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名付けられぬ領域のほとりにて このページをアンテナに追加

2018-01-13

[]井の頭公園

吉祥寺のヨドバシに用があったついでに井の頭公園へ足をのばしました。

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現在、かいぼり中です。

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井の頭公園というのは神田川の水源になる池なので、おそらくそのためのバイパスのパイプがありました。

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捕獲された駆除対象のブルーギルなどが展示されていました。ブルーギルは北米原産の生態系を壊すいくらか厄介者で、もちろんもともと井の頭池に居なかったものが誰かが放流して棲みついてしまったものです。喰えないことはないのですが骨が多すぎて食材としてはあんまり利用されてません。また日本固有の鯉は別として観賞用などに改良された鯉は駆除対象になってて、訊けば鯉は雑食で生命力が強く(また図体がでかく)、生態系維持の点からもけっこう厄介な存在なのだとか。池のほとりで以前は鯉の餌を売ってた記憶があってエサやりの経験がないわけではないので、生態系に影響があるという認識すらなかったので専門家のかたのレクチャーは興味深かったです。

で、駆除したものを「どうしてるのですか」と訊いたら肥料にできないことはないけどかなり匂うらしく都市近郊では敬遠されがちで、ほんとに厄介な魚たちのようで。いや、彼らが悪いんじゃなくて放り込んだ人間が悪いんすが。

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かいぼりは過去にもやってるのですが、目にしたのははじめてです。見えなかったものが露わになってるところをみると、ちょっとテンションが上がりました。

2017-12-24

[]ブラタモリ吉祥寺

両親が忙しかったので家族でどこかへ出かけるということはほとんどなかったのですがそのなかの数少ない記憶が両親と井の頭池のボートに乗ることで、冬の朝は井の頭池に薄く氷が張りまして、それを砕氷船のように割ってゆく光景を覚えています。井の頭池には弁天様が祀られてるこるのですが私が十代の頃はなぜかあの弁天様は男女のカップルで井の頭へデートで行くと嫉妬するという噂がありました。噂を知りつつも同性の相手と弁財天のそばのベンチで膝枕していたりしたんすが、っててめえの昔話はともかく。なまじっか知ってるつもりでいたのでブラタモリで吉祥寺をやると聞いて「45分間埋めることが出来るのだろうか」と思っていました。

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神田上水の水源として井の頭池があり外来生物駆除のためのかいぼりを行っていること、(以前はアオダイショウがいたんすが)玉川上水が近隣より若干高くなってること、吉祥寺には吉祥寺という寺はないこと、五日市街道が先で中央線があとなので駅からみると道が斜めになっていること、月窓寺が敷地をかなり持っていること、などは既知のことで特段驚くに値しなかったのですが、深く掘り下げられていたので好感が持てました。また井の頭池の水質が良くなっていることははじめて知ったので、うれしい限りであったり。ひとつだけ、触れてほしかったのはハモニカ横丁です。空襲対策として戦時中に建物を取り壊して更地にし、戦後そこにヤミ市が出来て吉祥寺は栄えた側面があります(吉祥寺のある武蔵野市は9回空襲があったのです)。でも45分では収まらなかったかなあ。

番組中、五日市街道に面した吉祥寺北町の1キロ強のウナギの寝床のような短冊状の長い敷地に触れられていましたがあれは吉祥寺に限りません。三鷹や小平や府中、立川などにも街道に面した細長い敷地の畑があります。もうちょっと書いておくと水田は武蔵野ではほぼありません。水はけがよくないので稲が育てられないのです。芋類やキャベツ、それに触れられていましたが白ウドが栽培されています(なにを云ってるかわからないかもしれませんが桑の葉を貯蔵していた地下の室に入れて真っ白いうどを育てるのです)。でもってまっすぐな道や短冊状の敷地は見慣れた景色であったので、逆にそれがブラタモリ的に面白いのかと、ちょっと新鮮でした。

はじまる前の心配は杞憂でした。今回も濃い45分間でした。おのれの青春が詰まっている街が取り上げられることがちょっと嬉しかったです。

2017-10-15

[]重力波のお勉強

14日が「三鷹星と宇宙の日」ということで天文台を公開してて、天文に興味があって行っていました。

重力波についてややこしいことを書きます。興味のない方はすっ飛ばしてください。

アインシュタインが言いだしっぺの、質量のある物体の周りは時空をふくめてゆがめられてるんじゃないの、という考えがあって(それが我々には重力と感じられるのですが)、ゆえに太陽の光が太陽の引力によって変化があるはずでわずかにスペクトルがずれるとのではないかということ(小難しい言葉をつかうと重力赤方偏移というんすが)を検証しようと戦前の日本人天文学者は考えました。それを検証するために

