゆえに私は認めないだろうなー、と、うっすら予想してました。


私は代理母をつかっての卵子の母による出生届を認めることになると、分娩の事実はいらないことになり、つまるところ「他人の産んだ子でも遺伝的に親子であれば、実の親子と認める」ことになり妥当でないとおもうのです。前に書いたことの繰り返しになりますが遺伝子上のつながりを重視すべきという意見もわかるのですが子宮の母でなく卵子の母すなわちDNAを理由に実母と認める方向へいっちまうと、代理母以外の人工授精による卵子提供者、つまり卵子の母全員を実の親としなければなりません。それだけにとどまらず、精子提供者をも実父としなければ公平性に問題が出てきます。で、仮に代理母の存在をすっ飛ばして実子として戸籍に記載することになってしまうと卵子の母が子宮の母による子の出生より前に死亡した場合に問題が起きてきます。えっと、子の誕生日の前に卵子の母が死亡、というふうになるわけです。

また代理母問題自体のこととして、生まれてきた子は、複雑な親子関係を生まれたときから背負うことになります。代理母をつかって生まれてきたことが果たして子のためになるのかどうかはわかりませんが、自分の子供が欲しいというのは理解できなくもないですけど、実は親の単なる身勝手のようなもの、という気がしてならないのです。遺伝子を受け継いでいるといっても、個人として独立の意思を持ちうる存在です。複雑な事情を背負わせることが妥当なのでしょうか。



この問題、たぶん多くの人がそれなりの意見をもちうる問題です。ゲイの方面に片足を突っ込んで、結婚という2文字がちょっと遠い気がする私がいうのも変ですが。

意図的に家族を増やすというのは、それぞれのカップルに属する自己決定権のようなものであったりしますが、子供を授かることが権利なのか、それともそうでないかで結論が違ってきちまいます。代理母を選択する場合不妊症患者の中でそれしか選択がない、というのはわかってはいるのですが、反面、他に選択肢が無いならあれば何をしても良いのかといったら、違う気がするのです。生命を操作することに、果たして人間が関わっていいのかどうか?という、問いに行き着く気がします。

出産を考えている女性や、カップルで将来子供がほしいと家族計画を考えている男性にもちょっと考えてほしい問題であったりします。


で、一番恐れ、一番おっかないとおもうのは「代理母を認めないのは冷たい」といった感情論です。感情論では解決しない問題です。向井さんへの同情論が一時期あったみたいですが、やはりなんか、その風潮に危惧を覚えます。


以下後日追記

記者会見があったようです(四国へ行ってて知らなかった)。



代理出産の向井亜紀さん夫妻が会見 日本国籍取得を断念

2007年04月11日付asahi.com

 タレントの向井亜紀さん(42)が11日、米国人に代理出産してもらった双子の男児(3)との法律上の親子関係を認めなかった3月の最高裁決定の後、初めて記者会見をした。決定について「正直がっかり」と悔しさをにじませた。男児らの出生届を出すことを断念し、日本国籍は取得せずに米国籍のまま育てていくことを明らかにした。

最高裁決定後、東京法務局から「2週間以内に男児の出生届を出さないと、今後日本国籍を与える機会はない」との連絡があり、11日が期限とされたという。 しかし、向井さん側は出生届を出さなかった。法務局が、届け出の父親欄に高田さん、母親欄に代理出産した米国人女性を記入するよう指示してきたからだ。 指示に従って「母親」とすれば、訴えられる可能性がある。代理出産契約で、米国人女性には男児の親としての権利義務を一切負わせないよう取り決めているためだ。

また、最高裁決定の補足意見で、法的な親子関係を成立させるための選択肢として勧められた「特別養子縁組」をするには、子の「実の親」の同意が原則必要になり、やはり契約が壁となる。「高いハードルを感じている」と嘆いた。

男児は米国人として外国人登録し、この春から幼稚園に通い始めている。このため、具体的には、特別養子縁組のうち外国人を養子とする「国際特別養子縁組」が考えられる。この場合、米国法上は実の親の向井さん夫妻が「同意者」になり、同時に申請者にもなるという不自然な形をとって申し立てることを余儀なくされる。

「最高裁が特別養子縁組を認める余地はあると言った以上、申し立ては通るのではないか」とみる裁判官もいるが、家裁が認めるかどうかは、申し立ててみないとわからない。

補足意見について、向井さんは「調べてみると、大雑把な提言だった」と落胆を隠さない。特別養子縁組の期限は、向井さんの場合、双子の男児が8歳になるまでだ。

向井さんは「時間と労力をかけたのに得るものが少ない『社会科見学』だった」と裁判を振り返り、「代理出産に関する立法にあたっては、経験者の意思を聞いてほしい」と話した。

第817条の7〔特別養子縁組の成立基準〕

特別養子縁組は、父母による養子となる者の監護が著しく困難又は不適当であることその他特別の事情がある場合において、子の利益のため特に必要があると認めるときに、これを成立させるものとする。

第817条の9〔養子と実方との親族関係の終了〕

養子と実方の父母及びその血族との親族関係は、特別養子縁組によつて終了する。ただし、第817条の3第2項ただし書に規定する他の一方及びその血族との親族関係については、この限りでない。

ちと反応が遅くなりましたが、 解説というかなんというか。

記事を要約します。

(最高裁の立場)

父→高田延彦 母→向井亜紀 の出生届を受理させません

父→高田延彦 母→ネヴァダ州の代理母 の出生届は受理可能ですよ、と。それを14日以内に出しなさい、ということでした。

しかし、日本の書類にネヴァダ州の代理母の名前を書くことは代理母との契約上できないです、と。

(推測ですが更にネヴァダ州の判決があって、アメリカでは

父→高田延彦 

母→向井亜紀

で認められている点もあります。たぶん、その判決をたてに代理母はサインを抵抗するでしょう。サインしたら判決を破ってしまうからです)


三月の最高裁の決定で裁判官の補足意見として、特別養子の制度がありますよ、というように述べられていました。それなら、親子と同じじゃないですか?という助言です。実際、家庭裁判所は申立てにより養子となる者(この場合は双子)とその実親側(最高裁の立場にたつとネヴァダ州の代理母)との親族関係が消滅する養子縁組(特別養子縁組)を成立させることができます。本来特別養子縁組とは原則として6歳未満の未成年者の福祉のため特に必要があるときにに未成年者とその実親側との法律上の親族関係を消滅させて、実親子関係に準じる安定した養親子関係を家庭裁判所が成立させる縁組制度です。そのため養親となる者は配偶者があり原則として夫婦共同で養子縁組をする必要があります。

日本の民法に従えば養親となる者、養子となる者、養子となる者の実父母(法定代理人)の戸籍謄本、とかがあれば良いのです。

ところが双子には母親が誰だかほんとは確定してない状況なのです。

日本では向井さんたちの子ではない、とされていますが、ネヴァダ州では判決でもって向井さんたちの子であります。アメリカ国籍の双子の母は向井さんで実親としてその書類を添付し、向井さんが養親として双子の面倒を見ますという申立てをすることになるカタチ、養親と実親が同じ名前、ということになるわけです。一種の双方代理のような状況になってしまうので難しい、と。

記事にあるように最高裁の判事が補足意見を出してるのでとうらないわけではなさそうなんですが、考慮はしても必ずしも同じ判断をするとは限らないのです。

なんか解決策があるか、というと、ない気がします。ダメモトで申し立ててみるか、なんですが。

こうなってくると出生届が認められないままより東京高裁のように出生届を受理させてしまった方が双子の救済としては資したのではないか、という意見はもっともなんですが、やはり繰り返しになりますが遺伝子上のつながりがあるとはいえ冷静に考えるとアメリカでアメリカ人が生んだ子でそれを認めるアメリカの判決があるので日本人の実子と戸籍に記載せよ、というのは、向井さん側の事情を斟酌しても、母子関係の確定は「実親子関係が子の福祉に深くかかわるものであり一義的に明確な基準によって一律に決せられるべきであることにかんがみると」(←判決より引用)分娩の事実によってなされるべきであってちと認めることは認めるのは妥当じゃないでしょう。

個人的感想をいえば、ややこしくしておいてなんでまた変なことを云うのだ、という気がするのです。

「時間と労力をかけたのに得るものが少ない『社会科見学』だった」というのは、その発想の凄まじさに唖然とするばかりなのですが。判決全文を読んで云ってるならなおのことです。

