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【美の巨人たち感想】アンドリュー・ワイエス 「松ぼっくり男爵」
2013年6月8日 放送
TOKYO 公式サイトへ
今週の芸術家
・作者 アンドリュー・ワイエス(1917-2009)
・国籍 アメリカ
・職種 画家
1917 | ペンシルヴェ二ア州のイラストレーターの家に生まれる |
1937 | NYのマクベス・ギャラリーで初個展 |
1938 | テンペラを学ぶ |
1940 | 結婚 |
1945 | 父の死去 |
1948 | 「クリスティーナの世界」制作 |
1963 | 大統領自由勲章を受章 |
1966 | ペンシルヴェ二ア美術館で大回顧展 |
1970 | ホワイト・ハウスで展覧会を開催 |
1976 | 「松ぼっくり男爵」制作 |
1974 | 日本で初の展覧会 |
1990 | ゴールド・メダル大統領賞を受章 |
今週の作品
・作品 松ぼっくり男爵(1976)
・場所 福島県立美術館
・縦横 縦横80センチ
・材質 テンペラ画
描かれているのは、厳しい風雪を避けるために農場の入口に植えられた松並木。赤茶色に染まった枯れ葉が冬の気配を映し出しています。松の太い幹を覆う分厚くかさついた硬い樹皮。地面に落ちた松葉。そこに、松ぼっくりが集められています。その精緻な光と影の描写が生み出す、乾いた手触り。
雑感
今週は日本での人気も高いアンドリュー・ワイエスでした。先週の小倉遊亀に続いて、現代の画家が続きました。しかし、現代といっても死後数年は寝かせて取り上げるあたりに、「美の巨人たち」の品の良さを感じます。存命の芸術家を取り上げるということは、その名前が「ボッティチェリ」や「狩野探幽」といった芸術家たちと同じラインに並ぶということです。
単に同じ程度の評価を受けているという意味でもあり、テレビの番組欄でもサイトのバックナンバーでもいいのですが、物理的に"同じライン"に並ぶということでもあります。
もちろん、将来的に「やっぱり素晴らしい芸術家だった」ということはあるでしょう。
しかし、それでもある程度の時の洗礼を受けて、その"人物への評価"やら"しがらみ"やらのノイズを除去してからでないと、作品自体の評価が歪んでしまう。最近だと「アレクサンダー・マックイーン」や「アゴタ・クリストフ」が良い例ではないでしょうか。
参考
・Webサイト西洋史と西洋美術史を概観する
日本史と日本美術史を概観する
美の巨人たち 公式サイト - バックナンバー
日本大百科全書(小学館)
Wikipedia
・書籍・文献
『広辞苑 第六版 DVD-ROM版』 岩波書店
『大辞林 CD-ROM版』 三省堂
『世界大百科事典 第2版』 平凡社
『カラー版 西洋美術史』 美術出版社
『西洋美術解読事典』 河出書房新社
『新潮世界美術辞典』 新潮社
『世界美術大事典』 小学館…ほか
『代表的日本人』内村鑑三
評価★★★★☆
著者/内村鑑三
宗教家・評論家。高崎の人。札幌農学校出身。教会的キリスト教に対して無教会主義を唱えた。教育勅語への敬礼を拒みいわゆる不敬事件を起し、また非戦論を唱道。雑誌「聖書之研究」を創刊。著「基督信徒の慰め」「求安録」など。
目次1.西郷隆盛−新日本の創設者
1 一八六八年の日本の維新
2 誕生、教育、啓示
3 維新革命における役割
4 朝鮮問題
5 謀反人としての西郷
6 生活と人生観
2.上杉鷹山−封建領主
1 封建制
2 人と事業
3 行政改革
4 産業改革
5 社会および道徳の改革
6 人となり
3.二宮尊徳−農民聖者
1 今世紀初頭の日本農業
2 少年時代
3 能力の試練
4 個人的援助
5 公共事業一般
4.中江藤樹−村の先生
1 昔の日本の教育
2 少年時代と自覚
3 母親崇拝
4 近江の聖人
5 内面の人
5.日蓮上人−仏僧
1 日本の仏教
2 生誕と出家
3 暗黒の内と外
4 宣言
5 ひとり世に抗す
6 剣難と流罪
7 最後の日々
8 人物評
