暗黒大陸じゃがたら “でも・デモ・DEMO”(1982)

ふー

今日(正確には昨日、7月16日)は、代々木公園『さようなら原発 10万人集会』に行って、代々木公園〜表参道〜ベルコモンズキラー通り〜国立競技場前とデモしてきた

主催者発表17万人、警察情報7.5万人。でも、国立競技場のサッカーの試合が満タンで6万人として、そのときの人の流れ具合混み具合と比べて、どう考えてもそれと同程度なんてものではなかったな(軽くその1.5倍は…感覚的なものだけど)

まあ警察ですら7.5万とかいうわけだから推して知るべし、というところか
(もちろん、7.5万人だって、4.5万人だってスゴイ数の「原発反対」の声であることに変わりはない)

で、帰ってきてポロッと頭の中に出てきた曲が、じゃがたらの“でも・デモ・DEMO”だ

「あんた気にくわない!」で歌い始める、思いっきりじゃがたら節のファンクナンバー
ファンキーなリズムに乗せて「日本人て暗いね、性格が暗いね」とか「見飽きた奴らにゃおさらばするのさ」とか、ネガティブな、他者を突き放す歌詞が続き

「でも でも でも」を転回点として

「思いつくままに動き続けろ 思いつくままにトバし続けろ……」と以下“思いつくまま”に、他者を欠いたままの極私的な破壊とエネルギーの横溢が、文字どおり“アジテート”されていく

うーーーーーん、なんなんだ?
なんだったんだろう、80年代のあの曲は?

僕が、この曲をポロッと思い出したのは、そういう違和感、“わからなさ”がモクモクと持ち上がってきたからだ

じゃがたら江戸アケミの“でも・デモ・DEMO”と、今日の「デモ」とはなんの接点も感じられないではないか

確かに昨今のデモにおける、ノリのいいリズムや力強いコールを伴った原発への反対の意思表明は「思いつくままにたたきつけろ」という歌詞への親和性を感じてもおかしくないものだ

しかし僕が「なんの接点も感じられない」と思うのは、やはり“でも・デモ・DEMO”の「デモ」が、まるっきり他者を持たないままの、あるいは外部を持たないままに内側へと屈折していく強い毒を持った意思表示(己の己に対する意思表示?)だからだ

もちろん僕は、今日の反原発デモをもってして、江戸アケミの「デモ」に勝ち誇り、どや顔をしたいワケではない
そうではなくて、80年代初頭の日本において「デモ」は、極私的な、いや私的の私がさらにバラバラにフラグメント化された、その一領域内でのみ爆発せざるを得なかった。そのことを強く感じてしまったのだ。そのどうしようもなさ、時代に鋭敏であればあるほど、アンダーグラウンドに向かわざるを得なかった状況は、今でもハッキリと、得も言われぬ不快感とともに思い出される

(もちろん80年代の日本にもヨーロッパの波を受けて反核運動の盛り上がりなどもあったわけなのだが)


80年代にフラグメント化されて、屈折し、澱みの中へと沈んだ「反対の意思」は、ようやく数10年の時を経て、愚鈍なる生活者の「ノー」(なんといっても「子どもを守れ!」なのだから)として浮上することができた

まー結局のところ、それが今日の僕の姿、というワケなのだけど

(“でも・デモ・DEMO”はじゃがたらJAGATARA》の1stアルバム“南蛮渡来”に所収。ちなみにこのときのバンド名は、「暗黒大陸じゃがたら」。ちなみにちなみに、JAGATARAのファンクミュージックの特徴は、きわめて濃密なファンクミュージックでありながらソウル/リズム・アンド・ブルース系ミュージックに特有のグニョッとしたグルーヴを一切欠いていることにあると思う。それはまさに皮肉にもあまりにも“日本的”なファンクミュージックなのだった。もちろんそれは否定的な意味ではなく、だがしかしアンビバレンツなものだ)

南蛮渡来

南蛮渡来