云うてはならないひとことというか、関係していた品川区や法務省、裁判官、弁護士をちょっとコケにした発言だとおもいます。

2007-03-05

[]向井さんのドラマのあとに


代理出産、営利目的は禁止  産婦人科医師が法制化に私案




代理出産を5例実施したと、国内で唯一公表している諏訪マタニティークリニック(長野県下諏訪町)のN院長が25日、東京都内で開いた生殖補助医療を推進する医師や患者の集会で、代理出産の法制化に向けた私案を公表した。代理出産は当面、妻が生まれながらにして子宮がなかったり、がんなどで子宮を摘出した夫婦を対象とし、夫婦の受精卵を代理母の子宮に移植して産んでもらうケースに限定、営利目的の代理出産は「刑罰によって禁止すべきだ」とした。代理出産を中心とした生殖補助医療の法整備をめぐっては、法相や厚労相の要請を受けて、日本学術会議が先月から、1年かけて検討を進めている。今回私案を公表したのは、不妊に苦しむ患者と接してきた経験に基づく意見を同会議の議論に反映させる狙いがある。さらに、精子卵子を第三者に営利目的であっせんするという、自称精子・卵子バンク業者が現れており、代理出産からこうした業者が参入するのを防ぐ目的もある。私案では、代理出産は「ボランティアで行うもの」として、代理母への金銭補償は、妊娠や出産にかかる医療費や交通費などの実費、妊娠期間中の収入補てんなどに限定。ただし、「10万〜20万円程度」の常識の範囲の謝礼は受け取れるとしたが、代理母は金銭要求する権利はないとした。営利目的の代理出産にかかわった医師や業者、依頼した夫婦ら関係者すべてに刑事罰を与えるとした。また、依頼した夫婦が子どもの引き取りを拒否したり、事故で亡くなって引き取ることができなくなった場合には、代理母の権利として、妊娠22週未満なら人工中絶を認め、それ以降や産後には子どもを養子に出すことができるとした。将来的には、依頼夫婦と代理母が届け出て、あっせんを受ける、準公的な「代理出産仲介センター」の設置も求めている。

代理出産→病気などで子宮を失った女性に代わり、第三者の女性に妊娠、出産してもらうこと。夫婦の体外受精卵を第三者の子宮で育てる場合と、第三者から卵子の提供も受ける場合がある。国内では2001年に諏訪マタニティークリニックが実施を公表したが、厚生労働省審議会が03年に禁止の方針をまとめている。

2007年2月26日付読売新聞より転載

向井さんのドラマが放映されるからか、こういう記事が載っていました。ついでにいうと向井さんのドラマを見ていません。たぶん美談に作ってあって、見た人はおよそ日本の国は生殖医療について無理解で、法律の整備も遅れてる!とか憤慨してると思います。個人的に一番恐れ、一番おっかないとおもうのは「代理母を認めないのは冷たい」といった感情論です。これをつきつめると、法律の原則論に拘り続けて向井さんのような環境におかれた人々の幸福追求権を無視することによって、「例外を認めれば幸福になれる善良な市民」を不幸の奈落の底に突き落とす権利は誰にあるのか、という問いになるとおもいます。もちろんそんな権利、誰にもありませんし、そのような主張が必ずしも代理母を認める論拠になるとは思えなかったりします。

念のためもう一度付記しておきますが、我が国においては法律上は代理出産は禁止の明文の規定はありませんが肯定をしてる明文の規定もありません。


私は代理母について不妊治療の文脈で語られることに違和感があります。

代理出産で妊娠・出産するのは誰かというと「代理母」です。代理出産は治療でなく善意の健康な第三者を巻き込み機能を肩代わりさせるための技術です。逆に、不妊治療で妊娠・出産できるようになるのは誰かというと「治療をうける本人」です。

あえて申し添えたいのは他人の体を借りて出産してもらい子供を貰い受ける行為が国としての法律と認められて、はたして良いことかどうなのかを考えてみていただきたいと思います。確かに望めば望むだけ技術があり第三者のものを借りても子供を授かることが可能ではあります。しつこいようですが代理母出産は、最悪の場合は死んでしまうことさえある妊娠、出産のリスクを他人に負わせることです。それも法律で是認してしまってよいのでしょうか。

自分の子供が欲しい、というのは理解できなくもないですがそれを少なくとも不妊治療の文脈で語ることはちょっとおかしいのではないかと思います。治療なのでしょうか?私は治療とは思えないのですが。またちょっと臓器移植に似てくるのは代理母になろう、という人に対して善意を要求して点です。代理母の行為を殊更ヒューマニスティックなものと位置づけ、「犠牲的愛の精神」に基づく、人助けの医療であるという風にするのは危険だと思います。




代理母から生まれた子が障害を持ってたとき依頼者が引き取らない可能性の問題などもありますがそれはさておき、上記の私案において一番引っかかるのは依頼した夫婦が引取りを拒否した場合に代理母が権利として養子に出す権利や中絶を認めてるところです。もちろん現行の民法や母体保護法において養子や中絶は認められてはいます。ただあくまでもそれは妊娠した本人の自己決定であって、依頼したほうの都合によって母胎に中絶の施術をしなければならなくなったり、依頼者の都合で産まれてきた子供の生命や権利が左右されてはたしていいのか?という疑問があります。私はそのようなことを危惧するくらいなら代理母制度など必要は無いのではないかと思えて仕方ないのです。

憲法の条文に「代理母」を認めうる根拠を見いだそうとするならば、やはり憲法13条の「幸福追求権」を引用するしかないと思います。代理母出産を用いて子供を産むかどうかは、まさしく個人の自由の範疇に属する事であり、およそ国による原則禁止といった包括的な干渉が許されないようにも考えられます。つまるところ代理母による出産は代理母になろうとする女性自らの身体を自らの意思によって使用する権利、生殖についての自己決定に基づくものであり、また依頼主にとっても、家族の形成・維持、生殖にかかわる自己決定ゆえに、国家がこれを一律に禁止することは、こうした自己決定を否定することになるといえばそうなのです。認めざるを得ないのかもしれません。ただ確かに子を産み育てるその決断等は本来確かに法律が干渉する分野ではないでしょうし子供が欲しいという願望がわからないでもないですが、それでもなお、生まれてくる子供の幸福追求権や福祉に影響を与える可能性があるくらいならば代理母制度は認めないほうがいいのではないかと思うのです。


付随して実の子として認めるか否かの問題もあります。日本の現行法上は日本においては提供された卵子であろうと精子であろうと、日本では基本的には子宮の母が原則生まれてきた子の母、ということになりますがこの原則はたぶん崩れることは無いのではないかと思います。単に遺伝子を受け継ぐ子供というか事実として代理母による出産というのは例がなかったわけではありません。その場合は子宮の母が実母の扱いで、卵子の母の養子となる、という方法をとります。代理母による出産を経てその自分の遺伝子を受け継ぐ子を実の子供として届け出した向井さんの件でDNAなどをもとに遺伝子上のつながりを重視すべきという意見も市井にはあったのですが、子宮の母でなく卵子の母すなわちDNAを理由に実母と認める方向へいっちまうと、代理母以外の卵子提供者つまり卵子の母全員を実の親としなければなりませんしそれだけにとどまらず、精子提供者をも実父としなければ公平性に問題が出てきちまいます。そこらへんが悩ましい。で、仮に代理母の存在をすっ飛ばして実子として戸籍に記載することになってしまうと卵子の母が子宮の母による子の出生より前に死亡した場合に問題が起きてきます。えっと、子の誕生日の前に卵子の母が死亡、というふうになるわけです。亡母を父母欄に記載することが困難だとおもわれます。


この国の社会は子供のある家庭を標準的な家庭としてとらえ、つくられています。子供を産まないと一人前でないという考えも根強かったりします。願わくば多様な選択肢を選べる社会が一番ですが子供のいない人を特別視しない社会になってほしいとはおもいます。それが一番の解決策のような気がします。

http://d.hatena.ne.jp/gustav5/20061209/

↑お暇でしたらこちらもおよみください

2006-12-09

[][]向井さんの件についての補足


時間があったので、実はこの件についてキチンと考えようと思って、再度判決文を読みました。事件の概要と、

前回触れたのは

こちら

判決文はこちら



おさらい

03年11月、米国ネバダ州で、代理出産で双子の男の子をもうけ、翌年1月22日に品川区に「実子」とする出生届を提出した。同区役所は預かりとして法務省の判断を仰いだが、同年6月9日に不受理の通告を受けた。