雑感本書は、内村鑑三により1908年に刊行された、"Representative Men of Japan"の新訳版です。内容は、タイトルの通り、「代表的日本人」として西郷隆盛・上杉鷹山・二宮尊徳・中江藤樹・日蓮上人の5人をあげ、その生涯を、内村による解説を混じえて叙述する形になっています。
そもそも本書は、1894年に刊行された、"Japan and the Japanese"を元に、加筆修正されたものです。しかも、その修正箇所は非常に多い。なぜそんなにも手を加えたのかというと、日清戦争の前後で内村鑑三の思想が著しく変化したからだそうです。つまり、"非戦論"を唱え始めたのは日清戦争を境にしてのことだったようです。
戦争反対なクリスチャンのイメージが内村鑑三でしたので、「義戦」を訴えて、この5人を選んだのかと思うと、なかなか興味深いものがあります。
【美の巨人たち 感想】 小倉遊亀「O夫人坐像」
2013年6月8日 放送
TOKYO 公式サイトへ
今週の芸術家
・作者 小倉遊亀(1895-2000)
・国籍 日本
・職種 日本画家
1895 | 大津(現大津市)丸屋町に、第一子として誕生 |
1907 | 滋賀県立大津高等女学校に入学 |
1913 | 奈良女子高等師範学校国語漢文部に入学 |
1917 | 京都の第三高等小学校で教師となる |
1919 | 名古屋の椙山高等女学校で教諭となる |
1920 | 横浜の捜真女学校教諭となる。安田靫彦を師事する。 |
1922 | 日本美術院第8回試作展に「静物」が入選する。 |
1926 | 第13回院展に「胡瓜」が初入選する。 |
1934 | 東京府女子師範学校で教諭となる |
1938 | 小倉鉄樹と結婚し、大船町山ノ内(現・鎌倉市山ノ内)の鉄樹庵に住む。 |
1939 | 東京府女子師範学校を退職し、教職生活を終える。 |
1944 | 小倉鉄樹、79歳で没する。 |
1945 | 戦争の激化にともない、母とともに大津に疎開する。 |
1953 | 第38回院展に「O夫人坐像」を出品する。 |
1954 | 「O夫人坐像」他の業績に対して、第4回上村松園賞が贈られる。 |
1961 | 第46回院展に「母子」を出品する。 |
1962 | 「母子」に対して、第18回日本芸術院賞が贈られる。 |
1966 | 滋賀県立琵琶湖文化館で『小倉遊亀回顧展』が開催される。 |
1976 | 日本芸術院会員に任命される。 |
1990 | 日本美術院理事長に就任する。第75回院展に「半夏生」を出品する。 |
1996 | 日本美術院理事長を退き、名誉理事長となる。 |
2000 | 7月23日、急性呼吸不全のため、聖路加国際病院にて逝去。 |
今週の作品
・作品 O夫人坐像(1953)
・場所 東京国立近代美術館
・縦横 129.0×103.0
・材質 彩色・紙本・額(アクリル等)
縫い物の手を休め、居住まいを正して顔をあげたO夫人は、毅然とした表情で前方を見つめています。周囲には、縫いかけの着物に糸とハサミ・・・。ハサミには銀泥金箔、帯の柄には胡粉を施すなど日本画らしさが見られる一方で、明快で爽やかな色彩からは洋画的な要素も受け取られます。
雑感
大正、昭和、平成と80年にわたり第一線に立ち続け、105歳で亡くなるまで制作を続けた女傑。彼女のような、戦前戦後を経験している画家の作品の変わり様は見ていて実に面白いですね。日本画と洋画の融合、線描の変化、デフォルメの様相・・・
若いうちに画風が定まった画家の少しづつの変化もそれはそれで味がありますが、小倉遊亀のように一大転換期のある画家の生涯は見応えがあります。
参考
・Webサイト西洋史と西洋美術史を概観する
日本史と日本美術史を概観する
美の巨人たち 公式サイト - バックナンバー
日本大百科全書(小学館)
Wikipedia
・書籍・文献
『広辞苑 第六版 DVD-ROM版』 岩波書店
『大辞林 CD-ROM版』 三省堂
『世界大百科事典 第2版』 平凡社
『カラー版 西洋美術史』 美術出版社
『西洋美術解読事典』 河出書房新社
『新潮世界美術辞典』 新潮社