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三鷹の天文台にアインシュタイン塔というのを作りました。ただし残念ながら実証できませんでした。

で、太陽に限らず質量のある物体の周りに時空のゆがみがあってそれを人には重力として感じられて、時空をゆがめてる物体が動きまわるとゆがみが波のように四方八方に伝播してゆく、という現象は「あるはず」といわれつつもだれも音もその姿を見たことがないすかしっ屁のような存在だったのですが、一昨年米国の研究者が太陽の30倍前後の質量の2つのブラックホールが合体したときの重力波を観測し、あることが実証されました。でもってもし重力波を恒常的に観測できるようになれば光学望遠鏡や電波望遠鏡、赤外線望遠鏡以外に天体観測するためのアイテムを得ることになります。というか初の重力波の観測のときの太陽の30倍程度のブラックホール連星があることはいままで証明されてこなかったですし、ブラックホールの研究もすすむかもなんすが。

重力波が通過すると時空がゆがみ、物と物の間の距離が変化するはずで、その変化を検出するのが重力波検出器です。

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国立天文台の地下にはそのプロトタイプのTAMA300というのがあって、それを見学してきました。

レーザー光源から光をだしてビームスプリッターという半透明の鏡で直行する2つの方向に分けて

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長さの違う2つの真空のパイプの中を通過して(写真はそのうちの長いほう)この先の鏡に反射させさらにビームスプリッターに戻して光検出器へ送って(分割したのち再合成したので干渉現象がおきその結果)現れる縞をつかって観測するのですが、もし重力波を観測した場合にはその縞が変化する(であろう)、という仕組みです。

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配置が一緒の模型なんすけど、白い紙が光検知器だとおもってください。アバウトに考えて通常の状態であれば赤い〇なんすけど仮に模型に振動を加えると〇がちょっと崩れます。なんだろ、説明がヘタで恐縮ですが、ともかく壮大な検知システムが埋まってると思ってください

ただ重力波のゆがみは極小である(と考えられていた)ので、おもいっきりかすかな振動をキャッチするために精度をあげ、また振動を抑える研究がなされてきています。TAMA300のある国立天文台は三鷹市という東京の内陸部にあるのですが、25キロ以上離れてるはずの海があれるとその振動を拾っちまうそうで、それくらいの精度です。TAMA300の研究成果が反映されているKAGRAは飛騨の神岡鉱山の地中奥深くなので海の振動を拾わない場所なのでそこらへんはダイジョウブです、とのことでした。

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頭では理解していたのですがいざ実際機器を前にすると意味もなくわくわくしちまいました。インスタ映えしないんですよねー、とおっしゃってたのですが、インスタグラムをやってないので代わりにダイアリにアップしました。

2015-02-14

[]相模湖へ

甲州街道を西へ行くと相模湖というダムがあります。

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相模川をせき止めた人造湖で、夕暮れ時に寄ったので遊覧船もボートも終了していましたが、しばし湖面を眺めていました。

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スワン丸ってのがあるんすけど、もしかして「白鳥の湖」があるから、スワンなのか。

2014-12-14

[]江戸東京たてもの園

西武新宿から西武線で西へしばらく行くと花小金井という駅があり、中央線でも西へしばらく行くと東小金井というところがあります。

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その間にあるのが小金井公園というところで、戦前に皇紀2600年記念事業の一環として計画され、いまに至ります。そのなかにあるのが江戸東京たてもの園です。

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現在展示されてるのがスタジオジブリの立体建造物展です。スタジオジブリの作品に出てくる建造物についてのデッサンや模型が展示されていて、藤森照信さんという建築の専門家が説明を加えてあります。正直に告白すると、ジブリの作品はカリオストロとラピュタ以外はほとんどまともに観ていません。最後にみたのがもののけ姫で、それもえっちの前後にベッドサイドでみてた記憶が。ついて行ったに過ぎない予備知識がないやつでもなかなか見ごたえがありました。たとえば小さなものでもデザインがこと細かく指示・指定されてて、部分部分を細密にしておきながら、作品が成り立っているのがよくわかりました。イスとかのえらい細かなパーツについても指定がなされていて、指定どうりにきちんと描かれてたりってのがわかり、唸っちまうのです。