夫妻はこれを不服として処分の取り消しを求める申し立てをしたが、東京家裁は昨年、申し立てを却下。このため夫妻側が抗告していた。

関西地方在住の日本人夫婦が同様のケースで国と最高裁まで争い、昨年11月に不受理が確定した経緯もあった。それだけに今回の家事審判の成り行きが注目されていた。

(今回)東京高裁は29日の決定で「ネバダ州の裁判所が向井さん夫婦と子供の親子関係を認める判決を出しており、この裁判結果は日本でも承認される」として、東京家裁の決定を取り消し、品川区に出生届を受理するように命じた。(9月30日付スポニチより転載)




えっと、勉強不足で申し訳ないのですが、向井さん側の前例を外れた規定違反の届出だけど子の福祉をひとまず優先させるため、大岡裁きじゃないけどある意味特例で受理命令が出たのかなと私は勘違いしていました。

恥じ入るのみです。

新聞の判決要旨しか見てなかったのですが、今回キチンと読んで、それが全然違うことに気がつきました。すくなくとも東京高裁は代理母については明確に正面からは認めていませんです。



まず事実として

1、代理出産を行ったアメリカのネヴァダ州の裁判所で向井さんと高田さんが法律上の母親と父親であることが認められている

2、その出生証明書が発行されている

というのがありました。

民事訴訟法118条というのが有って、外国裁判所の判決は要件を備える限りは日本国内でも効力を有する、というのがあります。ただこのなかに公序良俗についての規定があって、品川区としては分娩というか子宮の母じゃない向井さんを母として認めない、という態度を崩しませんでした。


で、裁判で争われている趣旨は、外国であるネヴァダ州裁判所の確定判決を民事訴訟法118条に適合するものとしてわが国で受け入れるか否かであって、えっと、代理母を認めるかどうかとは別の問題なのです(私はこの点を多少誤解してました)。問題はアメリカの判決を日本の国内法に則って承認するかしないかで、それを向井さん夫婦が求めてるわけです。ネヴァタ州で判決がでているのだからそれを尊重して外国判決についての民事訴訟法118条の適用というか類推適用がされるべきだ、という主張ですね。東京高裁はその主張を認容できるかできないかを審議した上で認容との結論に至り、ネヴァダ州の判決を承認して出生届の受理命令が出たということです(高裁決定の通りに、ネヴァダ州の裁判所の命令に従って、実子として品川区が出生届けを受理すれば話は早いけどそうはいかずに承認された外国判決が日本の民法の母に関する取り扱い内容と不一致という初のケースに戸惑った行政側が現在最高裁の判断を仰いでいるところですが)。




ものすごい長い判決文を読んでいただけると判りますが、キモというかなんというか、争点は「代理母出産の公序良俗性及びそれによる子の実子認定」ではなんかではなくて、「ネヴァダ州で法律上の父母とされた向井さん夫婦を日本法上でも法律上の父母とすることが公序良俗に反するか」どうかに絞られていて、東京高裁は代理母出産はわが国における民法上の公序良俗(民法90条)に反するとしつつ、日本の民法における母子関係認定は「分娩者が母」であるという原則を崩さずに外国の判決を承認することで向井さんを法律上の母とすることを可能にしています。

またネヴァダ州のほうで子宮の母が実の母でないことが確定して、品川でも向井さんが母として確定しないとなると法律上の母が居ませんから、まずい。そのため、高裁決定の文中において「本件子らの福祉にとっては,わが国において抗告人らを法律的な親と認めることを優先すべき状況となっており」と述べてます。

これらの点はもっともだと思います。

ついでに言うと、ネヴァダ州で実子という判決が出てますから、いまここで向井さんが子供たちを養子にしようとすると民法の規定からしてこんどは実の子ではないという裁判をおこさなきゃいけない、という、摩訶不思議な状態になることになります。ここらへん、すごく微妙なところに子供たちは置かれています。考えちまうんですが。

再度の指摘になりますが「民法制定時に想定されていないからといって、人為的操作による妊娠、出生すべてが法秩序に受け入れられない理由にはならない」と指摘した点も画期的だと思います。そのとうりにしたら、実は収拾がつかなくなるおそれはありますけど。



個人的にはやはり代理母の制度は良いことではない、とおもっています。九月末と考えは変わらないです。

どちらかというと生命を人間がコントロールしていいのか?というような倫理観生命観の問題に最後はなってくるのですけども、少なくとも法整備がキチンとなされるまでは規制すべき事柄じゃないのかな、という気がします。産みたいけど病気で産めない、という女性の悲痛は感情的にはわかりますが、少なくとも今の法制度では代理母から生まれた子に対して万全な法整備がなされていないからその立場は不安定で、それが子供のためになるとは思えないからです。

また誤解を怖れずにいえば代理母の問題は付言すれば純血思想というか養子と実子との差の問題が日本人の中に深く横たわってて、厄介だと思うのです。養子ではなく、実子が欲しい代理母の心中が多少はわかるつもりですが、私は代理母を簡単に容認できる社会というのは多少怖い気がします。代理母を選択する女性を批難するつもりはないのですが、やはり血のつながった親子というのは、血のつながらない親子よりも勝るものなのでしょうか。

性行為をしても破瓜があるわけでもなく、出産の苦しみが体験できない男が何をいってもムダなのかな、という気がしますが。

桜井桜井 2006/12/10 15:32 まだ纏まっていないのですがコメントしています。

代理母側のほうはともかく、頼んだ側のほうで疑問がひとつ。
実子であることに何故そこまでこだわるのかという点。自分の子じゃないと愛せない?法律上の不利が赦せない?(あるのかどうかはいまいちわかりませんが)
法律云々は私には全くわかりませんが、なんか心理的に理解しずらいです。愛した男の子供を残したいまではわかるんですけどね。
うーん、やっぱり上手く纏まりません。

どーでもいいですが、コメント欄が広くなって書きやすいです(笑)

グスタフグスタフ 2006/12/10 23:34 桜井さんこんばんは

我々日本人は「できちゃった」とか「子供をつくる」っていうのです。どこか工作物的感覚なのです。愛せないわけじゃない、とおもいたいのですが、工作物的感覚がある限り、自分たちに子供が「作れて」あたりまえって感覚は抜けないと思います。あたりまえだから、実子にこだわるのかなあ、と、おもうのです。
それと自分の遺伝子を受け継いだ子を育てたい、ってのは感情的にあるんじゃないかと思いますです。これは愛した男の子供を残したいってのにも関連するとおもいます。
ただなんとなく実子至上主義、みたいなところに私も違和感を覚えています。



また、推測に過ぎないのですが、日本の場合、天皇家が血筋を重視してることが影響してるとおもうのです。血筋至上主義というかなんというか。極端なはなし、あの家はずっと血筋が絶えてないですよね。
家を中心とした、保守的な考えがまだ日本には残っていると思うのです。仮に養子という選択肢を取ると血筋が絶えますから実子というのにこだわりがあるんじゃないかと思います。

養子となると、特に不利な点は無いはずです。相続等も実子と同じです。ただ、婚姻と同じで離縁ができます(未成年の場合は相当ハードルを高くしてます)。実子の親子関係は離縁がありえません。たぶん相違点はそれくらいのはずです。

ちとコメント欄が大きいテンプレを導入してみました。暫らくこれで行くつもりでおります。


まとまりのないレスで申しわけありませんです。
コメントありがとうございました。

2006-10-17

[][]諏訪の事例

生殖医療の専門家ではないからどうしようかとおもったのですが、エントリを起してみます。



50歳代の女性、娘夫婦の受精卵で「孫」を代理出産・院長会見

 諏訪マタニティークリニック(長野県下諏訪町)のN院長は15日、東京都内で記者会見し、50歳代後半の母親が昨年春、出産できない30歳代の娘に代わって娘夫婦の受精卵を使って代理出産したことを明らかにした。公表された国内での代理出産で祖母が孫を産んだ例は初めて。代理出産は学会が指針で禁じているが、N院長はこれとは別に実妹と夫の義姉が産んだ2例も新たに公表した。

 代理出産を依頼したのはともに30歳代の娘夫婦。結婚後、娘は子宮がんのため子宮の摘出手術を受けていた。娘夫婦の卵子精子体外受精させ、その受精卵を娘の実母の子宮に移植、2005年春に出産した。生まれた子供は実母の子供として届けられた後、娘夫婦と養子縁組した。

(10月15日付けNIKKEI NETより転載)