『世界美術大事典』 小学館…ほか
効率的なトレーニング/谷本道哉『スポーツ科学の教科書』
評価★★★☆
著者/谷本道哉
静岡県出身。大阪大学工学部卒。東京大学大学院総合文化研究科博士課程修了。博士(学術)。学位論文の題は 「筋発揮張力維持法を取り入れたトレーニングに関する研究。
はじめに
スポーツ競技で、より強く・うまくなるためにはどうしたら良いのでしょうか?運動生理学、機能解剖学、スポーツバイオメカニクス、トレーニング科学、スポーツ栄養学、健康科学の観点から、スポーツの現場で生じる疑問に一問一答式で答え、わかりやすく解説します。
ポイント
・スポーツにおけるシャウト効果
シャウト効果で実際に発揮筋力を高めることが可能です。ただし闇雲に大声を上げればいいわけではありません。大声を上げることで興奮性を高めることが重要です。また、持久的要素のある競技などではやたらとシャウトを行うべきではありません。
・有酸素運動、無酸素運動と脂肪燃焼効果
有酸素運動は運動時の脂質利用率の高い運動であり、高強度の無酸素運動は運動中には脂質をほとんど使いませんが、運動後に脂質利用の高くなる運動です。有酸素運動が脂質減量に効果的であるのは、比較的用意にたくさんのエネルギーを消費できるからと考えられます。
・体脂肪の役割は?
体脂肪には、エネルギーの貯蔵、保湿作用などの役割があり、必ずしも無駄な組織というわけではありません。スポーツにおいては極力減らしたい場合、同時に筋肉量を増やせるならあある程度脂肪がついていても構わない場合など、競技によりさまざまです。
・どうして競技練習以外のトレーニングが必要なのか
競技練習だけでは得られない高い結果を得るために行うのが補強としてのトレーニングです。スポーツの競技練習では与えることができないような強い負荷を筋肉に与えられることに筋トレを行う意義があり、競技の練習よりもずっと心拍数が上がるような高い心肺耐久的負荷を与えられることに持久トレーニングの意義があるのです。
・ストレッチすると身体の何が変わるのか?
ストレッチでじっくりと筋肉を伸ばすと、神経的要因、物理的要因などから筋肉が柔らかく伸びやすくなり、関節可動域が広げます。また、疲労や不必要でこわばった筋肉をほぐす効果もありますので、筋肉を快適に保つコンディション効果も期待できます。
・汗をかいても痩せないってホント?
汗をかくと水分が抜けるので一時的に体重は減ります。しかし身体の水分量は一定に保たれていますので減った水分はすぐに戻ります。汗をかいても痩せられないのです。なお、「汗をたくさんかくような消費エネルギーの大きい運動」で体脂肪は減りますが、これは結局は運動の効果。「汗をかくことで痩せる」わけではありません。
・「規則正しく」食べることが大切な理由は?
規則正しい「食事のリズム」は、体内時計を司る「時計遺伝子」の重要な調整因子。現代人に多く見られる「夜更かし、朝食抜き」の習慣は、時計遺伝子の正常な発言を見だしてしまいます。
【美の巨人たち 感想】 バーニー・フュークス「ジョン・F・ケネディ」
2013年6月8日 放送
TOKYO 公式サイトへ
今週の芸術家
・作者 バーニー・フュークス(1598-1680)
・国籍 アメリカ
・職種 イラストレーター
1932 | アメリカイリノイ州生まれ。 |
1962 | ニューヨークのアーティスト協会により『アーティスト・オブ・イヤー』に指名される。 |
1962 | 『ハミルトン・キング賞』を受賞。 |
1975 | 『ホール・オブ・フェーム』のメンバーに選ばれる。 |
2009 | 食道癌の為、76歳で逝去。 |
今週の作品
・作品 ジョン・F・ケネディ(1588)
・場所 The Art of Intelligence「バーニー・フュークス」展
・縦横
・材質
伝説のイラストレーター、バーニー・フュークスの『ジョン・F・ケネディ』。彼が描いた5枚の『ジョン・F・ケネディ』の中で最後に描いた作品であり、最高傑作です。セピア色の画面の中、黒いスーツに身を包み、右手を口元に添え、強い眼差しで何かをジッと見つめる大統領の肖像画です。セピアトーンの中に、ネクタイの赤色が鮮やかです。荒々しいタッチの中に浮かび上がる陰影が、大統領の若さと強さを際立たせています。