また会場には今回つくられた(内容は知らないくせして建物の存在は知ってる)千と千尋の神隠しにでてくる巨大な湯屋である油屋の模型が作品に忠実に再現されてあるのですが、油屋が脳内で作り上げられただけの空想上の建物ではなくて、実際の建物同様に緻密に考えられたものであり、基本的に再現可能であることが実際に理解できます。

もうひとつ、なんとなく理解できるのが、ジブリ作品に出てくる建物が純和風でもなく準洋風でもない意匠は真似たけどどうしても和風が残る洋風寄り和洋折衷の日本の建築がいくつもあることです。ジブリの作品を通していち時代の日本の建築が保存されているような気がしますって、建築学を勉強したわけではないのでへたなこと・おおそれたことは言えませんが。

たてもの園という名前の通り、東京にあった建物をそのまま保存しています。以下、そのうちのいくつかを。

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小寺醤油店という白金にあった醤油店です。軒がそこそこ前面に張り出した、和風の商家です。どちらかというと、古くからの商店建築のスタイルです。

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同じ商店でも神田にあった文具店と生花店なんすが、看板建築といいまして、関東大震災のあとに多くたてられたものです。軒がなく、表面をタイル(左)や銅板(右)で覆い、耐火性を高めています。神田にはいまでも看板建築の店があるんすが、私が学生だった頃に比べてだいぶ減った気が。

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丸二商店という昭和初期の荒物屋(金物屋)さんです。銅板で覆ってある、洋風なようで洋風ではないでもなんかこうどこか洋風な、不思議な建物です。

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長屋を残してもあります。小さなサイズの貸屋っていえばいいのか。

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さすがに中は入れません。やはり日本橋や神田に何か所かあった気がするのですが、知らない間に消えていたかも。

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千住にあった子宝湯。銭湯です。

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銭湯でのお約束の富士山の絵。

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女湯のほうにあったサルカニ合戦と思しき絵。もしかして子連れが多かったからか。

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籐の籠なんて久しぶりに見たかも。でもって、銭湯も減りました。以前にあったものが保存しなければならない対象になってるってのはちょっとさびしい気もしますが。

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信濃町にあった(中央線から見えた)デ・ラランデ邸という、風見鶏の館を設計したドイツ人建築家が増築した洋館です。

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屋根がちょっと変わってて勾配が途中できつくなるマンサード式っていうのですが、小田急の向ヶ丘の駅にこういうのがあったのです。利点があるのかどうかはちょっとわからないのですけども、モダンだったのか。最近復元しました。中でお茶ができます。

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ちゃんと見学すると1時間以上かかります。濃い施設です。

ちなみにジブリの建物に関する展示は来年3月まで延長となりました。

2011-10-09

[][]さいかち坂

水道橋の駅の東側にあるのがさいかち坂

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「さいかち」というまめに似た実がなる木がありまして、それが由来になってます。私が10代の頃はさいかちの木があったんすが、いまは見当たらず。ちなみに坂の上が駿河台。駿台予備校があります。すくなくとも私が10代の頃はメジャな模試を行ってました。駿河台には通院していた病院もあってよく来てたんすけど、お茶の水の駅からそのまま帰るのもなんだか芸がないな、とおもってこのさいかち坂を下りてたまに水道橋から電車に乗ってました。

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坂の上(駿河台)から水道橋方向はこんな眺め。今日は写生する人が多かったです。もっと晴れた日のほうは良いと思うのだけども。

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駿河台をもう少し行くとあるのが山の上ホテル。吹けば飛ぶような小さなホテルですが料理は定評があります。いまでこそ高層ビルばかりなのですが、ほんと「山の上」だったんだろうなあ、と。


駿河台のそばにあるのが本の街、神保町です。

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駅のそばにあるのが岩波ブックセンター。書物復権という文字が見えますが、ここは硬派でうれるかどうかより、良い専門書を置く、というモットーです。で、法学系とか考古学とかの人文系が強いっす。バイト先がここからそんな遠くなかったので、大学生だったころ、図書館で誰かが参考図書を借りてて、でもそれを読みたくて、しかし買えなかったので、本が返ってくるまであやしまれないようにここと三省堂で何日間か通って重要そうなところを少しずつ立ち読みしたことがあります。なんだか書いてて貧乏たらしいすが、ほんと財布の中の金を勘定しながらこの町をうろついてました。社会に出て働いて手許に余裕ができたら神保町に寄る機会が減ったり本を読む余裕が減ったのは、ちょっと悲しいですけど。