解説すると、夫と妻が体外受精を行い、妻の母親が子宮を提供して出産した事例です。えげつない表現で恐縮ですが、いわゆる「借り腹」ですね。産まれた子供は妻の母親(子宮の母)の子供として出生届けが出され、そのごに妻夫婦(卵子の母の夫婦)の養子になってます(もう少しわかりやすく説明すると、タラちゃんを産むに当たり、ますおさんとさざえさん夫婦が精子と卵子を体外受精させてフネさんの子宮の中にいれて出産した、といえばわかっていただけるでしょうか)。

養子縁組することで嫡出子たる身分を取得し、普通の子とほぼ変わらない法的状況に置かれます。ただし離縁するまでは、という留保は付きますが。

したがって、産まれてきた子供は妻と兄弟姉妹関係になりますし、同時に年下の弟か妹を子供として育ている状況になります。

向井さんの事例と違うのは、この方たちは自分たちの遺伝子を持つ子を自分たちの子として出生届をだすことを諦めて養子という手段を使って実利をとったことになります。

ひょっとして、娘夫婦の母が代理母になったことについて、抵抗を感じた方もいるとおもいます。私も同意見です。ただ、ここらへんは感覚の問題かとおもいます。例えば日本だといとこ同士の結婚は別に普通ですが中国だと奇異の目で見られるのと同じです。


なお、付記すると、未成年の養子というのは家庭裁判所の許可か必要なんですがその基準は子供の福祉を害しないかどうかといった単純なものになります。たぶん普通養子というカタチをとったとおもいますが、そうなると実親(ここでは子宮の母)との親子関係も実は存続してます。離縁も可能なのですが、その場合遺伝学上どうみても子と卵子の母は親子なのに親子関係が終了するという不思議なことになります(不都合はないのですが)。

また、日本国内でこれが法に触れるかというと、触れないはずです。強いて言えば代理母を原則禁止している産婦人科学会から病院に圧力がかかるくらいですが、既にこの諏訪の病院は除名されてまして(2001年に姉妹が借り腹を名乗り出て実施)、いまさらであったりします。



癌などの病気により子宮に支障がある場合こういった方法をとらざるをえないと判ってはいますが、代理母の場合はメリットは依頼者にデメリットは依頼された側に発生してしまいがちでこれこそが一番の厄介です。

また、考えなければならないは、生命の人為的操作が許されるかどうかなのです(つきつめれば人間の意志によって生命を左右してるわけです)。日本独特の血筋に執着したがるというのはなんとなくわかりますし普通ならば子供を産めないカップルが、先端医療の力を借りて新しい生命を授かるということは確かに当事者にとって喜ばしいことなのかもしれませんが、それがほんとに良いことなのかどうかという点です。私は明確な答を持っていませんけども。また、生殖医療を否定しようという気持ちにはなりません。ただ、正直にいって代理母(借り腹)という事態に抵抗はあります。

子孫を残すことだけが、女性の存在価値じゃないと私はおもいます。代理母や、これらの問題を論ずるときに気をつけなければいけないのはそこの問題で、すべての女性が子供を産む産まないの選択を主体的にできるようになることは理想的であるとおもうのですが、実は産めない体でもそれはまったくおかしなことではない、というふうになるべきなのではないかと正直おもうのです。この点実はこの件や向井さんの件が美談になってるのがなんとなくおっかないとおもっているのですが、私がどんなに頑張っても子供を産めない男であるからほんとは何もいえる資格はないのかもしれません。

2006-10-10

[][]許可抗告


タレントの向井亜紀さん(41)が米国の女性に代理出産を依頼して生まれた双子の男児(2)について、東京都品川区側は10日、双子の出生届を受理するよう命じた東京高裁決定を不服として、最高裁に許可抗告した。

東京高裁は先月29日の決定で、「法制度制定時に、人為的な操作による出生が想定されていなかったからといって、我が国の法秩序の中に受け入れられない理由とはならない」とした上で、「向井さん夫妻が双子の法律的な親となり、実子として養育することが、子供の福祉に最もかなっている」と判断。同区長に出生届を受理するよう命じた。

しかし、法務省は従来、「民法の解釈上、母子関係は出産によって生じ、代理出産による母子関係は認められない」との立場をとっており、高裁決定を検討した上で、許可抗告を行うよう同区に指示していた。

          10月10日YOMIURU ONNRINEより転載



うまれた子には罪がないのですが、かといって、ここでこういった事例を確定してしまうと、後々混乱するのが目に見えてますので、抗告するだろうな、と、おもってたらほんとに抗告しました。

「許可抗告」は憲法違反ではないが、判例違反や法令解釈上の重要な問題が含まれていると高裁が認めた場合に最高裁に抗告が許されるものです。

個人的にはひっくり返すというか、向井さん家族にはつらい結果になりそうな気がします。

えっと、いまの民法はしつこいようですが子宮の母と卵子の母が同一であることを前提にしています。この事例を確定して認めてしまうと卵子の母も自分の子と主張することが可能ですし、子宮の母も自分の都合でうまれた子を自分の子でないと主張することが可能になってきてしまうからです。

2006-09-30

[][]代理母の問題


一応触れておきたいと思います。タレントの向井さんの代理母の問題です

事実関係のおさらい


03年11月、米国ネバダ州で、代理出産で双子の男の子をもうけ、翌年1月22日に品川区に「実子」とする出生届を提出した。同区役所は預かりとして法務省の判断を仰いだが、同年6月9日に不受理の通告を受けた。

夫妻はこれを不服として処分の取り消しを求める申し立てをしたが、東京家裁は昨年、申し立てを却下。このため夫妻側が抗告していた。

関西地方在住の日本人夫婦が同様のケースで国と最高裁まで争い、昨年11月に不受理が確定した経緯もあった。それだけに今回の家事審判の成り行きが注目されていた。

(今回)東京高裁は29日の決定で「ネバダ州の裁判所が向井さん夫婦と子供の親子関係を認める判決を出しており、この裁判結果は日本でも承認される」として、東京家裁の決定を取り消し、品川区に出生届を受理するように命じた。(9月30日付スポニチより転載)


民法といいますのはわりと意思によって形成される法律関係という側面がありますが、親子関係は例外でして、意思があまり関係ありません。生物学的親子関係がそのままスライドして法律的親子関係を認めることがおおいです(養子を除けば)。至極当たり前のこととして、母親と子供の関係は分娩の事実によって親子関係が成立するという考え方がありますし、それを争った裁判もあって、判例もあります(最判S37年4月27日民集16−7−1247)。


ところが代理母の問題というのは、至極当たり前とおもわれてたことを覆す事態を誘発します。

今までも卵子は妻のものということを前提に夫の精子を用いての人工授精や匿名の男性からの精子を利用した人工授精による出産というのはあって、更に夫の精子を使いながら卵子を別の女性から提供をうけ体外受精による出産という事例はありました。また長野県下で、夫の精子と妻の卵子で体外受精させ他人の女性に出産してもらうという事例もありました。向井さんの事例はこの長野の事例にほぼそっくりです。遺伝子レベルでは親子関係が認められるでしょう。上の記事で触れてる最高裁の事例というのは卵子提供者も他人であって、かつ代理母が出産して、依頼人と産まれてきた子供の親子関係を認めなかったケースです。

で、向井さんの子供たちはネバタ州の裁判で親子関係を認められてますし、また日本では親子関係と認められず、代理母の子であることを前提に日本国籍が認められないという不利益が今まであったのですが、裁判所は「向井さん夫妻に養育されることが最も子供の福祉にかなう」と柔軟に判断し、国内でも米国の裁判結果の効果が生じると結論づけています。現にそこに居る子供の福祉を考えるとき確かに裁判所の判断は妥当といえる余地はあります。


今回の裁判が個人的にすごいなとおもうのは「民法制定時に想定されていないからといって、人為的操作による妊娠、出生すべてが法秩序に受け入れられない理由にはならない」と指摘した点でしょうか。あー、じゃあ、前にもここでとり上げた松山の死後生殖の件なんかと微妙に違ってくるんじゃないか?とはおもいます。そのことがあるのでたぶん品川区側は特別抗告して最高裁の判断を仰ぐとおもうのですが。