雑感
画家という職業の歴史は古いのですが、殊に昔の画家は、クライアントなしに生活ができた画家はそういませんでした。多くの画家は「描いて欲しいものを描かされていた」はずです。画家が描きたいものを描けるようになったのは最近のことで、父親の莫大な遺産を相続したセザンヌのような恵まれた環境と職業としての画家が不要になっていった時代背景があわさって、画家は職人から芸術家へと変化していったのです。
確かに今では、「描きたいものを描くのが画家」、「描いて欲しいものを描くのがイラストレーター」などと比較されますが、そう考えると、現代の画家やイラストレーターという職業は、ちょっと定義するのが難しく、どうも曖昧な気がしますね。
参考
・Webサイト西洋史と西洋美術史を概観する
日本史と日本美術史を概観する
美の巨人たち 公式サイト - バックナンバー
日本大百科全書(小学館)
Wikipedia
・書籍・文献
『広辞苑 第六版 DVD-ROM版』 岩波書店
『大辞林 CD-ROM版』 三省堂
『世界大百科事典 第2版』 平凡社
『カラー版 西洋美術史』 美術出版社
『西洋美術解読事典』 河出書房新社
『新潮世界美術辞典』 新潮社
『世界美術大事典』 小学館…ほか
天才ボビー・フィッシャーの生涯/『完全なるチェス』フランク ブレイディー
評価★★★★
著者/フランク ブレイディー
ニューヨーク、ブルックリンの出身。1960年に編集者として「チェス・ライフ」誌を創刊。NYの名門マーシャル・チェス・クラブの代表も務めた。NYのセント・ジョーンズ大学コミュニケーション学部長を経て、現在も同大の教授職にある。作家としては、チェス関連の本のほかに、著名人の評伝を数多く手掛ける
はじめに
二十年にもわたって姿を消していたチェス世界チャンピオンは往年のライバルと対戦すると、ふたたび消息を絶った―。クイーンを捨て駒とする大胆華麗な「世紀の一局」を十三歳で達成。冷戦下、国家の威信をかけてソ連を破り、世界の頂点へ。激しい奇行、表舞台からの失踪、そしてホームレス寸前の日々。アメリカの神童は、なぜ狂気の淵へと転落したのか。少年時代から親交を結んできた著者が、手紙、未発表の自伝、KGBやFBIのファイルを発掘して描いた空前絶後の評伝。
年表
1943 | イリノイ州シカゴ生まれ |
1949 | 姉ジョーンにチェスを教わる |
1951 | ブルックリン・チェスクラブに入る。 |
1955 | 公式戦初参戦 |
1955 | マンハッタン・チェスクラブに入る |
1957 | インターナショナルマスターになる |
1958 | グランドマスターになる |
1970 | ソ連対世界戦 |
1972 | 世界選手権優勝 |
1975 | 連盟と対立し防衛戦を放棄、タイトルを剥奪される。 |
1992 | スパスキーと再戦、国外追放処分 |
2004 | 成田空港にて入管法違反の疑いで収容 |
2008 | アイスランドの首都レイキャビクの病院で死去 |
感想
元世界チャンピオンにして「冷戦の英雄」ボビー・フィッシャーの伝記。チェスプレイヤーとしてのフィッシャーを知らない人でも、2004年の成田での事件を覚えている人はいるのではでしょうか。
親交のあった友人による評伝だけあり、邦訳されているなかでは最も詳しく、内容も興味深いものでした。専門用語は殆どなく、平易な文で書かれているので、チェスを知らない人でも十分楽しめるものと思います。
しかし、それだけにチェス好きからすると少々物足りない。せめて主要な対局の棋譜くらいは載せて欲しかった。華麗なクイーン・サクリファイスと言われても、どうしても説得力に欠けてしまうのです。
もちろん、伝記としては大変面白いですし、棋譜については他サイトを併用すればよいでしょう。日本が重要な舞台として登場することですし、日本のチェスプレイヤーには是非読んでいただきたい一冊です。