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←書泉ブックマート 三省堂本店→

三省堂本店は東京だと総合的な品ぞろえの比較的充実した本屋さんで、小説家の人がたまにサイン会をしたりします。で、大学生協にないようなある程度の本は(新宿ジュンク堂ができるまでは)ここか新宿紀伊國屋や岩波BCにありましたから、この手の本屋さんが複数あるのは東京の大学生の特権だったかもしれません。

書泉ブックマートは趣味分野・特にコミックに強い店です。CLAMPって漫画を描く集団がいたのですが(いまでもいるのかなあ)、その人たちの商業ベースでない本をここで扱ってましたとかけばどんなところかわかる人には想像がつくかも。

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この町がおそろしいのはほんとに本の街であることで、ビルの下から上まで本屋さん、ってなことがあったりします。でもって扱ってるのは本だけとは限りません。店によっては地図や古文書も扱います。記憶に間違えなければ武士の家計簿を書いた大学の先生はこの町の古書店に出て来た古文書を解析して本を書いてたはずです。


ぜんぜん関連ないかもなんすけど、いまは電子辞書や電子書籍が普及しはじめてますが、紙媒体って無くならないんじゃないかなあ、とこの町に来るたびに思います。

つか、電子辞書や電子書籍が主流になるとちょっと困るなあ、とも思っちまいます。

私はいまでも書き込みのある英和辞を使ったり、ミニ六法にメモをはさんだりするのですが、本や紙ってそういう使いやすさ・気軽さがあるとおもうのです。あとでそれをみて脳内で有機的に記憶とむすびつくので、その行為が無くなると困るなあ、と。紙じゃないと、そういう気軽さがないような気がしてならんのです。気のせいかもなんすが。

またページをめくって紙に書かれた文字を読む、面白そうな本を本棚から探して本を読む、ということが生理的快感にどこかつながってるせいかもしれませんが、市場は縮小してもそういったスタイルで本に接する機会ってなかなか捨てられないんじゃないか、とおもうのですが、どうだろ。

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裏道なせいか、不思議なくらい全然変わってない「さぼうる」という喫茶店のあるあたり。マクドナルドとかスターバックスとかないわけではないのですが、なぜかこういった喫茶店が神保町は生き残ってます。なんとなく嬉しくなっちゃうんすが、残念ながら今日は休みでした。


まいどのことながら駆け足で恐縮ですが、本を探しに寄り道ついでにさらに寄り道してみました。つか、歩いてる途中に気が付いた、ささいなことなんすけど、本を探すって、なんとなくわくわくしませんか?

2010-01-30

[][]御茶ノ水へ

録画してたブラタモリ神田編を見た反動でなんとなく、神田駿河台へ。

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ニコライ堂です。正確には東京復活大聖堂といいます。なんでニコライかっていうとロシア正教の日本での布教に尽くしたニコライ・カサートキンにちなみます。明治時代にニコライさん名義でこの土地を取得してから(外国人が土地を取得できなかったので最初は千年の地上権の契約だった)東京におけるロシア正教の布教の拠点として100年以上ここにあります。今でも大主教さんがここにいるはずです。

鐘楼がみえますけど、ここの鐘はなるとけっこうにぎやかというか、いくらかうるさいです。

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御茶ノ水・神田周辺は私は小学生の頃から知ってます。かつて通った画材屋さんがあったり、いまでもたまに通院している病院がここにあります。初めてメガネを作ったのもこの町です。それまで私はどこかピンボケの世界に居たのですが、病院でメガネを作ってもらって外に出て晴天の下、クリアなニコライ堂をまじまじとみたんすね。そのときのことはたぶん死ぬまで忘れないっす。

で、そのあとかなあ、聖橋へいったはず。

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聖橋から丸の内線を見た記憶があります。いまでこそ銀色ですが、昔はおもちゃ箱のような赤い電車でした。むこうが秋葉原方向です。

大人になったいまでもこの光景、飽きないです。