私が保守的なのかもしれませんが、実は個人的には今回のような代理母があまり良いことだとは思っていません。

父子関係というのは悲しいかな推定に基づくものが中心になりますが、母子関係は違って今まで生殖なり出生の事実をもって生物学的親子関係がそのまま法律的親子関係にスライドして母子関係を認めてきたのですが、事実に基づかない母子関係というのは最近まで全く予想だにできなかった事態です。今回のような代理母という手段は、究極的には子宮の母は自分の子ではないということはできませんし卵子の母は理屈の上ではDNA鑑定によって自分の子であると云うことが可能です。このような状態で生まれてきた子供たちは親の意思によって母が変わるという法的に曖昧な身分に置かれます。自然生殖による子供と同じ安定性を代理母から産まれた子供たちが欠くことは、憲法が重視する平等公平の原則に反してきてしまいます。それが好ましいこととは思えないので私は子宮の母が実の母とすべきではなかったか、とおもうのです。ひょっとしたらこのような意見は少数派でしょう。


癌患者をみてきてしまったので、向井さんの苦悩や意思は理解できます。

しかしながらほんとに今回の裁判の結果がほんとに良かったのかなというと、多少の疑問符がつきます。

コロンコロン 2006/10/04 00:45
提供された精子での出産と提供された卵子での出産でどうしてこうも扱いが異なるのか、いくら説明されても理解できないでいます(笑)この記事を読んでなるほど、そうなんですかとちょっと思ったり。
さて、代理母なんですが、認めるなら認めるで詰めていかなくてはいけない問題が山積みですよね。生まれた子どもが障害を持っていたらどうするか、とか、では、どこからを障害と認めるかとか。生物学上の両親が受け取りを拒否したらどうするかとか、代理母が引き渡しを拒んだらどうするかとか。日本では出産で10万人に一人ぐらいは亡くなっているらしいのですが、(ということは、何らかの障害が残る可能性だってあるわけですよね)そういう場合はどうするかとか。全てが無事すんだとしても、代理母の心的外傷なんてものも問題になっているわけですし。いろいろ考えると認めないほうが簡単と言いたくなる向きもあるんじゃないかと思います。でも、まるで認めないとなると、結局その諸問題を今回のように外国に丸投げすることになるんですよね。それもよくないことだよなと、思うんですよね。
興味深い話だし、もっとコメント書いてくださる方がいるといいんですけどね。
記事が裁判関連の観点からのアプローチを前面に出していると、コメントしにくい読者さんが多いのでしょうか。
でも、これがグスタフさんのブログの持ち味ですよね(^^

グスタフグスタフ 2006/10/04 20:54 分娩の事実が明らかでも、生物学的親子関係が有るかどうかという点で代理母の問題が出てきます。

よくあるパターンとして
1、夫の精子と妻以外の卵子で体外受精させて妻が出産
2、夫の精子と妻の卵子で体外受精させて第三者が出産
3、夫の精子を妻以外の第三者に注入して妻の代わりに妊娠出産
というのがあります。
この場合1と2は子宮の母と卵子の母が違ってきます。
原則民法は分娩の事実により母子の親子関係を考えてきましたからここで問題が起きます。更に3の場合は子宮の母と卵子の母は一緒なんですが依頼者が法律上の母として名乗ることがどう考えても難しくなります。
話をややこしくしてるのは専門的には2をよく借り腹、3を狭義の代理母とよび、2と3をあわせて代理懐胎とか広義の代理母と呼ぶことがあります。向井さんのケースは2の借り腹ですね。私は言い方がえぐいと思ったので本文では借り腹という表現を使いませんでした。

今まで本文であげたように卵子は妻のものということを前提に夫の精子を用いての授精(1のこと)や匿名の男性からの精子を利用した人工授精による出産(1に類似)というのはあって、更に夫の精子を使いながら卵子を別の女性から提供をうけ体外受精させて妻が出産という事例(1に類似)はありました。今のところ法律は規定がありませんが、医学のほうでは事実上1に関することはほぼ黙認されてるようです。えっと第三者の卵子や精子の利用も限定的に認めてまして、そのかわり2の長野や向井さんのようなケースは日本では認めてないようです。たぶん2と3のような広義の代理母は認めない方向は堅持しそうです。流れとしては、ですが。

えっと、提供された卵子であろうと精子であろうと、日本では基本的には子宮の母が原則生まれてきた子の母、ということになります。この原則を守る限り本文中の関西の事例は第三者が出産してますからたぶん依頼者の子供とは永遠に認められないとおもいます。向井さんは北米で第三者が出産して向こうで裁判をして自分の子であるという根拠を示して日本に持ってきたに過ぎません。たぶん品川区も争うとおもいますが、子供と向井さんに悪いけど最高裁では認められないんじゃないかと私はおもいます。


米国の事情を実は詳しくは知りませんが、コロンさんがおっしゃるように諸問題は発生していると思われます。ただ、日本においてはどうも受け入れられそうにない気がするのです。代理母という制度が。生命に関する契約などが公序良俗に反する、といわれるとたぶん言い返せないのではないでしょうか。
確かに諸外国に押し付けておいても良い問題ではないのですが。


あー、コメントについてですが、たぶん私の本文の書き方に問題があると思っています。気をつけているのですが論旨が多少不明確だったり、ややこしかったりするとおもうのです。
ただこういうことが起きてるのだということが読んでる人にわかれば良いやという感覚で、裁判系のエントリは書いてますです。



コメントありがとうございました。

2006-09-04

[][]冷凍精子児童認知事件最高裁判決

西日本在住の40代の女性が夫の死後、凍結保存していた精子を使った体外受精で産んだ男児(5)が、亡くなった夫の子と認知するよう国に求めた訴訟の上告審判決が4日、最高裁第2小法廷であった。

 中川了滋裁判長は、「死後生殖は現在の民法が想定していないもので、親子関係を認めるか否か、認めるとした場合の要件や効果を定める立法がない以上、法律上の親子関係は認められない」と述べ、認知を認めた2審・高松高裁判決を破棄、男児側の請求を棄却した。これにより、男児と夫に法的な父子関係が認められないことが確定した。

 凍結精子を使った死後生殖で生まれた子の認知について、最高裁が判断を示したのは初めて。同種の二つの訴訟では、東京、大阪両高裁が請求を棄却(いずれも上告中)しており、判断が分かれていた。

 判決などによると、女性の夫は白血病の治療を受ける前に精子を凍結保存し、1999年に死亡。女性はその後、体外受精を受けて妊娠し、2001年5月に男児を出産した。

 女性は、男児を夫婦の子として出生届を提出したが、受理されなかったため、認知を求めて02年に提訴。1審・松山地裁は請求を棄却したが、2審・高松高裁が認知を認めたため、国側が上告していた。

( 9月4日付YOMIURI ONLINEより転載)


ちょっと前にエントリを起したことがあるのですが、白血病治療に先立ち冷凍保存していた夫の精子を使って、夫の死後300日経過後に子供を出産したケースです(死後300日以内なら夫の子として出生届が出せたがこの場合できない)。で、嫡出でない子である生まれた子供を死んだ夫の子として認知してほしい、という訴えを起しました。民法は親の死から3年以内であれば死後の認知を求める訴えを起すことができまして、それにのっとって松山地裁に提訴していました。民法は親が生きていた状態での懐胎を前提としていまして、こういうケースを想定していません。現行民法の想定外の親子関係の解釈と、死後の体外受精(死後生殖)に対する亡夫の同意の有無が争点となりました。民法の規定で被告となった検察側は、死後生殖?による親子関係は、現行では認められないと主張し、これに対し女性側は、今回の事態を「想定していないのは法の不備」と主張して男児がすでに生まれた以上は認知して出自を知ることや様々な権利を保障し(たぶん子供の権利条約を意識)子供の福祉を守るべきと訴え、さらに女性側は亡夫に生前「自分が死んでも子供を産んでほしい」と頼まれたと主張。検察側は死後の体外受精に関して生前の同意については精子を保存する際に亡夫が医師と交わした「死後は廃棄」と記した書面を挙げて否定しました。

たぶん子供は遺伝学的には死亡した夫の子であるのですが、第一審の松山地裁は認知の前提となる血縁上の父は純粋に遺伝学的なものから決定するのではなくて、社会通念に照らして個別に判断すべきとし、このケースにおいては死んだ夫を法律上の父と認めるには躊躇するとして認めませんでした。また、法律上の父子関係を認めることが子の福祉に関わるとはいえないともしていました。確かに死んだ父から扶養を受けることはあり得ませんし、その相続人にもなれない(夫の死亡時つまり相続開始時に存在してないとまずいのです)ことを考えると確かにそうであります。

ところが控訴審である高松高裁は逆に死亡した夫の子であると認知する判決を下しました。死後の認知は夫の生存中に懐胎したことが前提という要件はないとしてです。民法787条の条文をそのまま単純に素直に読むと高松高裁の判決は妥当です。

高松高裁のあと、最高裁に係属して今回の判決が出てきたわけです。

ずっと考えてたわけではないのですが、ここでこういった最高裁の結論が出ました。

最高裁の判決が私は直感的にどうかな?とはおもいます。


もし仮に夫の死後にこのような冷凍精子を使った子供の出産があり死後認知を認めてしまうとたしかに法的安定性を考えると好ましくないです。ただ産まれた子供に責はなくて、DNAなどの証拠主義というところからも強制認知を認めない理由ってないような気が個人的にはします。


強制認知の法的性質は訴訟という手段を用いて強制的に父子関係を確定する制度であり、父の意思の反して父子関係を認めさせる訳ですから、基本的に相続とか扶養といった財産的効果を実現する手段として意味があるんで、認知のメリットについて最高裁が判決理由の中で判断するのは確かに正しいとは思うのです。ここで強制認知について認めても確かに財産的効果は薄いかもしれません。

ただ、そういう問題なのかなぁ?という根本的な疑問が私はあります。嫡出子でないことは子供に責があるわけではないのです。強制認知制度の理念は、実は責のない子の有形無形の利益を守るためのものであって、財産的効果はその効果に過ぎないとおもうのです。

たとえ財産的効果がなくとも、私は認めるべきであったのではとおもいます。

もしよろしかったら考えてみてください。

前にも書いたのですがこれは正解が無いような気がします。

こういった案件のときに認めてもいいことなのかどうか?とかです。

先端の医療が目の前にあるのに、法整備がおいつかない現状で、こういったことは誰にでも直面しうると私なんかは愚考します。



参考までに↓

第七百八十七条 子、その直系卑属又はこれらの者の法定代理人は、認知の訴を提起することができる。但し、父又は母の死亡の日から三年を経過したときは、この限りでない。


以下後日追記



[][]冷凍精子児童認知事件最高裁判決全文

さらに死後生殖についての判決全文も載せておきます。お暇な方は読んでみてください。

死後生殖の問題


えっと、基本的にここで問うているのは、冷凍精子を利用しての生殖の可否ではありません。うまれてきた子に法的利益があるか、民法上の保護を与えるか否かです。

いちおう、読むにあたってまずは直感的な倫理観とかは置いておいてください。

(後日追記の予定)







     

  

主文  原判決を破棄する。




被上告人の控訴を棄却する。

控訴費用及び上告費用は被上告人の負担とする。


理由

上告人の上告受理申立て理由について

1原審の適法に確定した事実関係等の概要は,次のとおりである。


(1)AとBは,平成9年▲月▲日に婚姻した夫婦(以下「本件夫婦」という。)である。

(2)Aは,婚姻前から,慢性骨髄性白血病の治療を受けており,婚姻から約半年後,骨髄移植手術を行うことが決まった。本件夫婦は,婚姻後,不妊治療を受けていたが,Bが懐胎するには至らず,Aが骨髄移植手術に伴い大量の放射線照射を受けることにより無精子症になることを危ぐし,平成10年6月,a県b市に所在する病院において,Aの精子を冷凍保存した(以下,この冷凍保存した精子を「本件保存精子」という。)。

(3)Aは,平成10年夏ころ,骨髄移植手術を受ける前に,Bに対し,自分が死亡するようなことがあってもBが再婚しないのであれば,自分の子を生んでほしいという話をした。また,Aは,骨髄移植手術を受けた直後,同人の両親に対し,自分に何かあった場合には,Bに本件保存精子を用いて子を授かり,家を継いでもらいたいとの意向を伝え,さらに,その後,Aの弟及び叔母に対しても,同様の意向を伝えた。

(4)本件夫婦は,Aの骨髄移植手術が成功して同人が職場復帰をした平成11年5月,不妊治療を再開することとし,同年8月末ころ,c県d市に所在する病院から,本件保存精子を受け入れ,これを用いて体外受精を行うことについて承諾が得られた。しかし,Aは,その実施に至る前の同年9月▲日に死亡した。

(5)Bは,Aの死亡後,同人の両親と相談の上,本件保存精子を用いて体外受精を行うことを決意し,平成12年中に,上記病院において,本件保存精子を用いた体外受精を行い,平成13年5月▲日,これにより懐胎した被上告人を出産した。


2本件は,上記の経過により出生した被上告人が,検察官に対し,被上告人がAの子であることについて死後認知を求めた事案である。



3原審は,前記事実関係の下において,次のとおり判断して,本件請求を棄却した第1審判決を取り消し,本件請求を認容すべきものとした。

(1)民法787条は,生殖補助医療が存在せず,男女間の自然の生殖行為による懐胎,出産(以下,このような生殖を「自然生殖」といい,生殖補助医療技術を用いた人為的な生殖を「人工生殖」という。)のみが問題とされていた時代に制定されたものであるが,そのことをもって,男性の死亡後に当該男性の保存精子を用いて行われた人工生殖により女性が懐胎し出産した子(以下「死後懐胎子」という。)からの認知請求をすること自体が許されないとする理由はない。

(2)民法787条に規定する認知の訴えは,婚姻外で生まれた子を父又は母が自分の子であることを任意に認めて届出をしない場合に,血縁上の親子関係が存在することを基礎とし,その客観的認定により,法律上の親子関係を形成する制度である。したがって,子の懐胎時に父が生存していることは,認知請求を認容するための要件とすることはできない。そして,死後懐胎子について認知が認められた場合,父を相続することや父による監護,養育及び扶養を受けることはないが,父の親族との間に親族関係が生じ,父の直系血族との間で代襲相続権が発生するという法律上の実益がある。もっとも,夫婦の間において,自然生殖による懐胎は夫の意思によるものと認められるところ,夫の意思にかかわらずその保存精子を用いた人工生殖により妻が懐胎し,出産した子のすべてが認知の対象となるとすると,夫の意思が全く介在することなく,夫と法律上の親子関係が生じる可能性のある子が出生することとなり,夫に予想外の重い責任を課すこととなって相当ではない。そうすると,上記のような人工生殖により出生した子からの認知請求を認めるためには,当該人工生殖による懐胎について夫が同意していることが必要であると解される。以上によれば,死後懐胎子からの認知請求が認められるためには,認知を認めることを不相当とする特段の事情がない限り,子と父との間に血縁上の親子関係が存在することに加えて,当該死後懐胎子が懐胎するに至った人工生殖について父の同意があることが必要であり,かつ,それで足りると解される。

(3)被上告人は,Aの死亡後に本件保存精子を用いて行われた体外受精によりBが懐胎し,出産した者であるから,Aとの間に血縁上の親子関係が存在し,Aは,その死亡後に本件保存精子を用いてBが子をもうけることに同意していたと認められる。

そして,本件全証拠によっても,本件請求を認容することを不相当とする特段の事情は認められない。そうすると,被上告人は,Aを父とする認知請求が認められるための上記要件を充足しているというべきである。



4しかしながら,原審の上記判断のうち(2)及び(3)は是認することができない。

その理由は,次のとおりである。民法の実親子に関する法制は,血縁上の親子関係を基礎に置いて,嫡出子については出生により当然に,非嫡出子については認知を要件として,その親との間に法律上の親子関係を形成するものとし,この関係にある親子について民法に定める親子,親族等の法律関係を認めるものである。

ところで,現在では,生殖補助医療技術を用いた人工生殖は,自然生殖の過程の一部を代替するものにとどまらず,およそ自然生殖では不可能な懐胎も可能とするまでになっており,死後懐胎子はこのような人工生殖により出生した子に当たるところ,上記法制は,少なくとも死後懐胎子と死亡した父との間の親子関係を想定していないことは,明らかである。すなわち,死後懐胎子については,その父は懐胎前に死亡しているため,親権に関しては,父が死後懐胎子の親権者になり得る余地はなく,扶養等に関しては,死後懐胎子が父から監護,養育,扶養を受けることはあり得ず,相続に関しては,死後懐胎子は父の相続人になり得ないものである。また,代襲相続は,代襲相続人において被代襲者が相続すべきであったその者の被相続人の遺産の相続にあずかる制度であることに照らすと,代襲原因が死亡の場合には,代襲相続人が被代襲者を相続し得る立場にある者でなければならないと解されるから,被代襲者である父を相続し得る立場にない死後懐胎子は,父との関係で代襲相続人にもなり得ないというべきである。

このように,死後懐胎子と死亡した父との関係は,上記法制が定める法律上の親子関係における基本的な法律関係が生ずる余地のないものである。そうすると,その両者の間の法律上の親子関係の形成に関する問題は,本来的には,死亡した者の保存精子を用いる人工生殖に関する生命倫理,生まれてくる子の福祉,親子関係や親族関係を形成されることになる関係者の意識,更にはこれらに関する社会一般の考え方等多角的な観点からの検討を行った上,親子関係を認めるか否か,認めるとした場合の要件や効果を定める立法によって解決されるべき問題であるといわなければならず,そのような立法がない以上,死後懐胎子と死亡した父との間の法律上の親子関係の形成は認められないというべきである。

以上によれば,本件請求は理由がないというべきであり,これと異なる原審の上記判断には,判決に影響を及ぼすことが明らかな法令の違反がある。論旨はこの趣旨をいうものとして理由があり,原判決は破棄を免れない。そして,以上説示したところによれば,本件請求を棄却すべきものとした第1審判決は正当であるから,被上告人の控訴は棄却すべきである。



よって,裁判官全員一致の意見で,主文のとおり判決する。



なお,裁判官滝井繁男,同今井功の各補足意見がある。裁判官滝井繁男の補足意見は,次のとおりである。

私は,法廷意見の結論に賛成するものであるが,その理由につき補足して意見を述べておきたい。

1民法787条に規定する認知の訴えの制度は,婚姻外で生まれた子を父又は母が自分の子であることを任意に認めて届出をしない場合においても,血縁上の親子関係が存在することを認定して法律上の親子関係を形成するものである。そして,父又は母の死亡後にも,一定期間に限って子又はその法定代理人によって認知の訴えを提起することを認めている。これらは,民法の制定時期に照らし,自然生殖を前提としたものである。ところで,今日,進歩した生殖補助医療技術の手を借りて子を持つことができる可能性が格段に広がってきた。民法の実親子関係法制は,上記のとおり,自然生殖による出生子についての親子関係を予定していたものであるが,両親が,その意思に基づき,自然生殖の過程の一部について今日の進歩した医療の補助を受け,子を懐胎,出産した場合は,自然生殖による懐胎,出産と同視し得るものであり,これによって生まれた子との間に法律上の親子関係を認めることには何らの問題はないと考える。これに対し,既に死亡している者が提供した冷凍保存精子を用いて子を懐胎,出産したという本件のような場合については,そもそも子は生存中の父母の配偶子によって生まれるものであるという自然の摂理に反するものであり,上記法制の予定しない事態であることは明らかである。確かに既に死亡している者が提供した冷凍保存精子を用いて出生した子と当該死亡した精子提供者との間にも血縁関係が存在するが,民法は,嫡出推定やその否認を制限する規定,認知に関する制限規定など,血縁関係のない子との法律上の親子関係を認めたり,血縁上の親子関係のある者にも法律上の親子関係を認めない場合が生じることを予定した規定を置いていることからも明らかなように,血縁主義を徹底してはいないのであって,血縁関係があることから当然に法律上の親子関係が認められるものということはできないのである。また,民法は,認知請求において懐胎時の父の生存を要件とする明文の規定を置いていないが,自然生殖を前提とする上記法制の下では,同要件は当然の前提となっているものというべきものであって,同要件を定める明文の規定がないことをもって,既に死亡している者が提供した冷凍保存精子を用いて出生した子と当該死亡した精子提供者との間に法律上の親子関係を認める根拠とはし得ないと考える。

2死亡した精子提供者の生前における明確な同意がある場合には,上記両者の間に法律上の親子関係を認めてよいという考えがある。しかしながら,本来,子は両親が存在して生まれてくるものであり,不幸にして出生時に父が死亡し,あるいは不明であるという例があるにしろ,懐胎時には,父が生存しており,両親によってその子が心理的にも物質的にも安定した生育の環境を得られることが期待されているのである。既に死亡している者が提供した冷凍保存精子を用いて出生した子はそもそもこのような期待を持ち得ない者であり,精子提供者の生前の同意によってそのような子の出生を可能とすることの是非自体が十分な検討を要する問題である上,懐胎時に既に父のいない子の出生を両親の合意によって可能とするというのは,親の意思と自己決定を過大視したものであって,私はそれを認めるとすれば,同意の内容や手続について立法を待つほかないと考えるのである。我が国の立法作業は,社会情勢の変化や科学の進展に対応して必ずしも迅速に行われているとはいえないことがある。したがって,司法は,法の欠缺といわれる領域を埋めるための判断を必要とする場合もあり得ると考える。しかしながら,本件のような医療の進展によって生じた未知の領域において生まれた子に法律上の親子関係を肯定するについては,法律上の親子というものをどうみるかについての様々な価値との調和と法体系上の調整が求められるのであって,司法機関がそれを待たずに血縁関係の存在と親の意思の合致というだけで,これを肯定することができるという問題ではないと考えるのである。現在,法制審議会生殖補助医療関連親子法制部会において,精子,卵子,胚の提供等による生殖補助医療によって出生した子の親子関係に関する民法の特例に関する立法が検討されている。そこでは,第三者が提供する精子等を用いて夫婦間で行われる生殖補助医療によって生まれた子の親子関係をどのような条件で認めるかについては一定の合意が得られつつあるものの,死亡した者が提供した冷凍保存精子を用いた生殖補助医療によって生まれた死後懐胎子の父子関係については,検討が進んでいない状況にある。これは,精子提供者が死亡した後にその冷凍保存精子を用いた生殖補助医療の是非等の根本問題についての意見の集約が得られないことによるものと思われる。今日の生命科学の進歩,とりわけ生殖補助医療の進歩によって,民法の実親子関係法制が想定していなかった子が少なからず出生しているといわれているが,法規制がないため,そのような子の出生を可能とする生殖補助医療は,医学界や医療集団の自己規制にゆだねられている実情にある。あるべき規制がどのようなものであれ,既に生まれてきた子についてはその福祉を第一に考えるべきだという考えは理解でき,私もそのことに異論はない。しかしながら,法律上の親子関係を肯定することが生まれてきた死後懐胎子の福祉にとってどれだけの意味を持つものかは,必ずしも明らかになっているわけではない。ここで考えなければならないのは,生まれてきた死後懐胎子の福祉をどうするかだけではなく,親の意思で死後懐胎子を生むということはどういうことであり,法律上の親子関係はどのようなものであるべきかであって,その中で,生まれてくる子の福祉とは何かが考えられなければならないのである。既に生まれている死後懐胎子の福祉の名の下に,血縁関係と親の意思の存在を理由に法律上の親子関係を肯定すれば,そのことによって懐胎時に父のいない子の出生を法が放任する結果となることになりかねず,そのことをむしろ懸念するのである。何人もその価値を否定し得ない生まれてきた子の福祉の名において,死後懐胎子を生むということ,法律上の親子であるということの意味,そして,その中で自分の意思にかかわらず出生することとなる死後懐胎子についての検討がおろそかにされてはならないと考えるのである。

3私は,以上の問題は,もはや医学界や医療集団の自己規制にゆだねられておいてよいことではなく,医療行為の名において既成事実が積み重ねられていくという事態を放置することはできないのであって,今日の医療技術の進歩と社会的な認識の変化の中で,死後懐胎子を始め民法の親子法制が予定していない態様の生殖補助医療によって生まれる子に関する親子法制をどういうものとみるかの検討の上に立って,これに関して速やかな法整備を行うことが求められているものと考える。また,我が国において戸籍の持つ意味は諸外国の制度にはない独特のものがあり,子にとって戸籍の父欄が空欄のままであることの社会的不利益は決して小さくはないし,子が出自を知ることへの配慮も必要であると考える。今後,生命科学の進歩に対応した親子法制をどのように定めるにせよ,今日の生殖補助医療の進歩を考えるとき,その法制に反した,又は民法の予定しない子の出生ということも避けられないところである。親子法制をどのように規定するにせよ,法律上の親子関係とは別に,上記の生殖補助医療によって生まれる子の置かれる状況にも配慮した戸籍法上の規定を整備することも望まれるところである。


裁判官今井功の補足意見は,次のとおりである。

1本件は,夫の生前に採取し,冷凍保存した精子を用いて,夫の死後に,妻の卵子との間で行われた体外受精により懐胎し,出産した子(以下「死後懐胎子」という。)から,検察官に対し,死亡した夫の子であることについて死後認知を求める事件である。科学技術の進歩は著しく,生殖補助医療の技術も日進月歩の状況にあるが,これに伴って,様々な法律問題が生じている。本件の死後懐胎子の認知請求の問題もその一つである。

2現行法制の下での父子関係に関する定めを見ると,婚姻関係にある夫婦の間に出生した子は,嫡出子として,夫との間に父子関係を認められ,婚姻関係にない男女の間に出生した子は,血縁上の父の認知により法律上の父子関係を認められる。父が認知をしない場合には,子などによる認知を求める裁判の判決により,血縁上の父と子の間の法律上の父子関係が形成される。現行法制は,基本的に自然生殖による懐胎により出生した子に係る父子関係を対象として規律しているものであって,死後懐胎子と死亡した父との父子関係を対象としていないことは明らかである。民法は,懐胎の後に父が死亡した場合の死後認知については規定を置いているが,懐胎の時点において,既に父が死亡している場合については,想定をしておらず,したがってこの場合の法律上の父子関係の形成については,規定を置いていない。本件の請求は,父が死亡した場合の規定の準用ないし類推適用により子から認知の請求がされたものである。

3生殖補助医療が着実に広まってきたことに伴って,生殖補助技術を利用して懐胎し,出生した子が増加してきており,これを受けて,これらの子の法律上の親子関係,特に父子関係については,現行法制の解釈として一定の要件の下において,父子関係が認められてきている。しかし,これまで父子関係が認められてきたのは,いずれも,懐胎の時点において,血縁上の父が生存している場合のことであって,本件のように懐胎の時点において血縁上の父が死亡している場合のものではない。本件のように精子提供者が死亡した後に,その者の精子を利用して人工生殖により懐胎させることの許否自体について,医学界においても議論のあるところであり,意見は一致していない。ことは人の出生という生命倫理上の高度な問題であり,また,これについての国民一般の意識が奈辺にあるかについても,深い洞察が必要である。

4厚生科学審議会生殖補助医療部会においては,生殖補助医療を適正に実施するための制度の整備に関し,医学(産婦人科),看護学,生命倫理学,法学の専門家からなる「専門委員会」の報告について,小児科,精神科,カウンセリング,児童・社会福祉の専門家や医療関係者,不妊患者の団体関係者,その他学識経験者も委員として加わり,より幅広い立場から検討が行われ,平成15年4月28日に「精子・卵子・胚の提供等による生殖補助医療制度の整備に関する報告書」を公表した。この報告書においては,「生まれてくる子の福祉を優先する,人を専ら生殖の手段として扱ってはならない,安全性に十分配慮する,優生思想を排除する,商業主義を排除する,人間の尊厳を守る」との基本的な考え方に立って検討が行われた。その結果,精子・卵子・胚の提供等による生殖補助医療を受けることができる者の条件,精子・卵子・胚の提供を行うことができる者の条件,提供された精子・卵子・胚による生殖補助医療の実施の条件について報告が行われた。その中で,提供者が死亡した場合の提供された精子の取扱いについては,提供者の死亡が確認されたときには,提供された精子は廃棄する旨を提言し,その理由として,提供者の死亡後に当該精子を使用することは,既に死亡している者の精子により子どもが生まれることになり,倫理上大きな問題であること,提供者が死亡した場合は,その後当該提供の意思を撤回することが不可能になるため,提供者の意思を確認することができないこと,生まれた子にとっても,遺伝上の親である提供者が初めから存在しないことになり,子の福祉という観点からも問題であること,が挙げられている。また,法制審議会生殖補助医療関連親子法制部会が平成15年7月15日に公表した「精子・卵子・胚の提供等による生殖補助医療により出生した子の親子関係に関する民法の特例に関する要綱中間試案」においては,夫の死後に凍結精子を用いるなどして生殖補助医療が行われ,子が出生した場合については,このような生殖補助医療をどのように規制するかという医療法制の在り方を踏まえ,子の福祉,父母の意思への配慮といった観点から慎重な検討が必要になるところ,医療法制の考え方が不明確なまま,親子法制に関して独自の規律を定めることは適当ではないと考えられたため,この問題については更なる検討は行わないこととしたとされている。以上のとおり,死後懐胎子については,医療法制の面でも,親子法制の面でも,様々な検討が行われ,意見が出されているが,法律上の手当てはされていない現状にある。

5このような中で,ことの当否はさておき,本件のように,死亡した夫の冷凍保存精子を用いた懐胎が行われ,それにより出生した子と精子提供者との間の父子関係をどのように考えるべきかという問題が発生しているのである。この場合に生まれてきた子の福祉を最重点に考えるべきことには異論はなかろう。そこで,死亡した父と死後懐胎子との間に法律上の父子関係を形成することにより,現行法上子がどのような利益を受けるか,関係者との間にいかなる法律関係が生ずるのかを考えると,法律上の父と子との間において発生する法律関係のうち重要かつ基本的なものは,親権,扶養,相続という関係であるが,現行法制の下においては,認知請求を認めたとしても,死亡した父と死後懐胎子との間には,法廷意見のとおり,親権,扶養,相続といった法律上の父と子の間に生ずる基本的な法律関係が生ずる余地はなく,父の親族との関係で親族関係が生じ,その結果これらの者との間に扶養の権利義務が発生することがあり得るにすぎず,認知を認めることによる子の利益はそれほど大きなものではなく,現行法制とのかい離が著しい法律関係になることを容認してまで父子関係を形成する必要は乏しいといわざるを得ない。もっとも,親権や扶養の関係は,自然懐胎の場合の死後認知においても死亡した父との間にそのような関係を生ずる余地がない点では同様であるが,それは,懐胎の時点においては親権や扶養の関係が生ずることが予定されていたところ,その後父が死亡したという偶然の事態の発生によるものであって,懐胎の当初からそのような関係が生ずる余地がないという死後懐胎の場合とは趣を異にするものである。たしかに,死後懐胎子には,その出生について何らの責任はなく,自然懐胎子と同様に個人として尊重されるべき権利を有していることは疑いがなく,法の不備を理由として不利益を与えることがあってはならないことはいうまでもないのであって,この点をいう被上告人やその法定代理人の心情は理解できるところである。しかしながら,このような子の認知請求を認めることによる子の利益は,上記のようにそれほど大きなものではない一方,これを認めることは,いまだ十分な社会的合意のないまま実施された死後懐胎による出生という既成事実を法的に追認することになるという大きな問題を生じさせることになって,相当ではないといわなければならない。この問題の抜本的な解決のためには,医療法制,親子法制の面から多角的な観点にわたる検討に基づく法整備が必要である。すなわち,精子提供者の死亡後に冷凍保存精子を用いた授精を行うことが医療法制上是認されるのか,是認されるとすればどのような条件が満たされる必要があるのかという根源的な問題についての検討が加えられた上,親子法制の面では,医療法制面の検討を前提とした上,どのような要件の下に父子関係を認めるのか,認めるとすればこの父子関係にどのような効果を与えるのが相当であるかについて十分な検討が行われ,これを踏まえた法整備がされることが必要である。子の福祉も,このような法の整備が行われて初めて実現されるというべきである。そして,生殖補助医療の技術の進歩の速度が著しいことにかんがみると,早期の法制度の整備が望まれるのである。

裁 判 長 裁 判 官 中 川 了 滋

裁 判 官     滝 井 繁 男

裁 判 官     津 野 修

裁 判 官     今 井 功

裁判所判例watch

(http://kanz.jp/hanrei/search.html?cat=02&page=2)より引用


補足意見のなかに苦悩が感じられます。

裁判官も苦悩してるのが良く判るとおもいます。




えっと、間違ったらまずいのはこの判決文でとうているのは、死後生殖は許容しうるかではなくて、民法787条というのは死後生殖によって出生した場合にも、なんらかの血縁があれば法的父子関係を認める規定であるのかどうかです。

強制認知という制度は訴訟という強制的手段をもちいて父子関係を定める制度で父の意思というのは実はあまり期待されてないのではないかと私はおもいますし、たぶん父子関係に人間的な愛情を期待せずに確認を求める性格のものです。ただ、なんというか、父を確定することの経済的メリットというか利益のみに問題を収束することは私はおかしいとおもってます。私は死後生殖による子であっても787条の対象になるべきだと私はおもいますし、相続のような財産的な法的効果に限られるべきではなくて戸籍の実親欄や出自があきらかというような目に見えない副次的効果も子の保護には不可欠であるとは私はおもいます。いくらかでも子の利益に適うなら、認知を認める方が妥当じゃなかったか、という思いは今でも強いです。


ただ、判例として認めてしまうと、確かに問題が大きいので、やはりこの判断は仕方ないのかなあ、という気がします。